手帳2-7
作文
私は母から折檻を受けていた。
ホウキの柄で何度も何度も、母は畑でも耕すように、私の身体を叩いていた。
母は激昂していた。
私の書いた作文を、母はビリビリと破いて紙吹雪にして、その後ホウキの柄が折れるまで、私を叩き続けた。
ヒステリックに叫びながら。
怒りと羞恥の感情を込めて、私が理解出来ない言葉で叫んでいた。
何を言っていたのか、支離滅裂で内容を覚えていない。
もしかしたら意味はあったのかもしれないけれども、苛烈な痛みで、記憶がおぼろげで、曖昧になっているから、覚えていないのかもしれない。
ホウキの柄が折れると、今度はプラスチックの蝿叩きを手に取り、逆手に持って柄の部分で叩いた。
蝿叩きの柄が砕け散り、今度は正座させられ、私の内腿の肉を抓り上げ、両脚の内股に、うっ血した、たくさんの青痣が出来ていた。
教育という名の折檻。
折檻という名の虐待。
虐待という名の心を折る行為。
私は自分の心を取り戻すために、一番下の弟へ近寄った。
補助歩行器に乗っていた弟を蹴り上げて、そのまま押して壁に叩きつけた。
両親から上の弟への接触は禁じられていたが、下の弟へ対する接触は禁じられていなかった。
だから私は、私の心を保つために、下の幼ない子供である下の弟に、私の正しさを示した。
「何をしているの!ああ!息をしていない…」
母が必死で人工呼吸を下の弟へ施していた。
幸いにも下の弟は息を吹き返し、母は安堵と共に私に再び教育という折檻を始めた。
私はその教育が終了したら、即、また下の弟へ殴り掛かった。
「もうあなたの勝手にしなさい。」
母は私にストレスを与えたら、下の弟へ攻撃する事を悟り、何も言わなくなった。
母は私を叩かなくなった。
そして母は私と必要以上の会話をしなくなった。
その日は私の晩飯は無かった。
私は空腹には慣れていた。
いつもの事だった。
学校の給食だけが私の命を繋いでいた。
私の居場所は、どこにも無かった。
「ぼくのおかあさん。」
「ぼくのおかあさんは、おとうさんがいないとまいにちよこになってテレビを見ています。」
「なにかあるとすぐに、ぼくをたたきます。」
「おとうさんもぼくをたたきます。」
「ぼくにしねと言います。」
「ぼくに土よう日に三百円をわたしてスーパーでおにぎりとカップやきそばだけをかって食べろと言うのでそうしています。」
「おかあさんはがっこうへ行ってかえってこなければいいのにと言います。」
「がっこうはきらいです。」
「がっこうのともだちもきらいです。」
「おかあさんがきらいです。」
「おとうさんはもっときらいです。」
「せんせいもきらいです。」
「ぼくはいえにもがっこうにもいたくありません。おわり」
2017.7.22 土曜日 平成29年




