今夜は父さんの御馳走だぞ。
今夜は父さんの御馳走だぞ。その前に風呂入ってこい。
手帳の1冊目を読みきった。
「おーい、今日は母さんは、パートが遅くなるってよー。」
親父の声がキッチンから僕に向けられていた。
「父さんは後でいいから、お前は風呂入れ。今夜は御馳走だぞ。楽しみにしておけよ。」
親父が夕飯の支度をしていた。
「僕もやるよ」と言ったのだが、「たまの休みで来たのだから、お前はゆっくりしていろ。」と気を使ってくれていた。
親父はデカイ会社の重役なのに、家族ながらも上司の重役を飯炊きに使っているような気分で、何だか居心地が悪いやら、申し訳ないやらで、何とも言えない気持ちだ。
だが親父がくれたその時間が…それで手帳の1冊目を読み切れた。
「距離を置いて読め。」と言われたように、僕は「これは大介兄ちゃんではなく、知らない誰かの手帳だ」と思って読んだ。
全く知らない誰かの手帳だと思っても、何と言う内容なのだろうかと、その内容にとても胸が痛くなった。
「おい、どうした。早く風呂入れ。湯が冷めてしまう。」
親父が急かす。
「ああ、分かったよ父さん。」
僕は手帳をテーブルに置いて、風呂に入った。
懐かしい実家の風呂。
その天井を湯船に浸かりながら見ていた。
頭を過ぎる手帳について。
僕が当然で普通の生活だとしていた生活は、誰もが持っている普通だと思っていた。
手帳の主である人物、大介兄ちゃんではない人の手帳だと仮定しても、とてもじゃないが普通の生活ではない家庭環境だ。
僕が小学校に上がる前の記憶は、幼稚園の時で、しかもあまり思い出せない。
手帳の主は、少なくとも2歳頃には、鮮明な記憶を持っていて、それを書いている。
変な物が見えて、信じてもらえなくて、言葉をあまり知らず、孤独で、他人を信じられず、どこにも居場所が見つけられ無い子。
そんな子が小学校に上がって、僕はどうその子に接するだろうか。
僕はまだ学校では、担任を任されていない。
副担任という立場で、学校で仕事をしている。
来年には担任を持つ予定だが、いわゆる虐待児童に、どう接したらいいのかわからない。
色々な考えが頭の中を巡る。
少々お湯でのぼせてきた。
頭がぼんやりとしてきたのが分かると、僕は風呂から出て、部屋着に着替えてリビングへ向かうと、親父の料理の良い匂いが漂っていた。
「良い匂いだね。期待していいかな。」
キッチンの親父に声を掛けた。
「おう。父さんがんばっちゃうぞ。」
じゅうじゅうと揚げ物の音がして、とても胃袋を刺激する匂いが、僕の期待を膨らませていた。
それ以上僕は親父に声を掛けなかった。
僕との話に夢中になって、怪我でもさせたら大変だ。
僕は再び積まれていた手帳と日記を見た。
僕は手帳の1冊目を読んだ。
傷ついた大介兄ちゃんは小学校に入るだろう。
それが多分、あれらの中に書かれている。
第三者の目から見て、あれらの手帳はどう見えるのだろうか。
心が傷ついた子供に対して教師として、先生として担任たちは、どう接したのだろうか。
そして、どう兄ちゃんは成長して行ったのか。
僕の見た、「優しくて強い理想の大人の大介兄ちゃん」。
その兄ちゃんの日記の最初ををさらりと読んだが、どうして伯父さんや伯母さんに対して凶行に及んだのか。
読んで驚きがあり疑問が沸いて、そして怖いけど興味がある。
読み続けて良いものなのだろうか。
そんな事を考えて、日記と手帳を見ていた。
「まだちょっと掛かりそうだ。冷蔵庫からビールでも飲んでおけ。」
親父の声がキッチンからした。
「ああ、いいよ麦茶で。」
酒に酔って親父の作った美味しい料理の味が、それが思い出になった時に、どんな味だったか分からないものにしたくなかった。
何より、僕は手帳の続きを見て、それから自分の事について考えたかった。
僕は冷蔵庫から麦茶を出して、コップに注いでチビチビとやりながら、手帳の2冊目に手を伸ばし、ソファに腰掛けて読み始めた。
地震が多いですね。皆さん気をつけてください。
2017.7.20 木曜日 平成29年




