手帳1-3
初めての友人と制限
これは幼稚園に入る前の記憶だ。
父の盆休み、祖父の家に来ていた。
祖父の長男の伯父夫婦に、私の1つ年下の従兄弟が生まれていたのを知ったが、彼は身体が弱く、よく鼻血を出していて、私は近寄らせて貰えなかった。
今考えると、用水路へ落とした弟の件があって、私と遊ばせると従兄弟の身体の弱さも相まって、危険だと判断されたからだと思う。
私の両親は弟ばかりを可愛がり、私は構って貰えず、勝手に遊んで来いと放任され、話す相手も無く、祖父の家を中心に探検していた。
雑品置き場のような場所があり、積み重ねたトラックのタイヤの上に1人の少年が居た。
1人でいる彼に私からなのか、彼から声を掛けたのは覚えていないが、私はその少年と会話して、その後一緒に遊んでいたのを覚えている。
少年の名前は覚えていない。
会話した内容も覚えていない。
ただ、遊んだ内容は昨日の事のように思い出せる。
粗大ゴミ置き場のような場所へ行き、CRTモニター、いわゆるブラウン管テレビに石を投げて壊して彼と遊んだ。
私は少なくとも、そう記憶にある。
それはとても驚きで、わくわくして、何かが壊れる物を見る事で、胸がすぅっとするような、私の破壊衝動を満たしてくれる刺激的な体験だった。
彼は笑っていた。
私も笑っていた。
私と彼は友達になっていたと思う。
祖父の家に滞在していた日数は覚えていない。
今考えると1日だったかもしれないし、1週間だったかもしれない。
しかし、両親や親戚たちよりも多くの言葉を交わし、私は心が満たされていたのを良く覚えている。
祖父の家に戻ると、もの凄い剣幕の両親が、どこで何をしていたかを、私の腕を掴んだまま聞いてきた。
そして彼に二度と会うなと命令されたのだ。
「なんで」
私はそう聞いたのを覚えている。
渾身の言葉だった。
「うるさい。黙れ!ダメだ。」
耳を貫くような怒号で父が怒鳴った。
私は泣いた。
もう彼に会えない。
会ってはならない。
心に大きな穴が空いたような気がした。
今思えば、初めて「人間関係の制限と干渉」を受けたのは、この時からだったと思う。
大人になってから聞いたのだが、
「大介が乱暴者で有名な猟銃店の息子と遊んでいる事が分かり、そしてまだ使える保管してあったテレビを、石を使い破壊して笑うような性根の危ない子と危険な遊びをしていたと、両親はお前を心配して付き合いを禁止した。」
そう祖母から聞いた。
私と彼は似ていたのだと思う。
だから笑い合えた。
私と価値観を共有できる友人に初めて出会い、そして初めて干渉され、初めて友人を失った。
この記憶は私を責めない。
私は彼の名前を覚えていない。
今の彼も私を覚えてはいないだろう。
この記憶は、今の私には共に笑い合える友人が居ないという寂しさを引いて、胸を痛めつけるのだ。
ルビ振り疲れました。ひらがなカタカナはわかるけど漢字がわからない外国人のために、ルビ振りがんばりました。
でも日本人には簡単な漢字にまでルビが振られているのは読みづらいかなとも思いました。
2017.7.14




