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第十三章 静かな時間


「どうぞ。」

 

レオニードは、向かいの席を示した。

資料室の中央には、小さな木製の机が二つ向かい合うように置かれている。

窓際から差し込む夕陽が、長い影を床へ落としていた。

エレノアは一瞬だけ迷ったあと、小さく頭を下げる。

 

「失礼いたします。」

 

椅子を引き、そっと腰を下ろした。

レオニードも向かいの席へ戻る。

机の上へ積まれていた書類を広げ、その横へ数冊の資料を並べた。

 

「私は国王教育の課題を進めています。」

 

穏やかな声が部屋に落ちる。

 

「ローゼンベルク嬢も、どうぞご自由にお過ごしください。」

 

「……ありがとうございます。」

 

それだけ答えると、エレノアは席を立った。

本棚の間をゆっくり歩く。

並んでいるのは、どれも分厚い専門書ばかりだった。

 

農政についてまとめられた本。

人の体や病気の仕組みを詳しく記した医学書。

橋や道路、建物をどう作るかを扱う土木工学の書物。

草花の性質や育ち方を調べた植物学の本。

遠い昔の出来事を追った古代史の資料。

お金の使い方や社会のあり方を考える経済倫理の本。

国の仕組みや統治の方法を論じた政治制度の書籍。

 

図書館では見かけない本が、所狭しと並んでいる。

その光景だけで胸が高鳴った。

 

「……すごい。」

 

思わず小さく漏れる。

誰へ聞かせるでもない呟きだった。

一冊。

また一冊。

背表紙を眺める。

そして、一冊の本をそっと取り出した。

 

『地方治水計画論』

 

静かに席へ戻る。

本を開く。

ページをめくる音が、やけに鮮明に響いた。

レオニードも視線を上げることはない。

書類へ目を通し、必要な箇所を書き留めていく。

ペン先が紙を滑る音と、時折ページを繰る気配だけが続く。

窓の外では、風が木々を揺らしていた。

誰も話さない。

それなのに、不思議と居心地は悪くなかった。

互いに相手を気にせず、自分のやるべきことへ集中している。

エレノアにとって、それは初めて経験する静けさだった。

誰かと同じ空間にいるのに、一人で本を読んでいる時と変わらない。

そんな時間があるのだと、少しだけ驚く。

ページをめくる。

 

気づけば、何冊目かも分からなくなっていた。

治水計画から橋梁建築へ。

橋梁建築から道路整備へ。

道路整備から地方行政へ。

知識が次々と繋がっていく。

夢中だった。

 

どれくらい時間が経ったのかも分からない。

 

「……ローゼンベルク嬢。」

 

穏やかな声が聞こえる。

エレノアははっと顔を上げた。

 

「はい。」

 

「そろそろ終わりにしませんか。」

 

その言葉に、部屋の窓へ目を向ける。

外は、すっかり夜だった。

夕陽は消え、窓ガラスには月明かりが映っている。

 

「……え。」

 

思わず小さな声が漏れた。

こんな時間まで。

時計を見る。

普段なら、とっくに屋敷へ戻っている時間だった。

 

「申し訳ありません。」

 

慌てて立ち上がる。

 

「私……。」

 

「集中しておられたので、お声を掛けるタイミングを逃してしまいました。」

 

レオニードは少しだけ苦笑した。

 

「私も課題へ没頭していましたから。」

 

エレノアは耳が少し熱くなる。

まただ。

集中すると時間を忘れてしまう。

 

「……怒られる、かもしれません。」

 

ぽつりと本音が漏れた。

その言葉に、自分でも少しだけ苦笑する。

慌てて本を閉じ、机の上を整え始める。

 

「本日は、本当にありがとうございました。」

 

深く頭を下げる。

そして、少しだけ躊躇ったあと。

勇気を出すように、小さく口を開いた。

 

「あの……。」

 

「はい。」

 

「また、来ても……よろしいでしょうか。」

 

最後の言葉は、ほとんど消え入りそうな声だった。

レオニードは一瞬だけ目を見開く。

すぐに穏やかに微笑んだ。

 

「もちろんです。」

 

その返事は迷いがなかった。

エレノアの表情が、ほんの少しだけ柔らかくなる。

それを見て、レオニードも自然と笑みを深めた。

 

「その代わり。」

 

「……はい。」

 

「次は、私が帰る時間を気にすることにしましょう。」

 

エレノアは一瞬だけきょとんとする。

 

「……はい。」

 

その返事は、これまでで一番自然だった。

ブックマークしていただいた方、心から感謝申し上げます。初投稿。ノープロモーションしたものからして、これほど励みになる事はありません。本当にありがとうございます。

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