第15話 ネズミ君に名前を! 天女様、お願いします!
朝。
町へ向かう街道を歩いていると、ミルフィーユが突然立ち止まった。
「そういえば!」
「今度は何?」
ハルが振り返る。
ミルフィーユは、隣を歩いているネズミを指差した。
「この子、名前がないよ!」
「……」
ネズミがピクッと動く。
「そういえばそうだね」
ハルも頷いた。
「ずっと『ネズミ君』って呼んでた」
「では!」
ミルフィーユが胸を張る。
「僕が名前をつけてあげよう!」
ネズミの顔が引きつった。
「……あなたが?」
「うん!」
「お断りします」
「即答!?」
ミルフィーユがショックを受ける。
「どうして!」
ネズミは真剣な顔でキャサリンを見る。
「私の名をつけていただくなら――」
一歩前へ。
「キャサリン様にお願いしたい!」
「また始まった……」
キャサリンが額を押さえる。
「なぜ私なのよ?」
「当然です!」
ネズミは胸に手を当てる。
「私がこの世で最も敬愛するお方!」
「……」
「この世で最も尊きお方!」
「……」
「この世で最も――」
「もういいわ」
「はい!」
「名前なんて自分で決めればいいでしょう」
「それでは意味がありません!」
「どうしてよ!」
ネズミは目を輝かせる。
「キャサリン様につけていただいた名前なら、私は一生その名を背負って生きていけます!」
キャサリンが黙り込む。
「…………」
ハルが小声でミルフィーユに言う。
「これ、どうする?」
「僕には無理」
「早いな」
「じゃあ、キャサリンさんに任せよう」
「……」
キャサリンはため息をついた。
「分かったわ。考えておく」
「本当ですか!?」
「ええ」
「ありがとうございます! この命、名前をいただくその日まで――」
「大げさよ」
そのときだった。
ネズミの耳がピンと立った。
「……?」
「どうしたの?」
ハルが聞く。
ネズミは地面に鼻を近づける。
クンクン。
クンクン。
「……変です」
「何が?」
「町の匂いが……おかしい」
ハルも鼻を動かす。
「……」
「何か感じる?」
「僕にはまだ分からない」
ネズミは街道脇へ走っていく。
「待って!」
「こっちです!」
全員が追いかける。
ネズミが止まったのは、町の入口にある古い井戸だった。
「ここです」
「井戸?」
ハルが覗き込む。
特に変わったところはない。
ミルフィーユも覗く。
「普通の井戸だね」
「違います」
ネズミは首を振る。
「この下から、変な匂いがします」
キャサリンが表情を変えた。
「どんな匂い?」
「花の香りに似ています」
「……!」
ハルが反応する。
「花?」
「でも、普通の花じゃありません」
ネズミは鼻をひくつかせる。
「甘いのに……冷たい」
ハルも集中する。
「……本当だ」
「勇者様にも分かりましたか!」
「うん。かなり微かだけど」
キャサリンが井戸を見つめる。
「最近、この町で妙なことが起きているという話を聞いたわ」
「どんな?」
「夜になると、町の花が一斉に香りを失う」
「え……」
リリアが不安そうにする。
「昼間は普通なのに、夜になると匂いだけが消えるの」
ハルの顔が険しくなる。
「それって……香りが奪われている?」
「可能性はあるわ」
ネズミが突然、井戸の横の壁へ走る。
「こっち!」
「まだあるの!?」
壁の隙間を覗き込む。
そこには――
小さな黒い花びらが落ちていた。
ハルが拾う。
「……この匂い」
一瞬。
頭の中に知らない光景が浮かんだ。
暗い場所。
たくさんの花。
そして――
花から香りを吸い取る黒い影。
「……!」
ハルが花びらを落とす。
「今、何か見えた」
キャサリンが花びらを拾う。
「やっぱり、この町にも何かいる」
ネズミが胸を張った。
「見つけました!」
「すごい!」
ハルが笑う。
「ネズミ君、ありがとう!」
「……!」
ネズミの目が輝く。
「キャサリン様!」
「何よ?」
「今の私の活躍、見てくださいましたか!?」
「ええ。立派だったわ」
「…………!」
ネズミが震える。
「キャサリン様に褒められた……」
ミルフィーユが呟く。
「名前、僕がつけてあげたら?」
「嫌です!」
「まだダメなの!?」
ネズミはキャサリンの前に正座する。
「キャサリン様……どうか私に名前を……」
「分かったわよ!」
キャサリンが頭を抱える。
「今夜までに考えておくわ」
「本当ですか!?」
「本当よ」
「この命、一生キャサリン様に捧げます!」
「命まではいらないわ!」
町に到着した一行。
その夜。
町中の花から――
一斉に香りが消えた。
そして。
誰もいない井戸の底から、
「……チュ」
小さな声が聞こえた。
ネズミが振り返る。
「……いました」
ハルも剣を握る。
キャサリンが静かに笑う。
「さあ、今夜は忙しくなるわよ」
そしてネズミは――
初めて自分の鼻で見つけた異変を前に、仲間たちの先頭へ走り出した。
この日。
彼はまだ「ネズミ君」と呼ばれていた。
けれど――
その夜の活躍によって、
彼はただの変なネズミではなく、正式な仲間として認められることになる。




