6邂逅
突然、眩暈に襲われた。地面が、ぐらりと歪む。
覚束ない足取りでエレベーターまで辿り着くと、二階に上がり、南マロン橋駅行きの電車を目指してホームへ向かう。
階段を降りようとした時、首に何かが絡みついた。背後から何者かに首を絞められているみたいだ。
苦しい。気が遠くなりかけると、
ドンッ
今度は背中を蹴飛ばされた。
「ひゃっ……」
つま先が段鼻から滑り落ちる。血の気が引いて、反射的に手摺を掴んだ。
「愛ぽん!」
間一髪のところへ、背後から声が呼び止めた。
振り返ると、誰かがいる。まだ視界が歪んでいた。
倒れこむように階段の床に手を付いた。最初に目に入ったのは黒のハイヒール。細身の脚にストッキング。引き締まったウェストにタイトスカート、Bカップの胸に白いブラウス。ロングヘアー……。徐々に顔をあげていくと、
「よ、吉江先輩……?」
心配そうに佇む女性は、学生時代の--。
「大丈夫?」
跪くわたしに駆け寄り、背中を支えてくれた。
「改札に着いた時に見かけて、様子が変だったから跡をついてきたの」
吉江美辣。幼い時に一緒に遊んだ近所のお姉さん。知らない間に何処かへ引っ越して、離ればなれになったあと、高校生になってから再会したんだ。
「久しぶりだね」
吉江先輩は駅のホームで買ったコーンスープを手渡してくれた。吉江先輩自身は、しじみ汁を買っていた。
二人でホームのベンチに腰掛けた。南マロン橋方面の電車は、三台くらい見送った。
「整形するの?」
「はい。今日は診察だけだったけど次回は」
わたしは固く決意していることを打ち明けた。
コーンスープは、美味しいんだけど缶の内側にコーンが引っ掛かって、なかなか落ちてきてくれない。躍起になって缶を振り続けていたら、服に跳ねた。
ハンカチを取り出そうとバックを開いた時、はたと気づいた。青い玩具のドレッサー。いつの間に入っていたのか。眩暈に襲われた時、無意識にバックに仕舞っていたのかもしれない。
ドレッサーの引き出しを確かめると、やはり青い印鑑もセットだった。
「あたしはね、なるべくだったら自分の顔、大事にしてほしい」
吉江先輩は言った。
入線してきた列車が発車するまでに、少しの時間があった。
わたしは手のひらに乗せた青い印鑑を握りしめた。青いインクはもう染みだしてこなかった。不思議だ。押した時だけ朱肉が復活するのかもしれない。
手のひらから印鑑が滑った。コロコロと転がって吉江先輩の足元で止まった。
「ねえ愛ぽん。あたしたちって不思議な縁があると思わない? 名前も一緒だし--」
吉江先輩は『よしえ』が彫られた青い印鑑を拾い上げると、わたしに手渡してくれた。
「あたしのね、旧姓も鏡見原だったの」
「え?」
「あたしが幼い時、大好きな父が他界したの。過労が祟っての病死だった。母は女手一つであたしを育ててくれた」
幼少時代、噂で聞いたことがある。鏡見原。珍しい姓なのに、地元にもう一人、同じ苗字の子が住んでいると。時々一緒に遊んでくれた、あの時のお姉ちゃんが、吉江先輩が『鏡見原さん』だったのか。引っ越したのも、母子家庭になった事情が絡んでいたのかもしれない。高校生になって再会した時も、わたしの知らない苦労を先輩は味わってきたのか。
「〝吉江〟は、お母様の姓ですか」
先輩は頷くと、
「両親が健在で、可愛がってもらっていたあなたが羨ましいわ。お父さんのこと大事にしてあげてね」
反対側のホームに、先輩の地元がある藤の馬島駅方面の列車が入線してきた。
「それじゃまた」
わたしの肩に手を乗せてから、吉江先輩は階段を上がっていった。




