4変革
前置きが長くなったから本題に戻すが(戻さんで良い)。わたしは今日、遂に決断したのだ。今は、ある場所に向かっている。
【九許斐美容クリニック】
秋日部駅を降りて徒歩二十分。住宅地から程よく離れたところに、それは佇んでいた。
社会人になってから十六年。新卒で家を出て、一人暮らしをはじめた時から決断していた。この日のために、コツコツとお金を貯めてきたのだ。
学業を終えて早々に実家を離れたのは、あの男の側にいたら、さらにもっと鏡見原義彦の遺伝子が深く内部に入り込んでくるような気がしたから。とにもかくにも一刻も早く、父親から逃げだしたかったのだ。
木製の扉は青いペンキで染められていた。入口に珈琲の木が植えてある。
シャリンカラン
扉を引くと、銀のドアベルが小気味良い音をたてた。クリニックの看板がなかったら、レトロなカフェと見まごうところだ。院内は、消毒液の匂いに混じってハーブとスパイスの香りがした。
「鏡見原さんね」
パイプタバコを片手に、出迎えたのは九許斐ノナと名乗る女医だった。
シナモンの香が鼻に突いた。煙管から漂っているのか、九許斐自身が纏っている香なのか解らなかった。
まずは診察室に案内され、たっぷりカウンセリングをしてくれた。白衣を着ていなければホステスかスナックのママと見まごう女医に、わたしは思いのすべてを披瀝した。父に顔の遺伝子を移されたことへの屈辱、憎しみで気が狂いそうになっていること、幼少期からのトラウマ。世間に後ろ指を指され、侮辱された人生の雪辱を晴らしてやる! と意気込んでいること。
「なるほど。事情は解ったわ」
九許斐ノナは、青いマニキュアが艶めく指先で一通りカルテを見返すと、息をついた。
「今までに鏡、十五個壊したのね。大変だったわね」
九許斐は、元・精神科医だったらしい。開業するに当たって、何を思ったのか心療内科と美容整形を合体させて、九許斐クリニックを設立したそうだ。
この医院をわたしが選んだのも、心の傷と顔のコンプレックスを同時に解消できるかもしれないと期待を込めてのことだった。
「もしもあなたが、ひょっとこや一つ目小僧みたいな顔だったら、私も一にも二にもなく整形を薦めるんだけど」
一つ目小僧に似ていたら、もはや整形どころの次元ではない。どんな喩えじゃい。
「私が言うのもなんだけどね。あなた、そんなに顔立ちは悪くないんだし、今のままで充分よ? どうしても変えたいの?」
「わたしは〝父親に遺伝子移され病〟に罹っているのが堪らなく嫌なんです」
美人・ブスは関係ない。父親に似ること自体が病気なのだ! 下品で下等で醜悪で。
「あなた思い込みの激しいタイプのようね。世間は、あなたの顔が面白くて嘲笑ったわけじゃないと思うわ。親子の血は濃いもの。血は争えないことを微笑ましく感じたんじゃないかしら」
「やめてください!」
そんな話聞きたくない。わたしは両耳を塞いだ。世間がどういう趣向で笑ったのか、微笑みなのか嘲笑なのかは、わたしには判断できかねる。斟酌などしてやるものか。憎しみで化膿した心に、深い傷として刻まれているのは笑われたという事実だけだ。失礼だろう、人の顔を見て楽しむなんて。
「ほら、聞いたことない? 女の子はお父さんに似ると幸せに」
「なれないわ!」
瞬時に九許斐の言葉を遮った。敬語を使う余裕もないほどに。
その時、診察室の奥から白衣姿の男性が現れた。
「紹介するわ。彼、私の助手なの」
九許斐が水を向けると、
「飯田健介です」
男性は丁寧に会釈をした。
若い。三十歳にも満たないように感じる。彼も精神科医なのだろうか。年齢から察するに研修医かもしれない。色白で天然パーマで、切れ長だけど円らな瞳の美男子だった。




