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第29話 Not for Show

#第29話 Not for Show



煌びやかなルーレット台。

赤と黒の盤面が、静かに、妖しく光を放っていた。


フロアの熱気に包まれながら、

臣は片手でグラスを回し、もう片方の手で首筋をほぐす。


「ったく……あいつ、マジで全部溶かしやがったな。」


鼻で笑うように呟くと、

そのまま、ディーラーへチップの山を差し出した。


「……赤で、オールインしてやるよ。」


さらりと放った言葉にざわめきが走る。

隣席の客たちが息を呑む中、ディーラーが頷き、ルーレットが静かに回り出す。


金属球が、カラカラと乾いた音を立てて跳ねる。

光の粒が盤面に弾け、張り詰めた空気がゆっくりと収束していく。


――ただ一人。

その中心にいる臣だけが、どこ吹く風だ。

グラスを煽り、

まるで興味のない顔で視線を流す。


やがて、球が落ちた。


「ブラック、29。」


ディーラーの無機質な声。

次の瞬間、賭け金が吸い込まれるように消えた。


一瞬の沈黙。そして――


「……はぁぁ……スった、スったわ。」


臣は肩を竦め、グラスを持ったまま軽く顎を上げる。


「……やっぱ、赤じゃねぇと燃えねぇや。」


そう言って、誰にでもなく笑った。

悔しさも焦りもない。

ただ、あるのは――

遊びに来ただけの、“バカ”の顔だった。



---


「よぉ、バカ二人。見事に文無しだな?」


軽やかな声と共に、ルカとナオがルーレット台に戻ってくる。

臣はグラスを傾けながら、ふたりを横目に見やり、鼻で笑った。


「俺も同じくすっからかん。

あのルーレット、どうもこっちの顔色読んでやがる。」

「臣くんもかよー。」


ルカが笑いながら隣に並び、ナオは苦笑を浮かべながら二人の顔を交互に見る。

貼りつけた笑顔の裏で、ふたりは低く、吐き出すように言葉を交わした。


「お前、人の金だからって遠慮なく溶かしたな。」

「おかげで監視の目は逸れただろ。

次また来たら、向こうも歓迎するぜ?“カモが金持って戻ってきた”ってな。」


芝居の裏側を交わす声は小さく、それでも互いの表情には僅かに素がにじむ。

ナオは肩を竦め、臣はグラスを置きながら鼻を鳴らした。


――そのときだった。


「……ん?」


ふいに、臣の目線が止まる。

視線の先には、賭けに負けたばかりらしい若い女が一人、黒服に囲まれていた。

声をかけるでもなく、無言のまま両脇を固め、女の肩に手をかけようとする。


明らかに“出口へ”と導かれる動きだった。


女は、何が起きたのか分からないように、戸惑った表情であたりを見回している。

目元には、うっすらと怯えの色が滲んでいた。


「……こりゃ、“換金”コースだな。」


ルカが吐き捨てるように言い、ナオも無言で目を細める。

ほんの一瞬、三人の間に緊張が走る。だが――


「……おい、ナオ。」


静かに、臣が声をかけた。

ルカより一歩前に出る形で、横顔だけを向ける。


「お前、まだ“賭けて”なかったよな。」


ナオはその意図を即座に察し、ポケットに手を突っ込む。

何も言わず、未使用のチップを差し出した。


「……使ってねぇ。ほら。」

「サンキュ。」


臣は口角を上げ、チップを指先で回しながら笑う。


「じゃ、ちょいと――"王子様"、してくるわ。」


そう言い残すと、臣は手のグラスを、そっと空いた卓へ置いた。

続けて、軽く首を回す仕草で気配をほぐしながら、黒服たちのほうへと歩き出す。

その足取りは、あくまで軽やか――まるで、ただ酔いに任せてふらついているだけの、どこにでもいる客のように。


「……よぉ、お兄さん方。ちょい待った。」


指を軽く立て、黒服たちの間に割って入るように立つ。

その場の空気が、ほんの少しだけ揺れた。


黒服の一人が、無言のまま“何か”を女の手首へ伸ばしかけていた。

――白いタグだった。

細く、硬質なバンド。

未開封の使い捨てのそれを、まさに今、装着しようとしていた。


女は、戸惑いのまま、怯えた目で臣を見上げた。

臣はその視線を受けながら、黒服たちを正面から見据える。

指先でチップを転がすようにして、さりげなく一歩、前へ出た。


「この子、もうひと勝負残ってんだわ。」


黒服は無言。

代わりに、ひとりが一歩、前に出る――が。


「……悪いけど、この子にゃ、まだ早ぇよ。」


臣はすっとその女の隣に立ち、ぽん、と肘を頭に乗せる。

まるで、じゃれつく兄貴のような軽さで。

それでも、その肩越しの視線は、静かに鋭く、黒服たちを外さない。


「代わりに、俺がベットな。」


そう言うなり、臣は女の肩を軽く押して、背後に下がらせた。

そのまま、すぐ隣――ブラックジャックの卓へと、ふらりと移動する。


「おっ、空いてんじゃん。

……なぁ、お姉さん。ワンゲーム、いいか?」


ディーラーに軽くウィンクしながら、ナオから受け取ったチップをさらりと置く。

賭け額は大きくはないが、テーブル上では十分なインパクトがある。


ゲームが始まる。

カードを引き、軽く覗いた臣が、口角を吊り上げる。


「……ん、まぁまぁだな。」


そして、勝負はすぐについた。


「ウィナー、ブラックジャック。」


ディーラーの宣言と同時に、配当のチップが、臣の前に静かに積まれる。

黒服たちがわずかに動きかけたが――


「おいおい、ちゃんと勝っただろ。」


臣は涼しい顔のままチップをまとめて、そのまま女の前へ戻る。

ぽん、と軽く手を取って、握らせるように渡した。


女はぽかんとしながらも、それをぎゅっと受け取る。


臣はニヤつきながら、もう片手でその頭をぽんと撫でた。


「これで精算したら、さっさと帰んな。お姫様。

……もうこんなとこ、来んじゃねぇぞ。」


手をひらひらと振ってやるその顔は、どこまでも軽い。

その言葉には、“逃げ道”を作る真剣さがあった。


女は数歩遅れてから、小さく「……ありがとう」と言い残し、

足早にフロアの奥へと消えていった。


遠くでそれを見ていたルカとナオ。

無言のまま、目線だけで顔を見合わせる。


(……やるじゃん)

(……らしくねぇな)


けれど、妙に、胸を打つ。

――そんな風に、互いの目が語っていた。



チップを渡し終えた臣が、ふらりとルカたちの元へ戻ってくる。

グラスの底を覗き込み、残った氷をカランと鳴らした。


「……さてと。もう一勝負、ってのは野暮だな。」


空のグラスを卓に置き、軽く顎を上げる。

ナオが肩の力を抜いたように笑った。


「今日はもう、十分やったろ。」

「俺、笑顔張りつけすぎて頬いてぇ……。」


ルカがネクタイを乱暴に緩め、吐き捨てるようにこぼす。

その横で、臣をちらと見て、にやりと笑った。


「……サマになってたぜ?王子様。」


臣は鼻で笑いながら、氷を、舌の上でころがす。


「あれが、大人の余裕ってやつだわ。」


ルカとナオが、くすっと笑う。


そう言いながらも、臣はふと視線を流した。

奥のスタッフエリア――さっきまで立っていた黒服が、今はいない。

気づけば、空いた卓も、ぽつりぽつりと目につく。


言われてみれば、見張りの黒服たちも、妙に落ち着きがない。

持ち場を外れては、何気ないふうに戻り、誰かと目配せを交わしている。

一見すれば自然な動き――けれど、それがずっと続いていた。


……慣れてきて、ようやく目についた。


「誰かヘマしたか?……いや違うな、俺らはノーマークだ。」

「警戒してるというよりは……焦ってる、のか…」


ナオが低く声を漏らす。

目だけで、同じ景色を追っていた。

臣はグラスを揺らしながら、鼻を鳴らす。


「ま、俺らじゃねぇなら……一先ず撤収するか。」


どちらも、断言はしない。


――その違和感を胸に抱いたまま、三人は並んでカジノの出口へと歩き出す。

背後では、札束が飛び交い、喧騒が続いていた。

けれど、その熱も、もうどこか遠い――ひどく、空虚に感じられた。


ナオがふと、ぽつりと漏らす。


「……ほんと、ただのバカ三人で終わったな。……今んとこは。」


誰も返さなかった。

否定も肯定も、せずに。

ただ、どこかに“ひっかかり”だけを残して、足を止めることもなく進んでいく。


その沈黙の中で、それぞれの胸に火種が残る。

笑いながら、怒りながら、黙りながら――

違う炎が、それぞれの中で、静かにくすぶっていた。




──柱の陰。

スタッフの目を外れた位置で、ルカがふいに足を止める。


くるりと振り返り、さっきまで歩いていたフロアを、もう一度だけ見やった。

煌びやかなライト。騒がしいBGM。どこまでも他人事の喧騒。


ほんの数秒、目を細めたまま黙っていたが――

やがて、にやりと笑う。


右手を上げて、中指を立てる。


「待ってろよ、ゴミども。……次は、本気で遊んでやる。」


べっと舌を出し、口の端を吊り上げる。

そのまま、何もなかったように背を向けた。



すれ違いざま、スタッフの胸ポケットが、ふと目に入る。

そこに差し込まれていたのは、一本の白いタグ。


未使用のまま、ピンと整えられたそれが、まるで“待っている”かのように、こちらを向いていた。



ネオンの灯りが、悪戯に背中を照らしていた。

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