第23話 ルーツ
#第23話 ルーツ
――昼下がりの、ルクシオン医務室。
静まり返ったその空間に、不意にドアの気配が落ちた。
音もなく開いたその先――そこに立っていたのは、忠勝だった。
ルカは思わず目をそらした。
気まずさも、後ろめたさも、喉の奥に引っかかってうまく呼吸ができない。
「……わりぃ。何も、結果出せなかった。」
ようやく絞り出した声は、どこか言い訳じみていた。
それを聞いて、忠勝はふっと笑う。
無言のままベッドの端に腰を下ろす。
どさり、と小さな振動がシーツ越しに伝わった。
「命を賭けて、それでも生きて帰ってきた。……それだけで十分だろ。
説教は――まぁ、元気になったら、たんまりしてやる。」
そのひと言で、ルカは口をつぐんだ。
責められる覚悟はしていたのに、返ってきた温度に、どう応えればいいのか分からなかった。
「……それに、母さんが見てたら……誇らしく思っただろうよ。」
ふいに、さらりと。
まるで雑談でもするような調子で、忠勝はそう言った。
ルカは目を伏せる。
少しの沈黙のあと、ぽつりと返した。
「……そう、だといいけどな。」
視線は揺れていた。
けれどその口元には、ほんの少しだけ――
照れくささと、どこか滲む嬉しさが、確かに浮かんでいた。
忠勝は、ふとナオのほうへ視線を向ける。
静かに、一拍置いてから、低く言った。
「……ナオにも、迷惑かけたな。
……バカ息子が、悪かった。」
ナオは一瞬だけ目を伏せると、
ほんのわずかに――ほとんど誰にもわからないくらい、頭を下げた。
それ以上、何も言わなかった。
でもその一動作に、十分すぎるほどの答えがこもっていた。
ガタッと音を立て、忠勝は立ち上がった。
頭を掻きながら、わざとらしく息を吐く。
「……ったく。こういう空気、ガラじゃねぇんだよ。」
軽く腰を伸ばし、ひとつ伸びをすると、
ぶっきらぼうな声が背後から落ちた。
「とにかく、さっさと治せ。次の仕事、山ほど溜まってんだからよ。」
「……あいよ。やらせてもらいますよ。」
気の抜けたルカの返事に、忠勝はふっと笑う。
そして、ふと思い出したように振り返り――
照れくさそうに、けれどどこか得意げに、口を開いた。
「……ヴァイ、アモーレ・ミオ。」
ルカが、ぽかんと目を瞬く。
胸の奥が、不意に跳ねた。
「……ははっ、なんかキモいな。忘れろ。」
忠勝は手を振り、そのまま背を向けて歩き出す。
去っていくその背中は――どこか、嬉しそうだった。
――忠勝の背中が見えなくなったあと、
部屋には、少しだけ温かい空気が残っていた。
ルカはベッドにもたれ、ふうっと静かに息をつく。
その沈黙を破るように、ナオがぽつりと漏らす。
「……なぁ、さっきの。
ヴァイ……?あれ、なんだったんだ?」
ルカが面倒くさそうに顔をしかめる。
「あー……イタリア語。ったく、あのクソ親父……」
「イタリア語?なんで急に。」
「……うちの母さんがイタリア人でさ。だから、俺はハーフ。
あれも……母さんが昔よく言ってたのを、適当に真似てるだけだ。」
「初耳だな……」
その顔立ちから、そうかもとは思っていた。
けれど、イタリアにルーツがあるとは、聞いたことがなかった。
ナオは少しだけ目を瞬かせて、すぐに察する。
さっきの“呪文”みたいな言葉が、
ルカをほんの少し、くすぐっていたことに。
「……で、結局、なんて言ったんだよ?」
どこか楽しげな声音に、ルカはわずかに視線を逸らす。
「……知らねぇよ。“クソしてぇ”とか、そんなだろ」
「ふーん。……“愛してる”、とか?」
冗談めかした声。
ナオの口元が、わずかに悪戯めいてゆるんだ。
その表情に、ルカのこめかみがぴくりと動いた。
一拍だけ置いたあと、目にふと、いたずらな光が差す。
そして、わざとらしく囁くように口を開いた。
「……Ogni volta che ti guardo, dimentico come si respira.」
ナオが眉をひそめる。
「は?」
ルカはニヤリと笑い、構わず続ける。
「…Sei il motivo per cui il mio cuore batte ancora.
Con te, anche l'inferno sembrerebbe casa.」
「……分かるように言えよ。」
ナオが若干うんざり気味に言うと、
ルカは肩をすくめて、楽しそうに笑った。
「んー?たいした意味じゃねぇよ。イタリア語の、ちょっとした挨拶?」
ナオはじとっと睨むように目を細める。
「……それ、俺が一番、信じられない時の顔だ。」
「まぁまぁ。」
ルカは調子よさげに笑みを浮かべ、手をひらひらと振った。
「なんならナオ君に、俺が教えてやるよ。イタリア語。」
「絶対、語彙偏るやつだろ。」
呆れたように言いながらも、ナオの口元はかすかに緩んでいた。
ルカは、いたずらがバレた子供のように鼻を鳴らし、どこか得意げに胸を張る。
「ちゃんと任務に直結する、“俺ら流”のビジネスイタリア語にしてやるって。」
その言い草には、明らかにやる気が感じられなかった。
ナオは深く息をついて、もう一度だけ、静かに繰り返す。
「……だから。お前のその顔、俺が一番信じられない時のやつなんだよ。」
ナオは、あからさまなため息をついてみせた。
だが、そんな態度も気にせず、ルカは悪戯っぽく笑いながら身を乗り出す。
「まずは簡単な挨拶から覚えようぜ?
――“Ti Amo”、ってな。」
想像していたよりも、ずっと短く、やわらかな響きだった。
どこか、甘く優しげで。
ナオの警戒心が、ほんの少しだけ緩む。
「……意味は?」
「んー……英語で言うと“ハイ”?
フランス語なら、“サリュ”ってとこか。」
「……まぁ。そのくらいなら、のってやる。」
少しだけ顔を背け、ナオは息を整える。
そして、ゆっくりと、その言葉を口にした。
「……ティアモ、ルカ。」
その瞬間、ルカの口元がにやりと歪む。
“まんまと言わせたぜ”、と言わんばかりに。
「上出来。……Ti Amo、ナオ。」
ナオは、わずかに目を細めた。
何がそんなに面白いのか、どこか腑に落ちないまま、ルカの顔を見つめる。
――けれど、それ以上は何も言わず、ただ黙っていた。
---
──数日後。
ナオは無言で、端末の画面をルカの眼前に突きつけた。
「……意味、調べたからな。」
ルカは眉をひそめながらも、興味深そうに覗きこむ。
「ほー?」
「……もう、言わねぇ。」
「えー?せっかく俺、愛されてたのに?」
にやにやと笑うルカに、ナオは目を細める。
「……もう一度、医務室に詰めるぞ。」
低く静かな声。
冗談の色は、一切なかった。
「そんなこと言うなよ、Bellissimo。」
わざとらしく囁いたルカに、ナオの眉がぐっと寄る。
「……今度はどんなクソ台詞だよ。」
「ナオは今日も世界でいちばんカッコいい。Ti adoro.」
「……殺すぞ。」
「それもイタリア語で頼むわ。Ti ammazzo、ってな?」
肩をすくめながら、涼しい顔でそう言い放つ。
「どうせそれも、ロクでもないんだろ。」
「残念。これ“は”ほんとなんだよな。――ダーリン。」
ナオはじっと睨みつけた。
ルカがまたくだらない遊びを見つけたことに、気づいている。
その視線の奥に滲んでいたのは、呆れと――ほんの微かな、諦めにも似た温かさだった。
☆おまけ:ルカのイタリア語翻訳☆
Ogni volta che ti guardo, dimentico come si respira.
「お前を見るたびに、息の仕方を忘れる。」
Sei il motivo per cui il mio cuore batte ancora.
「俺の心臓がまだ動いてる理由、それはお前だ。」
Con te, anche l'inferno sembrerebbe casa.
「お前と一緒なら、地獄でさえ我が家に思える。」
Bellissimo
「最高にイケてる。」
Ti adoro.
「大好きすぎてやばい。」




