第11話 デコイ・ロマンス
#第11話 デコイ・ロマンス
――あとで文句言うなよ。
ナオの目がそう語った瞬間から、俺たちの“芝居”は幕を開けた。
ただのフリ。借り物の関係。
けど、あいつの“その気っぽさ”は思ったよりも――悪くない。
……いや、ちょっとだけ、面白ぇかもな。
+++
「今日はまた……素敵な方をお連れで。」
田村の視線が、ナオに向く。
「ご紹介いただいても?」
一拍の沈黙。
一瞬だけルカの目線が泳ぐ。
すると、ナオが先に口を開いた。
「芹原ナオです。……公私ともに、彼とは縁がありまして。」
表情ひとつ動かさず、声も低く、柔らかく。 まるで“常にルカの隣にいることが当然”のような、そんな雰囲気で。
自らの胸にそっと片手をあて、優しい目線をルカへと流す。
「――なるほど、それは頼もしい。」
男は穏やかに笑って、他の賓客へと去っていく。
その背が完全に見えなくなった瞬間。
ルカは口元を引きつらせながら、小声で唸った。
「……ちょっ…ナオさん?何その演技力。惚れるわ。」
「黙ってろ。」
「いやでもマジでさ、あんなスパダリムーブ、男でも照れるわ。」
「照れてろ、一人で。」
ルカはおかしそうに笑った。 だがその笑いは、すぐに音を止める。
ふいにナオの肩へと手を伸ばし、
その指先で、距離を詰めた。
耳元に、ルカの声がふっと触れる。
「なあ、今のって、"言った"ことがあんの?
それとも――"言われた"、側?」
ナオは、わずかにまぶたを伏せた。
それが戸惑いか、怒りか、あるいは別の何かなのか――表情は読めない。
「それ、口説いてるつもりならやめとけ。
こっちは“依頼”で来てるんで。」
声は低く、鋭い。
それでも――ルカの頬には、なお消えない笑みが灯っていた。
ナオの冷ややかな声を受けて、ルカは肩をすくめながら笑った。
「はいはい、“依頼”ね。わかってますよ、っと。」
ふざけた口ぶりとは裏腹に、その瞳はじっとナオを射抜いている。
軽口の奥に、本心がちらつく――からかいか、探りか、あるいはその両方か。
「けどさ……いい芝居するじゃん。意外と、こういうの、慣れてる?」
ナオは返事をしない。
ただ顔をわずかに傾け、“さあ、どうだろうな”とでも言いたげにルカを見返す。
その仕草に、ルカはますます面白がったように、喉の奥でくつくつと笑った。
「つれねぇなぁ。……ま、シラフじゃやってらんねぇな。」
ちょうどそばを通りかかった給仕のトレイから、ルカは迷いなくグラスをひとつ取った。
琥珀色の液体が、灯りを反射して揺れる。
「ほら、乾杯。」
ナオにグラスを掲げるが、返事はない。
それでも構わず、ルカは酒を煽る。
ごく、ごく、と、音を立てて流し込んだ。
――口当たりは甘いが、舌に残るのは火のような熱さ。
だがルカは顔色ひとつ変えず、グラスを空にしてトレイへ戻した。
「っ……ふぅ。よし、俺のターンだな。」
にやりと笑って、ナオの横顔を覗き込む。
その顔には、どこか愉しげな色と、ほんのわずかな、挑発の火花。
演技に乗じたこの一夜が、“遊び”で済むのかどうか――それを試すように。
ルカは、空になったグラスを指先でくるりと回しながら、隣のナオを横目に見た。
その表情はいつもの軽口を浮かべているが、奥に滲むのは明らかな挑発だった。
「俺の芝居の方は、どう? こう……“彼氏感”出てたかなーって。」
「知らねぇよ。」
あっさり切り捨てられても、ルカは楽しそうに喉を鳴らした。
まるで、噛みつかれないと分かっていて尻尾を引っ張るような――悪意のない悪意だ。
「いや、気になるんだって。“依頼”とはいえ、俺も役者魂あるしさ。ちゃんと“ナオの彼氏”に見えてたかどうか。」
そう言いながら、ルカはナオのネクタイに手を伸ばした。
指先で軽くつまんで、ぴん、と弾く。
わざとらしく首元を直すような動作で、ふいにそのまま耳元へ顔を寄せた。
「……なあ、俺の芝居に、点数つけてみろよ。」
低く、甘く、からかうような声。
ナオはわずかに顔を背け、目を細めた。
「黙ってろ。酔ってんだろ。」
呆れと警戒と――釘を刺すような、乾いた温度の声。
「…………」
「――もしかして、お前、内心けっこう照れてない?」
「………………」
ナオの指がピクリと動く。その一瞬、ルカの視界の端がわずかに揺れた。
だが構わず、ルカは言葉を重ねる。
「なーんか、顔赤い気がすんだよなぁ。……何か、スイッチ入っちゃった?」
「……タチ悪いぞ。」
「かもな?でもよ――」
ルカはナオの方へ、少しだけ体を寄せた。
距離は崩さず、声だけが低く落ちる。
「お前がさ。あんな目ぇして“公私ともに縁がある”なんて言うから。
……ちょっと、欲張りたくなったんだよな。」
その沈黙には、何かが軋む音すら聞こえそうだった。
ナオの横顔に、かすかな怒気の気配が走る。
そして次の瞬間――
ナオの手が、すっと通りかかった給仕のトレイに伸びた。
ためらいもなくグラスを取り、唇に運ぶ。
ぐい、と。
舌が火傷しそうなほどの酒を、何の躊躇いもなく呑み下した。
空になったグラスが、乾いた音を立ててトレイに戻る。
そしてナオは、無言のままルカを見据えた。
その瞳に宿っていたのは、怒りでも呆れでもない。
――明らかに、“売られた喧嘩は買った”目だった。
ナオは、空になったグラスから視線を戻すと、じっとルカを見た。
「……さっきから、ずいぶんと楽しそうだな。」
低く、乾いた声だった。
それは怒りではなく、もっと――静かで、冷えた何か。
だが確かに、その奥には火が灯っている。
ルカは少しだけ肩をすくめて笑った。
「そりゃ、ナオが面白い顔するから……」
その言葉が終わる前に。
ナオが、一歩、ルカへと踏み出した。
「なら、お前にも面白い顔、させてやるよ。」
そのまま、ナオの手がルカの腰へと伸びた。
スーツの生地越しに、ぐい、と無言の力がこもる。
「……おわっ…!」
不意を突かれて、ルカの身体が引き寄せられる。
顎に指を添えられ、視界いっぱいに、ナオの顔が迫った。
距離は――もう、鼻先が触れそうなほど。
「……俺の“演技”はどうだ?」
耳元に落とされた声は、酷く静かで、酷く近い。
空気ごと肌が焼けるような熱を帯びていて、けれど目だけは、凍るほどに冷たい。
「さっきの“点数”、俺にもつけてくれよ。……なぁ、“彼氏感”出てるか?」
ルカは一瞬、目を瞬いた。
それはどこか、“効いた”とでも言いたげな沈黙。
ナオはそれを見逃さず、さらにもう一歩、追い詰める。
「悪酔いすんなよ、なぁ。」
その言葉とともに、腰にまわした手を離す。
勢いで少しよろめいたルカは、反射的にナオの肩を掴んで体勢を立て直した。
「……あー……、――負けた。」
笑いながら、しかしどこかうっすらと頬を染めて、ルカがぽつりと漏らす。
ナオは一歩、さっと後ろに下がった。
その顔はもう何事もなかったかのように、静かだ。
「……これがご希望の、依頼だろ?」
まるで先ほどの接近も挑発もすべて、“芝居の一部”だとでも言いたげに。
だが、どこまでが本気で、どこからが演技だったのか――
その境界は、もう誰にもわからない。
それが、ナオの一手。
――ルカへの、最大の逆襲だった。




