4・看病
王が兵たちと共に外征に赴いたのはそれからすぐのことだった。
エイダがそれを知ったのは、王が留守にしてから数日後のことであった。
誰も彼女にそれを知らせず、彼女がそれを聞いても濁して伝えなかったのである。
2度3度、繰り返し家宰のグスタブに問いかけてようやくはっきりとした答えが返ってきた。
「王は数か月はお戻りになりません」
警戒されてのことだ。エイダにはそれが分かっていた。
しかし彼女は少しもグスタブを責めるふうでもなく、静かにうなずいてみせた。
「グスタブ卿におねがいしたいことがあります」
「……?」
王が外征から戻ってきたのは三か月後のことだった。
領民たちは皆口々に喜びの声を上げて王と兵たちの帰還を迎え入れた。
「……領内の様子が違う」
「そうでございましょうか?」
王が言った言葉に付き従っていた騎士が首を傾げる。
「飢えている様子が見られない。無論、肥え太っているというわけではないが……何か食べ物を口に入れている様子だ」
「そういえば……」
いつもの外征後の光景を思い起こして騎士は納得した。歓呼の声を上げ迎え入れる様子は同じだ。しかし例年ならば人数はもっと少なく、道端には実際に飢え死にした領民の死体が転がっていることもある。外征のために領内の食糧のほとんどを必要最低限以外は持って行ってしまうからだ。
しかし今、歓呼の声はいつもよりも大きく、道端に死体はおろか座り込む人の姿すらない。
「陛下。それよりもあまりご無理をして話されますな。もうすぐ城です」
「黙れ」
騎士は短い叱責の声に口をつぐんだ。
行軍はやがて石の城の跳ね上げ橋にまで到達した。
王がゆっくりとした動作で馬から降り、橋に目をやったところで悲鳴のような声が聞こえた。
「陛下!」
またお前か。
王は悲痛な色に彩られ、周りの制止も振り切って、わき目もふらずに自分の方へ駆け寄ってくるその小柄な人影を見て思った。
なぜ。
そしていつものように思う。
なぜそんな顔をしているのだ。なぜそんな目をして俺を見るのだ。
心配などいらない。気遣いなどいらない。今まで誰もそんな目をして自分を見る者はいなかった……
王がその場に崩れ落ちるように倒れこむのと、エイダが彼の体を支えたのはほぼ同時のことだった。
王はそれから5日も熱に浮かされ寝台から起き上がれなくなった。
王は負傷していたのだ。傷は内臓まで達しておらず、すでにできる限りの治療を施されてはいたが化膿し、熱を持っていた。
「お妃、お休みください」
「いいえ」
エイダは眠らず、食事も取らず、付きっきりで王の看病をした。
体をふき、患部に薬を塗り、幾度も包帯を換える。
本来ならもっと下の身分の者がやるべきことも全てエイダがした。
同じ部屋に常に家宰のグスタブか騎士たちと共に監視として付いていても、彼女は全く気にしていない様子だった。
熱に浮かされたまま、王は幾度も悪夢を見た。
悪夢の中でもがき苦しみ、発狂しそうになるたび、誰かの手が彼の手を取る感触がした。
(おばあ様?)
無表情でいつも冷たい目をした、しかし遠い昔にただ一人、自分に愛情のようなものを与えてくれた祖母を思い出す。
呼びかけに答えるように彼の手が握りしめられる。
そこからあたたかい、優しい思いが伝わってきた。
(おばあ様。おじい様と父上を止められませんでした。母上と姉上に憎まれることは何でもありません。それでも小さな従弟たちを救えなかったのは……)
(あなたはやさしい人です)
優しい思いが優しい声と共に手から伝わってくる。
(やさしい?近隣に悪魔と厭われ、略奪を繰り返すような男が……)
(私にはあなたが悪魔になんて見えません。
略奪は民を救うためのもの。麦も金銀もほとんど取れず、産業もなく、一年の半分は海の凍ってしまうこの北方の国で、民に少しでも良い暮らしをさせようと思えば他国に攻め入る他に手立てはありません。それでも少ない食料を集め、残り少なくなっていく兵糧に怯える兵士たちを率い、戦い続ける王の心中は如何ばかりのものでしょう。
よほどの覚悟がなければできるものではありません。悪名を恐れず、自らを犠牲にすることを厭わない強い人でなければ)
彼は不覚にも目の奥が熱くなる感覚を抑えきれなかった。
自国の臣下も、民も、仕方ないとは思っているだろう。しかし今までに誰も、口に出してそれを自分に言った者はいなかった……
(あなたは強い人です。私は知っています。例え世界の誰もがあなたの敵になったとしても、私ひとりだけはずっとあなたの味方です。私はずっと、あなただけを)
王が目を覚ますと、そばに家宰のグスタブが控えていた。
王は黙って自分が寝かされている寝台の傍らに目をやる。
自分のすぐ傍ら、寝台の横にはエイダが伏して眠り込んでいた。
「……ずっとそばについていたのか……」
発せられた王の声はひどくかすれたものだった。
グスタブが頭を低くして王に説明した。
「陛下。陛下を傷つけた武器には毒が塗られていたようでございます。それもごく希少な毒が。呪いがかけられていないだけ、まだましではございましたが」
「……よく助かったものだ」
「陛下」
グスタブはいつもの彼には似つかわしくなく、一瞬逡巡した様子を見せた。
しかし一瞬の間の後、彼は言葉を続けた。
「陛下がお留守の間、外征のことをお知らせした時にお妃から言いつかったことがございました」
「……妃が?」
「は……それがお妃の私財を全て私に一任するとのことでした」
身分の高い王族ならば、持参金の他に私財を持っているのは当然である。皇国の姫ともなればそれは莫大なものになるだろう。
しかし普通、嫁ぎ先に全ての私財を渡してしまうことなど考えられない。大抵は嫁ぎ先での自分の立場を強化するのに使うものだ。嫁いでも、女性は嫁ぎ先よりも故国のことを優先するものである。少なくともそれがこの時代、この世界での常識であった。立場を強めることは故国に有利な情報を漏洩するのに大変役に立つ。
「一任された私財で、不足した領内の食糧を買い足すようにと言いつかわされました。
豊作であった略奪対象の他国から、それもできるだけ多人数の商人から……」
「………」
領内で飢えの気配が薄かった理由がそれだった。
例年ならばどうしても帰還が間に合わず、多少なりとも餓死者が出る。
彼女の私財がなけれ例年通りになっただろう。外征の後に彼女が私財を出してきたのも、彼女には外征の日程を伝えなかったからだ。
王はそれを悟って無言のまま、眠る妃の顔を見やった。彼女は青白い顔をしたまま、深く寝入っている。
「もう一つ言いつかったことで不審がございます。
お妃は私に毒消しと弓矢、レイピア、小柄な馬を用意するようにとおっしゃられたのです」
「……なんだ、それは」
「弓矢とレイピア、馬は何に使われるおつもりなのか分かりません。しかし毒消しは今回の王の治療に使われたものです」
グスタブは眉をひそめ、眠る彼女を見やった。
彼女を見やる彼のその眼には警戒の色が浮かんでいた。
「希少な毒であったため、毒消しとして効果のある薬もまた希少です。
わが国の医者にはその希少さ故、用意することもできなかったのです。
なぜその希少な毒消しを寸分違わず、事前に用意することができたのか……お妃は陛下が負傷なさること、毒を受けられることを知っていたとしか考えられません」
「………」
王は黙ってエイダを見つめた後、しばらくしてからつぶやくように言った。
「捨ておけ」
「陛下」
「確かな証拠があるのか。事前に用意した薬が偶然に合った。いくらでも言い抜けできよう。今回は妃の用意した薬で命を拾ったのだ。私財を渡してきたことも合わせて功を上げたと言っていい。今回は捨て置け」
「よろしいのですか」
「くどい」
「……承りました」
甘い。
熱でぼんやりとした頭で王は思う。
対処が甘い。謀略をしかけるなら今が絶好の機会だ。証拠などいくらでもねつ造できる。今すぐでなくても、それを種に脅して彼女を支配することも今なら容易いだろう。
王はそこまで考えて、どうしても思考をそこから先に進めることができなかった。
ぼんやりと傍らで眠る彼女の顔を見る。
ぴくり、と彼女のまつげが震えた。
「…………」
彼女のまぶたが震え、ゆっくりと瞬きを繰り返し、やがて開かれる。
そして頭を起こし、その黒い瞳が彼を捉えた。
(なぜ)
血の気の失せた青白い頬に赤みが増す。みるみるうちに頬全体に赤みは広がり花が開くようだった。
震える唇を開き、そこから喜びの声が漏れる。
「陛下。陛下、お気が付かれたのですね。良かった。本当に良かった」
喜び。圧倒的な幸福感。
常よりも強い感情が彼女から流れて王は酩酊にも似た感覚を覚えた。
他人の感情の発露など不快なものでしかない。それが常に分かり、そして強ければ強いほど。
(心配などいらない。気遣いなどいらない。
それなのに)
なぜ。
顔をしかめ、不快げな表情を自分は浮かべているはずだ。
夜には手ひどく扱い、怒り、憤りの感情をぶつけているはず。
それなのに何故この女は喜びの感情ばかりを向けてくるのだ。馬鹿なのではないか。
そう強く思いたいはずなのに、今日この日は熱のためにぼんやりとしか思考できない。
強い怒りと憤りを抱くことができなかった。
「陛下。熱はもう少し続くと思います。毒は消せましたが、傷はまだ腫れて熱を持っているのです。お気がつかれたこれからが、返って辛い思いをなさるかもしれません。ご辛抱なさってください」
「……お前は医術が使えるのか」
「皇国で習い覚えた産業の育成の中に、医療も含まれていたのです。勿論本業のお医者様には比べるべくもありませんが、どうか」
エイダはすがるような瞳をして王に訴えた。
「王の看病をさせてください。少しでもお役に立ちたいのです」
「よせ」
「……申し訳ありません」
王はエイダにすがるような眼をした表情をやめさせたかったのだが、エイダは自分のとった態度と要求を咎められたのかと思ったようだ。
はっとして王から離れ、目を伏せた彼女はまるで殴られたような顔をしていた。
(よせ!)
毎夜手ひどく扱っている時にはそんな顔をしたこともないくせに、何故これくらいのことでそんな顔をするのか?
王は低く唸るような声で言った。
「……お前が用意した毒消しで治療が叶ったと聞いた……
……後も任せる」
「陛下」
エイダの瞳に喜びの色が浮かび、それに比例して大きな感情が王に流れ込む。
「ありがとうございます、陛下。
本当にありがとうございます」




