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【自警団文書係 凛】
「人類が怪物に襲われ始めてからの百年近く、私たちも、ただやられていたわけではありません。いくつもの世代を超えて、研究に研究を重ね、ようやく一矢報いる方法を見つけました。それが、この弾丸です。この特殊な弾丸には、怪物の血清に含まれる毒が用いられていて、今のところ唯一、やつらを即死させることができるものとなっています。みなさんが使用する際は、これをやつらの体内に打ち込む必要があります。例えば、その眼孔などからですね」
そう言って、凛は教え子たちに見せるために持っていた弾丸を目に近づけ、かけているメガネのレンズにうっかりぶつけてしまった。反射的に出た「いたっ――」という言葉に子供達が笑い声を上げる。
それは一見なんの変哲もないライフル銃の弾丸だが、他のものと区別しやすいように、底面に十字が彫られている。もう少し近くで見るかと凛が声をかけると、教室内にいる二十人の子どもたちが、ぞろぞろと教卓の方へとやってきた。年齢は下が十二歳、上が十五歳、将来自警団への入団がほぼ確定している者たちだ。
人類がまだ平和に暮らしていた頃、凛の祖父が生まれるよりも前、あの怪物は何の前触れもなく現れた。残された記録によると、初めの一体は途方もない大きさで、全長百メートルはあったそうだ。破壊される文明、一方的な虐殺。理解不能な異常事態ではあったが、共通の敵という存在に、バラバラだった国中が一丸となり、なんとか討伐に成功したと言われている。
だが、その勝利の美酒に酔う間もなく、無情にも二体目の怪物が現れた。そして、三体目、四体目と……。
そうなると、早々に敗北を認めて逃げ出したのが、当時の上流階級であった。要は、金持ちと知識層である。彼らは残された科学技術と資源を総動員し、自分たちだけの脱出経路を確保すると、あっさりと逃げ出していった。残された一般人には、それらを止める力も体力ももう残っていなかった。
「でも、最近の怪物は小さくなってるんでしょ?自警団に負けて、弱くなってるんだ」
「バカだなあ。小さくなってるからって、弱いとは限らないだろ?建物の中に入って来ちゃうんだぞ?」
「あら、でも建物ごと踏み潰される方が危険じゃないの?」
「でも、そんだけ大きかったら遠くからでも見つけられるから、避難が簡単だろ」
一人の発言を皮切りに、子供たちが議論を始める。このクラスの名物である。凛はそんな彼らを笑顔で見守っていた。
そんな中、クラスの中で一番背の低い少女が凛に質問を投げかける。
「あいつらは、目がないのにどうやって人間を見つけられるの?」
しかし、その質問に対し、凛よりも先に、他の子どもたちが「においに決まってるよ」や「音じゃないかな」などとそれぞれの考えを口にする。そんな中、最年長の少年が「電気だよ」と一言つぶやいた。ここでようやく凛の出番である。
「正解よ。人間って、誰でも少しだけ体から電気を発しているの。怪物はそれを追っていると言われているわ。あなたたちが、いえ、私たちが生まれるよりもずっと前は、この世界には電気が溢れていたの。今じゃ、ほんの一部の場所でしか使われていないけどね」
今や、その時代を知っている人はいないと言っていいだろう。凛の知り合いで一番年長の者でも、生まれた頃に電化製品と呼べるようなものは、そのほとんどがすでに遺物となっていたらしい。田舎の方に行けば、電気という言葉を知らない人も珍しくないだろう。
「その弾丸売ったら、〈新世界〉へのチケット買えちゃう?」
弾丸をまじまじと凝視する十四歳の少年が言った。いつもお調子者だが、誰よりも他の子を気にかけている子だ。
「残念だけど、自警団でしか使ってないものだから売れないわ」
それを聞いて少年が「ちぇ」と言うと、クラスが笑いに包まれる。おそらく、答えをわかっていながら、場を和ませるために言ったのだろう。それだけ、実弾を目にした子どもたちの間には緊張が生まれていた。
凛は、自分が文書係の枠を一つ埋めたことで、ここにいる子どもたちが、いずれ前線に行かなければならないことを改めて思い返す。そもそも枠の少ない内勤を、まだ十八である自分が担当することになったのは、異例中の異例であった。大抵は、もう前線で戦いの役目を終えた者たちの職務である。その大抜擢の理由には、彼女自身の能力だけでなく、彼女の両親の存在も関係していると凛は考えている。凛の両親も同じく自警団で教師という仕事をしており、多くの団員に愛されていた。
凛の両親は国全体の教育を憂い、自警団内の教育制度を整えた後、その仕組みを全国に広めるため、二人で各地を巡るようになった。彼らが作り上げた教科書や教育制度が少しずつ全国に広まり始めた頃、二人は各地を巡る途中で命を落とした。それが怪物によるものなのか、野生動物によるものなのかはわかっていないが、その遺体はかなり損傷がひどかったと言われている。
そんな彼らへの感謝と償い、そして二人の功績を尊重する気持ちから、自警団は凛に教師という役職を与えたのではないか。彼女はそう感じることがあった。体力に自信のない凛にとって、願ってもない役職ではあったが、数年が経ち、若い自分がここに居続けることで、失われかねない多くの命のことを考えずにはいられなかった。そうでなくとも、子供の少ない世の中である。
「先生……?」
そんなことを考え、上の空になっていた凛の意識を、少女の声が呼び戻す。しっかり者の優等生で、この冬から正式な団員となることが決まっている。
「あ、ごめんなさい。えっと……」
「先生、呼ばれてます」
そう言う彼女の指差す方を見ると、そこには自警団代表の郷原が立っていた。もう六十を超えているはずだが、日に焼けた肌と短く刈り込んだ髪の毛、服の上からでもわかる衰え知らずの筋肉、そのすべてが威圧感を放っている。二十代で二代目自警団代表を継ぎ、その後四十年余りその地位に君臨し続けている人物だ。
「代表!お疲れ様です」
突然の郷原の来訪に、凛は緊張から声を大きくする。正式な団員になってもう三年が経ったが、いまだに彼を目の前にするとひどく緊張する。
「授業中にすまない。少し私の部屋に来てくれるかな?蘭次の件で、君の助けがいる」
「了解です!」
代表の言葉に敬礼を返す凛。しかし、その依頼の内容はさっぱり見当がつかない。先日、例がないほど街の中心部に怪物が現れ、そこに居合わせた非番の蘭次が人々を救助したということは聞いていた。自身が学生としてこの教室にいた時から彼を知っていた凛にとって、なんとも蘭次らしい話だと思った。彼が誰よりもお人好しで、困っている人を助けずにはいられない性格なのは、自警団員なら誰もが知っていた。
そんな彼が一体どんな問題に巻き込まれたのか。そして、自分に何ができるのだろうか。疑問は尽きなかったが、久しぶりに蘭次に会えることを、凛は内心楽しみにしていた。
授業を早めに切り上げる代わりに宿題を多めに出すと、子どもたちから軽いブーイングが漏れる。それに笑みを浮かべながら、凛は郷原についていき、教室のある建物を後にする。
自警団の本部は、密集したいくつもの建物を少しずつ使用している。それは防犯の観点もあるが、一棟丸々綺麗に使える建物が、この都心にそう多く残っていなかったのも理由である。
「凛、子どもたちはどうだ?」
「皆、とても優秀です。卒業予定の五人なんかは、実技に至っては、私なんて目じゃないと聞いています」
クラスは年齢によって三つに分かれており、それぞれに筆記と実技の教員が一人ずつついている。凛が受け持っているクラスは、例年になく優秀だった。だが、優秀であればあるほど、早くから危険な地域に派遣されていく。
「そうか。凛の教え方が良いからだな」
郷原がフランクに接する。彼はその見た目の威圧感に反して、常に柔らかく人に接するが、どうしてもそれを自然に受け入れられず、緊張してしまう凛は、余計に申し訳なくなることがある。
「いえ、代表が受け入れた子たちは元々優秀な子ばかりで……」
「凛だってその一人だよ」
「私はそんな……」
「だから、そんなに謙遜ばかりするな。お前の両親のことも小さい頃から知っていたが、二人以上にお前は優秀だよ」
「ありがとうございます……」
それを聞いて、凛は改めて郷原が自分の両親よりも二十歳以上も年上なことを思い出す。対怪物ライフル弾が作られるよりも前から、怪物退治に従事する、まさしく生ける伝説である。自警団にいる人間のほとんど全員が彼に憧れてここにいると言っても大袈裟ではないだろう。
「知っているだろうが、最近あの怪物たちの出現頻度が加速度的に増えている。それに〈導きの会〉の勢力も急激に拡大している。いちいち記録してくれている文書係のみんなには迷惑をかけるよ。うちはいつも人手が足りないな」
導きの会……。凛が心の中で呟く。導きの会は百年ほど前に誕生した宗教団体だが、勢力を伸ばし始めたのは近年のことだった。凛が以前調べたところでは、二代目の指導者に代わってから、方針が変わったようだった。
「個人的な恨みはありませんが、都心から離れた場所での彼らの求心力は少し怖いものがありますね」
「なるべく穏便にいきたいところだが……若い奴らとしては、そうもいかないみたいだ」
都心の多くの人々にとって、導きの会は、胡散臭い集団でしかない。だが、中には導きの会の庇護の下で法律を無視する信者もおり、度々自警団員との間で問題になっている。もしかすると、彼らの存在が、自警団にとっては怪物以上に厄介なものかもしれないなと度々思う。怪物が現れる前、人間の敵はいつも人間だったと言われている。そんな場合ではないと言うのに、またそれが繰り返されるのだろうか。
「待たせたな、蘭次」
代表室に近づくと、建物の前に立っている青年がいた。蘭次である。以前に凛が見た時と変わらず、精悍な顔つきをしているが、その目だけが少年のように丸く幼さを残している。その彼にも、郷原は、息子に声をかけるようにして手を振る。しかし、生真面目な蘭次は、その郷原に敬礼を返す。
「楽にしろ」
「ありがとうございます……凛も一緒ですか?」
「ああ、彼女に手伝ってもらおうと思ってな」
「ですが、これは私の問題で――」
「お久しぶりです」
蘭次の言葉の途中で凛が話しかける。せっかく蘭次を助けられそうなチャンスをみすみす目の前で失いたくなかった。
「久しぶり。最後に会ったのは……一年前とかだっけ……?」
「そうですね。十一ヶ月前です」
その時も、この建物の前だったことを凛は覚えていた。
「愛紗ちゃんは元気ですか」
「ああ。凛に会ったって言ったら羨ましがられるよ」
「世間話をしたい気持ちも山々だが、大事な話を中で……いや、誰もいないし、むしろここの方が都合がいいか」
不審者が近寄ることを避けるためにも、代表室の周囲には遮蔽となるものが何も置かれていなかった。それもあって、壁越しに聞き耳を立てられる心配をしなくても良いと、郷原は度々大事な話を、室内ではなく、この場所で団員たちに告げていた。そのことを知っていた凛は、いよいよこれは大事であることを理解した。
「蘭次、あの書類を凛に」
「……はい」
蘭次が渋々と懐のポケットから、折り畳まれたしわくちゃの書類を凛に手渡す。
「読んでくれ」
そう言われ、凛が目を通すと、それは一通の契約書であることがわかった。
「五千万円……!なんですかこれは?」
思わず大きな声を出してしまった凛に、声を落とすよう、二人がジェスチャーをする。凛は慌てて、口を押さえ「すみません」と呟いた。
「弾丸が一発五千万円って……ありえません」
「対怪物ライフル弾だ」
郷原の言葉に、凛は口を開けたまま固まる。つい先ほど、クラスでこれを持っているのは自警団だけだという話をしたばかりだった。
「この人物は一体?」
「今はそれは問題じゃない。この契約書に不備がないかどうかだ。それを凛に見てもらいたいんだ」
先ほどまでとは打って変わって深刻な声色の郷原の言葉に、凛の驚きはキュッと萎んでいった。もう一度契約書に目を通す。そして自分が呼ばれた理由を理解する。普段社会で用いられる契約書に比べて、使用されている語彙も言い回しも異様に難解だった。あえてわかりにくく書かれているように思える。この場でざっと目を通しただけでは、すべてを読み解くことはできない。
凛はチラッと蘭次の顔を見る。その顔は何かを願うようでもあり、あきらめているようでもあった。すでに彼女は、自分がここに呼ばれた理由を理解していた。どうにかこの契約を無効にできる根拠を見つけてほしいのだろう。
今の社会では、行政の大部分を自警団が担っている。だが、だからといって、何もかもを好き勝手にできるわけではない。この契約相手が誰なのかを凛は知らなかったが、あの弾丸を手に入れられることから、よほど力を持った者であることが想像できた。その相手との契約を一方的に破棄したことが広まれば、自警団の信用にも関わる。自警団は武器や車、防衛設備などを調達するため、多くの会社や工場と取引している。今後の取引に影響が出るような事態は避けなければならない。
「持ち帰っても良いでしょうか。非常に複雑ですが、端から端まで読んで、必ず何か見つけて見せます」
凛のその言葉に、郷原が少し驚く。彼女から自発的にそのような強気な発言が出るとは思わなかったのだろう。だが、彼は何かに気づいたように蘭次の顔をチラッと見て、微笑むと「構わない」と返事をする。
しかし、蘭次がそれを止めに入る。
「いいんですか?ようやくあいつの名前が書かれた証拠ですよ?」
「今さらアクルの名前だけがあっても仕方がない。役に立つときに手元にあれば良いさ」
郷原の言った「アクル」という名前を聞いて、凛は契約書に書いてある弾丸の売り手の名前をもう一度見る。聞いたことのない名前だった。
「凛、そこに書いてある期限まで、それを預ける。もし必要なら、図書館にも行くといい。護衛には那羅をつける」
そう言われ、凛はアクルという名前の少し上にある支払い期限を読み返す。そこには十日後の日付が示されていた。
「無理をしないでくれ、凛。それは俺個人の失敗なんだ。凛の他の仕事の邪魔になるようだったらやらなくていい。自分で責任を取れるよ」
蘭次が心底申し訳なさそうに言う。
「いえ、こういう時のために勉強してきたんですから!」
彼をこれ以上不安にさせないよう努めて明るい声を出した凛であったが、今読んだ限りでは、契約書に不備は一切なかった。契約相手は蘭次にこれほど不当な契約を結ばせる人物である。一筋縄ではいかないだろうことはわかっている。
「いざとなったら、自警団を退団するよ。俺とそいつ個人の問題にすれば、みんなに迷惑をかけなくて済むかもしれないし」
蘭次はそれが大した問題ではないかのように装うが、空元気であることは誰の目にも明らかだった。
「馬鹿なことを言うな。そうなったら誰が愛紗を見るんだ。俺がなんとかしてやるから、お前は自分と妹のことを考えておけ」
しかし、そんな蘭次を郷原がそう笑い飛ばした。その笑顔は、普段他の団員に見せるものよりもさらに親密なものである。
蘭次は、郷原が怪物の被災地で見つけた孤児の一人だった。彼に限らず、そうして自警団にやって来た孤児は少なくない。そんなこともあって、郷原は多くの団員にとって父親代わりのようなものである。だが、それでも蘭次のことを他の団員よりも特別視しているのは、自警団の中でも多くが知ることだった。凛としては、蘭次の自警団での活躍を考えれば、代表に可愛がられるのはある程度仕方ないように思えたが、中にはそれを僻んでいる団員もいる。
そういった人々を気にしてか、まだ凛が団員になる前から、郷原の態度に蘭次本人が申し訳なさそうな表情を浮かべているのを度々見ていた。今回の件だって、どのような事情があったにせよ、一団員がこれほどの額の契約を勝手に結んだことへの処遇としては、非常に甘い。
そう思って凛が二人の顔をじっと見ていると、それに気づいた郷原がニヤリとする。
「蘭次、凛がお前と話したそうにしているぞ」
そんな彼のニヤニヤとした表情を見て、やはり自分は彼のこういったフランクな姿勢が苦手だと、凛は改めて思う。
「すみません、そうなるとクラスに穴をあけるので、そのための準備をして来ます」
郷原の生み出した空気を消し去るためにも、凛が無理やり話を変える。実際、明日にでも出発するとなると、一番迷惑がかかるのは教え子たちである。
「代わりの教員を立てるか?」
「いえ、引き継ぎなどを考えると、結局かかる時間は変わらないので」
「そうか……」
「お気遣いありがとうございます。それでは、先に失礼します」
郷原と蘭次に敬礼を送り、凛はその場を後にする。凛を見送っていた二人だが、彼女が完全に立ち去る直前、少し声を落として話し始めた。
「またしても、アクルか……」
「すみません、代表。あいつは私が、絶対に捕まえます」
【自警団の学生 蘭次】
クラスが終わり、一息つく。
蘭次が自警団のクラスで勉強を始め、半年がたった。まだまだ慣れないことも多く、成績はあまりよくない。それでも友人ができ、それなりに楽しく過ごすことができていた。
先生や友人と笑うたびに、今の状況を奇跡のように感じていた。身寄りもなく、兄弟三人で逃げ回るような生活を送っていた中、自分たちを引き取ってくれたのが郷原を初めとした自警団だった。聞けば、似たような境遇で自警団にやってきた者は少なくないようだったが、そもそも兄弟のいない子どもの方が多いと言われている時代に、三人でやってきたのは、ずいぶんと珍しかったようだ。
「蘭次のお兄ちゃんって、自警団員じゃないんだね」
各々が帰宅のために荷物を片付けている中、隣の席の男の子が話しかけてきた。
「う、うん」
「なのに、自警団の中に住んでるの?」
「で、でも、もうすぐ出るって言ってたよ」
自警団の本部の中には、宿舎がいくつか点在しており、それらは本部で働く自警団員や、クラスで学ぶ子どもたちのために用いられていた。団員の場合、家族と同居することはあったが、親が団員でない子どもたちは、その親元を離れ、集団生活をしていた。そんな中で、自警団員でない大人の兄と一緒に暮らしている蘭次と愛紗の状況は、かなり特殊なものであった。兄は今から自警団員になるには大人すぎたし、本人もそれを望んでいなかった。だが、幼い蘭次と愛紗のことを考えると、いきなり引き離すのは難しいだろうと、自警団は半年の猶予をくれた。その間に、兄は仕事を探し、外へ出て行くこととなっている。
そんな特別扱いを受けていることがわかっていたからこそ、蘭次は何か言い訳をするように、兄がもうすぐ出ていくことを口にしてしまう。だが、質問をしてきた彼は、何かを非難するつもりではなかった。
「そうなんだ……さびしくなるね」
そう言ってくれる彼も、家族と離れ、一人でこの自警団で生活している。兄と離れ離れになる蘭次の気持ちを慮ってくれていたようだ。責められるのではと構えていた蘭次は、所在なげに視線をさまよわせた。
「うん。でも、もう二度と会えなくなるわけじゃないから」
蘭次は確信を持ってそう言う。兄なら、どれだけ離れても、自分と妹が大変な時は助けに来てくれると信じていた。だから、これからも大丈夫なはずだった。
だが、そんな中で事件は起こった。
自警団の武器庫から、大量の武器が盗まれてしまったのである。前代未聞の出来事に自警団本部は大騒ぎとなった。
一体犯人は誰なのかと捜査が本格化すると、夜間警備をしていた団員から目撃証言が出た。
「自分が最後に見たのは、外から帰ってきたアクルの姿です」
そして、そのアクルの――蘭次の兄の姿は今朝からどこにも見当たらなかった。
そうなると必然、まず尋問を受けるのは蘭次であった。
「ぼ、ぼくは何も、知らないんです……。なんで、どうして……」
「大丈夫だ、蘭次。落ち着いて。我々は君を疑っているわけじゃない」
無機質な部屋の中に、机が一つと、椅子が二つ。そのうちの一つには蘭次が、もう一つには、四十代ほどの自警団員が座っている。彼は蘭次と話しながら、何かのメモをとっている。そんな彼らを囲むように、さらに五人の大人たちが立っていた。その中には、郷原もいる。
団員たちは努めて優しく語りかけてくれた。だが、その目の奥には、隠しきれない疑いの色が滲んでいた。蘭次たちを自警団に連れて来たのが自分たちの代表でなければ、その尋問がこんなにも優しいもので済まなかっただろうことは、子供の蘭次にもわかっていた。
「昨日の夜は、いつもみたいに愛紗と、お兄ちゃんと一緒に部屋で寝て……。でも、気がついたら外が大騒ぎになってて、僕は怪物が出たのかもと思って、それで、それで――」
「落ち着くんだ、蘭次」
ゆっくりと蘭次の横に近づいてきた郷原が、蘭次の両肩に手を置く。その手は熱く、そして力強かった。
「すまない。皆の気持ちはよくわかるが、一度、蘭次と二人だけにしてくれないか」
部屋の中にいる団員たちに郷原が言う。その言葉に、納得しかねている様子の団員たちだったが、代表の手前、表立って文句を言う者はいなかった。ゆっくりと一人ずつ、部屋を後にしていく。
最後の一人が部屋を出て、ドアがガチャリと閉まる。それを見届けた郷原は無言のまま、大きく呼吸をしながら、小さな部屋の中をぐるりと一周した。
「お兄ちゃんは、なんで……なんで僕たちを……」
沈黙に耐えられず、蘭次が言葉を漏らすと、それと同時に涙が止まらなくなる。彼にとって、今起こっている問題や、自分が尋問されている恐怖よりも、兄が自分たちを置いて行ってしまったこと、彼に裏切られたことが一番辛いことであった。
「わからん……。あいつの考えてることはいつもわからない」
「僕は――僕は大丈夫です。でも、愛紗だけはここにいさせてあげてください!」
丸い目に大粒の涙を浮かべながら、蘭次が郷原に懇願する。
「大丈夫だ――」
郷原は膝を地面につけ、目線を蘭次に合わせる。だが、蘭次はその目を見ることができない。
「――お前たちは自警団が面倒を見る。心配するな」
「でも、郷原さん……代表以外の人たちは、そう思ってないです。誰も、僕を信じてないです。目を見れば、わかります……!」
自分を取り囲んでいた大人たちの目を思い出す。その瞳の奥の感情を思い出す。それだけで、体が震え出した。しかし――
「信じさせるんだ」
不思議なことに、郷原のその言葉で蘭次の涙が止まった。短いその言葉には、確かな熱があった。俯いていた顔を上げると、すぐ目の前に郷原の強い意志を感じる顔があった。
「誰よりも立派な自警団員になれ、蘭次。怪物を倒して、愛紗も、この世界も守るんだ。アクルだってきっと捕まえられる。俺は、お前ならそれができると信じているよ」
そう言われても蘭次は、自分がそんな人間になれるとは思えなかった。クラスの中ですら、自分の成績は下から数えた方が早かった。だが、次の日から毎日のように浴びるであろう疑いの目や、心無い言葉に耐えるためには、強くなるしかないとわかっていた。
郷原が信じてくれた自分に、本当にならなければならない。
「わかりました……!」
蘭次の丸い目に、強い光が宿った。
【病の少女 愛紗】
十五歳。この歳になっても働いたことがない人間というのは、自分ぐらいのものだろうと愛紗は思った。この家に越してきた当時、近所にいた同世代の子どもたちは、皆どこかへ働きに出るか、死んでしまった。それなのに、なぜ一番体の弱い自分が、働きもせず、生き延びているのだろう。そして、なぜ治療のたびに自警団の誰かが、一緒に病院に着いてきてくれるのだろう。本部からここまで、大人の足でも一時間はかかるはずだ。
自警団で働いている兄は間違いなく優秀だ。これまでに会った多くの自警団員が彼を褒めているのを聞いてきた。そして、こんな世の中において、自警団が非常に安定した――命の保証がないことを除けばだが――職であることも理解している。だが、だからといって、彼の給料や地位だけで、こんなにも恵まれた生活を送れるはずがない。少し成長した頃には、当たり前のようにそんな疑問が浮かんだが、日々自警団の任務の中で生きている蘭次はそのことに気がついていないようだった。それか、妹のことを思い、気づいていないふりをしているのかもしれないとも思った。
愛紗は病院の待合室で、長い長い支払いの順番を待っていた。こんな世の中で医者をするお人好しは多くない。機材も設備も何も足りていない世界でできる治療はそう多くないが、それでも連日たくさんの人でここは溢れている。
今日、愛紗についてきている自警団員は那羅という女性隊員だった。もう二十年ほど団員として働いているそうだが、これまで最前線を飛び回っており、最近ようやく本部に戻ってきたらしい。彼女の外見を見れば、彼女が前線で戦い続けてきた理由はすぐにわかった。二メートル近い身長に、筋骨隆々の体、短く刈り上げた髪の毛はその毛先がジリジリと痛んでいる。発せられるその声すら、男性の平均よりも低く響いており、愛紗がこれまでに出会った女性とは、あまりにも違っていた。
「ホルモンだかなんだかの異常なんだそうだ」
説明し慣れているのか、愛紗が聞くよりも早く、本人はそう説明してくれた。だが、百年前ならともかく、今の社会で彼女のその身体の特異性をきちんと解明する技術は、どこにも残っていなかった。
「おかげで自警団として働けているんだ。今の世の中、こんな風に生きていられるだけでラッキーだよ」
その言葉の奥にある那羅の真意はわからなかったが、間違いなくそれは事実である。兄の話によると、彼女は自警団の中でも指折りの団員として知られているらしい。彼女がこれまでに倒した怪物の数は、団の中で抜きん出ているとのことだ。だが、彼女の実力を惜しんだ上層部は、怪物などとの戦いで彼女を失うことを恐れ、よほどの緊急時でなければ、最も危険な地域には派遣しないようにした。護る力があればあるほど、大勢の人を護ることができなくなるだなんて皮肉なものだなと愛紗は思う。だが、彼女を前例として、蘭次もいずれ危険な地域に行かなくて済むようになるのであれば、ありがたいなとも思う。
「自警団なんて名前を名乗っちゃいるが、政治と何が違うってんだ」
自警団に護られた街の中にも、そういったことを吹聴する反対派は一定数いる。彼らが生まれた時には、すでにこの国に政治などというものが無くなっていたにも関わらずである。愛紗はそのような言葉を耳にするたびに、本気で国のため、人々のために戦っている兄のことを思い、心を痛めるが、同時に一理あるなとも思ってしまう。
あの怪物の出現で文明を大きく破壊されたこの世界から、政治家や富裕層が我先にと逃げだしてしまった後、救助や戦闘に覚えのある人々が有志で集まったのが、現在の自警団の走りだと言われている。彼らは、各所に散らばっていた町に人材を派遣し、その自治を行なった。インフラを整え、戸籍制度を再編し、護衛費という名前で税金を徴収し、自警団を成り立たせていった。
そうして何年もかけて取り戻そうとした国という制度が整い始めたタイミングで、新世界から急に送られてきた物があった。人々はそれを〈銀行〉と呼んだ。
それらは突然と国の各所に出現し、人々に金を与えた。どういった力で、どのような仕組みで動いているのかはわからないが、銀行からは怪物を寄せ付けにくい妨害電波が出ているらしい。そうなると、残された人々は自然と銀行の近くに暮らすようになり、そこを中心に街が形成されていった。街が大きくなるにつれて、人々の生活にはさらに金が必要になっていく。銀行は、残された人々の世界に貨幣経済を強制的に復活させた。
病気になる前、愛紗が自警団の学校に通っていたときに習った内容によると、銀行によって安心を取り戻した人は多かったらしい。当時はまだ文明が破壊される前を知っている人がほとんどであった。人生の大半を共にした制度が復活したことによって、精神的な安心を得たのだという。
だが、金が人々に与えるのは安心ばかりではない。競争と奪い合いもである。
「我々の新世界に来たい者はいるか。であれば、金を貯めろ。チケットを売ってやろう」
人々の生活に再び貨幣が定着した頃、銀行から人々に対し、そのようなメッセージが投げかけられた。冗談だと思うものも多数いたが、初めてチケットが購入された夜、人々の前に巨大な航空機が現れた。それは、多くの人々に新世界への夢を抱かせるには十分だった。そして、悲しいことに、その夜に各所で起こった暴動による被害は、もはや怪物によるものと遜色がなかったと言われている。
そんな最悪の夜から数十年が経った現在も、自警団員の仕事の多くは、結局、人間から人間を守ることだった。
「これでお願いします」
そう言って、愛紗はようやく回ってきた自分の番に、窓口で治療費を払う。
生きていられるだけで不思議な自分の人生である。そんなチケットを欲しいなどとは思ったことがない。今の世の中で、本気で新世界に行こうと思える人はほとんどいない。普通の人間が堂々と口にすれば、現実が見えていないなと笑われて終わるだろう。それほどまでに途方もない大金だ。
けれど、生きていくということは、それだけでお金を使う。稼ぐつもりがなくとも、どこか遠く安全な場所にいるその富裕層たちの思い描くゲームの歯車になっているのだ。
悔しさから、愛紗はもらったお釣りをついつい力強く握りしめてしまった。手のひらに、硬貨の跡がうっすらと紫に残る。
「大丈夫かい?」
そんな様子を見た那羅が愛紗に尋ねる。
「あ、はい。すみません」
「君たち兄弟は、本当によく謝るな」
那羅が笑いながら言った。
「兄とは、よく一緒に?」
「いや、配属が被ったことはない。ただ、お互いに前線に向かうと、何かしら顔を合わせる機会があるんだ。どれだけ団員がいようと、あの怪物に口先だけでなく、本当に立ち向かう人間なんて限られているからね」
那羅としては、それは愛紗の兄がとても勇敢な人間であるという褒め言葉だった。だが、結果としてそれは、兄を心配する少女の顔を少し暗くしてしまう言葉となってしまった。
「支払いが済んだなら家に向かおう――いや、噂をすればだな」
気まずさを払拭しようと那羅が建物の外を指差すと、その先にはこちらへと向かってくる蘭次の姿があった。
「お疲れ様です!大変お世話になりました。ここからは自分が引き継ぎます」
「早かったな」
真剣な声色の那羅の言葉を叱責と捉えたのか、蘭次が慌てて「すみません」と言う。それを聞いた那羅がくすりと笑う。
「似たもの兄妹だな」
そう言って那羅が蘭次の方にポンと手を置くが、思った以上にその力が強かったのか、蘭次の膝がカクッと折れる。それを見て那羅は眉間に皺を寄せた。
「鍛え方が足りないんじゃないか」
「那羅さんにそう言われてしまうと、誰も言い返せません」
そう冗談のように返しつつも、蘭次は悔しそうな顔を浮かべる。実際、怪物と戦おうと思うと、いくら鍛えても足りないという現実がそこにはあった。先日のような幸運で窮地を乗り切れることは、そう多くはない。
「そうだ、那羅さん。代表が凛を図書館に連れて行ってくれと言伝が」
「図書館?」
「はい、ちょっと……とある文書の件で、凛に助けてもらうことになって」
「助け……ああ、代表から聞いた。例の武器の密売人か」
「え!」
二人の会話を聞いていた愛紗が「武器の密売人」と聞いて、大きな声をあげる。
「すみません……」
慌てて口を押さえた愛紗を、那羅が不思議そうな目で見るが、俯いた愛紗の様子からそれ以上聞く話ではなさそうだと判断し、会話を続ける。
「図書館のあたりなら、実際なにかしら物騒なのをぶん殴る必要が出てくるかもな。最近は例の会がずいぶん顔を出してるみたいだ」
「そのようですね……」
今度は蘭次が顔に影を落とす。
那羅の言った「例の会」とは、導きの会のことである。自警団がその影響を弱めているのか、導きの会が強めているのか、その両方か、実際のところは愛紗にはわからなかったが、ここ二年ほどは、彼らの名前を聞かない日はないのではないかというほどであった。田舎の方では温厚だという話だが、都心で導きの会に入会している者は、自警団嫌いが非常に多い。そういった会員たちによる自警団員や、その家族への暴力事件も増加傾向にある。
「まあ、あのあたりに用事があったし、ちょうど良かった。凛は本部か?」
「はい、クラスの準備があると」
その蘭次の返事を聞き、了解の意味で那羅は片手を軽く上げた。軽く上げたその手ですら、愛紗の頭上での出来事である。
「ありがとうございました」
愛紗のお礼に、今度は上げた手をひらひらと振る那羅。そのまま、蘭次が今入ってきたドアをくぐり――頭がぶつからないように、軽く下げながら――外へと消えていった。
「いい人だね、那羅さん」
「ああ、それに強い……。俺らも出よう。車を用意してある」
「車?ここから家までなら歩いても平気よ」
「そう言って、前もふらふらになっただろ?団で使ったついでだから大丈夫だよ」
那羅が閉めたばかりのドアを開けながら、蘭次はそう言った。その言葉が嘘であることを、愛紗はわかっていた。
また自分だけがこんなにも生かされてしまう。感謝しなければいけないのは分かっているが、無力な自分への苛立ちが、愛紗に言う必要のない言葉を呟かせた。
「……翌兄に会ったんだね」
「そんな風にあいつを呼ぶなよ」
蘭次は振り返らずに言う。いつも優しい蘭次だが、このことになると途端に心を閉ざす。それが分かっていながら、愛紗は翌のことを聞いてしまった。八つ当たりである。だがそれと同時に、彼が生きていた安堵を、少しでも分かち合えないかと思ったのも嘘ではない。武器の密売人などという生き方をしている以上、彼の消息を辿るのはめったにできないことであった。




