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【自警団員 蘭次】
「弾丸一発一千万円でどうだ?いい話だろ?」
頭上から突然声が降ってきた。蘭次は反射的に銃を向ける。自警団に入団してから常に携帯しているものだ。四十五口径の弾丸が六発装填可能だが、ここの入り口の施錠を破壊するために二発も使用してしまっていた。声の持ち主にそのまま引き金を引かなかったのは、残弾の少なさが頭をよぎったからだ。
一時間ほど前、街の近くに怪物が出現したというアラームが各所で鳴り響き、人々は緊急避難を行なっていた。
自警団員の蘭次は、休みを返上して前線に合流する途中、怪物の出現場所の近くで逃げそびれた集団をたまたま見つけた。そこで、彼らを引き連れて、この場所へとやってきたのだった。非番だった彼が一人で対応するには、少し多すぎる人数だったが、目の前にいる人を助けてこその自警団員だと、蘭次は信じていた。
避難場所は吹き抜けとなっている廃ビルの中心部である。かつては立派な商業施設だったらしい。そのおかげか、何十年も手入れがされていないわりには、頑丈な部分が多く残っている。以前にも避難場所として使われたことがあるからか、外部との出入り口は元からしっかりと封鎖されている。
怪物が現れ、人々が避難しているのを良いことに、命懸けで空き巣に入る悪人が増えているという話を聞いていた蘭次は、こんな状況でこの場所にいる人間を怪しみ、睨みつけた。すると、掲げた銃口の先には、見覚えのある、そして胸のむかつく顔があった。
「こんな状況で金だと?ふざけるのもいい加減にしろよ!」
相手の顔を確認した蘭次は、避難し損ねた十人余りの市民を背に、三階にいる男に対して叫んだ。違法に武器の売買をしながらも、決定的な証拠を残さず、何度も自警団の手を逃れている男だった。いったいどのようにあれほどの武器を個人レベルで手に入れているのかはわからないが、昨今、民間人による違法な武器所有の出どころを辿ると、その多くの特徴があの男を指していた。いつも薄汚れた服を着て、ボサボサの髪の毛を汚らしく伸ばしている。歪んだ口角は、人の感情を逆撫でするためにあるようだった。
「俺なりの精一杯の優しさだろ?そんななまっちょろい拳銃と、その空っぽのライフルだけじゃ、あの化け物が来たら一瞬でおしまいだ」
図星をつかれた。だが、蘭次は銃口を男に向けたまま下ろさない。背後の救助者たちがパニックにならないように、〈あの銃弾〉を持っていないことがバレてはいけないと思っての行動だった。背中に担いでいるライフル銃の重さを改めて感じる。そもそも今日は非番だった。ライフルを持ってきたのも、何かの役に立つかもしれないと思ったからにすぎず、あの貴重な弾丸も、通信機も携帯していなかった。それでも、背後で怯えている彼らがここまでついてきてくれたのは、いざとなれば蘭次があの怪物を倒してくれるだろうという期待からなのは分かっていた。
ライフルが空であることを隠すべきかどうか、そう逡巡して生まれた間に、背後でボソボソと不安の声が広がる。武器商人の言葉を聞き、何人かが蘭次のことを疑い始めたようだった。この状況で人々の心理的なまとまりが失われるのはまずい。何とかしなければと蘭次は思う。しかしその恐怖の輪が広がるよりも早く、ビーッという緊急避難アラームがあたり遠くから鳴り響いた。続けて五回の電子音。自警団が鳴らすこのアラームは、その五つの音の種類や高低で、その危険性とあの怪物の位置を団員に伝えている。
「ずいぶんと近くまで来てるみたいだな」
三階にいる武器商人が知ってか知らずか、言い当てる。不安を広げたくない蘭次であったが、真実だけに否定できない。
「どうせお前にゃ払えないことはわかってる。だが自警団は払えるはずだ。ここに契約書が用意してある。ほれ」
そう一方的に話を進めて、男はペンにくくりつけられた紙を蘭次に向けて投げ下ろす。ずれた落下地点へ走り、蘭次はそれをしっかりとキャッチした。
「何する――」
「開けよ」
蘭次の言葉を遮る男。思わず反抗したくなる蘭次だったが、実際のところあの男が例の銃弾を持っているのであれば、喉から手が出るほどに欲しい状況であった。それほどまでに、先ほどのアラームが告げた怪物の場所は近かった。
グルグルと折り畳まれた紙を広げて中を見ると、そこには何やら堅苦しい契約の文面と、自警団への五千万円の請求が書かれている。
「五千万……!?さっき一千万って――」
「お前がすぐに返事をしないからだよ。商売はスピードが命なんでな」
「いい加減にしろよっ!」
もう一度蘭次がリボルバーを構えるも、男はそれを嘲笑いながら、柱の影に隠れる。
「いいか?下の欄に名前を書いて、そこの子供に契約書を持ってこさせろ!」
影から聞こえる男の声を聞き、振り向くと、後ろにいる少女と目が合った。まだ十歳にも満たないだろう。二人の会話は、今この場にいる全員が聞いている。少女の隣にいる彼女の両親が、悪魔でも見るかのような目で蘭次のことを睨みつけている。
「大丈夫です。あの男に直接人を傷つける度胸はありません。娘さんが危険に晒されることはありません」
そう言って、彼らを宥めようとするも、それはすなわち、あの男が言っている通り、自分には怪物に対処するための手段がないことを意味していた。
――五千万円。
蘭次がどれだけの時間をかけても払いきれない額の借金だ。こんな額を押し付けてしまえば、自警団に残ることもできなくなるかもしれない。誰だってそうだが、それ以上に蘭次は今の仕事を失うわけにはいかなかった。しかし、今この状況で他の選択肢が浮かばない。誰か別の団員が駆けつけてくれるのを待つことはできる。だが、それが怪物がここへやってくるよりも早いとは限らない。
蘭次は最悪のケースを想像する。このまま契約を結ばず、怪物だけがここへやってくる。そうなれば、今目の前にいる人々は、全員死んでしまうだろう。蘭次があの男の要求を飲まなかったせいで。
契約を結ぶことで、たとえ自分が自警団にいられなくなったとしても、それでここにいる人たちを守る可能性が上がるのであれば、それを選ばない方法はない。蘭次は、じっと少女を見つめる。そして、次にその両親を見る。
「お願いします……!」
蘭次が頭を下げる。
両親は娘の肩をしっかりと握りしめる。しかし、その手を少女が引き剥がした。
「いいよ。その紙をあの人に届けてくるだけでしょ?わたしできるよ」
少女が言う。その体は震えている。しかし、今他に解決策がないのだということを彼女なりに理解しているのだろう。こんなにも幼い少女に過酷な選択を強いている自分と、この時代を蘭次は恨んだ。
「お兄ちゃん、自警団の人なんでしょ?自警団の人たち、いつもいつも優しいもん。だから……」
「ありがとう……ありがとうございます」
彼女の決意を信じ、蘭次は大急ぎで紙に署名する。内容にきちんと目を通してはいない。なにか詐欺まがいのことがあったら、すぐにでもあの男を撃ち抜いてやる。そんな気持ちもあった。
「これを頼みます」
そう言って、少女に契約書を託す。
少女はコクリと頷いて、その紙をギュッと握りしめる。そして、三階に向けて階段を登り始める。
地上などに比べて、階段はひどく老朽化しているのが、遠くからでも見てとれた。少女が一段踏みしめるたび、彼女の足元から大きな軋みが響いた。
一段一段、しっかりと踏み締めるその少女の様子を大人たちが固唾を飲んで見守った。一度死角の踊り場に行き、くるりと回って、二階へと登る少女の頭が見えた。彼女の両親だけでなく、その場にいる全員がほっと息をついたのがわかった。子供の少ない時代である。この地域の子として、彼らの多くが知っている少女なのだろう。
たった一階分を上るのに十分以上の時間をかけて、ようやく少女が二階へたどり着いたのが見えた。両親はもう気が気ではなく、立つことすらできていない。同じことをもう一度すればいい。しかし、階下から見守る人々にとって最も心配なのは、登りきった先にいる、ニヤニヤとした笑みを浮かべるあの男なのである。少女が三階へ上がる階段に足をかけた。そのとき、アラームが先ほどよりも大きく鳴り響いた。
ビー・ビー・ビー・ビー・ビー
五つ目の音を聞いた蘭次の顔から血の気が引く。怪物はこの建物にいる。そんな蘭次の緊張を感じ取ったのか、救助者たちも身をすくませた。少女を見る。すると、彼女は急に鳴った大きな音に驚き、階段の上で座り込んでしまっている。腰が抜けたのだろう。その様子を見て、反射的に駆け出した蘭次。しかし、三階にいる武器商人の声が彼を止める。
「おい、待て!」
「その子を起こすだけだ!」
「違う、あっちを見ろ!」
蘭次は武器商人が顎で指す方向を見る。すると、封鎖されたドアの隙間から、緑色の光線がうっすらと漏れ出ているのが見えた。その光を見て、何人かがひいっと小さく悲鳴を上げた。
光の方へ銃を構える蘭次。ドアから目を離さず、三階の男に叫ぶ。
「早く弾丸を渡せ!」
「契約書が先だ」
「だったらお前が取りにいけ!臆病者!」
男のいる場所は、ドアから見れば建物の真反対にある。アレが侵入してきても、逃げ切れる可能性は高い。蘭次は、あの男のことだから、何かしら移動手段は用意しているはずだと予想している。
頼りない四十五口径の弾丸を頼りに撃鉄を引く蘭次。このまま、諦めて引き返してくれ。そう願う。だが、光を注視する目よりも先に、鼻がその願いを否定する。怪物から漂う腐敗臭がその強さを増した。急激に蔓延したその避けようのない刺激臭に、後ろの何人かがえずいているのがわかった。
皮が剥がれ、肉の露出している部分が、乾いたコンクリートにくっついては離れ、そのたびにベタベタという音を鳴らしているのが聞こえる。隙間から漏れ出す緑色の光が強まる。怪物が近づいてきている。
そして、鈍い衝突音と質量のある物がグチャリと潰れる音が、ほぼ同時に室内に響きわたった。怪物がドアを開けようと、その体をぶつけ、腐った肉が潰れているのだ。
衝撃で、ゆっくりと入り口を塞いでいる角材が軋んでいく。二度、三度とそれが繰り返される。隙間からちぎれた肉片や体液が中へ侵入し、それとともに漏れ出る光と匂いも強くなっていく。
「階段の裏の方へ逃げてください!」
振り返り全員にそう指示を出すが、急な怪物の登場と、その悍ましさに、大の男ですら動けなくなっている。それを見て、蘭次は覚悟を決める。残り四発の銃弾を使って、怪物を自分におびき寄せ、どうにか逃げるしかない。逃げ切れる自信も、ヤツが自分を追ってくる確証もなかったが、他に案は思いつかなかった。
視線をまたドアへと戻す。すると、最後の破壊音とともに、勢いよく怪物が飛び出してきた。怪物の中では体長四メートルほどと小柄だが、剥がれた四肢の皮膚の下には、ドス黒い体液とともに、太い筋肉が張り付いているのが見て取れる。飛び出した目玉を振り回し、その眼孔からどろどろと体液を撒き散らしながら、怪物は一直線に蘭次の方へと向かってきた。
蘭次は残り四発しかないリボルバーの一発を、その眼孔に撃ち込む。怪物が叫び声を上げる。通常の弾丸でも、腐った皮膚に直接撃つよりは効果があったことに喜ぶ。
だが、怪物は一瞬怯んだものの、それだけである。こんなもので倒せはしない。あとは、怪物が自分を追ってくることを願うしかなかった。銃を構えたまま、後ろ向きに人の塊から離れていく。すると、蘭次の狙い通り、怪物は彼目掛けてその体を動かし始めてくれた。
「早く!あの銃弾をよこせ!」
怪物の動き出しに合わせて、二発目の銃弾を先ほどと同じところに撃ち込んだ蘭次は三階にいる男に叫ぶ。男は先ほどよりは焦った様子を見せているが、その場から一歩も下りようとはしない。その焦りも、階下の我々への心配ではなく、自分の逃げ出すタイミングへのものだからだ。
少女はまだ立ち上がれずにいる。
ドンッと三発目の弾丸の音が鳴る。一発撃っては、数メートル後ろ向きに下がる蘭次。救助者たちは、動けるものが率先して、他のものを引っ張るが、恐怖からほとんど移動できていない。
弾丸は早々に残り一発である。
もう少し間隔を空けて撃ったほうがよかったかと一瞬後悔するが、そんな余裕がなかったことを思い出し、その思いを振り払う。ほんの少しでも奴の体が自分にぶつかればその衝撃で木っ端微塵にやられるのは目に見えていた。怪物がほんの数歩その巨体を進めただけで、蘭次が必死に作った距離は埋められてしまう体格差である。
「効きゃしない……」
徐々に打ち込まれた弾丸による行動の停止時間が短くなっている怪物。四発目をもう撃つか……しかし、撃ったところで何になる。死ぬのがほんの数秒遅くなるだけじゃないか。そんな投げやりな思いが蘭次の脳裏をよぎる。そのせいか、少し冷静になってしまった彼の感覚が、目の前の怪物を現実として受け止めてしまった。怪物の皮膚や肉の腐り落ちたその体の至る所に空いた空洞から、甲高い風切り音が聞こえる。また一歩と蘭次にその体を近づけてくる音だ。先ほどまで何も感じていなかったはずの嗅覚に突如として吐き気を催すその臭気が辿り着く。逆流しようとする胃の粘液で、蘭次は自分の内臓の位置がはっきりとわかった。恐怖に押しつぶされそうになる。だが、なぜか同時に、何かから解放されるような思いがした。
強盗や町のゴロツキに殺されるより、ここで怪物に殺される方が、マシな人生なのではないのだろうか。そんな投げやりにも似た思いは、照準を合わせる自分の腕の邪魔をし、命を数秒伸ばしてくれるはずだった四発目の弾丸は、無情にも眼孔の縁にある分厚い肉に当たり、ボトリと地面に落ちた。
その衝撃を気にも留めていない怪物がまた一歩蘭次の方へと近づく。その様子を見て救助者たちから、悲鳴にも似た声が聞こえた。すると、怪物の足が止まる。そして、ぐるりと体を反転させ、救助者たちの方を向いた。さらに大きな叫び声があがる。
「おい!こっちだ!おい!」
蘭次が再び注意を引こうと声を上げるも、彼一人の声は集団の叫び声の中に容易く飲み込まれる。
無理だ。そう思った蘭次の心の中に、彼らが襲われている隙に逃げれば、自分は生き延びられるのではという考えに襲われる。自警団員一人を失えば、今後の地域の安全や、いくつもの救えたはずの命を失うことになるのではないか。一瞬生まれたその誘惑を必死に抑え込み、蘭次が怪物に向けて駆け出そうとする。
「契約成立だ!」
だが、蘭次が一歩を踏み出すよりも早く、頭上高くから男の声が降ってきた。見上げると、そこにはなんとか三階へと辿り着いた少女と、嬉しそうに契約書を持つ男の姿があった。
「はやく銃弾をよこせ」
「もっと丁寧に頼めよ。商談相手だぜ?」
「早くしろ!」
こんな状況でもまだふざけたことを言う武器商人に、蘭次があらん限りの大声をあげながら、近づく。それを見て、男はつまらないとでも言いたげなため息をつき、一発の銃弾を投げた。
三階からふわりと投げ下ろされた鉄の塊が飛んでくる。地面に落ちれば、壊れてしまうだろう。蘭次が硬いコンクリートの上で、落下地点に向けて飛び込む。ギリギリのところでなんとかキャッチするが、直撃した左手の人差し指に激痛が走る。その痛みに思わず叫ぶが、怪物は興味を示さない。この隙に集団の方へと歩き出し、蘭次が四発の弾丸で必死に生み出したその距離を容易く縮めている。
必死に起き上がり、ライフルに弾丸を装填しながら、どうにかしてこちらを向かせられないかと頭を回転させる蘭次。背中側には骨が多く、体内に弾丸が届かない可能性が高い。たった一度のチャンスを賭けるには分が悪い。しかし、もう彼の手元には何もない。銃を構え、必死に大声をあげる。
すると、またもや頭上から、今度はバリバリバリと轟音が響いた。商売を終わらせ、さっさと逃げ出そうとした武器商人のモーターバイクのエンジン音である。やはり、自分だけはこの場所から逃げる手段を持っていたわけである。
「逃したか!」
腹立たしく思う蘭次。しかし、モーター音が怪物の耳に届く。先ほどまで武器商人がいた方向に顔を向けた。これを逃すともうチャンスはない。そう思った蘭次は、振り向いたその怪物の顔にある眼孔めがけ、弾丸を放った。
どこまでも利己的な武器商人への憎しみ、勇気を出してくれた少女への感謝、そして何よりも、いつまでも弱いままの自分への怒りを込めて。




