上
はじめに。
私自身がこれまで生死についてや人生観についてを考える機会が多かったので、実体験や見聞きした事から受け取ったイメージ、これまでに教えてもらった物事を元に、こうして一つの物語としてまとめました。
テーマが生死なので結構勇気のいる内容なのですが、身近な人の死だったり色々と考えさせられる出来事があり、改めて自分が出来る事は何か考えました。
自分が生きる意味とはなにか。自分が産まれた意味とはなにか。
この人生で、私にしか、貴方にしか出来ない“何か”があるはず。
何か一つでも、心に響くものがあれば幸いです。
※伝承や神道、仏教の教えも参考に制作しておりますが、伝えられている事とは異なる場合がございます。お読み頂く前にあらかじめご了承ください。
※上記の通り作中の表現、解釈が正しい訳ではないので、内容はそういう捉え方もあるんだな、くらいで受け止めて頂ければと思います。
腹に宿りて十月十日。
母から身体を分かち、この世に産まれ降りた御魂は産声をあげる。
光を浴び、自分は此処に居ると全身全霊で鳴き叫ぶ。
その魂の叫びは、天にも聞き届けられるだろう。
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揺らめく水の中で漂っている様な浮遊感。
トクトクと聴こえる鼓動の音は、安心感と眠気を誘う。
まるで温かくて心地よい、揺りかごの中にいるようだ。
いつまでも、ここに居たい。
辛い事も苦しい事も忘れて、ただただこの心地よさに身も心も預けたい。
このまま、この心地よさに包まれながら、融けてしまえたらいいのに……。
――突然ムギュっと鼻を摘まれ目が覚めた。
「ふぎゃっ!? ……うわっ、何っ!?」
息苦しさに透子は驚いて起き上がると、何かにゴチンとおでこをぶつける。
「――いったぁあ!!」
「――いってぇえ!!」
ズキズキと痛むおでこを涙目で擦ると、目の前には見知らぬ青年が、まるで鏡写しの様におでこを擦っていた。
カジュアルな服装に、ハイトーンカラーの無造作ヘア、そしていくつかピアスを開けた……一見チャラそうな青年だ。
しかしこんな派手な人は、透子の身の回りには居ない。
(……うわぁ。イケメンなんだけど、チャラそう。それにデリカシーとか無さそう。…………関わりたくない)
「目が覚めたか、この石頭」
「ご、ごご、ごめんなさいっ!」
「……あっ、おい!?」
独断と偏見に満ち満ちた思考により、透子は勢い良く立ち上がり深々とお辞儀をすると、青年から距離を取ろうと後ずさった。
辺りをキョロキョロと見回すと、目の前には川幅の広い大きな川が流れている。どうやら川の側で倒れていた様だ。透子の生まれ育った街にはこんなに大きな川は無く、馴染みのない場所だ。見慣れぬ景色に呆然とした。
「……わたし、何でこんな所で寝てたの……」
ポロリと透子の口から溢れ出た独り言を、青年は拾い上げる。
「ああお前、この状況で随分とよく寝てたよな。鈍感なのか、図太いのか」
良くわからない状況で鈍感呼ばわりされ、透子はムッとした。
隣に立つ気配を感じ、そちらを見ると。透子は驚いて青年を二度見した。
――黒の袴姿に整えられた黒髪、そして塞がりかけているピアスホール。一見すると眼光の鋭い、意志の強そうな青年だ。
先程までのチャラ男はどこへいったのか。顔立ちは同一人物だが別人かと思う程の変わりように、透子はチラチラと青年を見た。
(え、何? ……こんな人知らないはず、なんだけど。何となく見覚えがあるような。どっかで会った事……ある?)
すると、青年と目が合った。何故か見つめ合う事数秒、透子は根負けして視線を反らした。
クラスの中心的存在であり発言力のある、いわゆる“一軍”と呼ばれる人々が、透子は苦手だ。
堂々としていて、華があって、積極的で、人気者。この青年も彼らと近しいものを感じる。
透子の脳裏に笑い声がフラッシュバックし、途端に目眩で視界が歪むのを感じた。
――人と話すのが怖い。声の大きい人は怖い。人の視線が怖い。人にどう思われているのかわからなくて怖い。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
「おい、どうした? おーい。…………ちょ、大丈夫か? いやどう見ても大丈夫じゃねえな!? おい、しっかりしろ!」
胸が苦しい。空気が足りない。……いや違う。空気に、溺れそうだ。
透子は無意識に制服の胸元をぎゅっと握った。乱れた呼吸と体の痺れから上手く呼吸ができないので、ますます呼吸は早く浅くなる。
次第に硬直して動かない体と、白く霞んだ視界に、死の恐怖を感じる。
「はっ! はっ! はっ!」
「透子、大丈夫だから、大丈夫だからゆっくり呼吸しろ! いいか、吸って、吐いて、吐いて……。吸って、吐いて、吐いて……。ゆっくりな!」
背中を擦り心配してくれる青年の様子に、透子は少しだけ冷静さを取り戻した。
しばらく青年の声に合わせて深呼吸をすると、次第に体の痺れと硬直は治まってくる。
「……ふぅ……ふぅ。…………も、だい、じょぶ。ありがと、ございます」
「過呼吸だよな。少しは落ちついたか?」
透子がコクリと頷くと、青年もホッとした表情で頷いた。青年の、背中を擦る手が温かい。
……透子としてはあまり人と関わり合いたくはないのだが、他に聞ける人も見当たらない。
この青年は何か知っているようだ。透子は再び深呼吸をすると、青年に問いかけた。
「……あ、あのぅ。ここは一体、どこなんでしょうか……?」
「ん? ああ。ここは……“現世と幽世の狭間”だ」
予想もしない返答に、透子の頭の中に特大のクエスチョンが浮かんだ。
「……現世と幽世? はざま? ……えと、狭間って、何ですか? 何でそんなとこにわたしは居るの?」
「それは自分でわかるはずだ。何でここに居るのかは、自分自身に問いかけてみるんだな」
自分自身に、問いかける。青年の言葉に透子は記憶を辿った。
――死の恐怖どころか、もうすでに自分は……。そう思った途端に、ドロリと重苦しい感情が湧き上がってくる。
「……私、死んだの、ですか」
「どーだかな。ほら、自分の手足をよく見てみろよ」
青年に視線で促され、言われるままに手のひらから体、足元へと視線を流すと。透子の動きに合わせて、視界の中でセーラー服のスカートの裾がゆらりと動いた。
透子の手足越しに見えるはずのない青々とした草が生えている。
「ひえっ!? す、透けてるっ!?」
「それはこの世界でお前が“半端物”の証だよ」
「は、半端物っ? ……って、なななん、ですかっ?」
動揺している透子を他所に、青年は淡々と説明し始めた。
「ここは俗に言う“あの世”への門。ここ狭間は“この世”、つまりはこれまでに生活していた現世の器である肉体から離れた魂が、天界へ昇るか地獄へ落ちるかの振り分けをする場所だ。今のお前は瀕死状態。魂が現世の肉体から離れて完全に死んだわけじゃないから、ここでは半端物なんだよ」
「瀕死……死んでない……半端物……? なにそれぇ」
青年の説明を聞いても理解が追いつかない。再び透子は自分の手を見てみたが、透けていることに変わりはなかった。
「――俺は狭間の案内人“テン”。彷徨える魂を“正しい方向”へと導くのが仕事だ。透子、お前はその彷徨える魂って奴なんだよ。……つまりな、今のお前は迷子だ迷子!」
「ま、迷子ぉ〜〜?」
“テン”と名乗る青年の言葉に、透子は脱力した。
ふらふらと水際に近寄り足元に目線を向けると、緩やかに流れる水面はどこか不安そうで頼りなさげな透子の姿を映しただけだった。
そんな川の対岸には木々が生い茂り、水面は鏡の様に木々の濃い緑色が反射して映っている。
神々しいような、不気味なような。あの暗くて濃い深緑を見ていると、人間が安易に立ち入ってはいけない気がしてくる。
何だか暗闇に飲み込まれそうで、透子は慌てて木々から目を反らした。
振り返って、透子はテンに問いかける。
「……結局、わたしはどうすればいいの? ずっとこのままなんですか?」
「お前は、どうしたい?」
「ど、どうって……なにが、ですか?」
「現世に戻るか、戻らないか」
戻るか、戻らないか。……戻らないとは、つまり……。
「戻らない方を選ぶなら、それは現世での死を意味する」
――死。
改めてその言葉と向き合うと、言葉の重みに透子はゴクリと音を立てて唾を飲んだ。しかしそれでも口の中はカラカラに渇いている。
「……はぁ。どいつもこいつも、何をそんなに死に急ぐ。いずれは皆死ぬっていうのによ。……今のお前の状態だと、どっちつかずで長くはもたない。つまり、このままだと自我も消滅して転生することも無くこの狭間をさまよい続ける」
「えっ」
「時間の猶予はまだある。消える前に、決めるんだな。……聞きたい事があるんなら遠慮すんな。その為に俺はここに居る」
「……は、はぁ……。あ、あの、なんか……怒ってます?」
「………………怒ってねぇよ。んなビクビクしなくても、怒鳴ったりしねぇから。ほら、質問」
怒っていないとは言うが、何故か不機嫌な様子のテンに戸惑う。それでも眼力が強いせいかキツそうに見えるが、テンはちゃんと透子の話を聞いてくれる。
……こんなふうに自分の意見を正面から聞いてもらうのは、何時ぶりだろうか。
「あの、テンさん。その……死んだら一体どうなるの?」
「死とは。魂とその器である肉体が離れることで、一つの生を終えること。輪廻転生の一部である。時代を超え、姿形を変え、魂は何度も生と死を繰り返す」
「はぁ」
「繰り返すとはいえ“自分”として生きるのは一度きり。現世とは、生者の為の学びの場であり、言わば学校の様なものだ。そして幽世とは、卒業後にたどり着く場所とでも言えばいいか。現世への入学前にそれぞれが目標を定めて地に降り立ち、様々に学び経験を積み、卒業して幽世に還っていく。生者と死者とは言わば在校生と卒業生みたいなもんだな」
「学びの場? …………じ、じゃあさ。じゃあ、途中でリタイアした、退学者は……?」
視線を足元に落として、震える声で問いかけた。
透子の名前を知っているくらいだ。きっと、テンは何もかもお見通しなのだろう。
透子はテンの真っ直ぐな視線が怖かった。
「そうだな。退学者は……終わっていない課題をやり直す事になるだろう。もちろん、全く同じ条件とは限らない。時に相応の罰も科せられて、な」
「……やり直す……罰? そ、その罰って何? そんなの誰が決めたの?」
初めて聞くことばかりで、透子は混乱していた。
やり場のない思いに苦しくなって、透子は思いをぶちまけるように吐き出した。
「だって、だって……誰だって、好き好んでリタイアなんてしないでしょ! 苦しんだ末の罰なんて、全く理解出来ないんだけど!!」
「――考えてもみろ。約束は、守る為にするもんだろ。ましてや自分で決めた目標なんだ。始めから守れない約束ならするもんじゃない。罰とは、約束を破った戒めとして与えられるものだ」
落ちついたテンの声音に、透子の苛立った気持ちは萎んでいった。感情任せに発言する自分が、なんだかとても子供じみて感じられたからだ。
「……やっぱりわかんない。約束とか罰なんて言われても、そんなの、知らないよ。だって何を約束したかもわからないんだから……」
「そうだな。ほとんどの者は産まれる時に約束を忘れて来る。……確かに罰なんて言われても戸惑うよなぁ。ただな、約束のヒントはちゃんと、自分の中にある」
テンは自分の胸をトントンと指して見せた。
「ヒント? ヒントって何!?」
透子は真剣な表情でテンに迫った。
勢い良く食いついた透子に、テンは何を思ったのか。イタズラを思いついた子供の様に、ニヤリと笑う。
「……そうだなぁ。ヒントなぁ……」
「えっ? ちょっと、ちょっと! そこ大事な所でしょ。もったいぶってないで教えてよっ」
「おいおいおい。そこは“テン様! どうかわたしに教えてください! ”……だろぉ?」
「くっ!」
(むかつく! なんかすっごいむかつく!)
至近距離で透子を見おろす、テンのその笑顔が小憎たらしい。
だがしかし、背に腹は代えられない。ちょちょっとお願いするだけで重要なヒントをもらえるなら、ためらうことなどない。……ためらうことなど、ない。
「くうっ! ……テ、テンさ『オギャア! オギャア! オギャア!』
言葉を遮られ何事かと辺りを見渡せば。川の近くに群生する赤い千日紅の花畑から、泣き声が聞こえてきた。
透子とテンが千日紅の群れへと近づきかき分けると、群れの中でおくるみに包まれた赤ちゃんが泣き叫んでいる。
――まるで自分は此処に居ると、見つけて欲しいと全身全霊で鳴き叫ぶ様に。
「……赤ちゃんだ。いつの間に? 一体どこから現れたの?」
泣き叫ぶ赤ちゃんに手を伸ばす。透子が赤ちゃんの腕に触れると、体にバチッと電気が走った。
この赤ちゃんの記憶なのだろうか。感情が、透子の意識の中に流れ込んでくる。
「わっ、何っ!? 何これっ」
『さむい。こわい。かなしい。』
見えるものは暗闇だけで、独りぼっちでは動けない。自分はここに居ると、泣くことしか出来ない。
温もりを求めるように泣きじゃくる、赤ちゃんの深い悲しみに胸が苦しくなって、透子の目からはぼろぼろと涙が流れた。
「あ、あれ? う゛ぁあ、なんで。なみだ、とまんな……」
――自分の気持ちは誰にも理解出来ないだろう。きっと本当の意味では、誰とも分かり合えることなんて出来ないんだ。
そう思うと世界から切り離された様な、一人ぼっちの様な孤独を感じる。
普段なら見えないように蓋をして、隠せているのに。深くて暗い、心の奥底に隠れた感情が暴れ出す。
会ったばかりだと言うのに、テンの視線を気にすることなく透子は泣きじゃくった。
互いに同調するように泣きじゃくる赤ちゃんと透子を前に、テンは大きくため息をつくと突然透子に強烈なデコピンをくらわせてきた。
――バチィッ!
「――うぐあっ! いっだあ! じょっど、なにずんのっ!?」
ズビズビと鼻をすすりながら透子は抗議の声をあげたが、涙に濡れた頬をゴシゴシと袴の袖で拭かれ、されるがままに受け入れた。
「何だよ、ありがたく思えよ? お前がその赤ん坊から受け取った、負の感情に同調する意識を切ってやったんだ。お前、人と境界線を引くの下手くそだろ。自分は自分、人は人として割り切る事も覚えないと神経が保たないぞ。……ったく、ひっでぇ顔だなぁ。しゃあねえ……ほら、これで鼻をかめ。ああ、そのハンカチは返さなくていいからな」
ズキズキと痛むおでこをさすりながら、目の前に差し出された綺麗にアイロンがけされた真っ白なハンカチを受け取った。一瞬ためらったが、鼻垂れのままではみっともない。透子はありがたく使わせてもらうことにした。
「うぐっ……ズビッ、グスッ、あでぃがど。………………ズビーーッ!!」
「俺だって、赤ん坊をあやすの慣れてる訳じゃないんだよなぁ。……よいしょっと!」
テンが赤ちゃんを抱き上げると、突然の浮遊感に驚いたのか赤ちゃんはキョトンとした表情で泣き止んだ。
「確か……首がすわってないから、頭を固定するように抱くんだったな」
「グスッ……すわってないって……なに?」
「赤ん坊は頭がデカくて、かつ、まだ骨や筋肉が未発達だ。頭を支えてやらんと、ぐらぐらのぐにゃんぐにゃんだぞ」
「……ふーん。意外」
「あん?」
「ナンデモナイデスー」
(テンさんて、意外と面倒見がいいんだな。あと几帳面だし。……デリカシー無さそうとか思ってごめんなさい)
何だかんだで面倒見の良いテンに手本を見せてもらい、赤ちゃんを抱かせてもらった。腕の中からふわりと微かにミルクの香りが漂う。
赤ちゃんは小さく見えてもズシリと重く。確かにしっかり支えていないと、ぐらぐらのぐにゃんぐにゃんだった。
「えっと……こんな感じ? よーしよし、泣きやめ〜」
おっかなびっくり言われるままに抱き上げる。赤ちゃんなんてあやしたことがないので、声がけも棒読みだ。
ぎこちない透子のあやしかたが不満なのか、赤ちゃんは再び泣きだした。
「ああどうしよ、また酷くなっちゃった!」
「…………透子、とりあえずお前は愛想っていうのを学ぶべきだな。んな無愛想な顔してっから怖がられんだよ。よっしゃ、見本見せたるわ。――やだねぇ〜お姉ちゃんのお顔はおっかないでちゅね〜。ほーらほら、怖くないでちゅよ〜。…………ンバァ!」
「ぶふっ!!」
――袴姿の青年がヤンキー座りで赤ちゃん言葉を使い、いないいないばぁをしている。
透子はその光景に噴き出した。笑いがこみ上げてきてぷるぷると体が震えるが、赤ちゃんにはその振動が心地良い様だ。
「……くっ、いや、テンさんのが怖いっつーの! ――ほーらほら、強面のおじさんにびっくりしちゃったね〜。大丈夫、怖くないでちゅよ〜。良い子だね〜。…………あ、笑った? ああ〜っ、見てみてテンさん! 笑ったよ〜! かんわいいぃ」
「おじっ!? ちょっ、一応わたしは二十代よっ! せめてお兄様と呼びなさいよ!」
「へー。赤ちゃんを前にすると、何故か赤ちゃん言葉になるって本当だったんだ。やー、すべすべむちむちー! 大福みたーい! ぷにぷに〜」
「キャッキャッ」
おじさん発言にショックを受けているテンを他所に、透子が赤ちゃんのほっぺたを優しくぷにぷに突くと、赤ちゃんは声を立てて笑った。
「ねぇテンさん。ここに居るってことは、この子も……死んじゃったの?」
「まぁ、そうなるな」
「……この子は、天国に行けるんだよね?」
「透子、“七つまでは神のうち”って言葉を聞いた事はあるか? 七歳までの子供は人の子ではなく、神の子である。七五三詣は無事にその歳を迎えられた事を祝うってのは知っているだろ? 幼くして亡くなった子供達は特に、残された者達に大切な事を気付かせる為、それを“使命”と決めてこの世にやって来た。――それが、この子にとっての“約束”だ」
「……使命?」
「そうだ。この世に産まれて来る者には、皆それぞれ使命がある。その使命をやり遂げると約束して産まれてきた。さっき言った約束のヒントってのは、そこにある」
安心したのかコクリコクリと頭を揺らし、今にも寝落ちしそうだ。愛らしい姿を見せるこの赤ちゃんも、どうやらその使命とやらを終えたらしい。
腕が痺れてきた透子を見かね、テンが赤ちゃんをそっと預かる。二人が見守る中、テンの腕の中ですやすやと寝息をたて始めた。
「……使命って言うと大げさに聞こえるかもしれないけどな。基本的に、自分の心が感じるまま、惹かれるままに従って生きているとその道が見えてくるはずだ。皆自分が今世でやり遂げるべき“使命”を決め、それを成し遂げると“約束”してきた。そしてその使命を果たすための能力と環境を与えられ、この世に産まれ降りる。……誰かを励まし元気づける事。家族を養い育て上げる事。アイデアを活かして生活が豊かになるような企画を立てたり、ものづくりをする事。美味しい食事を提供したり、病気や怪我を治したり、心を癒す音楽を創ったり。これは何も、大きな事を成し遂げなければならないって訳じゃない」
地域の治安を守ったり、皆が住みやすいように環境を整えたり、会社員として社会に貢献したり、或いは主婦(夫)としてそんな人々を支えるのかもしれない。ある人にとってそれは世間一般で言われる“普通”の生き方かもしれない。
けれど、ありふれた様に見える人生でも、そこには必ず意味がある。
“自分にしか出来ない何か”が、誰にでもある。
「この普通という言葉や考え方も、人間が作ったに過ぎない。“普通の主婦が日々の生活からアイディアを得て、画期的な発明をして一躍時の人となった”って事もあるだろ? 皆、可能性を秘めている。どんな職業も、必要だから存在する。どんな生き物も、必要だから存在する。天から見たらそこに普通も特別も無い。あえて言うなら、“全てが特別”」
「……むつかしい」
「ああ。でもな、案外シンプルなんだよ。……では何故普通と特別と言われる区別がつけられるのか。“天才”や“生まれ持った”と言われる特出した個性が現れるのか。そう言われる者達は能力という生まれ持ったものだけで成功している訳ではない。――大切なのは、天から受け取った才能を活かし、自分を信じて意志を強く持てるかどうか。行動出来るかどうか。向上心を持てるかどうか。方向を定めて努力を惜しまず、継続出来るかどうかにかかっている。要は、自分の可能性を、自分が信じられるかどうか、だ」
――自分の可能性を信じる。
透子は今まで、そんな事を考えた事も無かった。
ただ毎日息を潜めて、心を殺して生きるのに必死だった。そんな毎日に疲れていた。だから……。
「子供の頃は、皆無条件に“大きくなったら〇〇になりたい”と考えていたはず。しかし大人になればなるほど、社会に揉まれそういった夢や希望を忘れていく。忘れていなくとも、自分には叶わないものとして諦めてしまう。確かに努力だけでは叶わない事もあるだろう。ただそれは、努力の方向性を間違えているのかもしれないし、自分の真の願いは違うのかもしれない」
「努力の方向性? 真の、願い? ……んんん、むつかしい……」
「例えば“歌手になりたい”とする。極端な話、歌手を目指すために料理の勉強したって的外れだろ? 全く無駄という訳ではないが、その道に沿った努力が必要だ。そして自分の真の願いを知るには、ひたすらに自分と向き合い自分を知る必要がある。そうだな、とにかく自分の願望を紙に書き出してみるのが良いだろう。そして書き出した願望を一つ一つ改めて見返してみると、自分の純粋な願いが視えてくるはずだ」
――透子は思う。自分の真の願いとは、何だろうか。……今はまだ見つけられそうにない。
「あれ、橋がある……」
川縁にはいつの間にか橋がかかり、橋のたもと(きわ)には白装束を身にまとう人々が並んでいた。
男か女か、大人か子供かも判断のつかない人物が、並び立つ人々を割り当てていく。
ある者は橋を渡り、ある者は素足で川を渡る。その姿を眺めて居ると、数人の少年と少女が透子とテンの前で立ち止まった。
「……ああ、遂に旅立つんだな」
テンの問いかけに、少年少女達は微笑んで頷いた。
この橋の先は、審判の門。そして天上へと続いている。――別れの時が来たのだ。
テンは一番大きい少年に赤ちゃんを引き渡した。大事そうに抱きかかえられた赤ちゃんは、未だにすやすやと眠っている。その幸せそうな寝顔に、どんな夢を見ているのだろうかと透子は思った。
そして、子供達。一体彼等はどんな経験をしてきたのだろう。幼くしてこうなる事を決めて来ただなんて、余程の覚悟が無ければ出来そうにない。
橋の上から子供達が穏やかな顔をして手を振っている。透子とテンも手を振り返して見送った。
手を振るという行為は“魂振り”と呼ばれ、無事を神に祈るという意味が込められているとテンは言った。
自分よりも幼い勇敢な子供達を前に、透子は声をかけずには居られなかった。
「皆元気でね、幸せで居てね……!」
「子供達なら大丈夫。あの橋で川を渡り、天へと還ってゆくんだ」
清き水は穢を祓う。
罪と穢を洗い流し身を清め、川を渡りきったらついに天上へと還るのだ。
この時、“善人”“軽い罪を犯した者”“重い罪を犯した者”の三つに分けられるとされ、善行を積んだ者はすんなりと橋を渡り、軽い罪を犯した者は“六文銭”という通行料を払い、川の中を渡る。
……そして、生前に多くの罪を重ねた罪人はと言うと。濁流へと変化した川に流され溺れ、それでもようやく向こう岸にたどり着く。そこでは最後の審判が待っているのだ。
着ていた衣を剥ぎ取られ、木の枝へとかけられる。枝のしなり具合を確認するのだ。この時衣が濡れていればいるほど枝はしなり、生前の罪の重さを量るとされる。
――そして判決が下され、やむなく地獄の門を通り、想像を絶する苦しみを受ける事となる。
橋の向こう側は、白い霧に包まれている。
子供達が歩みを進めると橋は霧に紛れ、橋ごとその姿はあっという間に見えなくなっていた。
「……行っちゃった。だけど皆、穏やかな顔をしていたね」
「そうだな。皆無事に天上へとたどり着けるだろう。いつかまた来世で、会うこともあるかもな」
「来世か……」
天国や地獄、輪廻転生や来世なんてものが、本当にあるのなら。
本当にあるのなら、透子には知りたいことがある。
「ねぇ、テンさ……「もし、そちらの御方、少しよろしいかしら?」
後ろから声をかけられ二人が振り向けば、そこには小さくて可愛らしい一人の女性が居た。
※四十九日や三途の川の部分は物語の流れ上、だいぶ端折ってアレンジしてしまいました。
本やネット上にも詳しい内容は沢山書いてあるので、こちらでは割愛させて頂きます。
※挨拶で“手を振る”行為は日本では当たり前に使われておりますが、海外では手のひらを見せる等のハンドサインが“侮辱”に当たる場合があると言う事で一応記載させて頂きます。
人間が母胎で育つ期間は正確には十月十日ではなく、もう少し早い約10か月(約280日)らしいのですが、昔は妊娠期間の目安として用いられていたようです。
数字で表すとあっという間な気もしますがその期間、世のお母さん達は身体や心の変化を受け止めながら、大切に守っているのですね。
そして今も昔も、妊娠と出産は命懸けであることは確かです。死亡率はゼロじゃない。
そう思うと、私達の生命が産まれ生きている事の意味をより考えさせられます。
しかし同時に、血の繋がりがあるからこそ人によっては簡単には切れない鎖の様に重苦しく感じる事もあるかもしれません。悲しい事ですが、全ての親子関係が幸福とも言えない。
家庭環境、人間関係、経済状況等、境遇も悩みも人それぞれ。
それでも自分だけは、自分自身を否定しないでいて欲しいと思います。
言葉には気をつけているつもりですが、配慮の足りない言葉もあるかもしれません……。
作中の表現については色々意見はあると思うのですが、一つの考え方として受け取って頂ければ幸いです。




