6
トクントクン
ハインリヒの心臓が鼓動を早め始めた。少女は緊張した面持ちを崩さず、ナイフを握りしめている。
「俺のことを殺すというのなら、一つだけ頼みを聞いてくれ。君がさっき地割れを起こしたのは『大地改変生成の魔法石』の力じゃないのか? もしそうなら頼む。その力をもって、我が国ロートリンゲン王国、ロレーヌ王国を守ってくれないか」
「あなたはっ!」
「大地改変生成の魔法石」という言葉を聞いた少女の声に怒気がこもる。
「あなたはっ! あなたはっ! 奪いに来たの? 『大地改変生成の魔法石』を。あれは普通の人間には使いこなせない。奪ったところで加護がないとすぐに分解してしまう」
「分かっているさ」
ハインリヒはなだめるように言う。
「我が国ロートリンゲン王国、ロレーヌ王国の魔術師だってそれなりに優秀だ。そいつらが何十年かかっても生成できない魔法石。何か特別な力がかかっていても不思議じゃあない。君でないと使いこなせないのだろう。だからロートリンゲン王国、ロレーヌ王国の王弟で摂政であるこの俺の命に代えてお願いする。君の力でこの国を守ってくれないか?」
トクントクントクントクン
ハインリヒの心臓の鼓動は更に速くなった。
「あ、あなた。その心臓?」
◇◇◇
「ああ」
ハインリヒは少女の問いかけに頷く。
「これは死んだ俺の母上から譲られた心臓だ。俺も国王をやっている兄上も、もともと心臓が弱くてな。母上が亡くなられた後、俺に移植されたんだ。もともと兄上に移植する予定だったんだが、移植を担った魔法医から俺の身体でないと適合しないと言われてな」
「そっ、その魔法医の名前はっ?」
「うーん。確かマリーアとか言ったな」
「マリーア?」
その言葉とともに少女はナイフを引っ込めた。
「ロープを伝って上がってきて。大丈夫。命を奪うようなことはしないから。但し、あなた以外の五人はすぐに森を通って、この場を離れて。その時に木の幹に括った耐魔法ロープは全部外して持ち帰ること。もし約束を違えるようなことがあったら……」
少女は右肩の上のリザードを指差す。
「このネルが地の果てまでも追いかけ、あなた方の命を奪う」
「しっ、しかし、我々には殿下の命をお守りするという任務が……」
「言う通りにしろ」
反論する新兵たちをハインリヒが諭す。
「この人はこっちから無礼な真似をしない限り、危害を加えるようなことはしない。俺には分かる。先に帰ってろ。大将軍のゲルハルトには言っておけ。きっといい知らせをもって帰るから、短気をおこして妙なことすんなってな」
「はっ、はは」
五人の新兵たちは顔を見合わせながら、森の中の木の幹に括られた耐魔法ロープを外しながら帰途についた。
◇◇◇
二人きり、いや正確にはリザードのネルもいたが、少女の緊張した面持ちは変わらなかった。
(王城にいる侍女たちと違って垢抜けていないから幼く見えるが、やはり十代後半って言ったところだな。俺は独身だからご縁がなかったが、これくらいの娘がいてもおかしくないわ)
長い沈黙が続く。
(いかんいかん。見たところリザードのネル以外に他に人間もいなそうだ。人馴れしていないことに加えて、まだ子どもだ。こちらから話してやらないと話辛いだろう)
「今更だが、俺はロートリンゲン王国、又の名をロレーヌ王国の国王の弟ハインリヒだ。兄である国王が心臓を含め病弱なとこがあるんで、摂政ってやつをやっている。まあ平たく言えば、国王代理ってとこだ」
「…… 高貴なお方なんですね」
「まあ身分だけで言えばそうかもな。と言ってもだな。俺の周りの連中、いや、普通の国民もそうだが『おっさん殿下』と言われているよ。俺は。まあその方が俺は気楽でいいけどな」
「その心臓……」
「うん」
「王妃様から贈られたものだったんですね」
「ああそうだ。死んだ先代の王だった父も兄も、そして俺も先天的に心臓が弱かった。恐らく血統的なもんだな。だが、母は他家から嫁に来た身、それは関係なかった。そして、母が亡くなる時、旧知の優秀な魔法医マリーアさんに頼んで、移植してもらったんだ」
「魔法医マリーアは……」
「?」
「私のおばあちゃんです」
「! そうだったのか」
「あ、あの。お願いがあります。心臓の音を聴かせてもらってもいいですか? さっきからおばあちゃんの気配が感じられるんです」
「な……」
少女はハインリヒの返答を待たず、自らの耳をハインリヒの左胸に押し付けた。
「あ、分かります。分かります。これは間違いなく、おばあちゃんの術式です。おばあちゃん」
生き別れか死に別れかは分からないが、恐らく祖母と別れて久しい、隠れ里に住む純粋な少女はただただ祖母の施した術式の痕跡の残る心音を楽しんでいただけだろう。
しかし、「おっさん殿下」の方はそうではなかった。女性宰相アンネリーゼから、からかわれたり、周囲の女性から「おっさん殿下」と呼ばれて、親しまれることは結構あった。
だがいきなり自分の左胸に耳を押し当てられるなど、初めての経験である。
(これは自分の娘も同然。これは自分の娘も同然)と懸命に自分に言い聞かせた。
ハインリヒのそういった健気な努力にもかかわらず。ハインリヒの心臓の鼓動はその速度を速めた。
そのことは少女にとっては別れた祖母からのメッセージのように感じられ、より一層強くハインリヒの左胸に耳を押し付けた。
そしてそれは更にハインリヒの心臓の鼓動を速くし、少女にとっては幸せな時間が長くなり、ハインリヒにとっては耐えるべく時間が長くなるという対照的な循環をたどるのだった。




