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渓谷に出た一行を待ち受けていたのは矢の洗礼だった。
「おかしい。盗賊はいないのじゃなかったのか?」
「いや、奴らは甲冑を着けている。正規の軍の者だ」
「ではブロイ帝国軍か。何でこんなところに?」
口々に叫ぶ新兵たち。だが、ハインリヒは疑問を持った。いかな強大な力を持つブロイ帝国軍といえど、こんなところに現れるのか? 仮にここに一部の兵を割くにしても、やるべきは魔女の確保だろう。摂政である自分がいるとはいえ、たった六人の相手に兵を割くのは非効率過ぎる。
気丈にもブロイ帝国軍に立ち向かう新兵たち。だが経験値が高い(と思われる)ブロイ帝国軍に次々負傷させられていく。
思うことがあるハインリヒは耐魔法ロープを短く切り、それを己が左手首に結び付けた。
(やはり……)
「全員、相手と戦うのをやめろっ! 敵は俺が防ぐから、その間に耐魔法ロープを手首に巻き付けろ。すぐにだ」
このハインリヒの呼びかけには、当然に新兵たちは当惑した。だが、他ならぬハインリヒの言葉だ。新兵たちは従った。すると……
敵兵の姿など全くなかった。
「摂政殿下。これは?」
「幻惑魔法だわ。早速仕掛けてきた。相手方からすれば渓谷に入ってきた段階で侵入者と見なしたってことだな」
「……」
「とにかく全員、耐魔法ロープを手首に装着しておけ。少なくとも幻惑魔法対策にはなる。次は別の手を使ってくるかもしれんが。まあ逆に言えば魔女は間違いなくいるということだな」
魔法大臣のヨハネスは、魔女は生きていれば百五十歳以上だと言っていた。いかな魔法を行使したとしても人間はそんなに長く生きられるものだろうか。
いや今はそんなことを考えている場合じゃない。とにかく魔女に会わなければいけない。
◇◇◇
渓谷は本当に小さな谷で、川は上流だから、ところどころに大きな岩は見受けられるが、水流はいたって穏やか。
ハインリヒはひとりごちた。
「渓谷と言うより隠れ里だな。ここは」
もう魔女とまでは言わなくとも、相当の魔力の持ち主がいることは間違いない。ここまで守りを固めてきた以上、外部からの侵入者を拒む姿勢でもあるのだろう。しかし……
その時、轟音が聞こえた。
「何の音だ?」
◇◇◇
ゴゴゴゴゴ
(地割れだ。いや待て。また幻惑魔法じゃないのか?)
今度は違うようだ。ハインリヒも含め一行の全員が手首に耐魔法ロープを装着している。そのうえで地割れを見ているのだ。
(これは『大地改変生成の魔法石』を使ったのか? いや今はそんなことを言っている場合じゃない)
ハインリヒは耐魔法ロープの先端にかぎ爪を括りつけると、木の幹に巻き付けた。そして、反対側の先端を新兵たちの方に投げる。
「全員、このロープを腹に巻き付けろ。震動が落ち着いてからロープを伝って、地割れの上に這い上がるぞ」
もはやハインリヒに心服しきっている新兵たちは素直に指示に従った。
◇◇◇
地割れが起きたのはハインリヒと新兵たちのいた周辺だけだった。地割れの起こった長さは短く、深さは底が見えないほど深い。そのまま落ちていたら全員命はなかったろう。
(明らかに俺たちを狙って仕掛けてきた地割れだ。自然の地震でこのようなことは考えられない。やはり『大地改変生成の魔法石』を使ったのか? ここには『大地改変生成の魔法石』があるのか?)
とにもかくにもまずは地割れから這い上がらなければならない。登り始めたハインリヒは崖上から自分を窺う人影を見た。
(むっ)
右手でロープを握りつつ、左手にナイフを持つ。とはいえ状況は圧倒的に不利だ。上にいる者がそれなりに対人戦闘を経験している者なら打つ手はいくらでもある。
ある程度の大きさのある石を多数投げつけてもいいし、木の幹に巻き付いたロープをほどいてもいい、一番手っ取り早いのはハインリヒが登りきる前にロープを切ってしまえばいい。耐魔法ロープは魔力で丈夫にしてあるが、使い勝手がいいようにナイフでは簡単に切れるようになっているのだ。
(本気で殺しにこられたら交渉してみるしかねえな)
そんなハインリヒを今度は人影が本格的にのぞき込んだ。
(!)
それは少女だった。見た感じ十代後半といったところか。二十歳にはなっておるまい。右肩には大きな茶色いトカゲが乗っていた。
(でかい。初めて見た。あのトカゲはリザードってやつか)
少女は震えているようにも、怯えているようにも見えた。しかし、やがて意を決したように懐からナイフを取り出し、ロープに向けた。
「まっ、待ってくれ」
ハインリヒが思わず声を出すと少女はビクリとする。
「シャアアアアア」
少女の右肩にいるリザードがハインリヒを威嚇する。火を噴くようなことはなかったが、主人に危害を加えるような者は許さないという気迫が伝わってくる。
「勝手に君の神域に入ったのは悪かった。だが入ったのは俺の意思だ。他の五人は俺の護衛で無理やりついてこさせただけだ。俺のことはどうしてくれてもいい。他の五人の命は助けてくれないか」




