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だがそれはほんの始まりに過ぎなかった。最終関門とされていたゲルハルトすら突破し、ハインリヒやヨハネスの下にたどり着くブロイ帝国軍の兵士の数は増えていった。
八十歳を超えているヨハネスはもちろん、ハインリヒにも疲労の色は濃い。
(殿下……)
こういう乱戦になってしまっては、フリーダの武器である地割れや土砂崩れの魔法は使いどころが難しい。
「ネル」
「キイ」
「ネル。フリーダを連れて、すぐに王城に逃げてくれ。この場で敵を防ぎきれるかどうか。自信がなくなってきた」
「そんなの駄目ですっ!」
フリーダがいつになく強い口調で反論する。
「懸命に戦われている殿下を置いて、私とネルだけ逃げるなんてできません」
「フリーダ。分かってくれ」
戦いながら説得するハインリヒ。
「仮にこの戦が負け戦になり、俺やゲルハルトが死ぬことになっても、フリーダが生きていてくれて王城にいれば、まだまだこの国は戦える。国民を守ることもできるんだ。
「殿下が死ぬ? 恐ろしいことを言わないでくださいっ! 殿下がいないこの国で私にどうやって生きて行けと言うんですかっ?」
「フリーダ。お願いだ。この国の、国民のためにネルと一緒に逃げてくれ」
「嫌です。絶対嫌です」
その時だった。疲労困憊しながらも奮戦していたハインリヒの左肩を敵兵の剣が襲ったのは。
「ぐわっ」
苦痛の声を上げ、その場に倒れこむハインリヒ。敵兵は五十万ゲルドの賞金首にとどめを刺し、その首を獲らんとする。
◇◇◇
「うわああああああ」
フリーダから今まで誰も聞いたことのない大きな悲鳴が上がった。
「キイイイイイイイ」
その悲鳴、その溢れんばかりの感情に反応したのは神獣ネルだった。まばゆいばかりの白い光に包まれたネルは変身した。
◇◇◇
どのくらいの時間が経過したのか、ハインリヒは目を覚ました。
起き上がろうとするハインリヒをフリーダが制止する。
「まだ動かないで。治癒魔法はかけたけど、まだ体力は回復していないから」
「ここは一体どこだ?」
「変身したネルの背中の上」
突如出現した巨大な茶色の竜に、ブロイ帝国軍の兵士もロートリンゲン王国軍の兵士も戦慄した。
そんな中にあって歴戦の将、大将軍ゲルハルトは冷静に周囲の動揺するブロイ帝国軍の兵士を全員打ち倒した。そして、問うた。
「魔法大臣。あの巨竜は何だ?」
「わ、わしも書物でしか読んだことがないが……」
魔法大臣ヨハネスは限界を超えた疲労と伝説でしか知らないものを見た興奮で混乱しながらも答えた。
「大地の竜。大地神ネルトゥスの完全体だ」
「キイイイイイイイー」
大地神ネルトゥスは咆哮を上げる。己が守るべきものと認識している「渓谷の魔女」フリーダに哀しみの悲鳴を上げさせた者たちに怒っているのだ。
「それは分かった。で、魔法大臣。俺たちはどうすればいい?」
歴戦の将、大将軍ゲルハルトにして、こんな事態は見たことも聞いたこともない。
「逃げるんじゃ」
魔法大臣ヨハネスは答える。
「大地神ネルトゥスは怒っておられる。敵兵は徹底的にぶちのめされるだろうが、ここにいたら、わしらも巻き込まれるぞ」
「分かった。だが魔法大臣は何故立ち上がって逃げない」
「うるさい。腰が抜けて立てないんじゃ」
「分かった」
大将軍ゲルハルトは魔法大臣ヨハネスを背負うと声を張り上げた。
「ロートリンゲン王国軍、全軍、王城に向けて退却っ! 全兵士は自分より前方にいる自軍兵士に向かって怒鳴ってから退却だっ!」
そう言うが早いか、大将軍ゲルハルトは王城に向けて駆け出した。ロートリンゲン王国軍の兵士が続く。
一目散に王城に向けて逃げるロートリンゲン王国軍を呆然として見ているブロイ帝国軍の兵士。ここでも最初に冷静さを取り戻したのは総司令官のリヒャルトだった。
「敵が退却を始めた? 何をしているっ! 追撃せんかっ!」
慌てて追撃を始めようとするブロイ帝国軍の兵士。しかし、それは大地神ネルトゥスの翼の羽ばたきによる風圧。そして、混ざって飛んでくる砂によって阻まれた。
「キイイイイイイイー」
更に起こった大きな咆哮に連動し起こった土砂崩れに多くのブロイ帝国軍の兵士が巻き込まれた。
「リヒャルト様。ここは引きましょう」
「馬鹿なことを申すな」
参謀の提案をリヒャルトは一喝した。
「敵は退却しておるではないか。ここを追撃しなくてどうするかっ?」
「あの竜の正体は我々参謀にも分かりませぬ。ただ賢い。ロートリンゲン王国軍の兵士に影響のない我が軍の最後方に土砂崩れを起こしています。このままでは我が軍は自国への通路を塞がれます」
「それが何だというのだ。我が軍をもってロートリンゲン王国の王城を攻め落とせばよいではないか」
「恐れながらあの竜の力は計り知れませぬ。我が軍をもってしても勝てぬかと」
「何を弱気な」
「リヒャルト殿下。あなたには大望があるのでしょう。こんな小さな国のために無理な戦をして命を落とされるのは惜しくないのですか?」
「……」
しばしの沈黙の後、リヒャルトは全軍に向かい叫んだ。
「作戦は中止。全軍撤退を開始する」
多くの将兵から安どの表情が見られる。リヒャルトはそれを見ながら思った。
(あいつとあいつ、それにあいつもだ。次の戦では最前線だな)
(まあ今回の負け戦で俺も恨んでいた奴らは俺を左遷しにかかるだろうから、その間はせいぜい生き延びるんだな。だが俺はいつまでも引っ込んでいるつもりは毛頭ないが)




