お姫様とせわしない準備
――あれから二年。
ノルディア国での襲撃事件は、結局ごく一部の者しか知らないまま幕を閉じた
関わった貴族は表向きには病死。
家は取り潰し。
関係者もすべて処分されたと聞いている。
詳しいことは子供の私には教えられなかったけれど、お父様たちが決して許さなかったことだけは分かった。
そんな出来事も、今では遠い昔のことのように思える。
『ふぅ……』
アルカンティア城の自室から繋がるバルコニー。
柔らかな春風がシルバーブロンドの髪を揺らした。
白いティーカップから立ち上る湯気。
お気に入りの花の香りがする紅茶をひとくち飲む。
昔は苦手だった味も、少しだけ美味しく感じるようになった。
『大人になったのかしら』
ぽつりと呟く。
もちろん誰も聞いていない。
聞いていたらきっと。
「リリィ様はまだまだお子様ですよ」
とアルあたりに笑われていただろう。
私はもうすぐ八歳になる。
少し前にはエリオットお兄様も魔法学園へ入学した。
ルシウスお兄様は王太子としての公務も本格的になり、魔法学園と二足の草鞋を履いて忙しそう。
セレナお姉様も王女としての公務が増えている。
『さみしい……』
城に子供は私だけになってしまった。
もちろん会えないわけじゃない。
休日には帰ってくるし、手紙も届く。
でも朝起きて、廊下を歩いて、食事へ向かっても。
「おはよう、リリィ」
と頭を撫でてくれるルシウスお兄様はいない。
「髪が跳ねてるわよ」
と笑うセレナお姉様もいない。
「まだまだお子様だな」
と揶揄うエリオットお兄様もいない。
以前なら当たり前だった光景が、今では少しだけ恋しかった。
カップを両手で包む。
大人になるとは、こういうことなのだろうかとしんみりしてしまった。
その時、軽快な音を立てた扉の向こうからマリーナが現れた。
「リリィ様、まだお茶をしていらしたのですか」
『どうしたの?』
「どうしたもこうしたもありません。本日もたっぷりご予定が詰まっております」
マリーナは両手を腰に当てた。
「まず、ドレスの確認を」
『もう何度目よ、確認しすぎて穴が開いちゃうわ』
「穴が開いたら新しいドレスを作りますのでご心配なく。午後からは宝飾品の選定、宝石商がいらっしゃいます」
『毎日宝石を見すぎて目がキラキラしてきたわ』
「それは素敵なことですね。その後は舞踏の最終確認」
『…』
「さらに夜にはデビュタントに向けたマナー講習が!」
『…はぁ』
頭が痛くなってきた。
数か月後、私、リリオール・アルカンティア・ルシエラは社交界デビューを迎える。
いわゆるデビュタントというものだ。
王族や高位貴族の子女が正式に社交界へ紹介される大切な儀式。
アルカンティア王国第二王女として、多くの貴族たちの前へ立たなければならない。
その準備のため、私が7歳の誕生日を迎えてから城はにぎやかだった。
仕立て屋。
宝石商。
礼儀作法の教師。
舞踏教師。
音楽教師。
毎日誰かしらが城を出入りしている。
『デビュタントって大変なのね、』
思わず本音が漏れた。
するとマリーナは真顔で言った。
「これ程度で音をあげられては困りますよ」
『?』
「アルカンティアの宝石と名高いリリオール様のデビュタントですよ?」
嫌な予感がした。
「帝国中の貴族が注目しております」
『...』
二属性持ちの時点で嫌な予感はしていたが、的中してしまい持っていたティーカップをソーサーに置く。
「各国のご令息方からエスコートの申し込みも多数あると」
『聞きたくない!』
思わず耳を塞ぐ。
マリーナはにっこり笑った。
逃がさないという笑顔だった。
『お母様ぁ…』
助けを求めるように空を見上げる。
しかし残念ながらお母様は今頃、デビュタント当日の席次表と格闘している時間である。
味方はいない。
『レオ、』
唯一の味方だった従者の名を呼ぶ。
けれど返事はない。
レオもまた今頃、私のデビュタント当日に備えて何かしらの準備に駆り出されている
人生、厳しい。そんなことを考えながら、私は最後の一口の紅茶を飲み干した。
春の風が吹く。
遠くで鐘の音が響いた。
――リリオール・アルカンティア・ルシエラ、八歳。
数か月後に迫ったデビュタントなど知ったことかと現実逃避したいお年頃である。




