第2話 最適な接続
森の空気は、湿気と腐葉土の匂い、そして濃密な魔素の気配で満ちていた。
『灰の森』。その名の通り、樹皮が灰のように白く乾いた木々が密集し、昼間でも薄暗い影を落とす危険地帯だ。本来であれば、装備も持たない人間が足を踏み入れていい場所ではない。
俺、アレンは足元の根に躓きそうになりながら、あてもなく歩を進めていた。
空腹と乾き、そして何より『魔力導管』としての禁断症状が俺を蝕んでいた。長年、ルミナの魔力を強制的に通し続けてきた俺の体は、他者の魔力を欲するように変質してしまっているらしい。血管が脈打ち、指先が痺れるような感覚が断続的に襲ってくる。
「……くそ、笑えないな」
自嘲気味に呟く声が、枯れ木に吸い込まれていく。
レオンたちに追放された直後は、怒りと虚無感で麻痺していたが、時間が経つにつれて現実的な問題が浮き彫りになってきた。金もなければ、食料もない。武器は奪われ、着の身着のまま。この森で野垂れ死ぬのが関の山だろうか。
いや、それならそれでもいいかもしれない。
あんな風に、都合のいい道具として使い潰され、ゴミのように捨てられる人生だったのだ。ここで魔物の餌になったとしても、誰も悲しみはしないだろう。
そう諦めかけた時だった。
ビリリ、と空気が震えた。
肌に張り付くような静電気。大気が悲鳴を上げているような重圧感。
熟練の魔導士なら即座に逃げ出すであろう、異常な魔力の高まりを感知した。
「なんだ……? このデタラメな出力は」
俺の足は、思考よりも先に動き出していた。
逃げるべきだという生存本能よりも、魔力を扱う専門家としての好奇心、いや、職業病のようなものが勝ってしまったのだ。これほど乱雑で、しかし純粋な魔力の奔流を感じたことはない。まるで、嵐そのものが具現化したような。
木々を掻き分け、震源地へと向かう。
近づくにつれて、周囲の景色が異様さを増していく。草木は捻じ切れ、地面はガラス状に溶解し、空間そのものが歪んでいるように見えた。
そして、開けた場所に出た。
そこは森の中央にある小さな泉のほとりだったが、今は地獄の釜の底の様相を呈していた。
青白いスパークが四方八方へと飛び散り、触れるものすべてを破壊している。その中心に、一人の少女がうずくまっていた。
「う、あぁ……ッ! 止まって……お願い、止まってよぉ……ッ!」
悲痛な叫び声が、轟音にかき消されそうになりながらも響いてくる。
年齢は俺と同じくらいだろうか。長い銀髪が魔力の風に巻き上げられ、狂ったように舞っている。身に纏っているのは、古びているが仕立ての良い漆黒のローブ。だが今はあちこちが焦げ、ボロボロになっていた。
彼女の両手から、制御不能になった魔力が溢れ出している。
それは攻撃魔法などという生易しいものではない。ただ存在するだけで周囲を崩壊させる、純粋なエネルギーの暴走だ。
「おい! 大丈夫か!?」
俺は思わず叫んだ。だが、少女はこちらに気づくと、涙に濡れた瞳で見開き、絶叫した。
「来ないで! 近づかないで! 死んちゃうわよ!」
彼女の警告と同時に、魔力の波がこちらへ押し寄せてきた。
直撃すれば消し炭になる。だが、俺の目は冷静にその波を見極めていた。
乱れている。あまりにも雑だ。
配管の壊れたダムから水が噴き出しているような状態。出力は凄まじいが、方向性も圧縮率も滅茶苦茶だ。
(……もったいない)
不謹慎にも、俺の脳裏をよぎったのはそんな感想だった。
これだけの魔力量があれば、国一つを守る結界だって張れるし、山脈をくり抜くことだってできる。なのに、それがただ垂れ流され、持ち主自身を傷つけている。
『魔力導管』として、効率化と最適化を追求してきた俺の職人魂が、その非効率な暴走を許せなかった。
「……死ぬのは、どっちだ」
俺は地面を蹴った。
恐怖はなかった。むしろ、体が熱くなるような興奮を覚えていた。
ルミナの魔力は、質は良いがプライドが高く、俺の干渉を拒むような棘があった。
だが、この少女の魔力は違う。あまりに大きすぎて器に収まりきらず、助けを求めて悲鳴を上げている。導いてくれる水路を探して暴れ回る洪水のようだ。
「やめて! バカなの!? 溶けちゃうわよ!」
少女が手を伸ばして俺を制止しようとする。その掌から、致死量の魔力がほとばしる。
俺は速度を緩めず、真正面からその懐に飛び込んだ。
そして、躊躇なく彼女の手首を掴んだ。
「捕まえた」
バチヂヂヂヂッ!
接触した瞬間、凄まじい衝撃が俺の体内を駆け巡った。
熱い。重い。痛い。
ルミナの比ではない。桁が違う。まるで太陽そのものを血管に流し込まれたような感覚。
全身の神経が焼き切れそうになり、視界が白く染まる。
「きゃあああっ!?」
少女が悲鳴を上げる。
俺は歯を食いしばり、意識を総動員して体内の『回路』をフル稼働させた。
(逃がすな……受け止めろ! 循環させろ! 俺はただの導管だ!)
俺の体は、生まれつき魔力を溜め込むことができない。その代わり、通過させることにかけては誰にも負けない。
少女から溢れ出る暴虐的な魔力を、右腕から取り込み、心臓部の魔力炉で不純物を濾過し、圧縮をかける。
本来なら人間の許容量を超えている。
だが、長年ルミナという我儘な聖女の「雑な命令」に応え続けてきた俺の回路は、異常なまでの耐久性と柔軟性を獲得していた。
「な、なに……これ……?」
少女の表情が凍り付く。
彼女の体から噴き出していた魔力が、渦を巻いて俺の腕へと吸い込まれていくからだ。周囲の破壊が止まり、静寂が戻りつつある。
代わりに、俺の体が光り輝き始めた。許容量限界突破。皮膚が裂け、血が滲む。
「ぐぅ……ッ! さすがに、きついな……!」
「あ、あなた、何をしてるの!? 私の魔力を吸い取ってるの!? やめて、あなたの体が持たないわ!」
「吸い取ってるんじゃない……流してるんだ!」
俺は脂汗を流しながら叫んだ。
このまま溜め込めば俺が爆発する。出口が必要だ。
「おい、何か撃つぞ! どこでもいい、狙いを定めろ!」
「え? う、撃つって……でも、詠唱もしてないし、術式も……」
「必要ない! 俺が組む! お前はイメージしろ! 何を撃ちたい!?」
「な、何をって……じゃあ、あの岩を!」
彼女が指さしたのは、百メートルほど先にある巨大な岩塊だった。大人が十人乗っても余るほどの大きさだ。
「よし、接続確立! 術式、単発収束砲!」
俺は彼女の手を強く握りしめたまま、その手を岩へと向けさせた。
体内を駆け巡る膨大な魔力を、一気に一点へと集中させる。
本来なら、複雑な魔法陣を描き、精霊の加護を乞い、長い詠唱を経てようやく発動する規模の魔力。
だが、俺という生きた変換アダプタを通すことで、そのすべてをショートカットする。
「いくぞ……ッ!」
俺の手のひらと、彼女の手のひらが重なり合う。
そこから放たれたのは、魔法と呼ぶにはあまりに凶暴な閃光だった。
ドオォォォォォォォンッ!!
轟音と共に、視界が真っ白に塗りつぶされた。
反動で俺たちの体は後方へと吹き飛ばされ、地面を転がった。
土煙が舞い上がり、衝撃波が木々をなぎ倒す。
しばらくして、静寂が戻った。
俺は咳き込みながら体を起こした。全身が軋むように痛いが、生きてはいる。
隣では、少女が呆然と腰を抜かしていた。
「……嘘」
彼女の呟きに誘われて、俺も前を見た。
そこにあったはずの巨大な岩塊は、跡形もなく消滅していた。
いや、岩だけではない。その後方にあった森の一部が、数百メートルにわたって抉り取られ、一直線の「道」が出来上がっていた。地面は赤熱し、溶岩のようにドロドロと溶けている。
「……ははっ、やりすぎたか」
俺は乾いた笑い声を漏らした。
単なる下級魔法である『マナ・ブラスト』の構成で撃ったはずだ。それが、戦略級魔法のような威力を叩き出すとは。
ルミナの魔法が子供の火遊びに見えるほどの火力だ。
「ありえない……」
少女が震える声で言った。彼女は自分の手を見つめ、それから恐る恐る俺の顔を見た。
その瞳は、宝石のアメジストのような深い紫色をしていた。
「詠唱破棄……? しかも、あの魔力量を、一瞬で収束させて……? 私、一度も暴走しなかった……」
「暴走はさせないさ。それが俺の仕事だからな」
俺は痛む腕をさすりながら、努めて平然と言った。
実際には、回路が悲鳴を上げてボロボロだ。だが、不思議と気分は悪くなかった。
完璧な仕事をした。あの奔流を御しきったという達成感が、心地よい疲労となって体に満ちていた。
「あんた、すごい魔力の持ち主だな。名前は?」
「……エレナ。魔女エレナ」
「エレナか。俺はアレン。見ての通りの追放者だ」
エレナという名を聞いて、俺は少しだけ眉を動かした。
『灰の魔女』エレナ。
数百年前、単身で国を滅ぼしかけたとされる伝説の魔女と同じ名前だ。まさか本人ではないだろうが、あの魔力量を見れば、何らかの血縁か、あるいは転生者か、とにかく只者ではないことは確かだ。
エレナはおずおずと俺に近づいてきた。そして、突然ガバッと俺の両手を握りしめた。
「アレン! あなた、私の『導管』になって!」
「……は?」
「私、ずっと森の中で一人だったの。魔力が強すぎて、少し感情が昂るだけで周りを壊しちゃうから。村にも入れないし、誰とも触れ合えなかった。手袋をして、何重にも封印を施して、それでも抑えきれなくて……」
彼女の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
それは恐怖の涙ではなく、歓喜の涙に見えた。
「でも、今! あなたと繋がった時、初めて魔力が『流れた』の! 詰まっていたものが取れたみたいに、すごく綺麗に! あなたがいれば、私は魔法を使っても大丈夫なのね!?」
「ま、まあ、理論上はそうなるな。俺が制御すれば、暴発は防げる」
「お願い! 一緒にいて! あなたが必要なの!」
その言葉が、俺の胸に突き刺さった。
『あなたが必要』。
ルミナからは一度も言われたことのない言葉。
「気持ち悪い」「役立たず」「寄生虫」。そう罵られ続けてきた俺の手を、彼女は宝物のように握りしめている。
彼女の手は柔らかく、そして温かかった。
「……俺は、魔力がないぞ。ただのパイプだ。英雄にはなれない」
「そんなの関係ない! パイプじゃなくて、あなたは『鍵』よ! 私という災害を、魔法に変えてくれる唯一の鍵!」
エレナは顔を近づけ、真剣な眼差しで俺を見つめる。
「私には魔力がある。あなたには制御がある。二人なら、最強になれるわ。ねえ、アレン。私と一緒に世界を見て回らない? この森を出て、もっと広い世界を!」
俺は彼女の瞳の中に、自分の顔が映っているのを見た。
そこには、卑屈に笑う「お荷物」のアレンはいなかった。
驚きと、そして微かな希望に満ちた男の顔があった。
「……最強、か」
悪くない響きだ。
俺を捨てた連中のことを思い出す。
ルミナ、レオン、その他の仲間たち。
彼らは俺を無能だと断じた。だが、目の前のこの規格外の魔女は、俺を必要だと言ってくれている。
俺の『魔力導管』という能力は、凡人を英雄にするためのものではなく、怪物を神にするための翼だったのかもしれない。
もし、このエレナと組んで、あいつらの前に現れたらどうなるだろうか。
ルミナが必死に十分かけて詠唱している横で、俺たちが一秒で極大魔法をぶっ放す。
その時のあいつらの顔を想像すると、自然と口角が吊り上がった。
「いいぜ、エレナ。乗った」
俺は彼女の手を握り返した。
今度は、魔力を流すためではない。パートナーとしての契約の証として。
「俺がその魔力、完璧にコントロールしてやる。その代わり、俺の背中は守ってくれよ」
「うん! 任せて! アレンに指一本触れさせないわ!」
エレナは花が咲いたような満面の笑みを浮かべた。
先ほどまでの、世界を呪うような悲痛な表情はどこにもない。
その笑顔を見て、俺は確信した。
これは、運命の出会いだ。
「さて、まずは腹ごしらえといきたいところだが……」
「あ、あのねアレン。この森、美味しいキノコがいっぱいあるの!」
「毒キノコじゃないだろうな?」
「大丈夫! 私、毒耐性あるから!」
「俺にはないんだよ!」
軽口を叩き合いながら、俺たちは歩き出した。
灰色の森が、少しだけ色づいて見えた。
手には確かな温もりがある。もう、冷え切った魔石を握りしめて孤独を紛らわせる必要はない。
一方その頃。
俺たちが豪快に吹き飛ばした森のずっと向こう、迷宮都市の近くにあるダンジョンでは、勇者パーティが悲鳴を上げている頃かもしれない。
まあ、知ったことではないが。
俺の新しい人生は、今ここから始まったのだ。
「ねえアレン、もう一回撃ってみる? 今度は空に向かって!」
「おい待て、俺の体力が持たん。休憩させろ」
「えー、ケチー」
最強の魔女と、最巧の導管。
この二人が手を組んだという事実が世界に知れ渡るのは、もう少し先の話。
そして、俺を追放した愚か者たちが、その報いを受けるのも――そう遠い未来ではないだろう。




