到着
蛾男の羽根は輝きを増していき、やがて紫のオーラが、巨大な羽根の形を成した。
いや、それはもはや、羽根というよりも翼に近かった。
その禍々しくも神々しい、紫の翼をゆっくりと羽ばたかせると、大量の鱗粉が下方へと振り注いだ。
彼の鱗粉に触れたものは、跡形もなく消え去ってしまう。そして消えたものは二度と戻らない。
「何…!?」
流は視界を覆い尽くすほどの鱗粉を前にして、驚きの声を上げた。
縁の作品達はそれをもろに浴びると、あっという間に全滅した。
流もまた、全身にそれを浴びたが、これといって変化はないようだった。
「僕には効果が無い…。同じ蛾男同士だからか?」
「………かもな。まあ、目眩ましくらいにはなったよ」
「ぎょっ!?」
背後からの声に振り返ろうとした途端、流は背中から腹にかけて、蹴りで貫かれた。
そのまま、彼は地上へと一直線に落下していった。
流は歩道橋の上へと叩きつけられると同時に、意識が途絶え、肉体の変身が解除された。
その近くに蛾男は優雅に着地すると、彼の方へと歩みを進めた。
羽根はすでに通常のサイズへと戻っていた。
変異者騒動が収まったばかりの為か、近くに人々の姿は無い。おそらく、屋内かどこかに避難しているのだろう。
「勝負あったな。そっちも必死なんだろうが…俺も死ぬわけにはいかねーんだ。何故なら………あっ、ちょっと待ってくれる?今エモいセリフ考えてるから…あん?」
気配を感じて振り返ると、目の前に何者かの拳が迫っていた。
「は?わぼっ」
蛾男は斜め上方向へ殴り飛ばされて、再びビルの内部へと叩き込まれた。
唐突に現れた謎の黒髪の女は、高々と跳躍すると、彼を追ってビルに空いた穴の中へと、一瞬で姿を消した。
それから数秒遅れて、歩道橋の階段を乱暴に駆け上がって来る者がいた。
吉見由香里である。小脇には、先程の女に似た絵画が飾られた額縁が、しっかりと抱えられていた。
縁が由香里に渡したのは、彼女の肖像画だった。
自信作であればあるほど、強力な作品となる縁の能力上、由香里の絵は彼の最高傑作と呼ぶに相応しいものだった。
「流さん!しっかり!」
「ん…?」
自身を呼ぶ声に流が目を覚ますと、目の前で由香里が目をつぶって唇を尖らせていた。
「うおおおお!?」
「あぁん♥」
流は驚いて反射的に平手打ちすると、続けて言った。
「き、君は…!?どうしてここに?」
「流さんが助けを呼ぶ声が聞こえたんです!」
「いや、読んだ覚えはないが…。それに、その絵は?確か玄関先の…」
由香里は肖像画をまじまじと見つめながら答えた。
「よ…よく分かんないんですけど、なんか兄さんに持って行けと言われて…。ところで念のために人工呼吸しときます?」
「いらん」
その時、先程のビルの屋上を、黒い影が突き破って飛び出して来た。そのまま、影は2人のもとへと勢いよく着地した。流は忌々し気に呟いた。
「クソッ…」
影の正体は蛾男だった。縁の最高傑作も、彼には及ばなかったようだ。身体は血まみれで、激しい戦いが行われたのを、雄弁に物語っていた。
「…ったく、とんだ厄日だぜ。ワケの分からねーヤツばかり襲って来やがる。ん?また新キャラかよ…」
「ヒィッ!蛾男………さん…!」
由香里は彼に睨まれて、ガタガタと震え上がった。
流はまだ傷が完全に癒えていない身体に鞭打って、立ち上がろうとした。
「…せっかく来てくれたところ悪いんだが、君ひとりで逃げてくれ。まだ満足に動けないからな」
しかし、由香里は流の思いもよらない行動に出た。
彼女は蛾男の前に立ち塞がると、震える声で言った。
「わ…私や他の人のことは食べても、流さんのことは食べないでくださァい!!」
それから数秒間の沈黙が流れた。
「な…何やってんだバカ!早く逃げろ!食い殺されるぞ!」
「な…流さんの方こそ、逃げてください!!」
「だから動けないんだって!」
蛾男はそんな2人の様子を、しばらく黙って見つめたあと、呆れ気味に言った。
「…分かった分かった。今回は俺の負…引き分けってことにしてやるよ。人食う趣味も無いしな」
「…え?」
「じゃーな、お二人さん」
そう言い残すと、蛾男はその場から一瞬で消え去った。
残された2人は、拍子抜けした様子で顔を合わせた。
「わ…私の愛が通じたんですかね?」
「……………」




