第七話 因果の道理
『星詠みの宴』という優雅な名前の印象とは違い、当日の朝の後宮は騒々しさに包まれていた。
閉ざされた大広間の扉の前で女兵士がずらりと並んで警備に立ち、その前には大勢の侍女や女官、下女も身分の違いを超えて集まっている。廊下から外廊下まで人があふれ、押し合い圧し合いで人に押しつぶされそうな恐怖と戦いつつ、初めて参加する行事の熱量に圧倒される。
「あら……王宮の女官と侍女もいらっしゃるのねぇ」
「あれ? 後宮のみの行事じゃないの?」
確か、そう聞いていたような気がする。初めて参加する私には、とにかく人が多いとしか思えなかった。
「あ、本当だー。だから占い師が増えたのかな」
シュンレイは顔見知りを見つけたらしく、笑顔で手を振って挨拶を交わす。ふと視線を感じて横を向くと、遠くから私を睨みつける侍女と目が合って、不自然に見えないように顔を正面に向けると、見慣れた二人の姿が見えた。
(あれ? あの二人、いつも占いに興味ないって言ってたのに……)
昨夜、涼しげな顔をしていた〝薬園の乙女〟の最年長組、薄茶色の髪を簡単に結い上げた李花と灰水色の波打つ髪の藍籐が最前列に陣取っている。そういえば昨年も一昨年も部屋にはいなかったと思い出す。
「王宮の女官や侍女も増えるのなら、あの程度では足りないのではないかしら」
「だよねー。去年より厳しいってことかー。カリン、センカさんの所はここだからね。頑張って!」
私が手にした配置図をシュンレイが指さした。大広間の扉から一番離れた奥に、センカの場所がある。
「シュンレイはセンカさんに占ってもわらないの?」
「センカさんは明日の一番で並ぶ予定。紹介がないと絶対に占ってもらえないっていう晨露が別名で初参加してるらしいの!」
「だ、誰?」
「昔から、運命を操ると評判の占い師ですわねぇ。存在を疑われていたりもしましたのよ。何しろ、占ってもらった人すら、店を出ると場所を忘れるのですって」
「忘れるって……占ってもらった内容は?」
「それは覚えているそうよ。何を言われたか、一言一句思い出せるのに、顔も姿も思い出せなくなるという不思議な話なのよねえ」
言葉の記憶定着と発言した者の忘却。ふと、皇帝専用の香魔の薬〝雷光の香〟を思い出した。皇帝専用の薬草園でしか採取できない貴重な薬草を使っているから、一般には出回ってはいないはず。
「店に行くときはどうするの?」
「噂だけど、青い尾をもつ白い鳥が案内してくれるんだって」
(鳥の案内……何かの魔法を使っている可能性もあるのかな……)
魔法のことならルーアンに相談しようと思った時、銅鑼が鳴り、重厚な扉がゆっくりと開かれた。大広間は毎月の市とは違って、布や板で出来た小屋がぎっしりと立ち並んでいる。今にも駆け出しそうな熱気と期待をまとう女性たちとは逆に、遮る女兵士たちの表情は緊張で硬い。
「皆、よく聞け! 扉が完全に開くまで動くな! 動いた者は、後ろに並びなおしてもらう!」
台の上に立つ女武官ライファの声は隅々まで響き渡った。鋭い目つきと、鉄紺色に金色刺繍の兵服が醸し出す圧倒的な威圧感で、周囲が静まり返る。
「広間の中は走ってはならない! 他者を押しのけたり、害を与えた者は宴への参加を許さない!」
毅然とした声が熱くなっていた女性たちの空気を冷やし、その凛々しさに感嘆の息を吐く者もいる。
「それでは、開場する!」
再び銅鑼が鳴り響き、入口を遮っていた女兵士たちが一斉に脇へ寄ると、女性たちが早足でなだれ込んでいく。私たちも後ろから押されるようにして、大広間へと入った。
「じゃ! 行ってくるね!」
慣れた雰囲気でシュンレイが早足で去り、ホンファはのんびりと周囲を見回しながら歩いていく。私はセンカの場所へ向かって歩く。
(うわ……もう並んでる……)
ついた時には、三十名以上が並んでいた。一日にどれだけの人数が占ってもらえるのか、全く見当もつかないので、仕方なく最後尾に並ぶ。
「ねえ、あんた、カリンでしょ?」
背後から声を掛けられて振り向くと、下位の女官を示す淡い朱色の深衣を着た、二十代前後の女性だった。青い髪がゆるやかに結われ、黄緑色の瞳が猫の目のような輝きで私を見つめている。
「あー、警戒しなくていいって。あたしはロウなんて狙ってないから。武官より文官よー」
右手をひらひらとさせながら、女性は明るく笑い飛ばす。
「あたしは芷晴。平民上がりよ。例の腕輪の子と話せて光栄だわ!」
「れ、例の腕輪?」
「そうそう、あれでしょ、愛が重すぎる呪いの腕輪! ね、見せて見せて! あ、見るだけなら呪われないわよね?」
勢いよくまくし立てられて、混乱しながら頷くと、左手の袖をめくられた。
「へー! うわー! 高そうー! 流石、特級の呪いの腕輪ねー!」
その無邪気な声で、悪気はないのだろうと思っても、呪いの腕輪と連呼されるとむず痒いような微妙な気持ちが沸き上がってくる。違うと反論したくても、自分がそう言って回っているのだから仕方ないと、心に折り合いをつける。
感激の声を上げるヂーチンの声に反応して、前と後ろに並ぶ侍女や女官たちも、まじまじと腕輪を見つめるようになって、居心地が悪くなってきた。
「あー、ごめん、ごめん。ついつい、興奮しちゃったー!」
意外にも丁寧な手つきでめくった袖を直し、ヂーチンは私の手を握る。
「見せてくれて、ありがとー! 皆に自慢話ができちゃう!」
呪いの腕輪が自慢話になるのだろうか。そんな疑問を持っていると、見回りの女兵士の姿が見えて、乱れていた列は自発的に元に戻り、平穏を取り戻す。
「本当、不思議な力のある腕輪ねー。それ、相当高いよ。どこで売ってたか聞いてる?」
「いえ、そういったことは全く聞いていなくて」
「そっかー。帝都で噂の秘密の魔道具屋の品かなって思ったんだけどなー」
秘密の魔道具屋。それはルーアンが連れて行ってくれると約束してくれている店のことなのだろうか。いつも何かしらの事件が起きて、結局まだ訪れることが出来ずにいる。
「秘密の魔道具屋ですか?」
「そうそう。魔力や神力を持つ者しか行けない店。あたしもほんのちょっぴり魔力あるから探してるんだけど、全然みつからないのよねー」
魔力持ちと聞いて、ひやりとした。私の魔力がバレないようにと願いながら、ヂーチンの話を聞く。
「それにしてもスゴイ腕輪よねー。最初に一瞬だけ神力の煌めきが見えたと思ったんだけど、気のせいだったみたい。強力な魔力って綺麗な光を放ってるのよねー」
(この人、魔力が見えるの?)
私の疑問を表情から読み取ったのか、ヂーチンが慌てて手を振って否定するような動作をする。
「あ、ちょっと誤解しないで。あたし、魔力は弱いから。見えるのは護符とか、そういう物になってるの限定だから。直接見ないと見れないし」
「あ、あの、人の能力は見えないんですか?」
「それは全然。そんなの見えたら、重宝されて大出世でしょ。あたしができるのは、護符が本物かどうか判別するだけよー」
へらへらとヂーチンは手を振って笑う。護符が判別できるというのも、重宝される能力ではないだろうか。
「何か他にも護符とか持ってる?」
「いえ。これだけです」
それは嘘。首には紐に通した指輪と、服の隠しには、ロウからもらった護符と予備の腕輪が入っている。ヂーチンはライファと違って感じることはできないらしい。
「あ、そうなんだ。でも、スゴイ物見せてもらえて本当に光栄よ」
笑うヂーチンは、さっぱりとして明るい。
「でさ、実際、ロウとカリンって、どうなの?」
「全然、無関係です。王宮ではどんな噂になっているんですか?」
「それがねー。毎日変わるから面白くって……」
占いの順番が来るまで、ヂーチンと私は、王宮で流れる噂について話を交わした。
◆
思っていたよりも順番が早く来て、木で出来た小屋の扉が開いた。現れたのは水色の長い髪、涼やかな灰水色の目、微笑む唇は艶やかな赤。白と淡い水色の深衣が水の精霊のようなセンカ。
「お次の方……あら? どうぞ」
センカは私の顔を見て微笑みを深くした。小さな部屋の中は、小さな円卓と二つの椅子。円卓には顔よりも大きな半球の水晶が置かれ、魔法灯の光を反射して煌めいている。勧められるままに椅子に座ると、ひやりとした空気と、センカがまとう微かな薫衣草の香りが気持ちを落ち着けてくれた。
「ここで話すことは、外には聞こえません。ですから、安心して」
部屋の壁には、星が煌めく分厚い夜色の布が貼られている。それはよく見ると無数の魔法陣。きっと防音結界の効果があるのだろう。私の前に占ってもらった者は、センカの背後にある扉から出たらしい。
言ってもいいのかと迷いながらも、ここ数日、何度も頭の中で繰り返した言葉を口にする。
「私の両親を………………殺した人が今、どこにいるのか知りたいです。依頼した女性は知っています。それ以外の人がどうしているのか知りたいです」
「人探し?」
センカは淡く微笑みながらも、困惑の表情を浮かべている。『星詠みの宴』は恋愛や自分の将来を占ってもらう場所。まさか両親の仇を探して欲しいという相談は想定していなかっただろう。
「……人探しは、ダメでしょうか……」
諦めかけた私の手を取って、センカはまっすぐに私の瞳をのぞき込んだ。
「人を探すことは可能よ。でも、約束をして欲しいの。その犯人がわかっても、一人で復讐しようなんて思わないこと。……後宮なら……そうね、まずは女官長に相談して、公の裁きを受けさせる。女一人での復讐は絶対にダメよ」
そうして占いが始まった。今回もセンカは私の名を聞くこともなく、ただ手を水晶に触れさせたのみ。水晶が白く輝いた後、ぼんやりとした白い靄が中央に揺らいでいる。揺らぎは徐々に激しくなって、やがて水晶全体が白く濁った。両手を水晶にかざしながら、その過程をじっと見ていたセンカが口を開く。
「……結論から先に言うと、青月……いえ、依頼した女性以外は、全員死んでいるわね」
「え?」
青月妃以外の全員が死んでいる。そう聞いて驚きは隠せなかった。
「星が冥府に降りているのよ。……発案者は女。私と同じ占星術師かしら。星占盤と筮竹を使っている……真珠の髪飾りで揉めて、殺されたみたいね」
真珠の髪飾り。それは青月妃ユーチェンが代償にしたものではないだろうか。
「……少し待って」
センカは水晶から手を外して目を閉じる。その額には脂汗が滲んでいて、苦悶が見えた。
「……センカさん、ごめんなさい。あの、全員亡くなっているのなら、もう……」
無関係のセンカを苦しませたくはない。諦めて立ち上がろうとした私の手を、センカが強く握りしめた。
「貴女は悪くないのよ。ただ、とても酷い事件だから、犯人がどう死んだというのは知っておいた方が良いと思うの。もう少し視させて頂戴」
センカの説得に応じて、私は再び椅子に座りなおした。水晶の濁りは、渦を巻いて、様々な形へと変化していく。私にはセンカが何を見ているのかは全くわからなかった。
「……崖の上から岩を落とす男たちがいるわね。大きな岩ではなくて、人が持てるくらいの岩をいくつも落として……それで馬車に繋がれた馬が驚いて……」
馬車が崖から落ちた。その光景を想像して、涙がこみあげてくる。偽の手紙で私を心配してくれた両親が、何故殺されなければなかったのか。一体、私が何をしたというのだろうか。
「……季節が変わった……酒宴かしら……命令した男も、実行した男たちも……皆で笑いながら丸薬を飲んで…………あれは何?」
再びセンカは水晶から手を外した。その顔色は真っ青で、この世のものではないように見える。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫よ。私の頭が理解を拒否しているだけ。……『これで不老不死になれる』って笑いながら薬を飲んで、全員が苦しみながら化け物になったの。全身が膨らんで、肌が灰色になって……伸びた爪と牙で…………共食い……」
人間が灰色の化け物になる薬。そんな薬は聞いたことはなかった。
「……共食いで生き残った者は、誰かに斬られたみたいね。何かしら……とても嫌な匂い……獣のような……」
センカが呟いた時、水晶に大きなヒビが入り、砕けた。
「な、何?」
飛び散るはずだった水晶の破片は、赤い光に包まれて、すべてテーブルの上に落ちている。
「また、彼に助けられたわね。ありがとう」
センカの微笑みを見て咄嗟に左手首を見ると、腕輪が無くなっていた。先日、私の肩を抱きながら、時々腕輪に触れていたのは、何か魔法効果を追加していたのかもしれないと気が付いた。
「あ、あの……何故水晶は割れたのでしょうか?」
前回は落雷のような音がして、今回は何もなかった。
「以前視た、貴女を欲する三つの星の一人ね。同じ匂いがしたもの。どういう理由かわからないけれど、その星が、犯人の生き残りを斬ったように見えた。……どうしても姿は視られたくないみたいね。心当たりはある?」
犯人の生き残りを斬った人。以前は獣のような匂いと聞いて、リュウゼンだと思っていたけれど、実は他の人なのだろうか。
「全くありません」
「そう。これからも男性に気を付けてね……と言っても、彼の護りがあるなら大丈夫そうね」
立ち上がったセンカは、椅子に座る私をふわりと抱きしめた。柔らかで優しい花の香りと、暖かな体温に包まれるとほっとする。
「……貴女の両親の仇は、死んでる。私が今まで視た中で、これ以上はないっていうくらいの無惨な死に方。……神様は、ちゃんと見ていらっしゃるのよ」
センカの優しい声で、こらえていた涙が溢れた。父母の事故の真相を知ってから、復讐なんて考えてはいけないと、繰り返し自分に言い聞かせてきた。ルーアンの、いつでも復讐できるという言葉で落ち着いていたものの、それでも、どこか深い心の底では、今すぐに仕返ししたいという気持ちは消えてはいなかった。
犯人たちに神の制裁が行われていたことの安堵と、両親を殺された悔しさが心の中で複雑に入り混じる。人が死ぬことを喜んではいけないと頭では理解していても、殺された両親のことを思うと犯人たちが苦しんで死んで良かったと思う。
「……私、人が死んだのに……良かったって……」
「いいのよ。犯人たちは、それだけのことをした。因果応報という言葉があるでしょう? ……透明な水晶はとても美しいけれど、その中に様々な異物を抱き込んだ水晶にも美しい物があるの。人の心も綺麗なだけじゃなくて、濁ったものも交じっていていい。弱くもあり、強くなって輝けるのも人間よ」
心の中に憎しみがあってもいい。そう言われて安堵する心と、反発する心がせめぎ合う。
人が死んで喜ぶ自分を認めたくない。それでも、それは自分の正直な心。『人としての正しさ』に押しつぶされそうで心が痛い。
「大切な人を亡くして、その原因や理不尽を憎むのは自然なことよ。それも私だと認めてあげて。心の痛みと経験は、人を強くしてくれるのよ。きっと貴女は、他者の心の痛みを知る、優しくて強い女性になれる」
優しい声で囁くセンカの温かい腕の中、私は泣き続けた。




