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蝶遊苑国香魔伝 -後宮に隠れ住む魔女-  作者: ヴィルヘルミナ
第三章 後宮に咲く魔性の華

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第六話 護衛の記録

「ルーアン、ロウのことは誤解ですから」

 執務室の扉を開けたルーアンに突然抱きしめられた私は、その一言を口にした。


「じゃ、俺はこの書類、宰相に届けてくるねー。ほらほら、ちゃんと部屋の中に入って入って。ごゆっくりー」

(ハオが部屋にいたの?)

 ルーアンに抱きしめられたまま移動する最中も、ハオの姿は確認できない。背後で扉が閉まる音がして、見られていたという羞恥が頬に集まっていく。

 

「ル、ルーアン、落ち着いて下さい」

「……落ち着いているつもりです。……ここ数日、生きた心地がしませんでした。……期間限定の偽装婚約だと、自分に言い聞かせていましたが……」

 抱きしめる腕は強くても、どこか優しい。ルーアンの匂いは嫌悪感も違和感もなく、安心感と同時に何故か鼓動が高鳴る。


「ルーアン……」

 こうしていると、王宮から出るという決心が揺らぐ。結婚は想像できなくても、ルーアンのそばにいて、ルーアンのことをもっと知りたいと思ってしまう。


(……でも、万が一陛下にもしものことがあったら……)

 私が婚約していると知っても、リュウゼンは諦めなかった。もしもリュウゼンが皇帝になったら、ケイゼンにも助けてもらえないし、ルーアンに迷惑を掛けてしまうのはわかりきっている。

(やっぱり、私は王宮から出た方がいい)

 ルーアンの背に伸ばしかけた手を止めて、服を握りしめる。


「……すいません。私の勝手な願いをカリンに押し付けるところでした。これでは、私もリュウゼン様と同じですね……」

 深いため息と同時に出てきた名前に驚いて、びくりと体が反応してしまった。


「カリン? ……何かあったのですか?」

 ルーアンの勘は鋭い。ケイゼンが周囲にどう説明しているのかもわからない状態で、先日のリュウゼンの件を話していいのか迷う。

 

「話して下さるまで、このまま放しませんよ。……リュウゼン様に何かされたのですか?」

「……実は……」

 先日、リュウゼンに言い寄られたこと、ケイゼンとロウに助けられたことを話すと、ルーアンは腕の力を強めた。


「……カリンが無事で本当に良かった……護符を増やしましょう」

「いいえ。無理をせず、眠ることを優先して下さい。神力と魔力の拘束魔法を無効化する護符は持っていますから」


「拘束魔法を無効化? ……見せていただけますか?」

 護符を作るとごねられるかと思ったのに、ルーアンの言葉は意外だった。私を抱きしめていた腕の力が緩み、服の隠しからロウにもらった護符を取り出すと、ルーアンの顔色が変わった。


「それは……誰から?」

「ロウから頂きました。護符を作ったのは、ロウの親友だそうです」

 私が手の上に乗せた護符をルーアンは真剣な表情でしばらく見つめた後、口を開いた。


「……その護符に刻まれた術式は、魔道士が使う呪術です」

「呪術? 呪いなのですか?」

「はい。対価が必要な呪いであるが故に、強力な効果が見込めます。使用時の注意点は聞きましたか?」

「注意点? 特に何も……一回きりの効果とだけ」

 あの時のやり取りを思い出しても、ロウは何も言ってはいなかった。


「使用者には何の影響もないということでしょうか……一体、何を対価とするのか……」

 護符を凝視したルーアンの赤茶色の瞳が赤く煌めく。

(……綺麗な色……)

 至近距離で赤くなった瞳を見つめていると、ルーアンが目を瞬かせて頬を赤らめた。

「……護符は後にしましょう。お茶にしましょうか」

 私を抱きしめていたルーアンの腕が解けて、ぬくもりが冷めていくのが寂しい。護符を小さな円卓の上に置き、ルーアンが焜炉で沸かしたお湯で花茶を淹れる。


 目の疲労に効く花茶を手渡すと、ルーアンが満面の笑みを見せた。

「ロウは眼中になく、私は捨てられないということでよろしいでしょうか」

「そ、そんな、捨てるとかそういうことでは……」

 いつもは向かい合って座るのに、右隣に座るルーアンとは手が触れ合う距離。跳ね上がる鼓動と熱くなる頬が気付かれないようにと密やかに願う。ちらりと窓の外を見ると、監視者の影を感じて少しだけ頭が冷えた。


「カリン、この部屋にいる時は、私だけ見ていて下さい」

 左腕で肩を抱き寄せられ、そっと囁かれると冷えた頭がまた熱くなっていく。

「あ、あの……お仕事は?」

「昇格試験の為に、私自身の仕事は三カ月先の分まで済ませておりますよ。先ほどのように緊急に依頼されて対処するものもありますが、今日はハオが止めてくれるでしょう」

「ハオが?」

 どうやって止めてくれるというのだろうか。私が疑問を口にする前に、ルーアンが右手を伸ばして、円卓の上に置かれた護符を指で触れた。


「それにしても驚きました。この護符からは魔力や異能力の気配を一切感じません。通常、魔力や神力で作られた護符からは、多少なりとも力を感じるものです」

 そう言われて、後宮の女武官礼花(ライファ)を思い出した。魔力を持つライファは、私が護符で護られていることを感じ取っていた。


「魔導士は『群狼』の他にもいらっしゃるのでしょうか」

 これが魔道士の手で作られたものなら、ロウの親友は『群狼』の関係者なのだろうか。

「初代皇帝に禁止されても、口伝で受け継いでいる一族はいますから、その魔道士が『群狼』の仲間とは限りません」

 ルーアンはそっと護符を裏返して、刻まれた紋様を観察するように見つめている。


「ロウの経歴は完璧でしてね。外国を行き来する商人の護衛として、幼い頃からの記録が残っています。ケイゼン様が留学していた国への出入国の記録もありました」

「記録が残っている?」

「ええ。幼い護衛が強盗に立ち向かって追い払った、少年が野盗を討ち取った、そんな記録が各地の貴族や兵の報告として残っています。………………奇妙な程に完璧……と思うのは、私の嫉妬からかもしれませんね」

 軽いため息と同時に、私の肩を抱く手が強くなる。逃がさないと言われているような気がして、戸惑いながらも頬が熱くなっていく。


「少し時間はかかりますが、必ずこの護符より良いものを作ります。そうだ! とりあえず私以外の男が近づいたら自動で防護結界が発動するようにしましょう! 名実共に『呪いの腕輪』! それなら簡単です!」

 ひらめいたと言わんばかりの目で宣言されても困る。医局の医官は男性ばかりだし、王宮内で男性とすれ違った時に突然結界が発動したらと想像すると怖すぎる。

 これはダメだ。そう思った私は、鎮静効果のある花茶を淹れようと立ち上がる。


「カリン、私を捨てるのですかっ?」

「違います! お茶を淹れるだけです! 落ち着いて下さい!」

 そうして私は、ルーアンの暴走を止めることにかろうじて成功した。


      ◆


 執務室を出て、ルーアンに後宮の門の前まで送られる途中、何人もの女官や侍女からの視線を感じた。極力気にしないようにしていても、恨みが込められた視線は痛い。


 後宮の門をくぐり、人が少ない薄暗い廊下を選んで歩く。

(魔道士の護符……か。そう聞くと、あまり気分の良いものではないかな)

 ルーアンが護符を作るまで、という期限付きで、ロウからもらった護符は私の手元にある。指摘されるまでは何とも思っていなかったのに、正体がわかると気味悪く感じる。


 護符を作ったのは犯罪集団『群狼』の魔道士ではないだろうとは思っても、ルーアンを殺そうとした毒や、顔半分を爛れさせた呪毒と魔道士が結びついてしまっていて、良い印象は持てなくなっている。


 後宮内では持っていなくてもいいかと思っても、リュウゼンが後宮に入ってくる危険を考えるとそれは無理。思考に集中していて、漂ってきた甘い百合の香りに反応が遅れた。


「ねえ、貴女。後宮の外に出る許可証を貸して下さらない? 必ず返すから」

 突然私の腕を掴んだのは、長い銀髪に翡翠色の瞳。ランレイの顔をした沙梨(サリ)。顔だけでなく、背格好もそっくりで、香りの記憶との違いで混乱してしまう。侍女を示す桃色の深衣は、ランレイが着用する豪華なものではなく、私たちと同じもの。


「貸し借りは禁止されています。王宮内なら休日に出られるはずです」

 侍女が王宮の外に出られるのは年末の五日間。王宮内なら、休日に申請すれば出られる。

「あの方が、王宮に戻っていらっしゃるのよ。休日なんて待っていられないもの」


「あの方?」

「リュウゼン様よ。きっと私のことを待っていらっしゃるの」

 その翡翠色の瞳は、夢見るような輝きを見せている。ふと、サリもリュウゼンの甘い言葉に騙されているのではないかと思った。


「リュウゼン様に呼び出してもらえるようにお手紙を書かれてはいかがですか」

「それは何度も試しているのよ。ただ……側近たちが手紙も贈り物も、リュウゼン様が見る前に捨ててしまうらしいの」

 それはきっと、飽きて捨てる時の為の嘘だと思う。


「貴女は美人だから、美人になれる薬なんて必要ないわよね……。他をあたるわ」

 そう言い捨てたサリは、私の後に廊下を歩いてきた侍女へと駆け寄っていった。



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