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蝶遊苑国香魔伝 -後宮に隠れ住む魔女-  作者: ヴィルヘルミナ
第三章 後宮に咲く魔性の華

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第五話 無効の護符

 私を護るように包んでいたケイゼンの腕が解け、柑橘の香りが離れていく。体温は感じたのに香りが純粋過ぎて、まるで人ではない精霊のような印象が強まってしまった。


「ロウ、カリンを後宮の門まで送ってくれないか。兄上は僕が連れて行くよ」

「おう。そっちは頼む。(わり)ぃな」

 ケイゼンはロウに気安い言葉を掛け、ロウも同じように返している。ロウが服の隠し(ポケット)から出した革紐を手渡すと、その紐を使って、ケイゼンが自らの長い金髪を無造作に結ぶ。苦笑しあう姿は、親しい友人のように感じる。


「カリン、もしも何か困ったことがあったら、いつでも相談して。僕が出来ることは何でもするよ」

「ケイゼン様、本当にありがとうございました」

 頭を下げた私に微笑みを返したケイゼンは、気を失ったままのリュウゼンを肩に軽々と担ぎ上げて歩き出した。細身の体からは想像もできないくらいに足元はしっかりとしていて、意外過ぎて驚く。


「どうした? やっぱ俺よりケイゼンの方がいいか?」

「い、いえ。そうではなくて……」

 ケイゼンの背中を見送りながら、六年前とは違うと改めて思う。


「意外ってか? あいつはなよなよしてるように見えて、実は結構鍛えてる。見た目と話術で油断させて、勝ちを取りに行く奴だからな」

「……ケイゼン様と親しいのですか?」

 二人のやり取りはとても慣れているように思えた。


「ああ、昔、あいつが留学してた頃に知り合った。ここで会うまで、皇子だなんて知らなかったから、使い走りさせたり、いろいろ無礼をやっちまったな。不敬罪で処刑されてもおかしくないが、そのままでいいって許してくれた」

 成程。それなら親しい友人のように見えても不思議はないだろう。礼儀正しい姿しか知らない私が、初めて見た気安い姿は、とても楽しそうだった。


「後宮より、婚約者の所がいいんじゃないか?」

「今日は六省の御前会議に参加していると聞いています」

「ほー。俺のそっくりさんは、俺と違って相当頭が良い奴なんだな」


「カリンは何で、こんな裏道歩いてたんだ? 可愛い子ちゃんが一人で歩いて良い所じゃねーぞ」

「そ、それは……ルーアン……いえ、婚約者に呼び出されたと私が勘違いして、来てしまっただけで……」

(リュウゼンに騙された……というより、私が誤解して失敗した。これからは気を付けないと)


「貴方は何故、この裏道を通りがかったのですか?」

「いやー、俺は黙ってると色男だから、女官と侍女に大人気でな。この時間だと食い物渡されて面倒だから裏道通って食事処に行く途中だった」

「食べ物?」

「饅頭やら米の(ちまき)やらいろいろ。一人二人ならいいが、十人二十人となると食いきれん。食い物を粗末には出来んしな」

 苦笑しつつ、ロウは肩をすくめる。言動は粗野でも、性根は良い人なのだと思う。


 裏道を抜け、ロウと並んで人通りの多い道を歩いていると、ふとした瞬間に私を睨んでいる女官と目が合った。その手には竹で編まれた小さな籠。

(うわ……何か睨まれてる……)

 視線を逸らすと、外廊下の端で佇む別の侍女とも目が合った。こちらも強い視線で私を睨みつけている。そっと周囲に視線を動かすと、あちこちの女性と目が合った。


「マズいな……」

 ロウが小声で呟いた。

「え、えーっと、何がでしょうか?」

 歩きながら、私も小声で返す。


「たぶん何か妙な誤解をされてるな」

「……そのようですね。あ、あの、後宮まであと少しですから、ここからは一人で……」

「んなこと言うなよ。俺はケイゼンと約束しちまってる。途中で帰れねぇよ」

 私には護衛がいる……と思っても、以前も今回も、リュウゼンが相手ではどうしようもなかった。


「……お強いのですね」

「ん? ああ、リュウゼン倒したことか? あいつはきっと実戦を経験してないし、良い師に恵まれなかったんだろうな。強い神力はあっても背後は隙だらけだったから、子供でも倒せたと思うぞ」 


「ケイゼン様は、どうなるのでしょうか」

 私を庇って、リュウゼンを昏倒させたことになる。第三皇子が第一皇子に手を出したことで、何か罰が下されたりしないだろうか。

「心配ないない。ケイゼンは俺と違って頭が良いから、どうとでもするだろ。それより、カリンの今後だな」

「私の今後?」

「リュウゼンに狙われてるんだろ? 後宮内でも、あいつは入る資格があるからな」

 そうだった。皇子であるリュウゼンは、後宮に出入りできる。後宮内に籠っていても、安全とは言えなかった。


「カリンは、何か身を護る護符とか持ってないのか?」

「持っています。……体が動かなくて、使えませんでした」

 左手の腕輪か、胸元に手が届けば、防護魔法が発動できた。もしくはリュウゼンが私を殺すつもりだったなら自動で発動しただろう。ルーアンが常々、もっと簡単に発動できる護符を作ると言ってくれていたのに、忙しいルーアンの時間を奪うことが気になって、私はずっと遠慮していた。


「神力で体が動かなかった……か。……よし、それなら、これをやる」

 ロウが服の隠しから取り出したのは小さな布袋。その中から親指の爪二つ分ほどの小さな木片を取り出して、私に示した。両面に赤茶色の紋様が描かれている。

「拘束魔法を無効化する護符だ。一回限りだが、神力でも魔力でも効く」

「ありがとうございます。でも、頂けません」

 効果の高い護符は高価なもの。私はロウに何も返せない。

 

「まぁまぁ、そう言うなって。俺は新しく作ってもらう口実が出来て都合がいい」

「口実?」

「ああ。それを作ったのは俺の親友なんだ。最近、新しい護符を作ってくれないんだが、可愛い子ちゃんにあげたと言ったら、きっと喜んで新しい護符を作ってくれる」

 親友と口にしたロウの笑顔は優しくて、ルーアンの笑顔と重なる。


「いろいろ護符をもらってるが、全然使う機会がなくて宝の持ち腐れだ」

 ロウが袋の中身を手の上に出すと、様々な形状の護符があった。木片や紙片、宝玉が十個以上はある。

「驚いたか? 俺の親友は心配性でな」

 私も、ルーアンが作りたいという護符をすべて受け入れたら、ロウと同じことになるのかも。そう思うと、頬が緩む。


「やっぱ、カリンは笑ってる顔が一番可愛いな」

 堂々と言い切るロウの笑顔に戸惑いながら、私は護符を受け取った。


      ◆


 就寝時刻前の〝薬園の乙女〟の部屋は、ゆったりとした空気が流れている。木の床に並べて敷いた布団の上で、温かい花茶を飲みながら話をする者、布団に寝転がって流行りの絵を眺める者、肌や髪の手入れをする者、それぞれが思い思いに過ごしている。


「シュンレイ、今日は遅いね」

「そうねえ。消灯までに戻れるかしらねえ」

 シュンレイは他の侍女部屋に遊びに出かけていた。消灯後の後宮内は暗く、暗闇が怖いシュンレイは一人では歩けなくて、誰かの付き添いが必要になる。


「迎えに行くにしても、後宮は広すぎるからなぁ」

「まぁ、待つしかないわねえ。花茶はいかが?」

 ホンファが淹れてくれた温かい花茶を飲んでいると、シュンレイが勢いよく扉を開けて駆け寄ってきた。


「あ、おかえりー」

「ちょ! カリン! ルーアン捨てるのっ?」

 顔色を変えたシュンレイが放った言葉に驚いて、持っていた茶碗を落としそうになった。


「え? 捨てるって何?」

「噂になってるの! カリンがルーアンから、ロウっていう美形の武官に乗り替えるって!」

「えええええっ? そんなことないない! ロウとは話をしただけだから!」


「あ、違うんだ。……よかったー。もう、びっくりしちゃってー」

「あらあら、どうして、そんな噂になっているのかしらねえ」

 ホンファが苦笑しながら、シュンレイに花茶を淹れて手渡す。花茶を飲んで落ち着いたのか、シュンレイがほっと安堵の息を吐いた。


「何かねー、王宮の女官と侍女の間で噂になってるんだって。カリンがロウを(たぶら)かしたって」

「誑かした? 何それ、私、そんなことしてない!」

 後宮の門までロウに送ってもらったのは、二日前。出会った時を入れても、会ったのは二度だけ。それでどうやって誑かしたというのだろうか。


「あー、それじゃあ、ロウの片思いかー。何かね、今までは女官や侍女からの差し入れとか受け取ってくれてたんだけど、急に受け取らなくなったんだって。その理由が『好きな女が出来たから、受け取れない』って」

「その好きな女っていうのが、私なの?」

 ロウの告白は悪質な冗談だと思っていたし、私ははっきりと断った。おそらくはお腹がいっぱいになるから、適当な理由をつけて差し入れを断ったのだと思う。


「ロウは名前は言ってないけど、絶対カリンだって噂なの」

「絶対違うと思う……ロウの馬鹿馬鹿馬鹿……!」

 理由をつけるにしても、もっと選んでほしかった。げらげらと笑うロウの顔を思い出して、理不尽な怒りがこみあげてくる。


「カリン、早いうちにルーアンの所へ行って説明した方が良いわねえ。きっと心配しているわよ」

 ホンファの心配する声で我に返った私は、ルーアンにどう説明すればいいのかと頭を抱えた。

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