『我』とは
僕の名前は浅沼俊彦。現在高校受験に向けて日夜勉学に励む中学三年生だ。
これからお話しする物語は、読書大好き、ミステリー大好きの僕が出会った、小さな謎の物語。
季節は初夏。六月ももうすぐ終わり、今までの学校生活では、両手を上げて小躍りするくらい楽しみにしていた夏休みが、約一カ月後に迫っている。だけど、今年は初めて迎える受験に備え、勉強尽くしの毎日だ。きっと、夏休みなんて受験勉強でつまらないものになるんだろう。
土曜日の午後――今も僕は、そんな事を考えながら、クーラーが適度に効いた市立図書館で、参考書を睨みつけていた。
ハッキリ言って受験勉強は苦痛だ。実際僕自身、知識を得る事は嫌いじゃない。むしろ好きだ。でも、それは興味のある事だけ。今もこうやって県内有数の進学高校に合格する目的で、勉強をしてはいるが、その事に意味を見つけられずにいた。だから、本当に苦痛で仕方がない。
そうやって頬杖をつきながら、不満と一緒に愛用のペン回しをしていると、不意に聞こえてきた友人の声。
「よう、俊彦。暇か?」
振り返ればそこに、僕の数少ない友人の一人であり、クラスメイトの相川昇が満面の笑みを浮かべ、立っていた。清潔感のある外見と、飾りっけのない性格の昇は、僕と違って社交的で、クラスでも人気者だ。当然、友達も多い。
そんな昇とは小学校からの付き合いだ。思考と沈黙を嫌う行動派の昇だが、正反対の僕と、なぜか自然とウマが合った。ある本によると、人間は自分にない物を相手に求める事があるらしい。だから、僕は、昇に助けられているし、昇も僕を頼って来るのだと思う。でも、昇が僕を頼って来る時は、決まって頭を使った問題が多い。主だったものは宿題だが、時折、ミステリー好きな僕のためにと、つまらない謎解きを持ってくる事があった。そんな時は、変わらず今みたいな満面の笑みを浮かべているんだ。
性格上、図書館に進んでやって来る人間ではない昇が、笑顔でこの場所にいる。ということは……
どうやら、今日はその日らしい。
「暇じゃない……見ればわかるだろう? 受験勉強だよ」
「げ、まさか、もうこんな時期から?」
大袈裟に驚いて見せる昇。そんなに驚く事はないだろう? 失敗できない事に対して、準備はどれだけやっていても足りないはずだ。逆に、受験勉強に手を付けていない昇の方が不自然に思える。
「当然だろ。昇だって受験勉強でここに来たんだろう?」
違う事はわかっていた。でも、僕は今日、勉強をすると決めていたんだ。邪魔される訳にはいかない。
思った通り、昇は首を横に振り「俺、入れれば、高校なんてどこでも良いんだ」と笑った。それが僕には、面白くない。
僕は昇の夢を知っている。確かこの前、消防士になると、瞳を輝かせ言っていた。だから、採用試験の受験資格である高校卒業を取るために、高校に行くのだそうだ。明確な夢がある昇にとって高校というのは、ただの通過点なのだろう。
僕の場合は夢の選択肢を増やすために高校に行くのだと思っている。それは、今の僕に明確な夢がないからなのかも知れない。だけど、これが普通だろう? まだ皆、夢なんて漠然としていて昇の様に考えている奴なんていない。きっと昇だけが特別なんだ。でも、僕はそこまで明言できる昇が羨ましい。なぜなら、少なくとも勉強する理由があるからだ。
「だったら、何しに来たんだよ?」
「実はな……」
嫉妬を含んだ僕の言葉に、昇は満面の笑みを浮かべながら、ズボンのポケットに手を突っ込んだ。嗚呼、やっぱり……
「今日は何? この前みたいなゲームの謎解きは嫌だよ」
「さすが、ミス研。察しが良いな。今日は俊彦にこれを持ってきた」
そう言いながら昇は、参考書の上にポケットから取り出したしわしわの和紙を広げる。
「これは?」
「宝探し、やってみないか?」
的確な答えではなかった。でも、言いたい事はなんとなくわかる。この和紙は宝の地図で、その謎を僕に解いて欲しいのだと。
「宝探し? 漫画じゃあるまいし、今のご時世そんなものはありえないよ」
僕は、ひらひらと掌を振った。だけど、昇は諦めない。
「つれない事言うなって。じゃあ、見るだけ、見るだけで良いから。それが駄目なら、謎だけ解いて、教えてくれよ。それも無理なら、一緒に探してくれ。お願い、お願〜い」
両手を合わせて必至に懇願する姿に根負けした。と、言うより順序が逆な昇のお願いに気が抜け、受験勉強を続ける集中力が切れた。
まあ、実際、宝探しでなくとも気分転換には良い口実になるし、少し付き合ってみるか。
「わかったよ。ちょうど勉強にも飽きてきた所だし」
「お願いします。先生」
ニコッと前歯を見せた昇から視線を移すと、ほぼ正方形の和紙には墨で書かれた不思議な文字が規則正しく並んでいる。
内容は一字一句この通りだ。
『我は大空の覇者
我は導く者
我の隣に其れはある
其れを然るべき場所へと掲げよ
さすれば、自然と手に入る
金色に輝く宝
至宝の財産が』
「金色の宝ね……」
「どう? わかった?」
瞳を輝かせ、僕の顔を覗き込んでくる昇。僕だって万能じゃないんだ。そんなすぐに答えがわかるはずもない。だけど、これは今まで昇が持ってきた謎の中で最上級の逸品だ。実に興味深い。ほんの少し心が踊った。
和紙を参考書の上から机の上にスライドさせ、参考書を鞄に入れると、代わりにルーズリーフを取り出した。とりあえず和紙に書かれた文字をそのまま書き写す。
「わからない。今から考えるよ」
クルリとペンを回す。
「じゃあ、俺も」
そう言って昇は僕の隣に腰かける。ここからはいつもの流れだ。僕が探偵、昇が助手となってこの謎に挑んでいく。謎解きには雰囲気作りも大切な要素の一つだからね。
「まずは、この文章の言葉を一つずつ考えていこうか? 昇君」
「了解です。浅沼先生」
この文章の中でキーワードとなるのは『我』『其れ』『然るべき場所』。これらがわかれば自然と答えは導き出されるはずだ。だったら一つ一つ解明していこう。
「初めに『我』とは何だろうな……」
「先生。何ではなくて、誰ではないでしょうか?」
「昇君。こういった文章っていうのは擬人法で書かれる事が多いんだよ。それに『我の隣に其れはある』と書いてあるんだ。だったら基本的に『我』も『其れ』も自分では動く事が出来ない『物』ということさ」
「さすが、先生。素晴らしい推理です。では『我』とは……」
「それだけど、手掛かりが少なすぎるね。『大空の覇者』で『導く者』らしいけど……それだけじゃあ特定するのは難しい」
やはり、現実は推理小説の様にはいかない。推理小説というのは、読者に謎を解かせて楽しませる物だと僕は思っているし、実際そうだろう。だから、謎が提起されれば、その謎を解くためのヒントがさりげなく隠されているものだ。謎を解いて物語が先に進んでいくものであれば、なおさらだろう。
しかし、今回最初の謎――『我』には、『大空の覇者』と『導く者』という捉え所がたくさんある言葉しか掛かってこない。どうやら、そう簡単に先には進ませてはくれないみたいだ。ならば、本腰を入れて解読していくとしよう。
まずは『大空の覇者』――普通に考えれば鳥だろうな……でも、『我』は自分では動かない物だ。だったら、鳥の剥製か? しかし、剥製ならば結局、何が『我』か特定はできない。と、いうことは、鳥自体が『我』に関係してくるのだろう。
『大空の覇者』と称される鳥となればアレしかない。鳥の王者――イーグル。でも、それが『導く者』と、どう関係してくるんだ?
「『導く者』……案内する物? 看板? 標識? 地図? カーナビ?」
隣で昇が思いつく言葉を次々と上げていく。多少時勢が異なっている物が混じっているが、方向性は間違っていない。つまり、そういった物を指しているはずだ。
それに、こうやって言葉で上げるのも大切な事なんだ。そうしていると時折、不意に答えが浮かび上がってくる事があるからね。行き詰った謎を解読する上で結構有効な手法だと僕は思ってる。そのまま昇には『導く者』を羅列してもらうとして、僕はイーグルについて考えよう。
少しだけ前進したが、手掛かりは相変わらず少ない。他にないものだろうか? と、僕は書かれている文字が増えたりしない事がわかってはいても、自分が書き止めた文字ではなく、ついつい原文と睨めっこしてしまう。
何度見直しても、墨の文字は増えたりはしない。しかし、やってみるものだ。初めは見えなかったものが見えて来た。
しわしわの和紙――そこで見つけた大切な手掛かり。それは、薄っすらとだが、確実に自然に曲がったと考えるには不自然な直線の折り目。それが何本も走って複雑な図形を和紙に描いていた。
この直線群には心当たりがある。不意に、手先が器用だった昇が、小学校で先生に付けられたあだ名を思い出した。
頭の中で、僕の推理がパタパタと組み上がっていく。
よし、これで繋がった。『大空の覇者』も『導く者』も間違いなく『我』を示していたんだ。しかし、わかってしまえば実にくだらない。別に『大空の覇者』じゃなくても良かったんじゃないか……この謎を作った人間のセンスを疑うよ。
さて、くだらない作者へのダメ出しは最後で全てやるとして、昇に『我』を説明しようか。
「わかったよ、昇君。気が付けば簡単な事だ」