ここに君たちが集まるワケ
(一)
キーンコーンカーンコーン…………
ホームルームが終わると、教室内が一斉に騒がしくなる。
僕は机の中に入れていた教科書類をカバンに詰め、帰る準備を始める。
「なあ澄太、これから暇か?」
詰め終わった所で、友達の晃が声をかけてきた。
「うん、大丈夫だよ。ゲーセンにでも行く?」
僕と晃は入学式で知り合った仲だけれど、まるでずっと前から友達だったかのようにウマが合う。放課後何も用事がなければ、いつも一緒に遊んでいる。まあ遊ぶといっても大体はゲーセンだけれど。
「今日は部活ない日だよな?」
晃は帰宅部だけれど、僕は部活に入っている。ただ毎日活動しているわけじゃないので、行く日と行かなくてもいい日がある。
…………はずである。
「さ、行くと決まったら早く行こうよ」
僕はカバンを背負い、晃の背中を押して急かす。すると晃は一瞬苦笑いを浮かべ、自分のカバンを取りに席へと戻る。
その間に僕は先に出入り口へと移動する。
「晃〜。早く!」
「はいはい、判ってるよ〜」
晃は自分のカバンを背負い、こちらへとやってくる。
晃はスポーツ歴ナシと話しているが、何をしてもソツなくこなしてしまう。その上長身でイケ面だから、女子にはけっこうモテる。反対に僕は身長百六十あるかないかの眼鏡っ子。これで僕と晃はウマが合うのだから世の中不思議だ……。
「悪い悪い、待たせたな」
晃は僕に向かって手を合わせる。
「早く行こうよ、鬼の居ぬ間にね……」
僕はそう言いながら方向転換。廊下の方を向く。
すると……、
「誰が鬼ですって? んん!」
そこには鬼……もとい、長身黒髪の女性が……。
僕が所属する新聞部部長であり、一部で校内最恐と謳われるアッキーこと森華明歩先輩だった。
「ありゃ、遅かったな」
晃が僕の横で手を合わせる。ホント、もう遅いよ……。
「スミちゃん、緊急招集よ。大至急部室まで来なさい」
長身黒髪の先輩は、腕組みをしながらそう言い放つ。
「え、いや……、その……」
グイッ!
「あっ、いって!」
「ツベコベ言わずにちゃっちゃと来るべし!」
僕は先輩に耳を引っ張られ、無理やり廊下を引きずられる。
「ちょ、ちょっとアッキー先輩、痛いですって!」
「問答無用!」
すると先輩は僕の耳を掴んだまま廊下を走り出す。
「ぎゃああぁぁ!」
み、耳が千切れるって!
一転集中の激痛の中、こちらへ向かって手を合わせている晃の姿が、一瞬だけ見えた……。
(二)
僕の名前は小野澄太。羽音学院付属高校一年生。
背は低くて眼鏡っ子。また身体が華奢なので、中学時代のあだ名は「マッチ棒」や「ボールペン」といったヒドいもの……。どんなに頑張っても、身体は大きくならなかった。スポーツは中の下だし、食事もウサギくらいしか食べられない。まさにナチュラルボーンなもやしっ子なのだ。
でも、こんな僕にも夢があった。
それは日本一の新聞記者になること。
僕には元新聞記者のじいちゃんがいた。
僕のじいちゃんは敏腕政治記者として業界に名を馳せ、僕はそんなおじいちゃんを幼い頃からずっと憧れていた。
そして僕もいつしか新聞記者になりたいと思うようになり、高校に入学して部活を選ぶ際、迷うことなく新聞部の門を叩いた。
その時、僕は知らなかったんだ。
この学校の新聞部は、ちょっと、否だいぶ変わっているということを。
「ほら、入った入った!」
「イテテ!」
アッキー先輩は僕の耳を引っ張ったまま、部室のドアを乱暴に開ける。四畳半程の部室には誰もおらず、テーブルや床はフィルムや新聞の切り抜きで埋め尽くされている。
「スミちゃん、テーブル片して!」
ようやく僕の耳が解放された。耳たぶがジンジンする。
「か、片してって、これ全部アッキー先輩の仕業でしょ?」
昨日キレイに掃除したはずなのに、どうやったら一日でここまで散らかせるんだ?
「ツベコベ言わず、ちゃっちゃとやる!」
アッキー先輩は僕に雑巾を投げつけてくる。思いっきり顔面めがけて……。
「もう、たまにはちゃんと片付けてくださいよ〜」
僕はブツブツ文句を言いながらテーブルの上を片付ける。この先輩はやれと言われてやるような人じゃない。
「ほら文句たれてるくらいなら、ちゃっちゃと手を動かして!」
事実先輩は腕を組んで仁王立ち。まるで監視員だ。
一見したら校内で一、二を争うルックスとスタイルの持ち主なのに、全く性格が非常に残念な人だ。
この「残念な美女」、森華明歩先輩は僕より一つ上。僕はアッキー先輩と呼んでいるが、これは本人からの指示でこう呼ばさせられている。理由はよく判らないが、本人が本名で呼ばれることを嫌っているのだ。
ゲスッ!
「いって!」
突然アッキー先輩の足が僕のお尻に飛んできた。何故だ……?
「ほら、もういいわよ。雑巾片付けてきて」
どうやらキックは掃除終了の合図だったようだ。
「アッキー先輩、もっと優しくしてくださいよ」
もう僕は涙目ですよ……。
ゲスッ!
「いって! 二発目!」
「これくらい?」
「そ、そういう問題じゃありません。そんなキョトンとした顔で訊ねてこないで下さい」
そもそも何で蹴りがコミュニケーションツールになってるんだこの先輩は?
僕はそんなことを考えながら、部室の水道で雑巾を洗う。先輩は椅子に座り僕を待っている。
「ほ〜ら早く!」
先輩は鋭い目付きで僕を急かす。早くしないとまた足蹴にされそうだったので、雑巾はもうテキトーに洗って置いておく。そして僕はハンカチで手を拭き、先輩の向かい側に座った。
「で、今日は何なんですか?」
実を言うとこういうシチュエーションは初めてじゃない。僕が新聞部に入ってからこういうことは何度もあった。
こういう時の先輩は決まっている。またしょうもない新聞のネタを拾ってきたのだ。
「スミちゃん、これを見て頂戴」
すると先輩はカバンの中から一枚の写真を取り出した。
「何ですかこれ?」
僕は写真を手に取ってみる。写真はどこかの廃墟のような所で、数匹の猫ちゃんが写っていた。
「猫……ですか?」
すると先輩は僕の手から写真を取り上げる。
「そう、猫よ。これどこか判る?」
「さあ、これだけじゃさっぱり」
僕は首を傾げ、両手を広げる。この写真一枚だけで場所の特定なんてできるわけない。
すると先輩はニヤッと笑う。
この時、僕は背中がゾクッとするのを感じた。ああ、たまらなく嫌な予感がする。
そもそも先輩が今まで何の考えもなしにネタを持ち込んでくることなんてなかった。
絶対に何かを企み、そしてそれを僕に実行させようとしている!
「で、どこなんですか?」
僕は恐る恐る訊ねてみる。すると先輩は写真を僕の方へと向ける。
「これは羽音ヶ丘の西側。学校から歩いて十分程度の所よ」
羽音ヶ丘……羽音市の山林を切り開いてできた新興住宅地の通称で、その中心には羽音学院大学があり、その隣に僕らの通う付属高校がある。また新興住宅地といっても緑が多く、特に西側はあまり造成されておらず雑木林が手付かずで残っている。
「で……、僕にこれを一体どうしろと言うんですか?」
勿論これだけでは先輩が一体何を企んでいるのか知る由もない。もうここまで来たら乗りかかった(無理矢理乗せられた)船だ。
「この猫たちよ」
先輩は写真をテーブルの上に置く。そして写真に写る猫ちゃんたちを指し示す。
「ここの廃墟はね、もう何年も人が住んでいないの。なのに猫が自然とどこからともなく集まって来る。近所じゃ化け猫屋敷なんて言われているらしいわ。因みに猫は老若男女数十匹よ」
ここで僕はピンとくる。
「それで、どうしてこの猫たちがここに集まってくるのかを調べてこいと……そういうことですね?」
「そういうこと」
僕は再び写真を手に取る。僕がアッキー先輩と知り合ってもう半年、ようやく先輩の思考回路の一端を理解することができていた。
でもその全てを理解することは、永遠に不可能なんだろうな……。
「じゃ、早速行ってきてね。はい、これが廃墟の地図」
先輩は一枚のメモを僕に手渡してきた。そこには学校から廃墟までの地図が「非常に簡潔に」描かれていた。
「え、今からですか?」
その時、先輩の眼光が鋭くなる。
「あら、口答え?」
ダン!
先輩は座った状態で片足をテーブルの上へ強烈な踵落としを放つ。その姿はまるで闇金の取立屋だ……。
この先輩の行動、それはこれ以上意見すると、マジ蹴りが飛んでくるという合図。
因みにこの時、先輩のパンツが丸見えなのは永遠の絶対の秘密だ……。
こうなってしまった以上、もう僕に拒否権なんかない。
「わ、わかりました……」
(三)
西の空が赤く染まり始めた頃、僕は静かな住宅街の中を一人歩く。
僕はアッキー先輩から渡された、非常に簡潔に描かれた地図と睨めっこ。この地図だけ見ていると、現在位置が全く判らなくなる。何度か通りがかった道だからいいものの、もしここが初めて来た場所だったなら、僕は間違いなく「遭難」していただろう。はっきり言ってこの地図は全然役に立たたない代物だ。
でも陽が暮れてしまっては今日中に調査はできない。そんなことになればアッキー先輩からどんな仕打ちを受けるか、考えただけでも背筋が寒くなる。ちょっと恥ずかしいが、仕方なく聞き込みを行うことにした。
「あの、すみません。ちょっとよろしいですか?」
僕は犬の散歩中のおばちゃんに勇気を出して声をかけてみる。声をかけられたおばちゃんはキョトンとした表情。
「この辺りで野良猫がいっぱい集まる場所を探しているんですが、お心当たりございますか?」
するとおばちゃんは少し考え込み……、
「さあちょっと判らないわねぇ。あたしこの辺の人間じゃないんでね……」
そしておばちゃんは苦笑いを浮かべながら、この場を去っていった。
ワンワンワン!
去り際、犬に吠えられた……。
「はぁ〜、空振りか……」
でもまだ一発目だ。気を取り直していこう!
その後僕は道で数人の方々とすれ違い、先程と同様の質問をする。しかし、答えも同様に判らないというものだった。
「はぁ〜……、本当にそんな場所あるのかな? またガセじゃないのかな〜?」
正直アッキー先輩が持ち込んでくるネタはけっこうアヤシいものが多いからな。
「もうこうなったら足で探すしかないかな」
僕は再びアッキー先輩の描いた地図を開く。地域は限定されているから、しらみ潰しに探せない範囲じゃない。
「そういえば、確か向こうにこの地区の案内板があったよな」
僕は道の途中で見つけた案内板の所まで戻る。案内板といっても狭域の住宅地図だが何かの参考にはなるかもしれない。
僕は案内板に描かれた地図と、アッキー先輩の地図とを合わせてみる。
するとある場所が僕の目にとまる。
「もしかして、ここかな……」
僕はアッキー先輩の地図が合っていることを前提として重ね合わせると、案内板の端っこにある名前の書かれていない区画に行き着いた。
「よ〜し、イチかバチか行ってみよう」
僕は案内板で現在位置を確認し、その場所へ行ってみることにした。
アッキー先輩はこの地図を自信満々で作っていると思うので、今の発言を聞かれたら間違いなく蹴りが飛んでくるだろう……。
(四)
「ここ……?」
僕は案内板とアッキー先輩の地図を頼りに目的地へと向かった。もう大分陽が暮れてカラスがカーカーと鳴いている。
そして行き着いたのが、閑静な住宅街の中にまるで離れ小島のように残る雑木林であった。
見た感じ周囲にフェンスは立っていないが、野良猫に餌を与えることを禁止する古い看板が掲げられている。僕は意を決し恐る恐る雑木林の中へ足を踏み入れた。
「うぇ、暗い……」
僕は道なき道を奥へと進む。もう夕方であるということもあり、雑木林には殆ど光が差し込んでこない。まるで真夜中のようだ。
「これだけ暗いと、不意打ちを喰らったらひとたまりもないな」
そしてそんな不意打ちを喰らわしてきそうな人物は……一人しか思い浮かんでこなかった……。
しばらく雑木林の中を進んでいくと、奥に何かが見えてきて、僕はそちらの方へと向かう。途中かなり険しい道があったが、そこは何とかして潜り抜ける。
何故そこまでするか?
アッキー先輩のお仕置きが怖いからに他ならない……。
難所を潜り抜けると、そこで雑木林が途切れ、少し開けた場所に出た。
すると目の前には……、
「これかな、先輩の言っていた廃墟って……」
もう人が離れて何十年も経っているのであろう。蔦や草木に覆われ朽ち果てた一軒の家屋があった。
そして……、
ニャー、ニャー……
突然の来訪者に驚き、警戒して身構える数匹の猫ちゃんたちの姿があった。
僕は廃墟に向けて一歩踏み出す。
すると……、
ササッ
突然の来訪に警戒したのか、僕の視界から猫ちゃんの姿が一瞬にして消える。
まあ野良猫なんてこんなものか、なかなか人に懐かないよな。
「さて、とりあえず廃墟を調べてみよっかな」
まず僕は廃墟の周りを調べてみることにする。
廃墟が荒れ放題なのだから、その周囲も当然荒れ放題。雑草や落ち葉で地面は埋め尽くされており、どこに足を持っていっていいか戸惑うほど。僕は足元に注意を払いながら歩く。
とりあえず廃墟の周りをぐるっと一周してみる。廃墟は平屋で大した規模ではない。そして僕が廃墟の前に出てきた位置からちょうど反対側に裏庭らしき場所があり、そこには縁側と物干し台の跡があった。
裏庭も例に漏れず大分荒れ果てた様子であったが、その中で一つ目を引くものが端っこにあった。大きなクヌギの木だ。
「あれ、あそこにも猫ちゃんがいっぱい」
クヌギの木の周りにも猫ちゃんが数匹佇んでいる。僕が近づくと今まで寛いでいる様子だったのが、サッと一斉に身構える。ここの猫ちゃんたちは僕に対して警戒はするものの、この場から去ろうとはしなかった。
僕はクヌギの木へと近づく。この季節ドングリが落ちていても不思議ではないが、猫ちゃんたちが食べてしまったのか全然見当たらない。クヌギの木の下に落ちているのは落ち葉とゴミの数々だ。
「誰だよこんな所まで来てゴミ捨てていくの……」
子供が捨てたのかゴミの中にはスナック菓子の袋やアイスの棒等も混ざっている。まあこんな場所、近所の子供の秘密基地になっていてもおかしくはないか。
ゴミは汚そうなので触らないでおこう……。
「さて、次は廃墟の中かな」
僕は廃墟の方へと振り返る。縁側の雨戸は外れており、ここから中に入れそうだ。
もう大分暗くなってきているので、正直ちょっと怖い。でも今日中に一応の調査を終えておかないと、もっと怖い目が待っている。ここは意を決しなければ。
僕は頬を二回パンパンと叩き、気合を入れる。
「よし行くぞ!」
僕は勇気を奮い立たせ、腐りかけた縁側に足をかける。
その時だった!
ガタン!
「ひぇっ!」
突然廃墟の中から物音が聞こえた。僕は足を引っ込め、思わずその場にしゃがみ込んでしまった。
「な、何だ? 猫ちゃんか?」
僕は恐る恐る縁側の向こうを凝視する。しかし暗くてよく判らない。
もしかして猫ちゃんが中で動いた拍子に何か倒れたのか?
僕は立ち上がり、縁側に手をかけ中を覗いてみる。
その時!
パシャッ!
「うわっ!」
突然暗闇が光に包まれ、驚いた僕はその場に尻餅をついてしまう。
「な、なななな、何だぁ?」
予想外の出来事に僕は尻餅をついたまま、後ろへと下がる。
な、何だ? 猫じゃないのか?
何がこの廃墟に潜んでいるんだ?
幽霊? 妖怪? それとも宇宙人?
一刻も早く逃げ出したいけれど……、
こ、腰が抜けた。な、情けない……。
すると再び廃墟の中からガタンと物音。
な、何かがこちらへと近づいていくる!
そして現れたのは!
「ん、何だ?」
僕の姿を見てキョトンとした顔をする、一人の男性だった。
(五)
「君は、付属の子?」
男性と目が合う。二十歳くらいだろうか、黒いジーパンにベージュのジャケットで、手には一眼レフを抱えていた。恐らくこれがさっきの光の主なのだろう。
「大丈夫かな?」
男性はこちらへと降りてきて僕に向かって手を差し出す。僕は恐る恐るその手を握る。
「立てる?」
僕は頷き、この男性の手を借りて立ち上がった。何かまだお尻がジンジンする……。
「あ、ありがとうございます……」
僕が会釈をすると男性はニコッ笑う。とりあえず悪い人じゃなさそうだ。
「制服汚れちゃっているけれど、大丈夫かな?」
制服を見下ろしてみると、ズボンが土と落ち葉に塗れている。僕は慌ててそれらを払った。
「と、とりあえず、大丈夫です」
「そっか、それはよかった」
男性はそう言いながら人差し指でポリポリと頭を掻く。
少し落ち着いてきた僕は、今一番の疑問を男性にぶつけてみる。
「あの、こんな所で何してるんですか?」
すると今度は五本の指で頭を掻く。頭が痒いのだろうか?
「いやぁ、ハハハ。それは多分君と同じだよ」
僕と同じ? ということは……。
「この廃墟について調べているんですか?」
すると男性は楽しそうな表情で頷いた。
「そ。前々から噂は聞いていたんだけれど、つい真相を知りたくなってきてね」
男性はカメラを掲げてそう話す。そして男性は振り返り、廃墟に向けてシャッターを切る。その瞬間、フラッシュで周りが明るくなる。
「君は、何か判ったことある?」
男性は僕に背を向けた状態で訊ねてくる。僕は天邪鬼にも無言で首だけ振ってみせる。
「そっか、そっちは収穫ナシってわけか」
え、今ので判るんすか?
「今来たばかりなんですよ。これからこの中を調査しようと思ってたところです」
すると男性は振り返った。
「もうやめておいたほうがいい。中は明かりもないし時間も遅いから真っ暗だぞ。下手に動いたら腐った床に足をとられて怪我するぞ」
僕は思わず空を眺める。さっきまで赤く染まっていた空が藍色に染まっていた。もう日没、タイムリミットか……。
「悪いことは言わない、今日のところは出直したほうがいいよ」
男性に念を押され、僕は大きなため息とともに首を縦に振った。
そして僕は男性と一緒に廃墟のある雑木林を後にすることにした。
帰り道は行きよりさらに真っ暗で、一人では足がすくんでしまっていただろう。
一緒でよかった……。
別れ際、僕は男性に名前を聞いた。
男性の名前は新谷といい、羽音学院大学の学生で写真部に所属しているらしい。
その後僕はすっかり暗くなった道を歩き帰途についた。
(六)
翌朝……、
僕は登校前に再び廃墟を訪れていた。
昨日は日没により結局中の様子を調べることはできなかった。こんな中途半端な内容ではアッキー先輩に何を言われるか判らない。
こういうことは初めてじゃない。
その度に友人の晃から何でそこまでやるんだと訊ねられるが、それは当然アッキー先輩のお仕置きが怖いから。
あの人に一度関わってしまったら最後、もう逃れることはできないということを、もっと早くに知っておくべきだった……。
僕は朝露に濡れた地面を踏みしめて昨日訪れた雑木林の中へと入る。
そして程なく例の廃墟が姿を見せる。この日の朝は少しモヤがかかっており、廃墟はまるで古代遺跡のように霞んでいた。
「よーし、ちゃっちゃと調べるか」
何か先輩の口癖うつってきちゃってるかな?
そんなことを考えながら僕は廃墟へ向けて一歩を踏み出す。
その時!
ゲスッ!
「うわっ!」
突如、僕のお尻に何かがぶつかったような衝撃が走った。僕はその衝撃にバランスを崩しカッコ悪く前のめりにすっ転んでしまった。
「こんな朝っぱらに何やってんのよ」
衝撃で目がチカチカする僕の耳に、聞き覚えのある女性の声が聞こえた。
振り返らなくても判る……。
「ア、アッキー先輩……」
後ろを向くと、そこには腕を組んで仁王立ちのアッキー先輩がいた。
さっきの衝撃は、アッキー先輩が僕のことを蹴ったからだ。
そうだ、僕のことを蹴ったんだ……。
僕はお尻とお腹を押さえながら立ち上がる。
ああ、制服がドロドロになっちゃったよ……。
ゲシッ!
「ぎゃん!」
正面を向いた瞬間、太ももにアッキー先輩の右足がとんできた。
「スミちゃん、朝の挨拶は?」
「お、おはようございます……」
後輩への指示を蹴りで行わないで下さい、お願いだから……。
「で、アッキー先輩、こんな所で何やってんですか?」
僕は一歩後ろへ下がり、先輩に訊ねる。もう同じ轍は踏まないぞ!
「何って、廃墟の調査に決まってるでしょ。スミちゃんだけじゃ心配だから来たのよ」
先輩は呆れたような表情で答える。
「そういうスミちゃんも何やってんのよ? 昨日調査したんじゃなかったの?」
「昨日は調査中に日没になって途中で打ち切ったんですよ。今朝はその続きです」
僕は身体中についた泥や落ち葉を払う。何か昨日もこんなことやったよな。
ゲスン!
「いでっ!」
本日三度目、理由不明の蹴りがとんできた。
「全く、見かけ通りのヘタレなんだから、男だったら徹夜で調査なさいよ」
「こんな所で一夜を過ごしたら、僕は恐怖で灰になっちゃいますよ!」
真っ暗な廃墟に何十匹の猫……、とても一晩なんていられない。ホント無茶をいう先輩だ……。
「もう! 口答えするなんてホント男らしくないわねぇ。ほらちゃっちゃと調査するわよ。昨日どこまで調べたのよ?」
先輩は腕を組みながら廃墟の方へと近付いていく。
「廃墟の周りは大体調べました。後は廃墟の中ですね」
すると先輩は躊躇することなく廃墟の中へ入っていく。
「ちょ、ちょっと、アッキー先輩……」
「ほら、ちゃっちゃと来る!」
………………
この人に怖いものってあるのだろうか?
サササッ…………
僕たちが廃墟の中へ足を踏み入れると、まだお休み中だった猫ちゃんたちが慌てて飛び出していく。快眠を邪魔したみたいで何だか悪いなあ……。
朝とはいえ光が届かないの廃墟の中は薄暗い。それでもアッキー先輩はズカズカと奥へと進んでいく。僕は足元を気にしながらそんなアッキー先輩を追っていく。
先輩は廃墟内の部屋を大雑把に確認。
「しかし、きったないわね〜」
「まあ、廃墟ですから」
廃墟の中は崩れた天井や抜けた床などが目に付くが、それ以上に猫ちゃんの糞尿の臭いがとてもキツく思わず口元を押さえてしまう程。正直言ってあまり長い時間いたくないカンジだ……。
「中は和室らしき部屋が二つに台所、あとはトイレと風呂場。二DKってわけね」
先輩は腕を組みながら状況を確認。さすがの先輩も臭いが堪えるのか、口元は押さえていないものの眉間に皺が寄っている。
「ここの住人を特定できるものってないかしら? スミちゃん探すわよ」
すると先輩はどこからともなく軍手を取り出し、床に落ちている物を漁り始める。
僕も地面に落ちている物を一つ一つ凝視していく。落ちているのは大体は廃材とゴミ。何でお菓子の袋なんかがここに落ちているんだ?
「ここは私が見るから、スミちゃんは押入れの方を見てちょうだい」
「あ、はい。判りました」
僕は腐った畳を踏みしめながら、和室らしき部屋へと移動。そして襖がボロボロになった押入れの前に立つ。
正直、この襖を開けるのはとても怖い。何かの屍骸かあった日にゃ、僕は最低三ヶ月は夜眠れなくなるだろう。
僕は恐る恐る襖に手をかけ、目を閉じてそ〜っと引いてみた。
襖が動かなくなるところまで引くと、僕は目を開けてみる。最初は薄目で徐々に焦点を合わせる。
そしてそこで僕が見たものは……。
「空っぽだ……」
押入れの中には何もなかった。僕は他の襖も開けてみるが、やはりどこの押し入れももぬけの殻であった。
「アッキー先輩、こっちには何もないですね」
僕は開けた襖を全て閉め、先輩の元へと戻る。
「そう。こっちも特に見当たらないわね」
先輩は腕を組んで考え込む。先輩の方も収穫ゼロのようだ。
「どうします?」
僕の問いかけに先輩は無言。真剣に悩んでいるようだ。
廃墟の中が静寂に包まれる。
すると……、
ニャー ニャー……
猫ちゃんたちの鳴き声が聞こえ始める。一匹や二匹じゃない。少なくとも十匹はこの廃墟の中に潜んでいる。
それもあまり好意的な鳴き声じゃない。明らかに警戒、威嚇している声だ。
「私たち、あまり歓迎されていないみたいね」
そりゃ朝っぱらかズカズカとやってきたのだ。好意的に接してくれるわけがない。
先輩は腕時計に視線を落とす。
「スミちゃん、一旦退散しましょうか。これ以上いても良い方へ向きそうにないわね。別の角度からアプローチしてみましょう」
先輩の提案に、僕は無言で何度も頷く。僕の精神力は臭いと恐怖でもう限界にきていた。
そして僕たちは廃墟を後にした。去り際、先輩は廃墟のほうへと振り返る。
その目はマジだった……。
(七)
キーンコーンカーンコーン……
授業の時間はあっという間に過ぎ去る。別に授業が好きというわけではないが、少なくともこの間は何事もなく平穏に過ごせる。
裏を返せば、何事か起こるのは決まって終業直後ということ。
ホームルームが終わり教室内が一斉にざわつき始めた頃、友人の晃がこちらへとやってきた。
「おい、もう来てるぞ」
晃は自分の背中の後ろを指差す。
判っている、そこにアッキー先輩がいるんだろう。
でも僕はそちらに視線を送らない。目が合ったら僕は石にされる。
「スミ、どうすんだ?」
晃は半笑いで訊ねてくる。明らかに他人事の様子だ。
「どうするも何も、待っているんじゃ逃げ場はないでしょ」
ていうか、うちのクラスは今ホームルームが終わったところなのに、何で既に準備万端で待ち伏せているんだよこの先輩は? ちゃんと授業出ているのか?
「お、今日は諦めが早いな」
確かに人間諦めが肝心だ。
ていうか、お前もニヤニヤしてんじゃねーよ!
「ったく他人事だと思ってさ!」
僕は晃に対し恨み節。晃はこれから楽しい楽しい自由時間。逆に僕はこれから先輩に訳も判らず連れまわされる身だ……。
「ま、せーぜー頑張ってこいや」
晃は笑いながら出口へと向かう。僕もそれを追って出口へと向かう。
そして当然のことながら、ドアのところで待ち伏せていた先輩に捕まる。
「はい、今日は何ですか?」
すると、
ゲシッ!
「いでっ!」
早くも蹴りがとんできた!
「アンタ鶏頭? 廃墟のことに決まってるでしょうが!」
「そ、それは判ってますってば。どうアプローチするかって話ですよ!」
ゲスッ!
「あだっ!」
「口答えしない!」
いきなりの尻への二連発に僕は言葉を失う。
辺りを見回すと、クラスメイトたちはこの光景を見て完全に引いていた……。
「ったくもう……。スミちゃんこれから市立図書館に行くわよ」
「え、市立図書館っすか? 何でまた……」
ギュイッ
「イデデデ!」
言い終わる前に耳を引っ張られる。まさに問答無用だ……。
「つべこべ言わずにちゃっちゃと来る!」
そして先輩はその状態で僕を引きずっていく。
「じゃあな〜」
そんな姿を、晃は笑顔で手を振って見送る。
何で助けてくれない! こ、この薄情者!
「あっ、ついでにアンタも来なさい!」
「え? イデデデデデ!」
先輩は右手を僕の耳を、左手で晃の耳を引っ張る。
引きずられていく間、明日僕たちの耳はちゃんと二つあるのだろうか? と本気で考えてしまった……。
その後僕たちの耳は昇降口で解放された。
解放された瞬間、僕と晃はお互いの耳がちゃんとくっついていることを確認。晃はマジで泣いていた……。
そして僕たちは先輩と共に、学校から自転車で十分程の所にある市立図書館へと向かった。この時僕たちはまだ何故図書館に連れて行かれるのかを知らない。
まあ例の廃墟のことで間違いはないんだろうけれど。
図書館に到着してからも先輩は理由を話さない。晃も僕と同じ思いのようで、視線をこちらへ向けてくるが、僕も何が何やらさっぱりなのでしかめっ面を作っておく。
だったら直接訊ねてみろって話なのだが、さっきの二の舞になる可能性大なのでここは黙っておく。
晃も意外とヘタレだ……。
「二人ともこっちへ来て」
図書館の中へ入ると、先輩が僕たちをある場所へと誘導する。言われるがままついていくと、司書係へと辿りついた。
先輩は司書の方に何やら話しかける。すると司書の方は席を立ち上がり奥へと消えていく。
そして五分後、司書の方は大量の大型本を台車に載せて戻ってきた。
「これがご依頼されていた過去二十年分の羽音市の住宅地図です。確認の方お願いします」
先輩は前屈みになり、台車に載せられた本の表紙を一つ一つ確認する。
「はい、これでオッケーです。ありがとうございます」
「そうですか。見終わったら、また声をかけて下さいね」
司書の方はにこやかそう話し、再び奥へと消えて行った。
「さ、これを向こうまで運んで」
地図の山を見た晃は、再び僕の方へ視線を送ってくる。その表情からして何が何やらさっぱりわけワカメという様子。
でもこの地図の山を見て、僕は先輩の意図することが何となく理解できた。
「過去の住宅地図を調べて、廃墟の住人が誰かを確認するというわけですか、アッキー先輩」
すると先輩はニヤッ笑う。
「スミちゃん、すこ〜しは成長してるみたいね〜」
先輩は僕の頭をいい子いい子するようにポンポンと叩く。
バシッ!
最後の一発だけは絶対に暴力だ。痛い……。
僕たちは住宅地図が載せられた台車を押して閲覧室へ移動。図書館内、三人がかりで台車を押す光景……、周囲の来館者は皆揃って目を丸くしていた。
何か罰ゲームをやらされているみたいで、ちょっと恥ずかしい。晃も同じなのか、運んでいる間ずっと顔を伏せていた。
閲覧室に到着すると、僕と晃は先輩の指示により住宅地図を机の上に移動させた。
「で、どこから調べます?」
「そうね、新しいものから順番に見ていきましょう。スミちゃん、広げてみせてちょうだい」
僕は机の上に積まれた地図を新しいものから順番に並べかえ、最新の地図を広げる。
「ええと、羽音ヶ丘は……このページかな」
僕は目次から廃墟周辺の住宅地図をピックアップ。そして廃墟の住所と照らし合わせてみる。
「スミ、ここじゃないか?」
僕より先に晃がお目当ての場所を見つける。
しかしその住所の所には番地の番号が記されてあるだけで、何も書かれていなかった。
まあ廃墟なんだから当たり前の話か……。
「じゃあ時代を遡ってみましょうか。手分けして調べるわよ」
先輩は持ってきた地図を僕と晃に分ける。目の前に積まれた地図を見た晃はため息。
まあその気持ちは判る。痛いほど判る……。
「さあ、ちゃっちゃと調べるわよ!」
もうここまできて、イヤとは言えないんだろうなぁ、色々と……。
僕たちは手分けして地図と睨めっこすることとなった。地図自体は大きいのだが文字が小さいので目は疲れるし肩を凝るはで地味に重労働だな。
そして手分けして調べ始めて三十分後、遂に晃の調べていた地図の住所に名前が載っていた。
「ええと、山元……三郎。それいつの住宅地図?」
先輩の問いかけに、晃は地図の表紙を確認。今から十五年前のものだ。
「スミちゃん、十五年前以前の地図を確認してみて」
僕は晃の持っている地図以前のものをかき集める。そして確認したところ、どの地図にも廃墟のある住所には山元三郎という名前が記されていた。
僕たちは顔を合わせる。
「あの廃墟の持ち主、この人で間違いないみたいですね」
すると先輩はうんうんと頷く。
「まず間違いないみたいね。ま、念のためこれ以降の地図も全部確認しておきましょうか」
確認するといっても、未確認の住宅地図はもう二冊しかない。それを僕と晃で確認する。
「あれ?」
僕の方は他の多数と同じく何も書かれていなかったが、晃の方はちょっと違っている様子。僕は晃の横から地図を覗き込んでみた。
「羽音学園建設予定地……って、何だこりゃ?」
僕は前後の地図を再度確認してみるが、そこにはやはり何も書かれていない。建設予定地ってどういうことだ? 何でこの年の地図にだけこんな記述が……。
「あ〜あ、なるほど」
混乱する僕と晃だったが、先輩一人だけ合点がいっている様子だった。
「アッキー先輩、何か知っているんですか?」
すると先輩はその地図を手に持つ。
「今私たちが通っている付属高校あるでしょ。あれって最初は今の場所に建つ予定じゃなかったのよ」
「え、ということは、元々の建設予定地ってあの廃墟周辺だったんですか?」
「そういうこと、ほら見てみなさい。予定地って書かれてあるのはここだけじゃないでしょ?」
僕と晃は再度地図を確認。すると確かに建設予定地の記述が、かなり広範囲になされていることに気付いた。
「ホントだ……。でも何で急に場所が変わっちゃんだろう?」
「ああ、これよ、これ」
すると先輩は自分の頬に人差し指をあて、それを斜め下に降ろす。
「ああ、何か聞いたことあるな」
今のジェスチャーで晃は察したようだ。
「知ってるのか?」
「ああ、昔学園がこの辺りに学校を建設しようとして、地元の土地開発業者と土地売買の契約を交わしたんだけれど、後になってその業者が暴力団関係だったことが判ったんだ。」
「そう、しかも用地買収でかなり悪どい地上げを行ったらしく、それを知った学園側は地域住民の顰蹙を恐れて予定地を急遽変更したってわけ。業者には多額の手切れ金を渡したって話よ」
そうなんだ、そんなこと付属高校に通っているのに全然知らなかった……。
まあ逆に通っているからこそ、ある種「闇の部分」というものは気付き難いのかもしれない。
そして先輩は手に持っていた地図をパタンと閉じる。
「ま、そんなことはどうでもいいわ。廃墟の住人が判明したんだから、この住人である山元さんについてちゃっちゃと調べていくわよ〜!」
こうして猫の集まる廃墟について新しい手がかりを入手。僕たちはこの山元三郎なる人物について調査をすることとなった。
(八)
図書館を出てから、僕とアッキー先輩は廃墟の住人であった山元三郎さんについて調査を始めた。因みに晃は図書館を出てからいつの間にかいなくなっていた。それについて先輩はプリプリ怒っていたが、僕は晃の行動を理解する。僕が晃の立場だったなら、同じ行動を取っていただろう。
調べるといっても、廃墟で手がかりを掴めなかったのだから、もうそれこそしらみ潰しに探していくしかない。僕と先輩は廃墟周辺のお宅を一軒一軒訪問し聞き込みを行うこととなった。こういう時の先輩の行動力には頭が下がる……。
しかし住宅地図の情報が正しければ、山元さんがあの廃墟に住んでいたのは十数年も前。果たして覚えている人がいるのだろうか?
「さあ、覚えてないねえ」
「あの辺あまり通らないから……」
「五年前に引っ越してきた所だから判んないわ」
事実多くのお宅はこういった答え。また僕たちの訪問に快く応対してくれないお宅もあったりで、調査は難航した。
手がかりを掴めず、正直僕の心はポッキリ折れてしまっていたが、先輩は違った。その目はギラギラと輝き、次から次へと移動し、玄関のチャイムを鳴らす。もうついていくのがやっとだ……。
そしてもう陽が暮れようかという頃、やっとあるお宅で山元三郎さんについての話を聞くことができた。
そのお宅はかなり年代物の文化住宅。新興住宅地の中にあってその建物はかなり浮いていた。そんな文化住宅の一室に住む三波さんという御老人が、当時のことを僕たちに話してくれた。
「山元はワシの同級生でな、腕白モンの多かった同期生の中で唯一心の優しい奴じゃった。動物が好きで、犬や猫を何匹も飼っておったの。しかしそれが祟ったのか、生涯独り身じゃったの」
僕と先輩は三波さんの部屋に上がらせてもらい、山元さんについての話を聞く。時折三波さんの個人的な昔話に脱線することもあったが、僕たちはあえて突っ込みを入れなかった。
「山元さんがお亡くなりになる前って、どのようなご様子でしたか?」
三波さんの話が途切れたのを見計らい、アッキー先輩が訊ねる。先輩の問いに三波さんは少し顔をしかめるものの、当時のことを思い出しながら話してくれる。
「地域への恩返しやと言って、山元はこの辺のボランティア活動によう顔を出しておったよ。特に道路の掃除には力を入れていたみたいだ。あの当時は随分と荒れていたからな……」
「荒れていたとは?」
先輩はやや身を乗り出して訊ねる。
「丁度あの頃、この辺りは宅地造成や学校の建設で、ごっついダンプカーがひっきりなしに往来しておっての、粉塵や轢かれた犬猫の死骸で道路が随分と汚れてしもた。それらを率先して清掃したのが山元でな、亡くなる直前まで続けておったわ」
やっぱり、山元三郎さんが亡くなったのは例の学校建設計画の前後だったんだ。僕は三波さんの証言を一つ一つメモに残していく。これまでの情報を整理すると、山元三郎さんは「動物好きで生涯独身。亡くなる直前までボランティア活動に力を注いでいた」ということになる。
「しかしお前さんら、今更なんで山元のことなんか知りたいんじゃ? お前さんら山元の親戚か何かか?」
もう話すことが終わったのか、三波さんは腕組して僕らに訊ねてきた。まあ確かにそうだよな……。
「いえ、私たちは山元さんが以前に住んでいらしたお宅に、何故猫が集まるのかを調べているんです」
そういえば話を聞くばっかりで自分たちの目的について話していなかった。先輩は事の経緯を詳しく御老人に説明する。
すると三波さんの目がぱっと開かれる。
「ああ、あれね。あれはワシらの同級生のキエさんが餌をやっていたからじゃよ」
「「ええっ?」」
三波さんは笑いながら軽〜く答える。
そして僕と先輩は口あんぐり。
あれだけ苦労して調査した末の急展開であった……。
(九)
「スミちゃん、この辺じゃない?」
「三号棟の七〇三……。ここですね」
翌日、僕たちは学校から自転車で十分くらいの所にある市営団地にいた。
僕たちは三波さんから廃墟で猫ちゃんたちに餌をあげていたというキエさんについての情報を入手。
僕たちはそのキエさんにコンタクトを取ろうと思ったが、三波さんによるとキエさんは残念ながら五年前に亡くなっていた。しかし娘夫婦が市内の団地に住んでいるとのことで、三波さんの協力によりキエさんの娘さんにお話を伺うことができたのだ。
そして早速次の日の学校終わりに、自宅を訪問させてもらうこととなったのだった。
「スミちゃん、キエさんの娘さんとこの苗字何だったっけ?」
「名取さんです。先輩、覚えておいてくださいよ〜」
ゲシッ!
「いでっ!」
今のは失言! と思った時はもう遅かった……。
「七〇三、名取……。先輩、ここです」
最近壁を塗り直した感のある団地の廊下、部屋番号を一つ一つ確認しながら歩く。そして端っこの方に目的の部屋はあった。
「じゃ、ちゃっちゃといきましょうか」
先輩がチャイムを鳴らす。すると待ち構えていたかのように、すぐ扉が開いた。
「はい……」
出てきたのは五十代後半と思われる太目のオバチャンだった。
「あの、名取さんですか? 僕たち羽音学院付属高校の者で……」
「ああ昨日三波のおじいちゃんから連絡のあった子たちね。いらっしゃい、さ、どうぞ」
どうやらこのオバチャンがキエさんの娘さんのようだ。事情は事前に三波さんから伝えてもらっているので、笑顔で僕たちを迎え入れてくれた。
居間へと通された僕たちは卓袱台の前に座る。小ギレイだった団地の外観とは打って変わり、部屋の中は相当に歴史を感じさせた。
僕たちを居間へ通した名取さんは、一度僕たちの前から姿消すが、すぐにお茶をお盆に載せて戻ってきた。
「どうぞ」
「「あ、お構いなく……」」
僕と先輩は意外な所で息が合う。
そして名取さんは卓袱台を挟んで僕たちの向かい側に座る。
僕たちは取り合えず出されたお茶に口をつける。
「それで、今日は何をお話しさせてもらったらいいのかしら?」
僕たちは一度顔を合わせる。
(スミちゃんが切り出しなさい)
先輩はアイコンタクトで僕にそう伝えてくる。肝心な所は人任せにするんだなこの人は……。
「あの、今日お伺いしたいのは、キエさんについてのことなんです」
「はい母のことですね。一体どのような?」
そして僕は山元さんの廃墟についてのことを名取さんに話す。廃墟のこと、そこに集まる猫ちゃんたちのこと、その猫ちゃんたちにキエさんが餌をあげていたこと……。順を追って一つ一つ説明していった。
僕たちの知っていることを全て話し終わると、名取さんは僕たちではなく、別の遠くを見ている様子。そして無言で立ち上がり、部屋の隅に置かれたタンスの上から何かをこちらへと持ってくる。
それは笑顔で佇む老婆の写真だった。
「そのお方が、キエさんですか?」
先輩の問いに、名取さんは無言で頷く。
「キエさんと山元さんは、一体どういうご関係だったのですか?」
名取さんの反応をみて、先輩は続けて質問する。
「…………」
すると名取さんはキエさんの写真を感慨深そうに眺める。
「晩年、母は認知症でした……」
「え……」
写真を眺めながら、名取さんはポツリポツリと話し始める。
「深夜外を徘徊したり、団地のゴミ捨て場からガラクタを拾ってきたり、そりゃもう苦労しました」
名取さんは当時のことを思い出しているのだろうか? その姿に僕と先輩は一瞬視線を合わせる。取り合えず、ここは黙って聞いておこう。
「そんな中、ある日羽音ヶ丘の自治会の方がやって来て、こう言いました。母が羽音ヶ丘の空き家で野良猫に餌をやっている、迷惑だからやめさせてもらえないか……と」
そして話は核心へと入っていく……。思わず肩に力が入る。
「翌日、散歩に出た母の後ろをついていくと、羽音ヶ丘のあの廃墟に辿り着きました。そして母は途中の商店で購入したキャットフードを、廃墟に集まる野良猫たちに与えていたのです。その日の夜、私は母を問い詰めました。もう野良猫に餌をやるのはやめてほしいと」
「それで……」
僕は思わず声を出してしまった。すると横の先輩が僕の太ももを抓ってきた。空気を読めという合図なのだろう。僕は口に手を当てた。
「そうしたら、母は顔を真っ赤にして怒るんです。あれは野良猫じゃない、三郎さんの飼い猫だ。私は三郎さんの代わりに、猫の世話をする約束をしているんだって……ね。そりゃその後なだめるのが一苦労でした……」
名取さんは当時のことを思い出し苦笑いを浮かべる。僕も合わせて口元を緩めるが、隣の先輩は無表情だった。
「あ、そうそう、母と山元さんとの関係でしたね。ちょっと待ってて下さいね」
名取さんは立ち上がり、別室へと消えていく。そして再び居間へとやってきた時、手に数冊の本を抱えていた。
「これは母が亡くなった時、遺品を整理したら出てきたんです」
数冊の本が卓袱台の上に置かれると、僕と先輩は同時にそれらを覗き込む。
「これは、日記帳ですね」
どれもかなり古い日記帳、先輩はそのうちの一冊を手に取る。
「これは……?」
ペラペラとページをめくっていると、先輩は何かに気付いたようで表情が変わる。
「スミちゃんも見て!」
先輩に促され、僕も卓袱台に置かれたうちの一冊を手に取り開いてみる。
そしてすぐに、先輩が表情を変えた理由が判った。
「これは、交換日記?」
そこにはある一組の男女の日常が綴られていた。
一人はこの日記の持ち主だったキエさん。
そしてもう一人は、山元さんだった。
「これは、一体どういう……」
「恋人……だった」
先輩がポツリと答える。すると名取さんは目を閉じてゆっくりと頷いた。
僕たちは卓袱台に置かれた日記を次々に目を通していく。
そして大まかではあるが、キエさんと山元さんの隠された関係が判ってきた。
学校の同級生で幼馴染だったキエさんと山元さんは、昔から仲が良くいつしか恋人同士となっていた。
将来一緒になろうと約束するまでに二人の仲は発展し、幸せの絶頂だった。
しかしそんな時、太平洋戦争が勃発。山元さんは戦地へと出征し、二人の関係はバラバラになってしまった。
交換日記は山元さんが出征した日を最後に途絶え、後はキエさんの日記のみとなる。
そしてキエさんの日記によると、終戦後キエさんは別の男性と結婚する。キエさんはまだ山元さんのことが好きだったが、終戦後すぐ山元さんが戦死したという公報が入った。悲しみに暮れるキエさんだったが、貧しい家族を助けるため少しでも裕福な男性と結婚することを迫られ、否が応でも慕情を断ち切らなければならなかったのだ。
ところがキエさんが結婚した翌年、山元さんが無事復員してきた。あの戦死公報は誤報だったのだ。それを知ったキエさんはとても後悔したが、もうキエさんのお腹には結婚した男性との子供がおり、もうどうしようもなかった。後年の日記にはキエさんのそんな後悔の念が延々と綴られていた……。
「…………」
全て読み終わった先輩は、無言で日記を閉じる。僕も言葉が出ない、否、見つからなかった……。
すると名取さんが再び話し始める。
「山元さんが亡くなったのが確か十五年前、そして父が亡くなったのがその翌年。これは以前に三波さんから聞いたのですが、猫に餌をやり始めたのは丁度その頃からのようです」
ここで先輩の表情が再び変化する。
「もしかして、キエさんは生前山元さんの家に出入りしていた?……」
すると名取さんは静かに首を振った。
「そこまでは判りません。日記にも書いていないですし……」
「でもキエさんは、猫に餌をやるのは山元さんとの約束だと、そう仰っていたのですよね?」
先輩は卓袱台に身を乗り出す。僕は慌てて先輩の肩を抑える。
すると名取さんは、再びキエさんの写真に視線を落とす。
「ただ私から言えること、それは……」
名取さんの言葉に僕たちは動きを止める。先輩、首を絞めないで下さい……。
「それは……、母は、いつまでも山元さんのことを想っていたのでしょう。母の時間は、山元さんと一緒だった楽しい時のまま、停まっていたんでしょうね」
首を絞められた状態で、僕は名取さんを見る。
写真を見つめる名取さんの優しい声、それがとても印象的だった……。
(十)
名取さんのお宅を訪問した翌日の夕方、僕はあの廃墟の前にいた。
僕が廃墟の前に現れると、いつものようにそれまで寝そべっていた数匹の猫ちゃんたちは飛び起き、そして茂みの中へと姿を消す。
そんな猫ちゃんたちの姿を見送った後、僕は薄暗い廃墟の中へと入った。
『主をいつまでも待ち続ける猫たち』
あの後、先輩は調査終了を宣言、名取さん同意の元これまでの調査内容を記事にすることとなった。
戦地から復員してきた山元さんは、恋人であったキエさんが結婚したことを知る。
寂しさを紛らわすため、山元さんは猫ちゃんを飼い始めた。山元さんが生涯独身を貫いたのは、キエさんへの想いがあまりに強かったからではないだろうか?……と僕は思う。
山元さんは猫ちゃんたちを我が子のように愛し、そして猫ちゃんたちもそんな山元さんに懐いた。
そして数十年後のある日、山元さんは偶然キエさんと再会する。キエさんも山元さんへの想いは終わっていなかった。二人はここで長い間止まっていた愛を密かに育んでいた。そして二人の愛は、ここに集う猫ちゃんたちにも注がれたのだろう。
しかし二人はそう長くは一緒にいられなかった。おそらく二人が再会して一年も経たないうちに、山元さんは亡くなってしまった。亡くなる間際、山元さんはキエさんに、猫ちゃんたちの世話をお願いしたのだろう。そしてキエさんは認知症を患いながらも、自身の命が続く限りその約束を果たし続けたのだ。
そして五年前、キエさんが亡くなると同時に、山元さんとの約束が終わりを告げる。
ここに住む猫ちゃんたち……、もう二人のことを知らない世代の猫ちゃんもいるであろう。でもここに住む猫ちゃんたちは全て山元さんとキエさんの猫ちゃんたち。山元さんが最初に飼い始めた猫ちゃん、そしてその子供が、孫が、曾孫が……今はもう廃墟と化したこの家を守ってきた。
そして僕は、
山元さんとキエさんの大切な想い出と一緒に、いつかこの家の主人が帰ってくるのを、
ずっとずっと待っているんじゃないかなって、そう思う……。
そろそろ足元も見えないくらい真っ暗になってきたので、僕は表へと出る。空を見上げると藍色とオレンジ色が半々くらいになっていた。
そんなもう夜の闇がそこまで迫ってきている廃墟の前に、一人の男性が立っていた。
僕はその男性に見覚えがある。僕がその男性の方へ一歩踏み出すと、その男性はこちらへと振り向いた。
「ああ、君は確か付属の子だったね」
その人は僕がこの廃墟に初めて訪れた時、偶然に出会った大学生の新谷さんだった。前回出会った時と同じく、手にカメラを抱えている。
「どうだい、調査の方は?」
新谷さんはニコリと笑い訊ねてくる。一旦立ち止まっていた僕は、再び新谷さんの方へ歩く。
「はい、一応の真相には辿り着きましたよ」
すると新谷さんは少し驚いた様子、カメラを持っていない方の手で軽く頭を掻いた。
「ほう、それでそれはどんな真相だった?」
僕はコクリと頷き、新谷さんの正面まで来てから、これまでの経緯を話した。
山元さんのこと、
キエさんのこと、
交換日記のこと、
そして、ここで待ち続ける猫ちゃんたちのこと……。
全て話し終わると、新谷さんは頭をガリガリと掻く。何でそんなに痒いのだろうか?
「新谷さん?」
かなり痒そうだ。大丈夫なんだろうか?
「え、いやいや、ハハハ……」
僕の視線に気付いた新谷さんは苦笑い。両肩をパンパンはたくと、今度は新谷さんが僕に視線を送ってくる。そして新谷さんはある方向を指差した。
その指の先には、庭の隅に佇むクヌギの木があった。
「実はね、俺が調べていたことは、君のとはちょっと違うんだよ」
「え、そうなんですか?」
僕は驚いた。この廃墟にもう一つ謎があったんだ……。
「それって何なのですか?」
すると新谷さんは再びクヌギの木を指差し、そしてそちらの方へと歩き出した。そして僕も後を追うようについていく。
「君はこの廃墟に何故猫が集まるのかを調べていた。そこまでは俺も同じだ」
僕たちは落ち葉を踏みしめながらクヌギの木へと近付く。するとクヌギの木の周りで寝そべっていた猫ちゃんたちが一斉に起き出し、こちらに向かって身構える。
「ただ場所が違った。君はこの廃墟全体に猫が集まる理由を調べた。そして俺が調べたかったものは……」
そして新谷さんの足がクヌギの木の前で止まる。
「このクヌギの木の下に、何故猫が集まるかなんだ」
新谷さんにつられて、僕はクヌギの木を見上げる。空はもう日没寸前、今の時間帯ではクヌギの木は真っ黒で見え難い。
「え、でも、それは……」
僕は新谷さんの言っていることがよく判らなかった。ここに猫ちゃんたちが集まる理由は、さっき僕が伝えたまんまなのに……。
新谷さんはまた頭をガリガリと掻く。
「この廃墟周辺に猫が集まる理由。それは君が調べてくれたことで間違いないだろう。でもこのクヌギの木の下だけは、ちょっと違うんだよ。判るかな?」
僕の頭にクエスチョンマークが躍る。ここだけ何かが違う?
僕はクヌギの木の周りを見回す。
あるのは落ち葉と、ゴミと、身構える数匹の猫ちゃんたち。
………………
「あっ!」
僕はやっと気付いた。
そうだ、猫ちゃんたちだ!
ここの猫ちゃんたちは逃げない。僕たちを警戒しているものの、ずっとここにいる。
ここ以外で見かける猫ちゃんたちは、僕の姿を見ると一目散に逃げ出すのに、何故ここの猫ちゃんたちは逃げないんだ?
僕は新谷さんの方を見る。すると新谷さんは右手をヒラヒラさせた。
「やっと違いが判ったようだね。君はなかなか鋭いな」
新谷さんはニヤリと笑う。
「で、何故なのですか?」
僕は新谷さんに訊ねる。すると今度は困った顔をしながら頭を掻く。
「いや〜、それがまだ掴めてないんだよね。君がさっき話してくれた山元さんについてのことまでは掴んでいるんだけれど、その先がね……」
新谷さんはクヌギの木の根元にしゃがみ込む。
僕はそれとは逆に空を見上げる。
もうそろそろ帰らないと、道が判らなくなる。
新谷さんへと視線を戻すと、僕と同様に空を見上げていた。
「そろそろ行きませんか?」
僕の問いに新谷さんは頭をボリボリ掻きながら頷き、立ち上がる。
「あの、その辺気をつけてくださいね。お菓子のゴミが散らばっているんで、靴がネチョネチョになりますよ」
新谷さんのいる辺りは、確かスナック菓子やアイスのゴミが捨てられていた場所。下手に踏んだら汚れが落ちなくなる。
「ゴミ?」
すると新谷さんはまたしゃがみ込んでしまった。そして何かを探している様子。
そして、新谷さんは捨てられていたアイスの棒を数本手に取った。
「ああ、新谷さん、汚いですって!」
僕はポケットからティッシュを取り出した。
その時、
「ああぁ〜っ!」
突然新谷さんは大声を上げ、今まで見た中で一番激しく頭を掻いた。
「ど、ど、どうしたんですか?」
突然の大声に、僕は激しく動揺……。
そして頭を掻き毟る新谷さんの手が止まる。
「そうか、そうだったのか……。こんな物に今まで気付けなかったなんて、しまったなぁ……」
そして新谷さんはアイスの棒を持ったまま、猫ちゃんたちの方へ振り向く。
「これか、ここに猫たちが集まるワケは」
僕は新谷さんの持つアイスの棒を覗き込む。
こうやって見ると、このアイスの棒、かなり昔のものだ。
ん、何か書いてある?
タマ
ポチ
ミケ
ジョン
etc…………
薄汚れたアイスの棒、そこには油性マジックで猫ちゃんの名前らしきものが書かれてある。
これは一体何を意味するのか?
するとそんな僕の思いに気付いたのか、新谷さんはアイスの棒を持ったまましゃがみ込む。
そしてすぐに立ち上がった。
「こうすれば、判るかな」
新谷さんはススッと横に寄る。
「え……」
新谷さんが退いたクヌギの木の下、そこには地面に向かって垂直に立てられたアイスの棒があった。
………………
あっ! も、も、もしかして!
「こ、これって、お墓?」
すると新谷さんは何度も頷いた。
新谷さんはまた木の下にしゃがみ込む。すると新谷さんは僕に手招きをするので、僕も横にしゃがみ込んだ。
新谷さんはアイスの棒に向かって手を合わせる。そして僕もつられて手を合わせる。
「君の話では、山元さんは晩年羽音ヶ丘の道路清掃に力を注いでいたそうだね。その清掃内容の中に、当時この辺りを行き交っていた工事車両に轢かれて死んでしまった犬猫たちの処理もあった……と」
ここで僕もピンときた。
「そうか……じゃあこのお墓は、動物たちを供養するために……」
山元さんは、不幸にも事故で亡くなった犬猫を、このクヌギの下に埋葬して供養していたんだ。
名も無き野良たちに名前をつけて、自分の飼い猫と同じように……。
「じゃあ、ここに集まる猫ちゃんたちって……」
僕は再び猫ちゃんたちを見る。するとどうだろうか、さっきまで僕たちのことを警戒していたのに、いつの間にか僕たちへの警戒心を解き、地面に寝そべったり、毛繕いをしたりしている。
「守っているんだよ。自分たちの仲間の墓をね……」
新谷さんはそう感慨深げに話した後、再び手を合わせた。
「だから、僕たちが来ても逃げなかったんだ」
ここに集まる猫ちゃんたちには、お墓を守るという使命がある。だからちょっとやそっとでは逃出さないんだ。
僕ももう一度お墓に手を合わせる。
そして周りですっかり寛いでいる猫ちゃんたちを見る。
「君ら、スゴいんだな……」
僕は今まで猫ちゃんって可愛いだけの存在だと思っていた。
でも今日でその印象はガラリと変わった。
今はもういない仲間のために、何世代にも渡ってお墓を守り抜く猫ちゃんたち……、
何か、すごく尊敬できる存在だった。
僕は両手を解き、立ち上がろうとした。
しかし横を見ると、新谷さんはまだ手を合わせていたので、慌てて体勢を立て直し、もう一度手を合わせた。
長く、長く、どれくらいの時間が経ったであろう。
新谷さんの身体が動く音が聞こえ、横を見ると新谷さんは立ち上がっていた。
「そろそろ行こうか。もう真っ暗だし」
「はい、そうですね」
そして僕も立ち上がる。
去り際、クヌギの木が死角に入ろうかという場所で、僕は立ち止まる。
そして、
「頑張れよ。猫ちゃんたち」
僕は飄々とクヌギの木の下で佇む猫ちゃんたちに、胸いっぱいのエールを送った。
完