第8話 予告
昨日の夕方にピエロが言ったことは、翌朝の教室で、そのとおりになった。数を抜かれた三上さんが取り返しに来る。
教室の前のほうで、三上さんが腕のスマートフォンをにらんでいる。明るい茶に染めた頭ごと、画面に吸いこまれそうだ。
僕は窓側の後ろの席で、黙って鉛筆を削っていた。横の窓枠では、ピエロが朝から上機嫌にもたれている。
「三上、二重人格のやつに抜かれてんじゃん。もう2万近いって」
二重人格のやつは、僕の配信ヘラルドだ。昨日、登録者数で三上さんを抜いた。
周りに集まった何人かが、にやにやしながら腕の画面をのぞき込もうとする。三上さんは腕を胸に引き寄せて、画面を隠した。
「あっちのは、やらせで稼いだ数字じゃん。俺のは自分で集めた1.8万。中身が違うんだって」
「はいはい、負け惜しみ」
「負けてねーし」
「でも抜かれてはいるよな」
「数字見ろって、数字。……いや、見んな」
隠したはずの画面を、三上さんはもう自分だけでのぞき込み、親指で下へ引いては戻している。
僕の数字の話で、僕のほかの全員が盛り上がっている。
指に力が入って、芯が折れた。削り直す音がやけに大きく聞こえる。
「だからさ、土曜、立川でヘラルドに凸するわ」
三上さんが顔を上げて言うと、教室が一段うるさくなった。凸は、配信に押しかけることだ。
「あいつ、次は土曜って自分で言ってたし。逃げらんねーっしょ」
(言ったとおりの顔だな、少年。数を取られた新品は、取り返しに来るときだけ顎が上がる。……上げ方が安い)
返事はしなかった。教室で窓に話しかけたら、ただの独り言だ。
それに、来ないよと昨日言い切ったのは、僕のほうだ。
「新人くんにコボルト釣らせて、ヘラルドの前まで引っぱってくんの」
「本物の二重人格なら、危なくなったら出てくるっしょ。出てこなかったら、やらせ確定」
「新人くんって誰」
「俺の配信の出演募集に来てくれた子。ライセンス取ったばっかの」
鉛筆を削る手が止まった。
前に僕が断った企画が、名前を変えて戻ってきた。
「数字の取り方なら、処刑人の『公開処刑』見とけって。あそこ、一本上げるたびに再生数えぐいから」
処刑人という配信者の、公開処刑というチャンネルらしい。
「処刑人って、PKじゃん」
「俺は人なんか襲わねーし」
三上さんは笑って手を振った。
初めて聞く名前だった。PKはダンジョンで冒険者を襲う人のことだ。
気づいたら、立っていた。
椅子の脚が床をこすって、近くの何人かがこっちを向く。見られている。
机のあいだを前へ歩いた。三上さんの前で止まってから、鉛筆を握ったままだと気づいた。
震える指を隠すのに、ちょうどいい。
三上さんは画面から顔を上げない。
「あの……三上さん」
「なに」
「コボルト、その、新人の人には、危ないと思う。だから、えっと……やめて、ほしい」
そこまでしか言えなかった。
三上さんがやっと顔を上げ、僕の顔を見て吹き出した。
「は? 弱虫が、なに言ってんの」
「え、白瀬、それ言うために前まで来たの?」
周りがどっと笑った。
笑い声は教室の前から後ろへ広がっていく。顔が熱い。
「てかお前、前に俺の企画断ったやつじゃん。断っといて、今度は口出し? コボルトとか上層だし、ネタじゃん」
上層のコボルトに、僕は壁へ叩きつけられたことがある。
それを言おうとして、口を開けた。
「つーかさ、危ないって思うなら、俺じゃなくてヘラルドに言えよ」
三上さんが腕の画面を僕のほうへ向けた。
僕のチャンネルだった。
「本物の二重人格なら、新人くんがヤバくなったら出てくるっしょ。で、出てこなくて、新人くんに何かあったら」
三上さんはそこで周りを見回した。
「それ、ヘラルドのせいな」
「あー、確かに」
「助けらんのに出てこないほうが悪いわ」
「白瀬、コメントしてこいよ。新人くん守ってくださいって」
また笑いが起きた。処刑人はPKだと言った子まで、うなずいている。
開けた口から、何も出てこなかった。
「ほら、席戻れよ、弱虫」
三上さんの目はもう画面に戻っていた。
席へ戻る僕の背中で、まだ誰かが笑っている。
座ってから、一度だけ前を見た。
三上さんの親指が画面を下へ引いて、また戻している。数字を隠したときと同じ動きだ。
三上さんが悪い人だとは思わない。
でも、悔しい。鉛筆を握った指はまだ固まったままだ。
◇
その夜、僕の部屋で開いたSNSは、同じ名前で埋まっていた。
『処刑人、戻ってきてて草』
『アカ止められて即新アカ』
『公開処刑、また始まった』
『新チャンネルもう伸びてる』
いちばん回っている切り抜きは、再生数が約40万回。手本にしたくなる数字なのは分かる。分かってしまう自分が嫌だった。
再生すると、黒い作業服の男が映った。
色があるのは頭だけだ。顔の見えない、赤いフルフェイスのヘルメット。周りにはカメラのドローンがいくつも浮いている。
僕の中古の1台とは本気の度合いが違う。
作業服の男の前に、冒険者の男の人が座らされていた。剣も胸当ても外されて、横に積まれている。
装備のない冒険者は、ただの座らされた人にしか見えない。
「皆さん、本日の出演者さんです。出演者さん、カメラに向かって、どうぞ」
機械で平らにならした声が、司会者みたいに丁寧に言う。
男の人はカメラに頭を下げた。何を謝らされているのかも、分からない顔のまま。
画面の横をコメントが流れていた。
『声ふるえてて草』
『司会の敬語すき』
僕はそこで目をそらした。
ヘルメットより、笑っているコメントのほうが怖い。
動画は手の中でまだ続いている。止めればいいのに、指が動かない。
平らな声がもう一度「どうぞ」と促した。男の人の声は詰まったまま出てこない。
そらした目の先に、窓枠のピエロがいた。
目を閉じて、僕の手元へ耳を寄せている。白く塗った顔に、画面の赤い光が下から当たっている。
音楽でも聴くみたいな顔だ。
その顔から、ふっと赤い光が消えた。手の中の画面が暗くなっている。
ピエロが、目を開けた。
(客人は、人が痛む所で沸く)
客人は、ピエロが視聴者を呼ぶ言葉だ。ピエロは、笑っていなかった。
(あの赤いヘルメットの男は、手際が悪い。謝る声ひとつに、時間をかけすぎだ)
(痛みが一瞬なら、客人はもっと沸く)
「……違うよ」
ピエロは答えなかった。
(さて、少年。明後日は土曜だ)
次に聞こえた声は、もういつもの調子に戻っていた。
(新品が、客人を山ほど連れてきてくれる。休むなよ。取り引きは、取り引きさ)
配信する日はピエロの出番を一度映す約束だ。
配信なんて、本当はしたくない。
僕が潜らなければ、三上さんは来ない。
でも新人の子は、別の日に、誰もいない所で前へ押し出される。
僕が行かなければ、あの子の前には誰も出ない。
明後日、潜る。
前髪に指が行った。
三上さんが毎日、教室で見ている顔だ。
「……行くよ。配信も、する。でも、三上さんの前には、出ない」
「あの子のいちばん近くに隠れてて……危なくなったら、出る」
(隠れる先触れなど、聞いたことがない。物陰で震えて待つのか)
先触れは、ピエロより先に出て場を温める役。僕のことだ。
言い返せなかった。震えるのは本当だ。
ピエロが僕の言葉をくり返した。
(……待て。危なくなったら出る、か)
(袖で待って遅れて出る役者ほど、客人は沸く。悪くない間合いさ)
(新品が客人を集め、先触れが袖から飛び出す。土曜は、いい舞台になる)
皮肉ではない。本気で喜んでいる。
「あの、出番の話じゃ、なくて……あの子のこと、考えてほしい、んだけど」
ピエロは返事をせず、窓枠にもたれたまま、黒い手袋の指で拍子を取っている。
代わりに、手の中の画面が光った。
おすすめのいちばん上に、コウの配信の予告が出ている。朝の教室で聞いた話が、もう題になっていた。
題は、〔凸〕二重人格の配信者のやらせ、暴きます/新人くんのコボルト釣り。
新人くんには名前も付いていない。
開始の欄には、土曜 13:00〜 立川ダンジョン、とある。
添えられた写真に、知らない男の子が写っていた。頭のヘルメットがどう見てもひと回り大きすぎる。
あの子だ。
僕はコメント欄を開いて、一行だけ書きこんだ。
『コボルトは新人には危ないです』
『土曜たのしみ』
『凸たのしみw』
その下に、あの子の書き込みが2行続いた。
『出演する新人です!』
『コウさんの企画、ずっと夢でした』
僕の一行は真っ先に画面の外へ流れていった。
写真のヘルメットは眉までずり落ちている。
直しもしないで、あの子は笑っていた。




