第5話 名づけ
「えっと、今日は5層です。短剣、刃こぼれなし。ベルトの留め具も……うん、よし」
腕のスマートフォンの隅で、同時接続数が600を超えている。
昨日の初めての配信は0から始まった。今日も配信しているのは、切り抜きに浮かれたピエロに今朝ねだられて、放課後だけと値切るのがやっとだったからだ。
『一幕まだ?』
『点検はいいから』
『もう1人の方出して』
『二重人格の方はよ』
(聞いたか、少年。客人がお呼びだ)
ピエロは視聴者を客人と呼ぶ。振り向くと、後ろを歩くピエロはすっかり顔を上に向けていた。
コメントの言う一幕は、ピエロが僕の体で出てくる場面のことだ。画面の真ん中にいるのは僕なのに、僕を呼ぶコメントは1つもない。
「あ、えっと……あとで。もうちょっと、あとで」
『あとでっていつ』
『焦らすなw』
通路を進むうちに、コメントの流れが変わった。
『後ろに誰かいる』
『後ろの3人、視聴者?』
振り返ると、十数歩後ろに大学生くらいの3人組がいた。
そのうち1人が構えたスマートフォンに、猫背の背中が小さく映っている。僕の背中だ。
『会いに来てて草』
『切り抜き効果やば』
どうすればいいのか分からなくて会釈だけすると、3人もぺこりと返してきた。
(客人が、舞台の袖まで来たか)
通路の先は天井の高い部屋で、明かりは上まで届いていなかった。
3人組も僕に続いて部屋に入ってくる。後ろから見られながら歩くのは、カメラに映るより落ち着かない。
暗い天井から、羽の音が降ってきた。
大コウモリの群れだ。十数匹がまっすぐ3人組へ落ちていく。
『うわ』
『上!』
気づいたら、僕は3人組の前へ出ていた。立っているのは部屋の端の、いちばん手前だ。
手袋をはめる指は、今になって震えだした。
「こ、こっち……こっち、見て」
《挑発》と念じると、近くの何匹かがくるりとこっちを向いた。
よし、こっちだ。
左の二の腕に牙が食い込んだ。包帯の上からでも熱い。
振り払った先で、別の1匹が肩にかみつく。
痛い。それでも、僕に来るぶんだけ、あの人たちには行かない。
(少年、代われ)
頭の中で、ピエロが僕に体を貸せと言った。その声は羽の音にまぎれて、返事をする前に僕はもう次の牙をよけている。
天井の奥の群れは僕を見ていなかった。僕の頭を越えて、3人組へ降り続けている。
部屋の端に立つ僕の《挑発》は、天井の奥まで届いていない。
「うわっ、来んな」
「多い、多いって」
後ろで剣を振り回す音がばらばらに鳴る。3人とも上ばかり見ていて、足が止まっていた。
あれじゃ、逃げられない。
もう一度、《挑発》と念じても、顔を向けたのはまた近くの何匹かだけだった。
僕の《挑発》では、群れを全部は引きつけられない。
「か、壁のとこ……伏せて。お願い、伏せてて」
3人が壁際へ転がるように伏せると、羽がその背中の上をかすめて抜けていった。
間に合った。
足が止まって、肺にやっと息が入った。今度は、ピエロの声がはっきり届いた。
(少年、代われ)
「いいよ。斬っていいのは、モンスターだけ」
ピエロは僕の左手で、手袋の白い折り返しを引き直した。
一拍で僕の背筋を根元から伸ばし、顎を上げて、前髪を後ろへなでつける。
頬が乾いて、左の目尻からこめかみへ冷たい線が1本跳ね上がった。
ピエロは僕の右手で短剣を腰に戻し、背中の留め具を外して鎌を抜き取った。
降ってくる羽の間を、柄を指でくるくる回しながら部屋の真ん中へ歩いていく。羽は一度もかすらない。
「客人方。席は、そこだ。そのまま伏せていろ」
伏せた3つの頭がそろって床に貼りついた。僕の声なのに、僕まで伏せたくなる。
部屋の真ん中で、ピエロは石突きで床を突いた。
柄頭に両手を重ねて、手袋の右手を上にする。体を斜めにもたせかけて、ピエロはドローンを見上げた。
『一幕きた』
『待ってた』
『顔がいい』
『背筋どうした』
『立ち姿ずるい』
「え、さっきの人……だよな」
「顔、違くね」
その顔、毎朝鏡で見ている顔なんだけど。
「さて、客人方。お相手は、天井に巣くうそこの群れ」
「演目は、『天井桟敷の客』」
芝居の言葉らしいけど、天井桟敷が何なのか、僕には分からなかった。
口上が終わると、覚えのある感覚が体の中から外へ広がった。
《挑発》だ。僕のスキルを、ピエロが口上の続きで使っている。
今度は天井の奥の群れまで、いっせいにこっちを向いた。部屋の真ん中からなら届く。
伏せた3人組も顔だけ上げてこっちを見ている。コメントは速すぎて読めない。
同時接続数は1,500で、配信を始めたときの倍を超えた。
羽の音が体の周りを回りだして、十数匹の輪が僕を囲んだ。
ピエロは僕の体をぴくりとも動かさない。顔の向きさえ変えない。
牙の先が頬のすぐ横を通っていく。
輪が、いっせいに縮んだ。
鎌が、一周した。
群れは光の粒になってほどけた。
伏せたまま見上げる3人組の上へ、粒がゆっくり降っていく。床では魔石がぱらぱらと鳴った。
降ってくる粒へ、1人が思わず手のひらを出していた。
『は?』
『一周で全滅』
『何匹いたんだよ』
『鎌回しただけw』
「……え、全部?」
「今の、見えた?」
「見えるかよ」
『スローで見たい』
ピエロは鎌を手に、3人組のほうへ歩きだした。柄が指の間でまた回る。
起き上がりかけた1人は、尻をついたまま後ずさった。
あの人たちへ近づいていく自分の体のほうが、僕にはさっきの群れよりずっと怖い。
(約束、だよ。モンスターだけって、言ったよね)
返事はない。3人組の手前でピエロは石突きを床に突いたが、銀の刃は天井を向いたままだった。
「た、助かりました……」
「礼は要らない。客人だから、守った」
「客席を荒らされては、余興にならない。客人に減られても困る」
『理由が最悪w』
『減られてもw』
助けた相手の目の前で、それを言うんだ。
「それから。客席から、舞台に上がるな」
「す、すんません」
「ガチで怒られた……」
『天井桟敷ってなに』
『芝居小屋のいちばん上の席』
芝居には、僕よりコメント欄のほうが詳しい。
『コウモリが天井席の客かw』
『3人組も舞台に上がってた』
『どっちも席立った客w』
『題、きれいに落ちた』
『守られて叱られてる』
「俺ら、コウモリと同じ枠……?」
スマートフォンを持っていた1人が、おそるおそる手を上げた。
「あの……そっちの人って、名前、なんていうんすか」
『それな』
『名前知りたい』
「道化は、主のつけた名で呼ばれるものだ。自分では名乗らない」
名前を聞かれて、名乗らない理由のほうを名乗った。
ピエロは僕の目でドローンを見上げる。
「ここの主は、客人方だな。つけてみろ」
コメントが一気に流れた。
『鎌の人』
『裏ヘラルド』
『白塗りさん』
『顔がいい方』
『黒手袋』
ヘラルドは、ピエロが僕に付けた配信者名だ。ピエロより先に出て場を温める役、という意味らしい。
「どれも品がない。……裏、とは何だ。主役が先触れの裏に回ってどうする」
『主役の自覚w』
『設定が細かいw』
「顔がいい方。……事実だが、名ではない」
『事実は認めるんかw』
『自己評価たっか』
ピエロは、画面の最後の1行で目を止めた。
「黒手袋、か。手袋の名とはな」
「客人方は、私を小道具と同じ棚に並べる気か」
文句を言いながら、口の端はもう上がっている。
「いいだろう。今日から私は、黒手袋だ」
『黒手袋ww』
『即名乗ったw』
『文句言って採用』
『黒手袋さん』
「黒手袋さん、だって」
「覚えたわ。もう忘れねえ」
僕のチャンネルで、僕じゃないほうに名前がついた。
同時接続数は2,400になった。昨日の配信の27人からは、ずいぶん遠くまで来た。
「では、客人方。黒手袋の一幕は、ここで幕だ」
ピエロは僕の手で、鎌を宙へ放り上げた。決めのつもりだ。
鎌が回っているうちに、頬と目尻の冷たさが一度に消えた。
3人組の目の前で背筋から力が抜けて、目の高さがいつもの猫背の所まで下がる。
前髪が額に落ちてきて、毛先の向こうで鎌が回っている。
今日も決めの形は最後まで間に合わなかった。
柄を追って踏み出すと、左脚と腰がいっぺんに痛んだ。それでも僕は手を上へ出した。
落ちてきた柄を両手でつかむ。重さに振られて二、三歩よろけた。
尻もちよりは、ましだ。
『受け止めた』
『お約束w』
『よろけてるw』
『前よりうまい』
「あ、あの、みんな、ごめん。さっきの、口が悪くて……それと、騒がせて、ごめんなさい」
「お三人にも、えっと……失礼なこと言って、すみません」
「いや、全然。助かったんで」
「黒手袋さんに、よろしくっす。ヘラルドさん」
3人組は来た通路を戻っていった。ピエロのあだ名を何度も言い合う声が、遠くなっていく。
部屋には僕だけが残った。
天井の暗がりから、また羽の音がした。
群れからはぐれた2匹が、今度はまっすぐ僕へ降ってくる。今日はもう、代わってもらえない。
ピエロが片づけたのは、見えていたぶんだけだった。
短剣を抜く。腰が痛くて、しゃがみが浅い。右肩に牙が入った。
痛いけど、近いほうが当てやすい。
振った刃が1匹の羽の付け根を裂いて、そのコウモリは光の粒になった。
1匹なら、僕の短剣でも当たる。
もう1匹は天井の暗がりへ逃げていった。追いかけるだけの力は、もう脚に残っていない。
『黒手袋って字面よすぎ』
『次も黒手袋来る?』
コメント欄では、2匹との戦いに誰も触れていない。それでもドローンはちゃんと映していた。
配信を切って、腕と肩に傷薬を塗った。包帯がまた増える。
包帯の巻き方だけは、どんどんうまくなっていく。
帰りは鎌のケースを背負って自転車をこいだ。ペダルを踏むたびに左脚がきしむ。
信号で止まると、頭の中でまた、あの名前が聞こえた。
(黒手袋。……悪くない響きだ)
「きみ、その名前、もう何回目?」
(何度でも呼ぶさ。それより少年、配信の日を増やせ。明日もだ)
「明日は、その……しない。配信」
(では、言い方を変えよう。客人の顔を見るだけでいい。配信だけ開けろ)
「明日は、配信しないで、一人で潜る。次は、明後日。その次は、土曜」
(……明後日と、土曜か。客人を丸一日待たせるとはな)
(二度も断られた。客に断られたことはないのに)
「……それ、どこで覚えたの」
返事はなかった。しぶしぶ黙ったのが分かる。配信する日の値切り合いは、今朝は負けたけど、今度は僕の勝ちだ。
次に聞こえた声からは笑いが消えていた。
(なら、明日だ。少年が一人で潜るなら、私は、少年が倒れるのを待つ)
返事が出てこない。
信号が青に変わっても、ペダルは重いままだった。
一人で潜る明日に倒れたら、僕の許していない入れ替わりが始まる。




