第4話 教室の切り抜き
「昨日の切り抜き、見た?」
昼休みの教室で、1台のスマートフォンが手から手へ渡っていく。画面の中では、鎌にもたれた誰かが、斜めにこっちを見ていた。
鎌にもたれているのは僕で、僕はスマートフォンを回す輪のすぐ隣で弁当を食べている。
「この立ち方、ずるくない?」
「顔もいいって。モデルとかでしょ、これ」
「二重人格って、どうせキャラ作りだろ」
「いや、途中で急に別人になんの。ほら、ここ」
「キャラでも、この顔までは作れなくない?」
「メイクでしょ。顔を変える手袋とか、あるらしいし」
「再生数も、今朝見たときの倍近いんだけど」
配信ではめていた黒い手袋なら、僕の詰襟の内ポケットにある。ただ、変わるのは見た目だけじゃない。
褒められている顔の持ち主は、ここで卵焼きを落としかけている。
箸を持ち直したついでに座り直すと、腰がぎしりと鳴った。ピエロが僕の体を動かしたあとの筋肉痛は、一晩寝たくらいでは抜けてくれない。
「白瀬、どうしたの、それ」
前の席の男子が振り向いていた。
「あ、えっと……転んで」
腕の包帯は詰襟の袖に隠れている。これ以上聞かれたら困る。僕は嘘が下手だ。
「ふーん」
彼の目はもう画面に戻っていた。助かった。
窓枠にはピエロがもたれていて、片脚に重心をかけた立ち方まで、画面の中とそっくり同じだ。褒め言葉が聞こえるたびに、ピエロの顔が少しずつ上を向いていく。
(聞いたか、少年。客人が、私の立ち方を褒めている)
(言ってやれ。あれは私だと)
ピエロは、見ている人をそう呼ぶ。殺人鬼が、教室の窓辺で褒め言葉をねだっている。
(少年、顎。名乗る者が、うつむいてどうする)
「そんなの、言えるわけ……」
声に、出ていた。
隣の席の女子が、スマートフォンから顔を上げて、こっちを見ている。
「……え、なにが?」
「あ、いや、ごめん……卵焼きの、話。ちょっと、甘くて」
自分でも、何を言っているのか分からない。
彼女は首をかしげて、画面に目を戻した。その画面の中でしゃべっているのも、同じこの声だ。
背中に汗がにじんで、箸を持つ指までじっとりしてきた。
誰も、画面と僕を見比べなかった。
(……客人の目は、節穴か)
ピエロの顔が、さっきまで上を向いていたぶんだけ、がっかりと下がった。
節穴で、本当に助かる。
がらりと音を立てて、教室の前の戸が開いた。
明るい茶に染めた髪の男子が入ってくる。同じクラスで、ダンジョン配信をしている三上さんだ。腕に巻いたスマートフォンを、戸から教卓まで歩くあいだに、もう2回見た。
「なに、まだそれ見てんの」
切り抜きを囲んでいた何人かが、三上さんのほうへ寄っていく。教室で人が集まるのはいつも三上さんの周りだ。
三上さんは教室の前に立ったまま、差し出された画面を横目で見て、鼻で笑った。昨日の配信で、僕の体が死神みたいなモンスターを斬った場面だ。
「それ、やらせだから。編集じゃん。上層で死神を一振りとか、ないっしょ」
「でも、20万回だよ」
三上さんはそこで黙った。
三上さんが言い返せずに黙るのを、僕は初めて見た。
三上さんはまた、腕のスマートフォンに目を落とす。
「……再生数なんか、回そうと思えば回るし」
「三上の配信より回ってんじゃね?」
「は? 切り抜きと配信は別じゃん」
三上さんは言い返しながら、腕の画面の同じ所を親指で何度もなぞっている。
「てか、こっち見ろって」
三上さんが、切り抜きの画面を押しのけて、自分のスマートフォンを周りの顔の前へ突き出した。
青い胸当ての三上さんの上に、コウという配信の名前が大きく出ている。教室の後ろからでも読めるくらいの字だ。
この画面を教室で見せられるのは、初めてじゃない。
「コウ、登録者1.8万」
「そのヘラルドだっけ? まだ6,000とかっしょ。俺の3分の1じゃん」
突き出した画面を、三上さん本人が上からのぞき込んでいる。
三上さんは数字の話のときだけ、人の顔を見ない。
ヘラルドは僕の配信の名前で、登録者数は三上さんの言うとおり6,000だった。僕より先に、僕の数字を知っている。
「そういえば、白瀬も冒険者じゃなかった?」
教室じゅうの目が、ピエロのもたれる窓枠の前の、僕の席に集まった。こんなに大勢に見られるのは入学式の日以来だ。
三上さんも、腕の画面から顔を上げた。
「ああ、弱虫ね」
「こいつさ、前に俺の企画、断ってんの。ライセンス取りたての新人をモンスターの前に立たせて、ビビるとこ撮るってやつ」
「同じ冒険者のよしみで、手伝わせてやろうとしたわけ。そしたら、何つったと思う?」
冒険者証を取ったばかりの春の話だ。あのときも、返事だけは言いよどまずに言えた。
三上さんは肩をすぼめ、声を細くして僕の真似をした。
「『嫌です』」
教室がどっと沸いた。
「言いそう」
「似てる似てる」
「白瀬の目って、誰も見たことなくない?」
「てか、白瀬ってしゃべんの?」
「でもそれ、新人ちょっと危なくね?」
そう言ったのは教卓の近くの男子で、笑い声が少しだけ小さくなる。
三上さんは笑った顔のまま、その男子のほうへ向き直った。
「危ないって、誰が決めんの」
「募集かけたら、向こうから来たんだって。出たいです、何でもやりますって」
「本人がやりたいって言ってんのに、危ないからダメとか、そっちのほうが失礼じゃん。子ども扱いっしょ、それ」
言い出した男子は目をそらした。
「……あー。まあ、本人がいいなら、か」
「確かに。止めるのも、なんか違うよな」
教室の前から後ろへ、うなずきが広がっていく。危ないと言った本人が、いちばん大きくうなずいていた。
「だろ。なのに、こいつは逃げたわけ」
三上さんは笑いながら、教室の後ろへ顔を向けた。
「冒険者のくせに、モンスターの前に出んのが怖いんだってさ。な、弱虫」
「白瀬、ビビりすぎだろ」
言ったのは、さっき危ないと言った男子だった。
笑い声がいちばん大きくなる。
僕は言い返さなかった。
断ったことは間違っていなかった。
弁当箱の縁で、箸の先がかたかた鳴っている。笑い声に紛れて、教室の誰も気づかない。
(少年、顎)
窓枠から声が降ってきた。
(下ばかり見るな。あの男の画面が見えない)
ピエロは僕の目を通してしか物を見られないくせに、注文が多い。
仕方なく、目だけを上げた。三上さんがまた振っている画面の中で、青い胸当てが、買ったばかりみたいに光っている。
(新品だな、あれは)
(客人の顔より、数字を見ている。あれでは、誰も沸かせられない)
人前で言い返せない僕の代わりに、言わなくていいことまで言う。
「決めた」
三上さんがスマートフォンを下ろした。
「その二重人格、俺が見つけるわ。上層にいんなら、すぐっしょ」
「で、やらせだってこと、俺の配信で全部暴く」
「三上、マジでやんの?」
「やるよ。暴いたら、あっちの客、全部こっちに来るじゃん」
おお、と何人かが手をたたいた。
三上さんはもう一度、教室の後ろを向いた。
「弱虫。お前も冒険者なら、二重人格見かけたら教えろよ」
探している本人なら、ここで弁当を食べている。
返事の代わりに、箸から卵焼きが落ちた。




