第3話 初めての配信
初めての配信の同時接続数は、0だった。
日曜の昼、立川ダンジョンの4層。ドローンを浮かべてから、画面の隅の数字はずっと動かない。
「えっと、短剣。刃こぼれ、なし。ベルトの留め具も……うん、よし」
(退屈だ。点検で客人が来るものか)
ピエロは僕の腕のスマートフォンをのぞき込み、そのまま黙った。
(0か。……客人が、一人もいない)
(少年、私の何がいけない。立ち方か。声の張りか)
きみはまだ、画面に映ってもいないのに。
人を斬るとまで言ったピエロが、0ひとつでうろたえている。
腕のスマートフォンが小さく震えた。
『初見です』
(しょけん……初めて見る者、か)
(少年、客人だ。一人いる)
ピエロの声はもう弾んでいる。立ち直りが早すぎる。
「あ、えっと……いらっしゃいませ」
店のレジの癖がそのまま出た。
点検を続けて4層を進むうちに、数字は少しずつ増えて、数人が残ってくれた。数人でも、僕には多すぎる。
広い部屋の壁際に、眼鏡の男の人が座り込んでいた。ずれた眼鏡も直さず、立とうとしない。立てないんだ。
その人へ、灰黒のぼろをまとった骸骨が、床から少し浮いて滑っていく。背は大人より頭一つ高く、肩に大鎌を担いでいた。
協会の講習の資料で見た。中層のDランク、リーパーだ。4層にいていい相手じゃない。
『え、なにあれ』
『やばくない?』
骸骨は肩に担いだ鎌の柄を握り直した。
気づいたら、部屋の真ん中へ出ていた。また、考えるより先に足が動いている。
膝が震えだしたのは出たあとだった。
ポーチの手袋をはめて、短剣を抜く。ここまでは練習どおりだ。
「こ、こっち……こっち、見て」
《挑発》、と念じた。
骸骨がぐるりと顔をこっちへ向ける。よし、こっちだ。
僕は男の人とのあいだへ回り込んだ。Dランクが相手じゃ、この《挑発》は長くもたない。
鎌が横なぎに来た。
しゃがんでかわしたのに、左の二の腕が熱い。かすっただけで、これだ。
(少年、代われ)
続く刃を短剣の腹でそらす。手首がしびれた隙に、右腕の袖ごと肌が裂けた。
鎌はまだ僕だけを狙っている。それでいい。
(一幕でいい。数分で骸骨を斬って、すぐ返す)
かわしきれずに、左の前腕が切れた。
『死神じゃん』
『鎌でかすぎ』
『逃げて』
『逃げてって!』
(逃げ回るだけの主役に、客人は沸かない)
頭の奥で、ピエロが何か言っている。刃のうなりに紛れて、言葉が聞き取れない。
鎌の先が肘の上をさらっていった。痛いのは腕だけだ。足はまだ動く。
不意に、骸骨が僕に背を向けた。その先の壁際に、男の人がいる。
「こ、こっち……こっちだってば」
もう一度、《挑発》と念じる。灰黒の背中は振り向きもしない。
もう、僕の《挑発》は効かない。
リーパーは男の人の前へ滑っていき、肩の大鎌をゆっくりと下ろしていく。
気づけば、僕は男の人のほうへ駆けだしていた。
二歩目で、膝が抜けた。床に両膝を打ちつけて、脚がもう体を運ばない。顔だけが男の人を向いている。
そのとき初めて、頭の奥の声が聞き取れた。
(少年、代われ)
「代わって。斬っていいのは、モンスターだけ」
勝手に動いた左手で、ピエロが右手の手袋の白い折り返しをつまみ、引き直す。
ピエロは一瞬で僕の重心を片脚に落とした。腰を横へ流し、丸かった背中を根元から伸ばしていく。
僕の背中がここまで伸びたことはない。
顎を上げ、目にかかった前髪を左手で後ろへなでつける。前髪のかからない視界は広すぎる。
頬が粉をはたかれたみたいに乾く。左の目尻から、冷たい線が1本、こめかみへ跳ね上がった。
『え、誰』
『顔よすぎん?』
『立ち方どうした』
『急にキャラ変わったw』
男の人の手前で、骸骨が止まった。
空っぽの目の穴がこっちへ戻ってくる。《挑発》じゃない。
リーパーは僕の体へ大鎌を振り上げ、振り上げたまま、浮いた体をほんの少し後ろへ引いた。
間合いを測っている。
ピエロが僕の指で短剣をくるりと回し、僕の目でドローンを捉えた。
「客人方、余興を一つ。相手は、そこのぼろ布」
「演目は、『死神の空振り』」
喋っているのはピエロなのに、声は僕の声のままだ。言葉の切れ目ごとに、喉がすっと閉じる。
それきり、ピエロはぴたりと動きを止めた。
短剣は下げたまま、構え直しもしない。振り上げられた大鎌の影が目にかかっている。
骸骨の腕に力がこもり、大鎌が落ちてきた。
ピエロが僕の足で床を蹴る。
体ごと横へねじると景色が流れ、目の前に骸骨の首があった。
短剣が、頭と首の継ぎ目をまっすぐ抜ける。
背後で、大鎌が空を切った。
リーパーは光の粒になってほどけ、床に魔石が転がる。
【レベルアップ。Lv4からLv9になりました】
残った大鎌が床で重い音を立てた。
『え、もう終わり?』
『死神の空振りって、これか』
『題どおりすぎるw』
『演出完璧じゃん』
ピエロは短剣を腰に戻して、床を見回した。格好をつけて立つのに、もたれる物が要るらしい。
そして手袋の右手で、ぼろの大鎌の柄を握った。
その指の下から、柄が黒く細く締まりながら、まっすぐになっていく。欠けだらけの大きな刃は、銀の細い弧に縮んだ。
僕の腕を裂いた刃だとは、もう思えない。
【ユニーク武器、道化の七変化を手に入れました】
名前のとおり、形を変える武器らしい。
「悪くない。私のつえに似ている」
ピエロは杖をつくように、石突きを斜め前の床に突いて、体をもたせかけた。柄頭に重ねた両手は、手袋の右手が上だ。
モンスターは消えたのに、ピエロは体を返さない。
伸びきった背中の芯だけが、少しずつ緩んでいく。
壁際の男の人は、口を開けたままこっちを見上げている。あの人の目の前で、ピエロが僕の手に鎌を握らせている。
(約束だよ。斬るのはモンスターだけって、言ったでしょ)
「分かっているさ、少年。約束は守る」
ピエロは僕の目で、もう一度ドローンを見上げた。
「人間は、また今度だ」
『こいつ本物だろw』
『ないないww』
『二重人格キャラかよ』
『演技うますぎ』
『立ち姿が完璧』
ピエロは腕の画面を読んで、僕の口の端を上げた。
「では、客人方。幕だ」
ピエロが鎌を宙へ放り上げる。鎌が回っているうちに、頬とこめかみの冷たさが一度に消えた。
背中がどさりと丸くなる。僕の背中だ。
なでつけられていた前髪が目の上へ落ちてきて、視界がいつもの狭さに戻った。
腰と左脚が引きつるように痛む。それどころじゃない。
落ちてくる鎌を、慌てて両腕で抱え込んだ。柄が胸にぶつかって、鎌ごと尻もちをつく。
すぐ横に、斜めに立つピエロの姿がある。僕はそれを見上げて言った。
「人間は、今度もダメです」
ピエロは少しの間黙り、言い返さなかった。
言い切ってから、鎌を抱えた腕が震えだす。
男の人は壁に手をついて、立ち上がろうとしていた。ずれていた眼鏡はもう直してある。
よかった。どこも切られていない。
「あの、みんな、ごめん。今の、口が悪くて……えっと、それと、騒がせて、ごめんなさい」
同時接続数は27になっていた。0から始まった配信の、いちばん多い数だ。
『急に戻ったw』
『温度差で風邪ひく』
◇
月曜の朝は、寝返りひとつで腰と脚がきしむほどの筋肉痛で目が覚めた。
両腕には、協会で傷薬を塗って巻いた包帯。部屋の隅には売店で買った長物用のケースが立てかけてあって、中身はあの鎌だ。
部屋に鎌がある高校生なんて、たぶん僕だけだ。
(少年。板が、朝から鳴りやまない)
ピエロが板と呼ぶ枕元のスマートフォンは、通知で埋まっていた。
チャンネルの登録者数は約3,200人。0人から、一晩でだ。
視聴者の誰かが昨日の配信の切り抜きを上げていた。
題は、〔二重人格の配信者、上層のイレギュラーを一振りで斬る〕。
再生数は約12万回。昨日の同時接続数27の、4千倍を超えている。
サムネイルは、配信のドローンが撮った、鎌にもたれた立ち姿だった。
(この絵は、あの羽の画家が描いたのか)
SNSにも、知らない人たちの言葉が並んでいた。
『一振りで死神消えたんだが』
『演技なのに殺気ガチすぎ』
『この立ち姿は反則』
『メイクは見た目変える手袋か』
『手袋は小道具、芝居は本人』
(もう一度だ、少年)
ピエロは窓枠にもたれもせず、僕の肩越しに画面をのぞいている。同じ立ち姿を朝から何度流させられたか分からない。
(見ろ、万だ。12万の客人だ)
(一覧のいちばん上にいた金のよろいの剣士の、10万4千を抜いた)
「剣士の10万4千は同時接続数。同じ時間に見てた人の数だよ。12万は再生数で、数え方が違うんだ」
(……違うのか)
ピエロは少ししょげた顔をしたのに、黒い指はもう再生のしるしを指している。懲りない人だ。
画面の中の僕はまた顎を上げた。
あれが僕だとは、僕にも思えない。
再生数は見ているあいだにも増えていく。
今日は月曜で、学校がある。
この12万回のどこかに、きっと同じ教室の誰かがいる。
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