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弱虫ダンジョン配信者の僕、宿った本物の殺人ピエロに体を貸したら『演技うますぎ』とバズった  作者: 月見まっちゃ
第3章

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第45話 短剣

 鎧のさびた剣が頭の上から落ちてくる。

 柄だけになった短剣では受けられない。


 横へ転がった。

 膝はつかない。肩から丸まって、石の床をひと転がりする。


 すぐ後ろで剣が床を打った。さっきまで僕の頭があった所だ。

 石の割れる音が背骨まで響いてくる。あそこにいたら、と考えるのはやめておく。


 転がった拍子に、指から柄が抜けた。

 折れた店の短剣が、石の上を滑って遠ざかっていく。拾いに行ける距離じゃない。


 起き上がったときには背中に壁があった。転がった肩と腰が遅れてじんと痛む。

 右手を開く。何もない。

 撒き菱は、さっき鎧の鉄の足に踏み砕かれたばかりだ。


 鎧は空振りした剣を引きずって、こっちへ向き直るのに数歩かかる。重い物ほど、向きを変えるのも遅いらしい。

 おかげで、息を1つだけつけた。

 空っぽの手で壁にもたれている。冒険者として、いちばん情けない格好だと思う。


 その一瞬に、体の中からピエロの声が届いた。

 鎧に追われている間は、何も聞こえなかったのに。


(少年)


(代われ)


(少年のその手では、次は受けられない。分かっているだろう)


 指の震えが止まらない。

 気づいたときには、もう声が出かけていた。


「……代わっ」


 言いかけて、ピエロを見た。


 壁際に、背の高いピエロが斜めにもたれている。手袋の右手に、細い黒い杖を持っていた。


 杖の先は鎧でなく、出入り口に立つ久我さんを指している。


 ちょうど、首の高さだ。


 背中の壁が急に冷たくなった。

 代わったら、この体が次に斬るのは鎧じゃない。


「代わらない」


 思ったより、声は震えなかった。

 久我さんまで届いたかは分からない。久我さんは鎧の背中だけを見ていた。


 ピエロは同じ誘いを、それ以上くり返さなかった。

 杖の先をゆっくり床へ下ろしても、ピエロは僕から目をそらさない。

 それきり、体の中は静かになった。


 鎧がかぶとを僕のほうへ向けきる前に、出入り口で剣の抜ける音がする。


 久我さんが踏み出していた。

 鎧の背中へ、まっすぐ斬りかかる。

 やっと来てくれた。


 最後の一歩の手前で、久我さんがちらりと僕のほうを見た。

 その分だけ、久我さんの踏み込みが半歩鈍る。剣の届く所まで、その半歩が足りない。


 その間に、鎧は向き直りながら、剣を横なぎに振っていた。

 重さは本物だった。


 金属どうしがぶつかって、耳の奥まで鳴る。

 久我さんが短くうめいた。


 久我さんの剣が、はじかれた。


 大きな体が横へ流れて、背嚢の重さに引っぱられる。踏みとどまれない。


 久我さんが、膝をつく。


 膝をつくと、次に立つのが一拍遅れる。

 僕にそう教えたのは久我さんだ。


 鎧は僕に背を向けて、膝をついた久我さんのほうを向いている。かぶとの中は空っぽのままだ。

 さびた剣が久我さんの上で振り上げられる。

 あれが落ちるまでに、久我さんは立てない。


 僕の手の届く所に、刃物は1つしかない。

 背中の、鎌だ。


 ピエロに使えとねだられるたびに、背負うだけで使わない、と断ってきた鎌だ。


 握れば、その約束を破るのは僕のほうになる。ピエロじゃない。

 それに、あの長さは僕の腕では振れない。胸まである柄に、肩幅の刃だ。

 僕に振れるのは、毎日腰に下げてきた、あの短剣の長さだけだ。


 背中へ手を伸ばす。


 壁際のピエロが僕の手もとへ目を移した。

 何も言わない。


 握る。


 留め具を外して、背中から引き抜いた。長い柄が肩の上を滑っていく。

 その途中で、重さが変わった。


 短くなる。

 手の中で。


 胸まであった黒い柄が、握った指の中へ縮んでいく。銀の弧は細く伸びて、まっすぐな刃に変わっていく。

 抜ききったとき、手の中にあったのは、折れた店の短剣と同じ長さの1本だった。

 刃の背にだけ、鎌の弧の名残みたいな小さな反りが残っている。

 痛めた右の手首でも握れる重さだった。


【道化の七変化が、大鎌から短剣になりました】


 道化の七変化は、あの大鎌の名前だ。その声に、膝をついた久我さんのかすれた声が重なった。


「……何だ、それは」


 膝をついたまま、久我さんは僕の手を見ていた。

 僕も、答えられる言葉を持っていない。


「こっちだよ」


 《挑発》が部屋に広がる。考えるより先に、声のほうが出ていた。

 鎧は久我さんから離れて、かぶとごと僕のほうへ向き直る。


 鎧が、腕を上げる。


 さっき店の短剣を折った振り下ろしと、同じ形だ。

 今度は受けない。


 鎧の脇が、開く。


 前と後ろの板の合わせ目が、上がった腕に引かれて開いていた。どこもぴったり閉じていた継ぎ目の奥に、暗い中がのぞいている。


 あそこなら、刃が入る。


 剣が落ちる前に。


 重心を、つま先へ。

 踏み込む。


 開いた脇へ、黒い短剣を通した。


 刃は合わせ目を抜けて、胸の奥の核まで届く。


 鎧が、剣を上げた形のまま、光の粒にほどけた。


 さびた剣が落ちて、石の床で鳴った。

 魔石が1つ、僕の靴のそばまで転がってくる。


 部屋の中に、もう金属の足音はしない。

 出入り口のそばで、久我さんは膝をついたまま、さっきまで鎧のいた所を見上げている。


 僕は黒い短剣を握ったまま立っていた。

 膝の震えが止まらない。痛めた右の手首も、今になって脈を打ち始める。


 倒れない。


(今のは、少年の一突きだ)


 返事は出てこなかった。

 何か言えば、膝のほうが先に崩れそうだった。


(……私の鎌を、ずいぶん短く仕立ててくれたものだ)


 こっちはいつもの小言の声だ。


 立ち上がった久我さんが、剣をさやに戻して、僕の前まで歩いてくる。


「名前と、今日の日付」

「白瀬律、です。……今日は、月曜で」


 頭を打っていないかを確かめる、久我さんのいつもの聞き方だ。


 久我さんは太い指を僕の目の前で左右に振った。僕が目で追い終えると、指を下ろす。

 そのあと久我さんが見たのは、僕の顔でなく、右手の黒い短剣だった。


 それ以上は何も聞かれなかった。


「手首は」

「えっと……右、です。受けたときに、少し」

「動かしてみろ」


 言われたとおりに回すと、奥のほうが鈍く鳴った。顔に出たらしい。

 久我さんはそれ以上は触らずにうなずいた。


 鎧に斬りかかる前に僕のほうを振り向いたことを、久我さんは言わない。

 足音に肩が一度動いたのを見ていたことを、僕も言わない。


 久我さんが腰の無線を取った。


「巡回の久我だ。10層、通路脇の部屋で、中層の種のイレギュラーが1体。片付いた」

「新人が1名。手首を痛めた程度だ」


 無線の向こうで、誰かが短く何か聞き返している。


「それと……」


 声がそこで止まった。

 久我さんはもう一度、僕の手の短剣を見下ろした。


「……いや、以上だ」


 無線が切れた。

 無線で言いかけた「それと」の先を、僕は知らないままだ。


 床に落ちていた柄と刃先を拾って、ポーチにしまう。店長が自分の手で試してから、棚に出してくれた1本だった。

 店長に、何て言おう。


 久我さんが無精ひげを太い指でこすって、それから僕を見た。


「自分の前に、出たな。考えるより先に」


 膝をついた久我さんの前に、僕が出たことを言っている。そう言ってから、久我さんは短く息を吐いた。


「大丈夫だ、坊主」


 言われた言葉が、すぐには耳の奥まで入ってこなかった。

 久我さんはそれ以上何も足さずに、背嚢を背負い直している。

 その肩ごしに、出入り口の先の通路を見た。あの先のどこかに、11層へ下りる階段がある。


 肩に力を入れて待っていた、久我さんの決まり文句の「新人が前に出るな」は、来なかった。

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