第44話 動く鎧
「新人が、前に出るな」
協会の受付の前で、久我さんはいつもの言葉から始めた。
今日は見極めの日だ。僕が中層へ行っていいかを久我さんが決める日なのに、出だしは金曜と同じだった。
「今日は、自分は手を出さん。1人で引き付けて、1人で倒せ」
「……はい」
「自分は部屋の入り口に立つ。まずいと思ったら、下がれと言う。言われたら、下がれ」
冒険者証はもうDランクです、と言いかけてやめた。言っても、どうせ聞き流される気がした。
それに今日は、言い返すより見せるほうが早い。
「名前と、今日の日付」
「白瀬律です。……月曜、です」
久我さんが太い指を1本立てて、僕の目の前で左右に振る。新人を潜らせる前に具合を確かめる、久我さんのいつもの手順だ。
指を下ろしたあとも、久我さんは僕の顔からなかなか目を離さなかった。
行く層と帰る時刻を書いて貼る台所の紙には、『10層』と書いてきた。
メモ帳のいちばん上のページには、大きく『41』と書いてある。僕を打ちのめしたPK、処刑人の配信画面に出ていたレベルだ。
けさ家を出る前に、そのページを一度だけ開いて閉じた。
腰にはけさも研いできた店の短剣があって、背中には鎌を負っている。
10層まで下りるあいだ、久我さんはずっと僕の半歩後ろを歩いた。
◇
久我さんが選んだのは、10層の通路の脇に開いた部屋だった。
入る前に出口を確かめる。出入り口は1つきりで、そこに久我さんが立っている。
奥は行き止まりだ。逃げ道を自分で選べない部屋を、わざと選んだんだと思う。
「入れ。自分は、ここで見とく」
「……行ってきます」
学校へ行くみたいな返事をしてしまった。久我さんは笑いもしなかった。
中にはウルフが2匹いた。
背中に久我さんの視線を感じる。ウルフではなく、僕を見ているのが分かる。
見られるのにはもう慣れた。慣れたことにしておく。
大きな犬ほどの灰色の体が2つ、壁ぎわで身を低くした。
「こ、こっち。……こっちだよ」
声に乗せて《挑発》をかける。モンスターの目を僕に向けさせるスキルだ。灰色の顔が2つそろってこっちを向いた。
先に来た1匹の頭が下がる。
跳ぶ前に、頭が下がる。8層で覚えて、メモ帳に書いた1行だ。
半歩だけ横へよける。灰色の体はさっきまで僕のいた床へ落ちた。
ここまでは8層と同じだ。違うのは、この先を僕が知っていることだった。
ウルフが向き直るまでの一拍のうちに、つま先に体重をのせる。
踏み込む。
短剣が首の後ろに入った。灰色の体がほどけて、魔石が床で鳴る。
倒した。久我さんの前で、自分の踏み込みで。
2匹目はもう跳んでいた。
腕で頭を囲って転がり、膝をつかずに立つ。気づくと、出入り口から数歩の所まで下がっていた。
危なかった。でも、7層で教わった受け身はもう考えなくても出る。
「こっち。……まだ、こっちだよ」
《挑発》をもう一度使うと、久我さんのほうへ向きかけた灰色の顔が戻ってくる。
久我さんのほうへは行かせない。それと倒すことが今日の僕の仕事だ。
2匹目の頭が下がる。今度は待てた。
降りた所へ踏み込んで首の後ろに刃を入れると、2つ目の魔石が転がった。
久我さんは何も言わない。
何も言われないのはたぶん悪いことじゃない。8層のときは、下がれ、の声が2度も飛んできたのだから。
この調子なら、今日のうちに合格をもらえる。
◇
通路の奥で、金属が鳴った。
剣のぶつかる音じゃない。もっと重くて、鉄の塊を床に一つずつ置き直していくような音だ。
それが近づいてきて、やっと足音だと分かった。
音は、僕を向いて立つ久我さんの背中の側から来る。
久我さんは一度だけ肩を動かした。
通路のほうへあごを半分回しかけて止め、すぐに僕の顔へ目を戻す。
なのに、振り向かない。
足音はまだ来る。
久我さん、後ろ。言いかけて、のみ込んだ。
聞こえていて、それでも僕から目を離さない人だ。今ここで僕が見せるのをやめたら、見極めが終わってしまう気がした。
足音が止まる。
久我さんの背中の数歩後ろ、通路の暗がりから、動く鎧が出てきた。
古い板金の鎧が、さびた剣を下げて立っている。かぶとの奥は暗く、腕の継ぎ目からのぞく中も暗い。
中身が、ない。
協会がサイトに載せている10層の資料に、こんなものは載っていない。ここ何日か、毎日少しずつメモ帳に写してきたのは、もっと下の層のページだ。
写した字が名前ごと頭に浮かんだ。
リビングアーマー 12層〜15層 動く鎧 中は空っぽ 急所=胸の核 継ぎ目
いるはずのない相手が、10層の、久我さんの真後ろにいる。
さびた剣が上がった。
入り口で僕のほうを向いて立つ、久我さんの背中を狙って。
「こ、こっち! ……こっちだよ、こっち」
考えるより、声のほうが先だった。
《挑発》。
かぶとがぐるりと僕を向いた。
◇
鎧は振りかけた剣ごと向き直り、重い足で部屋の入り口をまたいだ。
久我さんが通路の側へ跳んで、あの重さの脇を音もなくすり抜ける。巡回を受け持つ、Dランクの冒険者の身のこなしだった。
鎧は止まらずに入ってきて、僕と出口の間に立った。
久我さんは部屋の外にいる。
出ていく道は鎧にふさがれて、僕は行き止まりの奥にいる。
これはまずい。
胸は分厚い板で覆われ、継ぎ目はどこもぴったり閉じている。写してきた急所に、刃の入る隙がない。
ポーチから撒き菱をひとつかみ出して、鎧の足もとへ撒いた。
足を止めたいときの、いつもの手だ。
鉄の足が粒の上に下りる。
撒き菱を踏み砕いて、止まらずに来た。
振り下ろしが来る。横へよける。
剣が床を打って、石のかけらがすねに跳ねた。
遅い。ウルフより、ずっと遅い。
そのかわり剣が長くて、何度振っても、振りが少しも鈍らなかった。息が上がるのは僕のほうだけだ。
横の振りが来て、後ろへ跳ぶ。さびた刃が、おなかの前の空気を持っていった。
一度でも当たったら、たぶん立っていられない。
ウルフなら頭が下がる。でも鎧には下がる頭がない。
よけるたびに、かぶとが入り口のほうへ傾きかける。
そこには、剣の柄に手をかけたまま、まだ一度も抜いていない久我さんがいる。
僕がよければ、剣は久我さんへ向かう。よけなければ、僕が斬られる。
「こっち。……こっちだってば」
《挑発》が切れる前に、もう一度かける。かぶとがこっちへ戻る。
かけるたびに、息が浅くなっていく。
挑発を続けるのに手いっぱいで、短剣はまだ一度も前へ出せていない。
「……下がれ!」
久我さんの声が来た。
一拍、遅い。
僕は思わず声のほうを探したけれど、間に立つ鎧の鉄の背中しか見えなかった。
目の端で、久我さんは剣をさやから半分だけ抜いていた。一歩出かけた足は、そのまま止まっている。
挑発をかけて、よける。よけて、また挑発をかける。
鎧の剣が横から来た。よけると、次は斜めから来る。
どの振りも、僕を部屋の奥へ押していた。よけるたびに、背中の側の空きが減っていく。
逃げているつもりで、追われていた。
かかとが、壁に当たった。
右にも、壁がある。
隅だ。
剣が頭の上まで上がる。
横へ逃げる幅が、ない。
受ける。
短剣を横にして、頭の上に構えた。
中身のない鎧が、体ごと落ちてくる。
重い。
折れた。
刃先が、石の床で高く鳴った。
1度だけ跳ねて、隅の暗がりへ転がっていく。
右の手首には、受けた重さだけが残っていた。
けさも研いだ刃だった。傷は一つもなかった。
右手には、柄だけが残っている。
鎧がゆっくり向き直った。
鎧の向こう、部屋の入り口で、久我さんが、半分抜いた剣を引き抜きにかかった。
「こっち。……こっちだよ」
気づくと僕は、《挑発》をもう一度使っていた。
その声で、久我さんは手を止めた。僕の顔を見ている。
さびた剣が、また上がる。
僕の頭の上へ。




