第43話 軽すぎる小道具
配信を開けたとたん、コメント欄が、おとといの木曜の話で埋まった。赤いヘルメットの処刑人の前で、僕が膝をついた日だ。
『木曜の人だ』
『黒手袋負けたヘラルド』
『いや2人帰させたのヘラルドだろ』
『膝ついたのは事実じゃん』
『膝ついても前にいたのヘラルドだぞ』
ヘラルドは配信での僕の名前、黒手袋は、僕の体で戦うピエロに客席が付けた名前だ。
同時接続数は1万8千。
膝をついた所のほうが、勝った所より人を呼ぶらしい。
「あ、えっと……きょ、今日は、10層を、回ります」
膝のことは口にしなかった。負けたと書かれても、言い返す言葉も言い訳も見つからない。
壁にもたれたピエロも、処刑人の話には触れなかった。
(少年。鎌から)
鎌の点検から始めろという催促だ。
「て、点検、始めます」
背中から鎌を下ろして、銀の刃の弧に指を滑らせる。欠けはない。
「鎌の刃、よし」
黒い柄を握り直すと、初めて配信した日の4層を思い出した。入れ替わったピエロが死神の姿のリーパーを倒し、残ったぼろの大鎌を僕の手で握ったときだ。
指の下で柄が黒く細くまっすぐになり、欠けだらけの刃が銀の弧に縮んでいった。
柄を握る指が一瞬だけ浮いた。
天の声はこの鎌を道化の七変化と呼んだ。七つの形に変わる武器らしいのに、僕はまだ大鎌の形しか見ていない。
それ以上は考えずに、鎌を背中に戻した。
ベルトの金具とポーチの中身を、いつもの順に指で数えていく。最後に腰の短剣を抜いた。きのう研いだ刃に傷はない。
「短剣、よし」
『点検長い』
『いつもの』
『安心のやつ』
『検証配信の土F兄かよ』
点検が長いのは知っている。よその人の検証配信並みらしい。削れる所が一つもないだけだ。
「て、点検、終わります」
キラーアントの群れがいる部屋は、通路を少し進んだ先にある。
早く、強くならないと。
いつもなら出入り口の手前で立ち止まり、群れの数を数えてから入る。
今日は数える前に出入り口をくぐっていた。
天井の低い部屋の床を、犬ほどもある黒いアリが埋めている。十匹はいる。
『え、もう入るの』
『数多くない?』
ポーチから出した手袋を右手にはめた。
「こ、こっち……こっちだよ」
声に乗せて《挑発》を使うと、黒い頭がいっせいにこっちを向く。
待つより、こっちから行ったほうが早い。
群れに入る。
先頭の1匹を狙って、頭と胸の継ぎ目へ短剣を突いた。
自分の手で、一つでも減らしたい。
横から別の顎が膝を狙ってくる。跳びのきながら突いた刃先は、継ぎ目より手前の黒い殻に当たった。
短剣が殻の上を滑る。
かつん、と乾いた音がしただけだ。浅い。
足元から次の顎が来る。下がって、もう一度突く。また滑った。
処刑人に打たれた左の肩が鈍く痛む。肩をかばった分だけ、刃が手前で止まる。
三度目で、やっと刃が継ぎ目に入った。1匹が光の粒になってほどける。
倒した。なのに奥の暗がりから、黒い背が2つはい出してくる。
数が減らない。
『今日のヘラルド飛ばしてない?』
『突っこみすぎ』
『いつもの前に出るのと違くない?』
このまま突いても、殻をたたく音が増えるだけだ。分かっているのに、足だけが前へ出ようとする。
ピエロは出入り口の脇で黙っていた。滑った刃の先を一つずつ目で追っている。
左右から回りこまれて、背中が壁に当たった。
もう下がれる所はない。
黒い顎の囲みが、膝の高さで狭まってくる。詰まりきる前に、先頭どうしがぶつかって、群れが一拍だけ止まった。
(代われ)
「……斬るのは、モンスターだけ」
ピエロが僕の体で背筋を伸ばし、壁から離れた。手袋の右手で前髪を後ろへなでつけ、もう一方の手で背中の鎌を下ろす。
石突きが床を鳴らして、《挑発》が部屋いっぱいに広がった。
「客人方、余興を一つ。相手は、足元の黒い群れ」
「演目は、『黒いじゅうたん』」
『一幕来た』
『黒手袋の雪辱戦』
『顔がいい』
『じゅうたん?』
黒い顎がいっせいに足元へ寄ってきた。
ピエロは石突きを床に突いて跳んだ。柄を支えにして、宙で小さく弧を描く。
床ばかり見ていた僕の目では追いきれない。
降りた先は床ではない。
黒いアリの背中の上だ。
『は?』
『乗った』
ピエロはその背中の上で、鎌を杖みたいに突いて斜めに立った。足の下で殻がきしむ。乗られたアリが身をよじっても、靴の裏は離れない。
こんな所に立てる体だなんて、僕は知らない。
一歩。隣の背へ移る。石突きで、また別の背を突く。
杖をついて庭でも歩くみたいに、背中から背中へ渡っていく。
『背中歩いてる』
『アリの上を散歩すんな』
『足場それでいいのかよ』
下から顎が足首へ伸びてくる。届かない。かみつこうとした顎の前には、いつも仲間の背中がある。
足元から来る相手の上にいれば、かまれる足元がない。
1匹が前脚を上げて伸び上がった。顎が膝の高さまで来る。
ピエロはその頭を踏み台にして、もう一つ向こうの背へ移った。踏まれた頭は、隣の背に落ちてぶつかる。
階段にされたほうはたまったものじゃない。
降りた背の上で、ピエロは僕の顔のまま、カメラへ軽く頭を下げた。片手を胸に当てる、芝居の終わりみたいなお辞儀だ。
『お辞儀すんな』
『アリの上で礼儀正しい』
『足元見て足元』
見ているだけの僕のほうが、足の裏に汗をかいている。この下で、十いくつの顎が鳴っているのに。
群れは背中の上の客を追って向きを変え、互いにぶつかった。前の1匹の上に、次の1匹がよじ登る。
追いかける相手が頭の上にいるのだから、無理もない。
ピエロが石突きで、端の1匹の頭を軽くたたいた。その1匹も向きを変えて、また隣とぶつかる。
黒い背が重なってもつれ、壁ぎわで1つの塊になっていく。
『アリが団子になってる』
『わざとぶつけてる?』
『黒手袋が寄せてんのか』
塊のいちばん上の背中で、ピエロが止まった。
石突きを突き、柄に両手を重ねる。足元で黒い顎がいくつも空をかんでいる。
ピエロがカメラへ目を上げた。
「客人方。じゅうたんは、巻いて片付けるものさ」
最後の1匹の背から、ピエロが一歩、床へ降りる。
銀の弧が、並んだ頭と胸の継ぎ目を、ひと続きに抜けた。
巻かれた形のまま、黒い塊が光の粒にほどけていく。
魔石がばらばらと床に散った。
『全部いった』
『一振り!?』
『じゅうたんってアリの背中か』
『巻いて片付けたw』
『最初から敷いてたのかよ』
同時接続数は2万3千。ピエロはその数をちらりと見て、すぐに目を離した。配信者の一番手、金のよろいの剣士がふだん集める10万4千には、まだ遠い。
「幕だ、客人方」
鎌が宙で回るあいだに体が僕に戻り、背中が丸くなった。落ちてきた柄を片手で受ける。
「ご、ごめんなさい……アリの上、歩いちゃって」
『謝るとこそこ?』
「き、今日は、ここまでです」
◇
9層へ上がる坂の途中で、腰が一歩ごとに文句を言った。ピエロに体を貸したあとの筋肉痛は、いつも帰り道に取り立てに来る。
ピエロが横を歩いている。黒い杖を指で回しているのに、顔は笑っていなかった。
(少年。腰のは、軽すぎる小道具だ)
足が止まりかけた。
(殻の上で、二度滑った。刃に重さがない。あれでは、幕が締まらない)
壁ぎわで囲まれた僕の体のことは、一言も出てこない。
客の剣を飾りだと言うときと同じ声だ。
「……店長が、自分の手で試した短剣だよ」
自分で思ったより硬い声が出た。
ピエロはそれには答えなかった。杖を止めて、僕の背中の鎌へ顎をしゃくる。
(月曜。衛兵の前では、背中のを使え)
(少年に振れないのは知っている。それでも、軽い小道具よりはましさ)
衛兵は、ピエロが久我さんを呼ぶ名前だ。月曜は、中層へ行けるかを久我さんが10層で見る日だ。
鎌は背負うだけで、配信でピエロに体を貸すとき以外は使わない。背負うと決めた夜、僕が付けた条件だ。
背中の柄が急に重くなった。
「……使わない」




