第42話 19の差
配信しない日の9層でも、鎌は僕の背中にある。
ゆうべ、そう決めた。
結衣ねえの電話を切ったあと、僕にしか見えないピエロが、窓枠に腰かけて言い出したのだ。配信しない日にも出番がほしい、と。
僕が断ると、ピエロはすぐに言い方を変えてきた。なら、せめて鎌を背負え、と。
背負うだけ。ピエロの出番のとき以外は使わせない。
僕がそう条件を付けると、ピエロはいいだろうとだけ言った。
6層でピエロは、赤いヘルメットの処刑人の首を落とさせろとねだり、僕は代わらなかった。断った分くらいは、何か返してもいい気がしたのだ。
鎌を背負うことでピエロに返したつもりで、毎日いちばん物騒な物を背負うことになったのは、たぶん僕のほうだ。
ピエロと決める前に、両親にも話してある。6層で処刑人を見て膝をついたこと。それでも2人とも生きて帰ったこと。
潜る日は、行く層と帰る時刻を台所の紙に書いて貼る約束だ。紙に書いてないことも言って、と母に言われたばかりだったから。
9層の通路は天井が低く、壁の光る石がまばらだ。
すれ違う冒険者たちは、僕の顔を通り越して、背中の鎌に目を止める。
処刑人の前で膝をついた僕の切り抜きを、見たのかもしれない。
6層で処刑人が腕の画面にちらりと目を落とした仕草が、まぶたの裏から消えない。
思い出すたびに、足が勝手に速くなる。
石の床を見ると、6層の床の冷たさがまだ膝に残っている気がした。
1つ目の部屋に、大蛇がいた。
大人の胴ほどもある体が、部屋の真ん中で輪になっている。《挑発》と念じると、とぐろの上で鎌首がゆっくり持ち上がった。
上がりきるまで待つ。ここで急ぐと、狙いが頭からそれる。
跳んできた太い胴を横へかわし、一拍だけ床へ下りた頭の付け根に短剣を入れる。
蛇が粒になってほどけ、魔石が1つ転がった。
いつもどおりのやり方なのに、今日は鎌首を待つ間が、ひどくのろく感じる。
いつもなら、部屋に入る前にその部屋の出口を探す。
今日はどこも見ないまま、隣の部屋へ入った。
2匹目。
とぐろはまだほどけきっていない。
今なら、鎌首が上がる前に届く。
待たなかった。
踏みこんで突いた短剣は、頭の横のうろこをかすめただけだった。
外した。
胴が巻きついてくる。
冷たいうろこの輪が服ごと腰を締めあげ、肺から息がまとめて押し出された。輪に手首を打たれて、短剣が床へ落ちる。
輪が閉じきったら、終わりだ。
気づくと、右手が背中へ伸びていた。
指が大鎌の黒い柄に巻きつく。これを抜けば届く。
放した。
背負うだけ、と言ったのは僕だ。
空いた手で床の短剣をつかんで、転がる。
膝はつかない。
久我さんに石の床で何十回も教わった丸まり方で、肩から落ちて、輪の内側から転がり出る。
閉じかけた胴が、さっきまで僕のいた所で、何もない空気を締めた。
起き上がった足で、床をつかむ。
倒れていない。
鎌首が獲物を探して、一拍だけ下りる。
その付け根に短剣を入れた。
魔石が床で小さく鳴る。
シャツの裾をめくると、腰の骨の上が赤くなっていた。紫になるのは、たぶん明日だ。
7層で久我さんに言われた、倒れた奴は何も持って帰れん、という声が、遅れて耳に戻ってくる。
体の中はずっと静かなままだった。
柄を握りかけたときも放したときも、顎を上げろと猫背を叱るいつもの声さえ、ピエロから来なかった。
◇
出口のゲートに冒険者証を通すと、受付の前に黄色い腕章の久我さんが立っていた。
久我さんは僕の顔より先に、足もとを見た。
「坊主。息を、吸ってみろ」
吸う。
息は脇腹の奥まで、すっと入った。
「……だ、大丈夫、です。もう、引っかからない、です」
「そうか」
安心したのかどうかも、ひげに隠れて分からない。
「きのう、6層で、また前に出たな」
僕が本名で通報したのだから、知られていて当たり前だ。それでも首がすくむ。
「新人が前に出るな。……月曜だ。10層で見る」
中層へ行く両親の条件は、Dと、久我さんの大丈夫だ。Dにはもう上がった。残りの半分をもらう日になる。
「げ、月曜……」
「脇腹が治ったら見ると、言ったろう」
言った相手は僕じゃなくて、母だ。
喜ぶ暇もなく、久我さんの目が僕の顔に少し長くとどまった。それから背中の鎌へ移る。外では長いケースに入れる鎌を、まだ背負ったままだった。
「今日は、配信する日じゃないだろう。……使うのか、それ」
「背負ってる、だけです」
久我さんはうなずきもしないで、受付のほうへ戻っていった。
僕の肩の後ろで、ピエロの目が久我さんの首のあたりへ下りていく。カメラのない所で僕が倒れたら、体が向かう先だ。
10層でも、ピエロはきっと僕の背中から同じ所を見る。
◇
店の戸を開けると、帳場の上に店長のスマートフォンが伏せてあった。
店長が何を見ていたのかは、聞かなくても分かる。6層で膝をついた、僕の切り抜きだ。
「おかえり。手袋を見せてごらん」
いつもの声だった。
手袋を帳場に出して、帳面の手袋のページに今日の分を書く。
9層。大蛇を2匹。
「ほう、2匹かい」
店長はそれだけ言って、何も足さない。
僕は帳場の端で、自分の短剣を抜いた。
潜った日は必ず研ぐ。この店で教わってから、一度も欠かしたことがない。
刃に傷はない。それでも研ぐ。
水を含ませた石の上に刃を寝かせて、手前へ引く。
もう一度、引く。
しゃっ、しゃっ、と、石の音の間がだんだん詰まってきた。
柄を握る指が白くなっていた。石の上の水が帳場の縁まで跳ねる。
引くたびに、口の中で数を数えていた。
店長が帳面から目を上げた。
見ているのは僕の顔じゃない。手もとだ。
処刑人に打たれた左の肩をかばって、僕の肘が浮いている。店長の目が一度だけ、そこへ行く。
「律くん。ちょっと、手を止めてごらん」
石の音が止まった。
「刃先をね、親指の腹で、横からなでてごらん。切れる向きじゃなくて、横だよ」
言われたとおりに、親指を刃先に当てる。
いつもなら、皮膚に細かく引っかかってくる所だ。
つるりと、滑った。
「今日は、研ぎが急いでる」
僕は刃を石から上げて、息をひとつ吐いた。
「……はい」
もう一度刃を寝かせて、今度はゆっくり引く。
石の音がさっきより長くなった。
店長はそれ以上、何も聞かなかった。
帳面に目を戻す前に、一度だけ僕の顔を見る。
ゆっくり引いているうちに、数を数えるのを忘れていた。
店を出ると、通りはもう暗い。
台所の紙に書いたのは、9層と帰る時刻だ。今日はどちらも越えていない。
肩にかけた長いケースの中で、歩くたびに鎌の柄が小さく鳴る。
処刑人の画面の、Lv41。
僕の、Lv22。
月曜の10層で、この差を一つでも詰められるだろうか。




