第41話 膝
はい、と答えかけた口に、頭の奥の声がかぶさった。
(代われ、少年)
この体を、ピエロに明け渡せと言っている。
3台のドローンが僕の顔の高さで止まっている。赤いヘルメットの処刑人は、腕の画面に目を落としたまま、僕の答えを待っていた。
背中の後ろでは、膝をついた男が鼻血をすすり、もう1人が腕を抱えて座りこんだまま。
(客人がいる。舞台だ)
(刺客の首を落とす一幕だ。代われ)
ピエロの言う客人は、ドローンの向こうで見ている人たちのことだ。
声に、いつもの弾みがない。笑っていないときのピエロだ。
ピエロが見ているのは赤いヘルメットではなく、その下だった。ヘルメットの縁と作業服の襟の間に、指一本ぶんだけのぞいた首だ。
代わると言えば、ここから先で処刑人の警棒を受けるのは、僕じゃなくなる。
10層の大狼の首を一振りで落とした体が、今度は処刑人の前に立つ。
体を貸せと言われた一瞬だけ、喉の奥が楽になった。その楽になった自分がいちばん怖い。
腕のスマートフォンに映るチャンネル名、「公開処刑」の横に、Lv41。
僕の Lv は22。
「代わらない」
代わっても、動くのはこの体だ。負ければ、カメラを全部落としたあの日と同じに、22の体ごと床へ投げられる。勝てば、ピエロの刃は口上も構えもなく喉へ行く。
ピエロは言い返さず、首の隙間から目を動かしもしなかった。
言い切ってから、膝が笑いだした。
断るときだけ声がまっすぐ出るのは、いつもの僕だ。
「……出ます。僕が」
背中の後ろで、前を歩いていた男が、は、と短く声を漏らした。猫背の新人と、処刑人に狙われているヘラルドが、今やっと頭の中でつながったんだろう。
処刑人がシールドをドローンのほうへ上げた。
「皆さん、お聞きになりましたか。本日は主演さんご本人に、ご出演いただけることになりました」
「主演さんは、本日、ご自分の配信をなさっていません。ですので、当チャンネルだけでお届けします」
『主演出んの?』
『ガチで?』
「では主演さん。そちらに、膝をついてください。皆さんから、よく見えますので」
打たれて倒れるときは、膝をつかずに転がって起きろ。久我さんの稽古で、そう体に入れてきた。
教わったことを自分から破るのは、これが初めてだ。
石の床へ右の膝から下ろす。ズボン越しに冷たさが骨まで来た。走ってきた脇腹の奥まで、それだけで響く。
前髪が落ちて、目の前には床と、作業服の黒い靴先しかない。顔はたぶん映っていない。
今の僕に残っている運は、それくらいだった。
背中の後ろの2人は、きっと僕のつむじを見ている。
処刑人が腕の画面に目を落とした。
かしゃん、と警棒の伸びる音。
「主演さんのお顔は、打ちません」
どん、と左の肩で鈍い音が鳴った。
肩から先の感覚が一瞬なくなる。
なくなった肩のほうから、体が勝手に前へ出たがった。
膝を床に押しつける。
動かない。
じっとしているのに、こんなに力が要るなんて知らなかった。
3台のドローンの光が、膝をついた僕の背中に集まっている。
肩のすぐ後ろでは、ピエロが笑わずに僕を見下ろしていた。
『いったそ』
『ヘラルド動かねえ』
「皆さん。主演さんは、今日も打ち返してきません」
前に打たれた日の僕は、よけ続けて、最後に床へ倒れた。
今日はよけてもいない。
「では主演さん。皆さんに、一言どうぞ」
謝る所だ。どの回でも、狙われた配信者はここで謝っていた。
前に処刑人と向き合った日、僕が最後まで言えたのは「人を打つのはやめてください」だけだった。
顔は上げない。床に向かったまま、声だけを出す。
「……2人を、帰してください」
処刑人はすぐには何も言わなかった。
『謝らないのかよ』
『黒手袋出せよ』
コメントが呼んでいるピエロなら、僕の肩の後ろで黙って立っている。
『黒手袋負けた?』
『いやヘラルドが2人帰させたんだろ』
その1行だけ、流れていくのが遅く見えた。
『ヘラルド膝ついた』
『切り抜き確定』
膝をついた所だけが、切り取られて回るんだろう。前髪の下で何を言ったかは、たぶん付いていかない。
「皆さん。主演さんからの、お願いだそうです」
僕の頼みも、また処刑人の段取りの1つに組みこまれた。
処刑人がもう一度腕の画面に目を落とす。
僕のスマートフォンに映るその回の同時接続数は、1万2千を超えていた。僕が来たときの3倍だ。
「数字も、いただきましたので。お約束どおり、出演者さんのお二人には、お帰りいただきましょう」
背中の後ろで、2人が起き上がる気配がした。帰れる。それだけは間に合った。
前を歩いていた男が僕の横で止まり、手の甲で鼻の下の血をぬぐう。
痛い思いをしたのは、僕より、この人たちのほうだ。
「……お前かよ。ヘラルドって」
「配信もしねえし、伸びてもいねえんだぞ、俺らは。お前の場所だから、俺らだったんだろ」
「お前のせいだ」
「伸びてもいねえ」は、処刑人の切り抜きを見ながら、この層の通路で2人が笑って言っていた言葉だ。
言い返せることなら、ひとつだけ、喉まで来ていた。
前に2度、この人たちを助けている。
この層で、2人の背中へ向かうコボルトの前に、僕は出た。2人とも、気づいたそぶりさえ見せなかった。
言えば、あの男も一度くらいは僕の顔を見る。
言わない。
もう1人の男は、最後まで僕を見ないまま、抱えていた腕とは逆の手で、黙って相方の肩を引いた。
前を歩いていた男は、まだ何か言いたそうに口を開けて、閉じた。
2人の足音が出口のほうへ遠くなっていく。
膝の上の手が震えだしたのは、その足音が聞こえなくなってからだ。
「皆さん、本日の回は、ここまでです」
3台のドローンが作業服の肩の上へ戻り、腕の画面がふっと黒くなった。
赤いヘルメットは、走りもせずに僕の横を通っていく。床しか見えない僕の前を、作業服の膝がゆっくり過ぎていった。
すれ違う間、作業服の脇は、僕の短剣が届く所で、ずっとがら空きだった。
「それでは、また」
処刑人の背中が、6層の奥の通路へ小さくなっていく。
僕の右手は腰の短剣の柄へ行かなかった。行かせなかった。
(私の舞台に、膝をつかせたな)
ピエロの声は低く、平らだった。怒鳴らない声のほうが、ずっと冷たい。
ピエロは、奥の暗がりに消えた赤いヘルメットを、まだ目で追っている。
立ち上がると、左の腕が肩から上へ上がらなかった。
協会の巡回員の足音が通路の向こうから響いてきたのは、それからしばらくあとだった。2人組はもう出口へ向かっていて、足音の半分が、そっちへ折り返していく。
通報してから何分たったのか、数える気にもならなかった。
走って下りてきた6層からの道を、肩を押さえて、歩いて上った。
◇
店には戻らなかった。帳場の店長に何も言わずに飛び出してきたと思い出したのは、家の門の前まで来てからだ。
ポケットのスマートフォンが鳴ったのは、そのときだった。
画面には結衣ねえの名前が出ている。門の灯りの下で、少し迷ってから出た。
「……もしもし」
「最後まで、見てた」
「……そっか」
結衣ねえの声は、怒ってもいなかったし、泣いてもいなかった。
それきり、電話の向こうが静かになる。
ピエロのことを聞かれる、と思った。何があったのかも。
どちらも来なかった。聞かれていたら、僕はきっと、また何かをはぐらかしていた。
「打たれたの、左の肩だよね」
「……うん」
うなずいても向こうには見えないのに、首のほうが先に動いていた。
「膝つく前に、一回、止まった」
画面の中の僕は、前髪と背中しか映っていなかったはずだ。
止まったことに、僕自身は気づいてもいなかった。
今になって、左の肩がうずきだす。
電話の向こうで、結衣ねえが息を吸う音がした。
この息の吸い方なら知っている。僕がダンジョンに潜っていると知って、うちの呼び鈴を鳴らした夜、結衣ねえは、この吸い方のあとで僕を叱った。
「りっちゃん、や――」
そこで、声が止まった。
電話の向こうで、息だけが続いている。
続きの4文字なら、僕は知っている。




