第40話 平気なはずの2人
帳場のスマートフォンが震えて、出たとたんに幼なじみの結衣ねえが言った。
「赤いヘルメットが、また映ってる。……りっちゃんの、いつもの所」
木曜の放課後、道具屋の帳場でメモ帳を開いていたときだった。いつもの所は、僕が道具を試しに通う6層の通路だ。
中層へは、脇腹が治って、久我さんに行っていいと認めてもらうまで行けない。待ちきれなくて、中層で会うモンスターのページを、協会のサイトから毎日少しずつ写している。
潜る日は行く層を台所の紙に書き、そこより深くは潜らない。父さんとの約束だ。今朝は7層と書いた。
「処刑人が、別のアカウントで戻ってきたの。題が同じだから、すぐ分かった。……リンク、今送った」
鉛筆を置くと、写しかけのページが開いたまま残った。
処刑人が戻ってきたなら、呼ばれるのはたぶん僕だ。前の回でも、処刑人は配信で僕を呼んだ。
題は〔公開処刑〕本日の出演者さん。回で襲う相手を処刑人はそう呼ぶ。
チャンネル名の横には、Lv41と出ている。アカウントが変わっても、数字は前のままだった。
同時接続数は4千ほどで、前の回よりずっと少ないのに、少しも安心できない。
映っているのは、その6層の広い通路の奥だった。横穴の部屋の出入り口の、すぐ手前だ。
僕が処刑人に打たれて倒れた、あの床だった。
その床の上に、男の人が2人いる。前を歩いていた男は首に何も巻いておらず、後ろの男は剣を背に負っていた。
知っている顔だ。6層で、2度会っている。
2度目の日は、僕が気を失っている間に、ピエロが僕の体を動かした。目を開けたとき、僕の短剣は、前を歩いていた男の首から指一本のところで止まっていた。
配信もしねえし、伸びてもいねえから、平気だ。2度目の日、そう笑っていた2人だ。
今の2人は笑っていない。3台のドローンに囲まれて、通路の真ん中で足を止めている。
前を歩いていた男が、飛び回る羽音に向かって手を振り払った。
「なんだよ。俺ら、配信なんかしてねえぞ」
「ええ、存じております。……皆さん、お待たせしました。当チャンネルへ、ようこそ」
「本日の出演者さんは、配信なんかしていない方々です。ですので、登録者数の読み上げはございません」
男は手を振り払いかけたまま、宙で固まった。
『誰この人ら』
『知らん人で草』
「ご安心ください。本日は、主演さんのゆかりの場所からお送りしています。主演さんがいらっしゃるまで、お二人には、お付き合いいただきます」
『主演ってヘラルド?』
『また6層か』
主演さん、とは僕のことだ。あの2人は何もしていない。僕のいつもの所に、いただけだ。
あの床をいつもの所にしたのは僕だ。
「りっちゃん、聞いてる?」
「……ごめん。切るね」
帳場を立つと、奥から店長の声がした。
「律くん?」
返事より先に、店の戸を開けていた。
走った。
走りながら腕のホルダーにスマートフォンを差し、片耳にイヤホンを入れて、協会の窓口を呼び出す。
「た、立川の6層です。処刑人が、配信しながら、人を追っています。……白瀬律、Dランクです」
「6層ですね。近くの巡回員に知らせます。……白瀬さんは、近づかないでください」
返事をしないまま、通話を切った。近づかないで済むなら、最初から走っていない。
僕が処刑人に打たれた日も、巡回員が着いたのは、僕が床に倒れたあとだった。
ダンジョンの入口まで走り、1層から階段を下りていく。6層なら、約束の紙に書いた7層より上だから、約束は破らない。
足を着くたびに、治りかけの脇腹が奥で痛んだ。
どれだけ走っても、6層は走った分しか近づかない。
イヤホンの中で、足音が2つ走りだした。
その後ろの足音は走らない。
腕の画面をのぞくと、赤いヘルメットが、2人の背中のずっと後ろを歩いていた。
追いかけっこにすら、なっていない。
「出演者さん、お足元にお気をつけて。こちらは、急ぎませんので」
急がないのは、急がなくても追いつくからだ。
3層の階段を駆け下りながら、僕は画面に映る2人の背中を何度も数えた。
後ろの男が立ち止まって振り向いた。逃げきれないと、先に分かったんだろう。背中へ手を回し、剣の柄をつかむ。
処刑人が腕の画面にちらりと目を落とした。
その歩幅が急に大きくなる。あの詰め方を、僕は脇腹の痛みで覚えている。
(言ったろう、少年)
体の中で、ピエロの声がした。笑っていない。
(背の剣は、抜くまでに間が空く)
後ろの男は剣を抜く前に腕を打たれた。
鈍い音のあとに、かすれた声が来る。半分だけさやから出た剣が、床に落ちて鳴った。
処刑人が、真上のドローンへシールドを向けた。
「主演さん、ご覧ですか。お一人目です」
ピエロには返事をしない。
あの2人に初めて会った日、ピエロは同じことを言って、2人を品定めした。その言葉が、別の人の手でそのとおりになっただけだ。
前を歩いていた男が、相棒のほうへ駆け戻る。
その胴に、警棒が一度入った。
相棒を置いて逃げなかったほうから、打たれていく。
男は床に手をつくのが間に合わず、顔から落ちた。その音が、イヤホンの中で鳴った。
「主演さん、ご覧ですか。こちらで、お待ちしております」
『主演まだ?』
『黒手袋の芸で来いよ』
打たれた人のうめき声のすぐ下を、笑うコメントが流れていく。
息が切れているのに、僕は奥歯を勝手にかみしめていた。
黒手袋は、僕が気を失うと出てくるピエロに、視聴者が付けたあだ名だ。誰も、本物の人殺しだと知らずに呼んでいる。
5層の階段を、最後の3段だけ跳んだ。脇腹がまた痛んだ。
◇
6層に、着いた。
広い通路の先に、白い光が3つ、宙に浮いている。
近づくほど、イヤホンの音と本物の音が重なっていく。
配信はまだ続いていた。間に合った。
ドローン3台が照らす真ん中で、前を歩いていた男が膝をついている。鼻から口へ、血が筋になって垂れていた。
後ろの男は壁ぎわに座りこんで、右腕を抱えている。
処刑人は、膝をついた男の正面に立っていた。
「では、出演者さん。皆さんに、一言――」
考えるより先に、足が出ていた。
2人の前に立つ。
膝をついた男と、赤いヘルメットの間だ。
3台のドローンが、いっせいに僕を向いた。
「おや。主演さん」
背中のほうで、後ろの男が、あいつ、とかすれた声で言った。
膝をついた男の荒い息が、僕の膝の裏のあたりで聞こえる。
Lv41の処刑人の前に立つのは、この床で倒れた日以来だ。
『主演きた』
『ほんとに来たww』
前髪の下から、赤いシールドを見上げた。一言を言うのは、打たれたこの人じゃない。
「……一言は、あなたのほうです」
そこで一度、声が喉に引っかかった。
「謝ってください。この2人に」
通路の壁に、自分の声が跳ね返る。
思ったより、大きかった。
『謝れって何w』
『処刑人に説教ww』
『主演、空気読めよ』
『早く黒手袋出して』
笑われているのは分かる。
膝は震えているのに、シールドから目をそらさずにいられた。
処刑人はすぐには動かなかった。
警棒を提げたまま、腕の画面に目を落とす。
同時接続数を見ている。
「素敵なご提案です」
平らな声は、少しも揺れなかった。
「当チャンネルも、一言の場面は欠かしませんので。……では、皆さん」
処刑人は、僕の真上に浮くドローンへヘルメットを向けた。
僕と話しているのに、返事は画面の向こうの人たちへ向けて言っている。
「主演さんが代わりにご出演くださるなら、お二人は、お帰しします」
背中のほうで、膝をついた男が血をすする音がした。
3台のドローンは、僕の答えを待っている。




