↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
弱虫ダンジョン配信者の僕、宿った本物の殺人ピエロに体を貸したら『演技うますぎ』とバズった  作者: 月見まっちゃ
第3章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

37/46

第37話 押し返される道化

「……いいよ。あの狼だけ」


 体はもうピエロのものだ。僕の左手が勝手に動いて、右手の手袋の白い折り返しを引き直す。

 次の瞬間には重心が片脚へ流れていた。脇腹の痛みはそのままなのに、背筋だけが上へ伸びていく。

 顎が持ち上がる。

 ピエロが前髪を後ろへなでつけると、よろめいている灰色の大狼が視界に丸ごと入ってきた。


 ピエロは背から鎌を下ろして、撒き菱の散らばった床に石突きを突いた。

 柄頭に両手を重ねて、手袋をはめた右手を上に置く。

 胸が開いて、さっきまで脇腹で引っかかっていた息が奥まで入ってくる。僕の肺なのに、吸っているのは僕じゃない。

 膝が笑っていた体で、よくここまで斜めに立てるものだと思う。


『一幕来た』

『顔がいい』

『さっきまでボロボロだったのに』

『立ち方が別人』


 ピエロは僕の目で、腕の画面を一度だけ見下ろした。同時接続数は2万5千に届いている。視聴者がどれだけ集まったかを確かめる目つきだった。


「客人方。先触れの仕事は、ここまでだ」

「相手は、奥で寝そべっていた灰色の大きいの」

「演目は、『シャンデリアの影』」


 ピエロより先に出て場を温めるのが、僕の役だった。ここからはピエロの出番で、ピエロは見せる戦いにいつも題を付ける。

 最後の一語と一緒に、ピエロは《挑発》を使った。モンスターの注意を、自分へ引きつけるスキルだ。

 大狼がこっちへ顔を回す。その動きはさっきより、ずっと遅い。

 僕が短剣を入れた前脚は、まだ床をちゃんと踏めていなかった。


『シャンデリアどこ』

『奥は真っ暗だぞ』

『演目きた』

『題だけ豪華』


 ピエロが石突きを床から離した。

 柄を指の間で回しながら、ピエロは僕の体で大狼へ歩いていく。どこで止まるのか、中にいる僕にも分からない歩き方だ。

 大狼が跳びかかってくれば、首の後ろが上を向く。ピエロが待っているのは、たぶんそれだ。


 大狼は跳ばなかった。


 頭を低くしたまま、傷んだ前脚をかばって、肩からぶつかってくる。

 ピエロは黒い柄で灰色の額を受けた。

 受けたのに、止まらない。


 押される。


 靴の裏が石の床を後ろへ滑り、かかとが撒き菱の粒を蹴散らした。

 ピエロは滑りながら半歩だけ横へ抜けて、柄の先で大狼の鼻先を軽くたたく。跳びかかってこい、と言っているような手つきだった。

 大狼は乗らなかった。たたかれた鼻を床へ下げたまま向き直り、また肩から来る。

 ピエロが柄を斜めに倒して、重さを横へ流そうとする。大狼は流された先でもこっちへ向き直り、もう一度肩をぶつけてきた。

 今度はさっきより大きく滑った。いつも一振りで終わらせてきたピエロが、床の上を後ろへ運ばれていく。


「見たか、客人方。礼儀を知る狼だ。先に一歩、譲ってやった」


 また、後ろへ運ばれる。


「……二歩だな」


『黒手袋が押されてる』

『え、押されてる?』

『わざと?』

『譲ったってw』

『演出だろ』


 わざとじゃない。


 柄を受ける腕より先に、踏んばった左脚が負けている。床を滑らされるたびに、脇腹の奥が鳴る。コメントが笑っている冗談の裏で、柄はずっと震えていた。


 この体じゃ、勝てない。


 大狼がまた低く沈む。

 次の体当たりが来るより先に、ピエロは手袋の右手を柄の中ほどまで滑らせて、握り直した。刃が頭の後ろへ回り、石突きが前に来る。

 ふだん僕にだけ見えているピエロは、いつも黒い杖を手にしている。今の握り方は、あの杖と同じだ。


『持ち方変えた』

『杖みたい』


 牙が来る。ピエロはそれを柄で横へ流した。

 重さをまともに受けなければ、この体でも持つ。

 ピエロが石突きで床を突き、その反動で半歩横へ抜ける。踏みこんできた大狼の頭は、さっきまで僕の胸があった所を空振りした。


 正面からぶつからなければ、あの重さは届かない。


『棒術かよ』

『杖さばき慣れすぎ』

『やっぱ押されたのわざとだろ』


 大狼のうなり声が一段高くなった。ぶつかれば下がった相手が、急に重さを受けてくれなくなったのだから、怒りもするだろう。


 銀の刃は一度も振られない。弧が鼻先をかすめるたびに、大狼の目がそっちへ引かれるだけだ。ピエロは刃を見せて、誘っている。

 石突きも、僕の短剣が入った前脚には一度も向かなかった。すぐ横の床を突くだけだ。

 打てば、もう一度崩れるはずなのに。

 大狼は空振りのたびに向き直ってくる。遅いけど、倒れない。


 そこでピエロは僕の体ごと向きを変えた。

 大狼の鼻先を横切って、広間の奥へ歩いていく。光る石がまばらな、さっきまで大狼が伏せていた暗がりへ。


(ちょ、ちょっと待って。そっち、あの狼の寝床……)


 返事の代わりに、足音が消えた。

 ピエロはかかとを床に下ろさない。つま先だけで、踊るみたいに滑っていく。


『黒手袋が奥行った』

『自分から暗い所に』

『こわいこわい』

『ドローン追いつけてない』


 ドローンは明かりの側に浮いたままで、暗がりのピエロを映せていない。

 大狼が前脚を引きずりながら、自分の寝床へ追ってくる。

 追わせているのは《挑発》なのに、追われているピエロのほうが楽しそうなのが、いちばんおかしい。


 ピエロは明かりと暗がりの境で、くるりと回った。

 一歩だけ明かりへ出て、《挑発》をもう一度かける。大狼がこっちを向いたときには、ピエロはもう暗がりへ戻っている。

 足音は1つもしない。自分の体なのに、どこにいるのか僕まで見失いそうになる。


 大狼が誰もいない明かりへ跳びかかった。

 何もない所で、牙が鳴る。


『消えた』

『どこだ』

『狼が誰もいない所向いてる』

『画面暗くて見えん』


「どこを見ている」


 暗がりの別の所から、声だけが出た。僕の口からだ。

 大狼は遅れて、声のほうへ首を回す。そのころには、ピエロはもう反対の縁にいた。


 柄を杖みたいに斜めに持って、ピエロが明かりへ一歩だけ出る。

 その向こうで、大狼がまた誰もいない明かりへ跳んで、空をかんだ。

 さっきまで床を滑らされていたのが、うそみたいだ。


『声だけする』

『ホラーかよ』

『狼が遊ばれてる』

『シャンデリアって暗がりのことか』


 大狼が床へ降りたとき、その頭が一瞬だけ、がくりと下がった。


 降りるたびに、左の前脚が沈む。

 僕が入れた所だ。


 ピエロは何も言わない。僕の目で、暗がりの縁を見たままだ。

 気づいているのかどうかも、中にいる僕には分からなかった。


 次の一回は、近すぎた。

 向き直った大狼の鼻先が、暗がりから出かけた僕の肩のすぐ前を通る。生ぐさい息が頬にかかる。

 ピエロはその息の中で、ほんの一瞬だけ止まってみせた。今度は、わざとだ。

 大狼が口を開けたときには、もうそこにいない。空を切った牙の音が、背中の後ろで鳴った。

 見ている僕のほうが、先に心臓がもたなくなりそうだ。


『今かすった?』

『ギリギリで遊ぶな』

『黒手袋性格悪いw』


【《挑発》がLv2になりました】


 半年、1だったのに。


 暗がりの縁で何度も《挑発》をかけたのは、ピエロだ。僕はスキルptを払っていないし、半年使っても上がらなかった。それを一度の戦いで上げられて、背中の奥が少しだけ冷えた。

 腕の画面のコメントは、まだ笑っている。


 次に《挑発》をかけたとき、大狼は追ってこなかった。

 暗がりの縁まで来て、そこで頭を低くして伏せる。灰色の目だけが、明かりの側を向いていた。


 同じ手を、もう覚えたのだ。

 暗がりの奥から、ピエロがもう一度、《挑発》をかける。大狼は耳だけをぴくりと動かして、伏せたまま動かなかった。

 顔はこっちを向いている。《挑発》は効いているのに、追ってこない。


『狼が動かなくなった』

『待ち伏せしてる』

『黒手袋出てこれないじゃん』


 ピエロが僕の体を動かしていられる時間が、体の芯で細りはじめている。


 ピエロが明かりへ出た。

 大狼が床からはがれるように前へ出る。跳ばない。低いまま、まっすぐに来る。

 大狼の肩が僕の胸に入った。


 足が床を離れる。転がろうとした体ごと、灰色の重さに運ばれていく。


 壁まで、押しこまれた。


 さっき体当たりを受けた脇腹に、また重さが入った。肩と腰に、新しい打ち身が増えていく。

 息が吸えない。


「……客人方。少々、近すぎる席だ」


 大狼の額と僕の胸のあいだに、黒い柄が1本だけ挟まっている。大狼が額を寄せるたびに、その柄ごと胸が壁へめりこんでいく。

 今度は、コメントが笑わなかった。


『やばい』

『黒手袋が追い詰められてる』

『壁際』

『押しつぶされる』

『逃げて』


 背中に石の壁がある。

 息のかかる近さで、灰色の顔が低くうなっている。


 ピエロが僕の体を使っていられる残りの時間が、体の芯でまた細くなった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。