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弱虫ダンジョン配信者の僕、宿った本物の殺人ピエロに体を貸したら『演技うますぎ』とバズった  作者: 月見まっちゃ
第3章

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第36話 ヘラルドが入れた

(少年。鎌を、点検しろ)


 体の中で、ピエロの声がした。10層にあるボス部屋の入口の外で、配信を開けた直後だった。

 鎌の点検を退屈だと罵ってきたピエロが、自分から点検しろと言っている。

 今日は中間ボスに挑むと決めて来た日だ。入口の外で順番を待つ組は1つもいない。


「き、きみが……点検って、言った?」


 ピエロは答えずに、鎌の刃へ顎をしゃくった。

 背から鎌を下ろして、銀の刃の弧を指でなぞる。欠けはない。背に留めるベルトの金具も、1つずつ引いて確かめた。

 ピエロは入口の壁にもたれて、僕の手元から目を離さない。あくびも罵る声も来なかった。

 黙って見られているほうが、罵られるより落ち着かない。


『いつもの点検』

『点検タイム』

『安心のやつ』


 いつもとは逆で、今日はピエロに頼まれたんだけどな。


 鎌を背に戻して、ドローンへ顔を上げる。


「ちゅ、中間ボスに……挑みます」


『は?』

『中ボス!?』

『ついにか』

『それ4人で行くとこ』

『1人はやめとけって』


 心配するコメントのほうが正しい。中間ボスに挑んだ4人組がこの入口から崩れて出てくるのを、僕はこの目で見ている。


「だ、大丈夫……じゃ、ないけど」


『じゃないんかい』

『正直でよろしい』


 ピエロが腕の画面の隅へ目をやった。画面の隅で、配信を見ている人の数が跳ねている。


 2万3千。


(悪くない入りだ。少年、今日は、先に舞台に立て)


 まず僕が大狼の前に出ろということだ。ピエロより先に出て場を温める役を、ピエロは先触れと呼ぶ。配信の名前のヘラルドも同じ意味だ。


「……うん」


 ピエロはもう数字を見ていなかった。僕と同じ入口の奥を向いている。


 ◇


 入口から中をのぞく。

 広間は奥へ行くほど光る石が少なくなって暗い。その暗がりに、大きな気配が1つ伏せたまま動かない。

 首から下げたメモ帳には、「10層 中間ボス」の下に「近づくと起きる」と書いてある。その横は空いたままだ。

 どこまで近づけば起きるのか。大狼の腹の下をくぐって逃げ帰った月曜の下見では、それを持ち帰れなかった。

 だから撒き菱を撒くのは、入口のすぐ内側にする。そこまでなら大狼は起きないはずだ。


 ポーチの撒き菱は3袋。

 ひとつかみ握って、入口の外から腕を振った。入口の数歩奥の床に、とがった粒が散る。

 狙ったとおりだ。


「み、右の壁から……順に、撒いていきます」


 右の壁ぎわから粒を重ねて、左へ帯を伸ばしていく。

 腕の画面の隅で、見ている人の数がまた増えた。

 見なければよかった。指先が言うことを聞かなくなる。


 投げた粒が床の出っぱりに当たって、手前へ跳ねた。

 外れた。

 力むと、狙いより手前にぼとぼと落ちる。

 もう1つ外れた。


「ご、ごめん、ちょっと……手が」


『がんばれ』

『緊張してるの伝わる』


 伝わらなくていい。


 帯の真ん中だけは、僕1人がやっと通れる幅を空けておく。追われたら入口へ下がる、退く道だ。

 左の壁ぎわまで来たところで、3つ目の袋が空になった。


『壁から壁まで』

『入口に線引いた』

『撒き菱ロード』

『職人芸じゃん』

『左薄くない?』


 左の壁ぎわの端だけ粒がまばらで、石の床が見えている。

 月曜の下見で広間に落としてきた1袋が、ここにあれば。

 ピエロは何も言わない。左の端に目を止めているだけだ。


 入る。


『薄いまま行くの?』

『無茶すんなって』


 ◇


 息を1つ吐いて、入口をくぐった。

 退く道を奥へ歩く。両側の床で、撒き菱が光る石の明かりを拾っている。

 粒のあいだを歩くのは、自分で撒いても怖い。

 帯を抜けて、その先へ一歩ずつ出る。暗がりの気配から意識を離さない。

 すぐ横にピエロが並んで立っている。


(少年、顎)


 顎を上げろ、のいつもの小言だ。この場面でまで、それを言うのか。

 言い返す余裕もないまま、顎だけ少し上げる。奥の暗がりがほんの少し広く見える。


 振り返ると、帯はもう数歩うしろだ。入口の明かりが粒の上で光っている。

 気配は伏せたまま動かない。


 もう一歩。


 奥の気配が動いた。

 今日は黙って回りこませない。


「こ、こっち……こっちだよ」


 《挑発》、と念じる。暗がりで持ち上がった灰色の顔が、まっすぐ僕へ向いた。

 大人の背ほどもある大狼が、四つ足で立つ。灰色の毛並みの中で、牙だけが白い。

 膝はまだ、震えるのを待ってくれている。


『でか』

『起きた』

『ヘラルド下がれ』


 言われなくても下がる。

 大狼が床を蹴るのと同時に、背を見せずに退く道を下がる。かかとで1歩ごとに粒の手前を探す。自分で空けた幅が今は細すぎる。

 帯の手前まで出て、向き直った。

 灰色の顔がこっちを向いているうちに、もう一度、《挑発》をかける。この前より、ずっと早く。


 灰色の前足が帯に入った。

 がくん、と大狼の肩が落ちる。撒き菱を踏んだ足をかばって、次の足も踏む。

 この前は1粒も踏まずに回りこんだ足だ。

 大狼の頭が右の壁のほうへ振れた。壁ぎわまで粒が続いている。

 効いてる。


『中ボスが踊ってる』

『撒き菱つよい』

『え、効いてる』


 大狼が頭を下げた。後ろ脚をためている。

 8層のウルフと同じ形だ。メモ帳に書いた「跳ぶ前に頭が下がる」が、目の前で起きている。

 跳ぶ。

 半歩ずれる。踏み切りの足が粒で滑って、跳びが短い。灰色の体は僕の鼻先をかすめて、帯の端に散った粒の上へ落ちた。

 かわせた。頭より先に体が覚えている。


『今の読んでた?』

『ヘラルド押してる』

『中ボス相手に!?』


 押してる、は言いすぎだ。

 それでも、この前崩れた所が今日は1つも崩れていない。


 効き目が切れる前に、早め早めに《挑発》をかける。帯の中で向き直るたびに、大狼はどこかの足で粒を踏む。

 大狼の頭がまた下がった。


「き、来ます」


 よける。言ったとおりに、大きな体が粒の上へ落ちた。

 膝はまだ笑っていない。


『予告どおり』

『解説つきで避けてる』


(悪くない、少年。客席が温まってきた)


 まっすぐな褒め言葉に客席の話がくっついてくるのも、いつもどおりだ。


『前にいると安心する』

『黒手袋まだ?』

『このまま行けるだろ』


 行けない。かわしているだけで、僕はまだ1度も刃を当てていない。黒手袋は配信でのピエロの呼び名だ。


 大狼がうなるのをやめた。

 帯の中を、左へ歩いていく。

 左の壁ぎわの、帯の端で止まる。粒のまばらな、石の床の上だ。

 僕が外した所だ。


 前足がそろった。

 頭が、下がらない。


 ……いつもの合図がない。


 次の瞬間、灰色の腹が頭の上にあった。

 帯ごと越えてくる。撒き菱の光る帯の上を、僕の上を、大きな影がまるごと渡っていく。

 入口を背にしたまま、足が動かない。


『うそだろ』

『予告なしで跳んだ!?』

『ヘラルド後ろ!』


 背中のほうで重い足音が落ちた。

 振り向くと、入口の明かりが灰色の体で半分消えている。

 大狼は、僕と入口のあいだに降りていた。

 広間を出れば大狼は追ってこない。その入口が、灰色の背の向こうにある。


 《挑発》の効き目が切れかけていた。もう一度かけようと息を吸うより先に、灰色の肩が来る。


 左の脇腹に、体当たりが入った。


 石の床を転がる。止まったときには、息が戻ってこなかった。

 脇腹の奥が鈍く鳴り続けていた。吸おうとするたびに、そこで息が引っかかって止まる。


 起き上がる。

 立てた。でも、次をもらったら、もう転がれない。

 大狼は退く道をふさぐ位置で、胸を床すれすれまで低くしていた。低い所から、灰色の目が僕だけを見ている。

 腹の下の暗いすき間がない。

 月曜の下見で腹の下をくぐったのを、覚えられている。

 大狼は撒き菱の帯を越えてきた。もう僕と大狼のあいだに1粒もない。


『入口塞がれた』

『下がって!』

『どこにだよ』

『もう無理だろ』

『黒手袋はよ』


 大狼が低いまま一歩詰める。

 僕が一歩下がると、また詰めてきた。

 下がるたびに、入口の明かりが灰色の背の向こうで遠くなっていく。


 気づくと、僕はポーチへ手を伸ばしていた。空の袋の底に指先が触れる。

 全部、あの帯に撒いた。


 体の中で、ピエロが何か言っている。白い顔が、見たことがないほど近い。同じ言葉を何度もくり返しているらしい。

 でも、聞き取れない。耳に入るのは、自分の息が引っかかる音だけだ。


 逃げる所が、ない。


 腕の画面で、コメントの流れが止まっていた。

 2万3千人が黙って見ている。


 大狼が頭を下げた。

 後ろ脚をためている。この形は知っている。

 跳んだ体は、降りたあと一拍止まる。4人組が崩れた日に、メモ帳に書いた。

 跳ぶ。

 横へ跳んでよける。脇腹が焼けたように鳴った。

 さっきまで僕のいた所へ、灰色の体が降りる。


 一拍。


 首の後ろが下りてくる。でも、牙の向こうだ。

 前脚の付け根が目の前にある。

 前に出るとき、僕の重心は後ろに残っている、と結衣ねえに言われた。


 重心を、前へ。


 踏み込む。


 僕の短剣が、灰色の前脚の付け根に深く入った。


『ヘラルドが入れた!』

『前に出た!?』

『自分で行った』

『先触れが斬った』

『うおおお』


 大狼が前脚をかばってよろめく。

 灰色の体が入口の前まで下がった。前脚を床につくたびに、肩が沈む。

 それでも倒れはしない。


『下がるんじゃなかったのかよ』

『今の黒手袋じゃないよな』

『ヘラルドの短剣だぞ』


 間が空いた。

 短剣の柄を握った指が、自分の指なのにほどけない。


 やっと、ピエロの声が聞き取れた。体をよこせ、とくり返していた。


(代われ)


 灰色の影がよろめいている。

 白い折り返しの黒い手袋が、僕へ伸ばされていた。

 短剣の柄から、指がやっとほどけた。

 僕は、口を開く。

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