第33話 ヘラルドが倒した
角を2つ曲がった先に、気配が6つあった。
前に4つ、後ろに離れて2つ。前の4つはうろうろ動くのに、後ろの2つは近づきも離れもしない。
群れのくせに、2つだけ置いていかれたみたいな並び方だ。
配信を開けて、今日は10層です、と言い終えた直後に、《気配察知》がこの6つを拾った。見えない相手の気配が分かるスキルだ。
木曜、巡回員の久我さんの前で8層のウルフと戦った夜に、Lv2に上げたばかりだ。探れる範囲は角2つ先まで広がった。上げて最初の配信で、もう変なものを拾っている。
『10層きた』
『中ボスの層じゃん』
『ついに』
10層は上層の最後の層で、いちばん奥に中間ボスのいるボス部屋がある。
潜る日は行く層と帰る時刻を紙に書いて台所に貼る、と父と約束している。今日は10層と書いてきた。結衣ねえには何も送っていない。
それでも、もっと下へ行くと結衣ねえの家の前で話した夜、結衣ねえは、配信もアーカイブも全部見てる、と言っていた。どこかでこの画面を開いているかもしれない。
壁ぎわで装備の点検を手早く済ませた。木曜にウルフにぶつかられた右肩だけが、肩当ての下でまだ鈍く痛む。
「えっと……こ、この先に、群れがいるので。別の道から、回ります」
(群れなら、なおいい。避ける理由がどこにある)
壁にもたれたピエロが不満そうに顎を上げた。
避ける理由なら、肌に引っかかったままの2つだ。言えば、ピエロはもっと乗り気になる。
右の通路へ折れて、群れから遠ざかった。
その先の角を曲がったときだった。
《気配察知》の端に、気配が1つ飛びこんでくる。
近いと思ったときには、犬の頭をしたモンスターが床を蹴っていた。
コボルトだ。
角2つ先の、さらに外から走ってきたんだ。探れる距離が倍になっても、足の速い相手には間に合わない。
顔の前に爪が来る。横へ転がってよけた。
転がるのだけは、近ごろ少しはましになっている。
コボルトは僕の向こうの床に降りた。
向き直るまでに、少し間がある。
8層でウルフと戦った日に見つけた、着地のあとの間と同じだ。
重心を、前へ。
踏み込んだ。
短剣が、毛の薄い喉に入っていた。
コボルトの体が光の粒にほどけて、魔石が1つ床に跳ねる。
コメント欄の流れが少しの間止まった。
『え』
『今の黒手袋じゃないよな?』
『模様出てないぞ』
『ヘラルドが倒した?』
『え、普通に強くない?』
止まっていた分を取り返すように、コメントが一気に流れ出す。
『中で黒手袋が動かしてんだろ』
『猫背のままだったが』
『どっちだよ』
『短剣で喉一発はガチ』
胸が痛くなって、やっと気づいた。踏み込んでから、ずっと息を止めていた。
吐いたら、膝まで一緒に抜けそうになる。
『ヘラルド何か言え』
『本人がいちばん驚いてて草』
「え、えっと……」
ピエロなら、ここで口上の1つも出てくる。僕の口から出てくるのは、えっと、だけだ。
「い、今のは、その……たまたま、で」
『たまたまで喉は狙えん』
『謙遜が下手』
言い訳まで下手だった。
「さ、先、行きます」
魔石を拾ってポーチに落とした。腕の画面の同時接続数は2万を超えている。
壁ぎわのピエロが、その数字を見て一度動きを止めた。
いつもなら背中が丸まるたびに「顎」「肩」と小言が飛んでくるのに、今は何もない。
(少年。さっきの群れだ。あれを舞台にする)
しばらく歩いてから、ピエロが白い指で来た道のほうを指した。
配信する日は1回、ピエロに体を貸して戦う所を映す。ピエロと交わした取り引きだ。舞台を選ぶのはいつもピエロのほうだ。
来た道を戻って角の陰からのぞくと、通路の先に、棍棒を提げたゴブリンが4匹いた。
その奥の壁ぎわに2匹。弓を持つゴブリンアーチャーと、杖を持つゴブリンシャーマンだ。
協会の資料には、群れの後ろから射る、と書いてあった。前に出てこなかったのは、出る役じゃないからだ。
(ほう。後ろに控えた役者は、弓と杖か。……少年、知っていて避けたな)
「し、知ってたのは、数だけだよ」
嘘じゃない。言わなかっただけだ。
前の4匹が顔を上げた。
《挑発》、と念じる。引きつけるのは前の4匹だけでいい。
4匹の顔がこっちを向いて、棍棒が一斉に床を離れた。
角の陰まで下がると、矢が1本、角の石に当たって跳ねた。
ここなら、後ろの2匹から僕は見えない。
4匹は角の手前で足を止めた。どっちから回りこむかで、もめている。
間が空いた。
(代われ)
「いいよ。モンスターだけ」
ピエロが僕の左手で、手袋の折り返しを直した。
丸めていた背中を一息に伸ばし、指で前髪を後ろへなでつける。
頬に白粉がすっと乗り、左の目尻からこめかみへ目張りが引かれる感じがした。入れ替わりの模様だ。
ピエロは角の陰から、わざわざ通路の真ん中へ歩み出た。
矢の届く所に、自分から立たないでほしい。
背から外した鎌の石突きで床を突き、柄頭に両手を重ねる。
『一幕きた』
『顔がいい』
『姿勢が別人』
ピエロが僕の目で腕の画面を一度だけ見た。同時接続数は2万1千。ピエロは何も言わずに、目をカメラへ上げた。
「客人方、余興を一つ。相手は、この群れの全部だ。後ろで隠れている2匹もな」
「演目は、『背中を預ける』」
誰が誰に背中を預けるのか、まだ分からない。
口上が終わると、ピエロはもう一度、《挑発》を使った。今度は前の4匹だけでなく、奥の弓と杖までこっちを向いた。
前の4匹が左右から回りこんでくる。その頭の上を越えて、矢が飛んできた。
ピエロが半歩ずれて、矢は耳のすぐ横を抜ける。
囲まれて、後ろからは矢。僕なら、もう射抜かれている。
ピエロは斬らなかった。
棍棒を振り上げた1匹の脇をすり抜けて、その背中の後ろへ回る。
弓を持つゴブリンから見えるのは、もう緑の背中だけだ。
次の矢はそのゴブリンの背中に刺さった。
前の1匹が光の粒にほどける。
『味方撃ちw』
『今わざと?』
『後ろ取って盾にした』
「後ろの弓。腕はいい。的を選ぶ目がないだけだ」
的を選ばせていないのは、ピエロのほうだ。
奥でシャーマンが杖を振った。杖の先に、拳ほどの火が灯る。
火が飛んでくるより先に、ピエロはもう別の1匹の後ろにいた。
見てから動いたんじゃない。杖が振られる前から、そこへ向かっていた。
火の玉は緑の背中で弾けた。その1匹も、焦げた棍棒ごと消える。
はねた熱が白粉の頬をかすめていく。焦げたにおいだけは、体の中の僕にもちゃんと届いた。
残りの2匹も、長くはもたなかった。
『盾が勝手に減ってく』
『後ろの奴ら、前に謝れ』
前が空になった。
奥の弓と杖まで、さえぎる物のない通路がまっすぐ開いている。
ピエロは走らなかった。柄を指で回しながら、歩いて詰めていく。
急ぐ理由がないと思っているのは、ピエロだけだ。
矢が来た。ピエロは回していた柄で、矢を横からはたき落とした。
柄を回すのはただの癖だと思っていた。矢をはたく構えだったんだ。
杖の先に、また火が灯りかける。
ピエロが止まった。片脚に重心を残して、柄を短く持ち直す。
ピエロが刃を2度、横に払った。
弓と杖のゴブリンが順に光の粒にほどけ、床に魔石が2つ転がる。
【レベルアップ。Lv14からLv15になりました】
『預けた相手に撃たれてて草』
『題そういうことか』
『斬ったの最後の2匹だけ』
ピエロが鎌を宙へ放り、前髪が目の上に戻ってくる。落ちてきた柄を受け止めたとたん、打ち身の残る右肩に重さがまともに響いた。
「あ、あの……みんな、ごめん」
『お約束』
『さっきのコボルトの方が好き』
息がまだ整わない。コボルトとやり合った疲れと、ピエロが体を使った疲れが、まとめて脚に来ている。
「えっと……ボス部屋の、入口だけ、見て帰ります」
奥へ続く通路は進むほど広くなった。壁の光る石が少しずつ減っていく。
中間ボスがいるのはこの先だ。メモ帳に写した協会の資料なら、何度も読んでいる。
通路の先から声がした。
人の叫び声だ。僕のほかにも、この層に誰かいる。
それに重なって、低いうなりが通路の壁を震わせる。犬の喉から出る音より、ずっと大きい。
『今の何』
『人の声?』
『ボス部屋の方じゃね』
もう一度、叫び声が上がった。
僕の足はもう前へ出かけていた。




