↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
弱虫ダンジョン配信者の僕、宿った本物の殺人ピエロに体を貸したら『演技うますぎ』とバズった  作者: 月見まっちゃ
第3章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

32/44

第32話 一拍遅い合図

 灰色のウルフが床を蹴った。

 僕は両腕で頭を抱えて、横へ転がった。さっきまで首のあった高さで、牙が空を噛む音がした。

 膝はつかない。転がった勢いのまま足の裏で床をとらえて、立ち上がる。

 おととい教わった受け身が、ちゃんと体に入っていた。


 今日は木曜で、配信しない日だ。台所の紙に行き先の「8層」と書いて、ドローンは家に置いてきた。


「はぐれのウルフを1人で引き付けてみろ。まずいと思ったら、自分が下がれと言って割って入る」


 部屋に入る前に、久我さんはそう言った。

 今、久我さんは僕から2歩離れた出入り口に立っている。右手を剣の柄に置いたままで、ウルフを見ていない。

 僕の顔を見ている。

 守ってくれる人に顔を見られていると、思っていたより背中が落ち着かない。ウルフより先に、久我さんの目に気を取られそうになる。


 ウルフが低い姿勢のまま、壁ぎわを回りこむ。大きな犬ほどの背中が、出入り口のほうへ流れかけた。

 そっちはまずい。考えるより先に、口が開いていた。


「こ、こっち! ……こっちだよ、こっち見て」


 声と一緒に《挑発》を使う。

 ウルフがぐるりと顔を僕へ戻した。

 出入り口に立っているのは今日の僕の先生で、そっちへ行かれたら、1人で引き付ける意味がない。


 《挑発》の効き目が切れかけると、強い相手は振りほどこうとする。だから、切れる前にもう一度かける。店長に聞いたやり方だ。

 8層の相手で、振りほどかれるかどうかを試す度胸は、僕にはない。


 ウルフが跳びかかってくるたびに、両腕で頭を囲って、半身でよける。

 1度。2度。

 灰色の毛が腕のすぐ外を流れていく。

 怖い。それでも僕は、腕の間から、ウルフが跳ぶ少し手前を見ていた。店の棚で刃こぼれを探すときと同じ目だ。

 跳ぶ前に、毎回何かがある気がする。何があるのかまではまだ分からない。


 ウルフが狙ってくるのは、脚と喉ばかりだった。止まって待っている相手の、いちばん柔らかい所だ。

 だから、僕は止まらない。半歩ずつ位置を変えて、跳ばれるたびによける。

 よけるだけなら、何度でもできる。短剣のほうは、まだ一度も前へ出せていなかった。

 出そうとするたびに、重さがかかとに残って、足が床から離れない。おととい7層で試したときと同じだ。


 3度目で、牙が構えた肘をかすめた。

 腕ごと持っていかれて、足がもつれる。床に手をつく前に、どうにか踏みとどまった。


「下がれ」


 久我さんの声が来たのは、僕が自分で立て直したあとだった。割って入る合図にしては、一拍遅い。

 もう立てているのだから、下がる理由はない。僕は足をその場に置いたままにした。

 もう一度かけた《挑発》で、ウルフがまたこっちを向く。


 4度目の跳びかかりは見えなかった。出入り口の久我さんへ、目がそれた一瞬だった。


 右肩に重いものがぶつかった。

 肩当ての上から、牙ごと肩を押しつぶされる。

 骨の奥で鈍い音が鳴った。


 目の前が、白くなった。


 音が遠い。耳の内側で、自分の息だけが大きい。

 膝から力が抜けていく。

 足の裏に、床の固さが感じられなくなっていく。


 久我さんの「下がれ」が来ない。


 カメラはない。

 前に6層で気を失ったとき、目を開けると、僕の短剣は知らない人の首の指一本手前にあった。カメラに映らない人を、ピエロは守らない。


 ここで気を失えば、ピエロが僕の体で久我さんの首へ行く。


 僕が気を失ったら何が起きるか。それを知っているのは、この部屋で僕と、ピエロだけだ。


 白い視界の端、僕の肩の後ろに、ピエロがいた。

 ピエロは何も言わない。急かしもしない。

 ピエロの目は、出入り口に立つ久我さんの首を見ている。


 その向こうで、久我さんが一歩出かけて、止まった。


「……下がれ!」


 来た。さっきと同じで、一拍遅れて。


 膝はつかない。

 抜けかけた膝を、そのまま横へ倒した。頭を抱えて転がり、ウルフとの間を空ける。

 肩が床に当たって、息が詰まる。それでも、教わったとおり頭は床に打たなかった。

 起き上がっても、目の前はまだ白い。白い中に、ウルフの灰色の体だけが見える。

 あと何度よけられるかは、数えないことにした。数えたら、先に膝が折れる気がした。

 さっきまで見ていたものは、白くなっても消えていなかった。


 跳ぶ前に、ウルフは頭を下げて後ろ脚をためる。降りたら、向き直るまでに一拍止まる。


 ウルフの頭が、下がった。


 跳んだ。


 僕は半歩だけ横へよけた。ウルフはさっきまで僕のいた床へ落ちた。顔はまだこっちを向いていない。


 幼なじみの結衣ねえに、家の門の前で言われたことがある。前に出るとき、りっちゃんの重心は後ろに残ってる、と。

 今も、重さはかかとに残っていた。

 その重さを、つま先へ移す。


 踏み込んだ。


 僕の短剣が、向き直る前のウルフの首に入っていた。


 ウルフの体がほどけるように消えて、床に魔石が1つ転がった。


【レベルアップ。Lv13からLv14になりました】


 出入り口から、靴音が1つ、遅れて届いた。

 割って入るはずだった久我さんの一歩は、ウルフのいなくなった床を踏んでいた。


(自分から行ったな、少年。見事だ)


 肩の後ろから聞こえたピエロの声は、笑っていなかった。からかいも注文もついてこない。

 今になって、短剣を下げた手が震えだす。

 白かった視界のふちに、部屋の壁の色が少しずつ戻ってくる。


 久我さんが目の前まで来た。剣の柄から手を下ろして、僕の目をのぞきこむ。


「名前と、今日の日付」

「白瀬、律です。……今日は、木曜で」


 日付まで言い終えると、久我さんは太い指を1本、目の前で左右に振った。前に6層で後ろ頭を打って倒れた日にも、同じやり方で確かめられた。

 白さの抜けてきた目で、どうにか指を追う。追い終えると、久我さんは指を下ろした。

 それでも久我さんの目は、僕の顔からなかなか離れない。前髪の下の何を見ているのか、僕には見当がつかない。


「……立ってたな」


 それだけだった。

 無精ひげの顔に浮かんだのが、ほっとした顔なのか、ほかの何かなのか、僕には分からない。


「今日はここまでだ。肩、冷やしとけ」

「……はい」


 久我さんは床の魔石を拾って僕の手に落とすと、先に出入り口へ戻っていった。

 背嚢を背負った背中は、帰りの階段まで一度も振り向かなかった。


 ◇


 夜、ベッドの縁でメモ帳を開いた。

 足の裏には、つま先へ重さが移った瞬間の感じがまだ残っている。かかとは今日、床に残らなかった。

 右肩は湿布の下で、まだ熱い。腕を上げると、肩当ての形どおりに鈍く痛む。


 8層で見たものを、忘れないうちに書いておく。


 ウルフ 跳ぶ前に頭が下がる 着地のあと一拍


 今日の部屋で、いちばん役に立った1行だ。たぶん、次も役に立つ。

 鉛筆の先で、部屋の中のことを最初から思い出していく。

 肘をかすめた3度目。肩を打たれた4度目。思い出すたびに、同じ所で引っかかった。


 久我さん 下がれが一拍ずつ遅い 目はずっと僕の顔


 書いた字を見下ろす。ほかの行より、鉛筆の跡が少しだけ濃い。知らないうちに、強く押しつけて書いていた。

 なぜそこで力が入ったのかは考えなかった。鉛筆はもう次の行に、右肩の打撲と書いている。


 窓枠のピエロは何も言わない。

 ピエロの目は、僕の字の上で止まっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。