第29話 言い当てる道化
1週間ぶりの配信で、最初に流れたコメントは、生きてた、だった。
『ケガ大丈夫?』
『この前倒れてたよな』
『腕どうなった』
土曜の昼過ぎ、9層の通路の端で、腕の画面を開けたばかりだった。
コメントはいつもの土曜よりずっと速く流れていく。5日前、処刑人の配信で僕が打たれて倒れる所を、みんな見ていたんだ。
左腕は昨日、やっと肩の上まで上がるようになった。上げると、肩の奥がまだ鈍く痛む。
「だ、大丈夫です。……あの、ご、ごめんなさい」
心配してくれた人たちに、謝っている。
何を謝ったのか、言った僕にも分からない。
『なんで謝る』
『謝罪から入る配信』
『夏に崩落で閉じ込められた子は笑って話してたぞ』
『生存確認できたからヨシ』
『声ちっさ』
顔が熱くなったので、点検に逃げた。
「て、点検、始めます。今日は、9層です」
『9層!?』
『病み上がりで下がるな』
『先週8層だったろ』
『攻めてる』
潜る日は、行く層と帰る時刻を紙に書いて、台所の冷蔵庫の扉に貼ってから家を出る。父と決めた約束だ。
今日は『9層』と『6時』だ。
短剣の留め金、ポーチの口、撒き菱の袋の重さ、背の鎌のベルト。一つずつ指で確かめていく。
通路の壁に斜めにもたれたピエロが、退屈そうに天井を見ていた。ピエロは、配信を見ている人たちを客人と呼ぶ。
(客人を待たせて、また袋の数か)
数え終わらないと、僕の足は前に出ない。退屈でも、数えるのはやめられない。
9層の通路は8層より天井が低く、壁の光る石もまばらだった。
1つ下りただけなのに、空気が重い。重く感じるのは空気より、たぶん僕の肩のほうだ。
◇
奥の部屋の手前まで来たとき、ピエロが白い指を伸ばした。
(あれにしよう、少年。今日の相手だ)
部屋の真ん中で、大蛇がとぐろを巻いていた。
体は大人の胴ほども太く、それが何重にも輪になっている。協会の資料で読んだときは、もっと細いものを思い浮かべていた。
(這うしか能のない、品のない長物だ。だが、よく動く)
「え、えっと……とても、元気そうな蛇だそうです」
『翻訳入りました』
『絶対そんな言い方してない』
(言い換えるな)
言い換えないと配信が終わるので、言い換える。
気配を探って、部屋の中を確かめる。蛇のほかには何もいないし、巻き込む人もいない。
今日この層でいちばん運が悪いのは、あの蛇だ。
行こう。
出入り口へ踏みこんだとたん、蛇の輪がほどけた。
鎌首が持ち上がって、こっちを向く。《挑発》、と念じると、黒い目が僕だけに据わった。
向けたのは僕だ。向けた以上、よけるのも僕だ。
次の瞬間には体が横へ跳んでいた。
さっきまで僕の胸があった所を、太い胴が矢みたいに抜けていく。着地で左腕が壁をこすって、肩の奥まで痛みが響いた。
見えていなかった。跳べたのは足が勝手に動いたからだ。
蛇は部屋の奥まで伸びきってから、ゆっくり輪に戻っていく。
息をつける間が空いた。
(代われ)
体を貸せ、とピエロが言っている。
「……い、いいよ。モンスターだけ」
ピエロは僕の左手で、手袋の白い折り返しを引き直した。
一拍で重心を片脚へ移し、丸かった背中をまっすぐ伸ばす。顎を上げて、前髪を指で後ろへなでつけた。
頬が乾いて、左の目尻から冷たい線が1本、こめかみへ跳ね上がる。
ピエロは背から鎌を外し、石突きで床を突いた。
柄頭に両手を重ね、上に手袋の右手を置く。
『一幕来た』
『待ってた』
『顔がいい』
『病み上がりの背筋じゃない』
ピエロが僕の体で戦う時間を、客は一幕と呼ぶ。
さっきまで痛かった左腕が、柄の上で平気な顔をしている。
痛みはたぶん、後でまとめて来る。
「客人方、お待たせした。余興を一つ」
「相手は、この部屋の長いの」
「演目は、『嘘のつけない首』」
最後の一語と一緒に、《挑発》が部屋の奥まで届いた。輪に戻りかけていた蛇が、ほどけてこっちを向く。
首が嘘をつかない、とはどういうことか、僕にはまだ分からない。
蛇の胴がSの字にぎゅっと縮んだ。
跳んでくる。ピエロは鎌を床に突いたまま、僕の体の半身をひねっただけだった。
太い胴が脇腹の指一本外を抜けていく。
寄りかかったまま避けないでほしい。こっちの心臓のほうが先に止まる。
蛇は止まらない。輪に戻っては跳んでくる。
そのたびにピエロは足さばきだけで、ぎりぎりの外へ逃げた。
鎌は一度も床から離れない。
『避けてるだけ?』
『押されてね?』
『鎌使えよ』
『今日キレないな』
(ね、ねえ。斬らないの?)
返事の代わりに、ピエロは僕の顔で薄く笑った。
ピエロがこう笑うときは、たいてい、もう勝ち方が決まっている。
何度目かの跳びかかりをよけたあと、ピエロは蛇のほうへ一歩だけ出た。
鎌の石突きを床に突き、片脚に重心をかけて、斜めにもたれる。
空いた左手の指で、輪の手前で縮みかけた胴をまっすぐ指す。顔は笑ったままだ。
「客人方、ご覧あれ」
「この長いのは、跳ぶ前に必ず、こう縮む。跳ぶぞと、体のほうが先に白状してしまう」
「正直者さ。人の世なら、長生きできない」
『言い当ててる』
『蛇に説教すんなw』
『解説の黒手袋』
『占い師かよ』
蛇を相手に、口上の調子で悪口を言わないでほしい。
言っていることが本当なのが、いちばん困る。
蛇の胴が、Sの字に縮んだ。
『ほんとに縮んだ』
跳んだ。
ピエロは半歩だけ横へずれた。
目の前を、まっすぐになった胴が抜けていく。鎌の弧の真下に、頭の付け根が来ていた。
伸びきった首の後ろへ、一振り。
長い体が光の粒になってほどけた。
床に魔石が1つ落ちて転がる。
『は?』
『一撃』
『言ったとおりに斬った』
『嘘のつけない首ってそれか』
『体が白状してたのか』
ピエロは腕の画面へ一度だけ目を落とした。同時接続数は1万9千に届いていた。
【レベルアップ。Lv12からLv13になりました】
ピエロは手袋の指で刃の付け根を一度だけなでて、離した。
「さて、締めだ」
ピエロが鎌を宙へ放り、前髪が目の上へ戻ってきた。落ちてきた柄を、僕は両手で受け止める。柄は今度、手の中で暴れなかった。
添えた左手のせいで、肩の奥がずきりと鳴る。
遅れて、腰と左脚が重くなった。後でまとめて来るはずの痛みは、思ったより早く来た。
「あ、あの、ごめんなさい。蛇に、あんなこと言って」
『蛇に謝るなw』
『今日2回目の謝罪』
◇
部屋を抜けた先、9層のいちばん奥に、下りの階段があった。下から上がってくる風が、少しだけ冷たい。
この下が10層だ。階段の手前まで歩いて、足を止めた。
台所の紙に書いてきたのは、9層だ。
「き、今日は、ここまでです」
『10層行かないの?』
『階段まで来て帰るの?』
『目の前じゃん』
「ま、まだ、です」
腕の画面に触れて、配信を閉じた。
次にここを下りるのは、紙に『10層』と書いた日だ。
配信の消えた手首のスマートフォンに、目を落とした。
何も、届いていない。
首から下げたメモ帳を開いた。
いちばん新しいページの上に大きく『41』、その下に小さく『10層 中間ボス』と書いてある。
41は、処刑人の配信の画面に出ていたLvだ。下の行は、この階段を下りた10層の奥、広間にいる中間ボスのことだ。
冒険者になって半年と少しで、Lvは12。今日、やっと13。
上層を回るだけでは41に届かない。
Lvは上がるほど、次の1つまでが遠くなる。なのに上層の相手は、いちばん下の10層でも、倒して得られる分が少ないからだ。
いずれ、中層が要る。
上層だけ、と父と母に約束している。
台所の紙に、『11層』とは書けない。
書かずに下りることなら、できる。
6時までに帰れば、紙の数字が嘘だったと、誰にも分からない。
似たことなら、もうやっている。
結衣ねえには、6層あたりまでと約束した。そのあたりの幅を、僕は自分の都合で9層まで広げてきた。
階段の下から、また冷たい風が上がってくる。
手首の画面をもう一度見た。暗いままだ。ここには、僕を止める人もいない。
今度は隠れて越えない。
今夜、言う。
言えば、母は今度こそ、やめて、と言いきるかもしれない。
何から言えばいいのかも、まだ一つも決まっていない。
階段に、背を向けた。




