第28話 広場の歓声
《鎌術》の名前を念じかけて、また止まった。
取得可能なスキル:《鎌術》(3)
スキルpt:14
ベッドの縁に座ってこの2行を開くのは、もう何度目か分からない。
Lvは半年かけて12にしかならなかったのに、ためらった回数はすぐに数えきれなくなった。
膝の上にはメモ帳を開いてある。夕方、店の帳場で書いた2行がある。「処刑人 Lv41」と、その下の「10層 中間ボス」だ。
窓枠にもたれたピエロは今夜もねだらない。
店を閉める前、ピエロは、中間ボスの広間の舞台には少年が立て、とだけ言った。帰ってきてからも、ピエロは窓の外へ横顔を向けている。
立つなら、先に決めなきゃいけないのはこの行だ。
《鎌術》を取れば、ピエロの刃を研ぐことになる。
2日前、気を失った僕の体で、その刃は人の喉を狙った。手首のあざは包帯の下でまだ青い。
《鎌術》を取らずにきた理由は、それだけで足りていた。
メモ帳で、41の下に書いた行に目を落とす。協会の資料の写真で見た中間ボスは、大人の背ほどもある灰色の大狼だった。急所は首の後ろの付け根だ。
僕の短剣で、あの高さの首に届く気がしない。
届く刃がいる。
それに、ピエロの一振りで決まるなら、そのぶん僕の体が打たれる回数は減る。
処刑人に警棒で打たれた痛みを、左腕はまだ覚えている。今も肩より上へは上がらない。
「……取るよ。《鎌術》」
声に出すと、窓枠のピエロがゆっくりこっちを向いた。
(取るなら、三日月までだ)
(取って、2回上げろ。少年の手持ちで足りる)
三日月は、《鎌術》をLv3まで上げると覚える技の名前だ。
値切る言葉は喉まで来なかった。
「……いいよ。3まで上げる」
「でも、上げる代わりに、1つ、言い足しておくね」
(言い足す?)
ピエロは片方の眉だけを上げた。
膝の上で、僕はメモ帳の端を握っていた。紙が指の形にへこんでいく。
言わなきゃいけないことは、店からの帰り道でもう決めてあった。
「技を使うのは、配信の日の、一幕の中だけ」
配信する日に、僕がピエロに体を貸す、あの出番の間だけだ。
「……相手は、モンスターだけ。人には、使わないで」
ピエロはすぐには答えなかった。
首を少しかしげて、僕の顔を見ている。窓の外の街灯が、目元に引いた黒い線を細く光らせていた。
(いいだろう)
返事は短かった。
短すぎて、まだ続きがあるのが分かる。
(少年が、起きている間はな)
僕が気を失えば、この約束は守らない、ということだ。
「……うん。それで、いい」
気づくと、包帯の上から手首のあざを握っていた。
今度は《鎌術》の名前を最後まで念じた。
《鎌術》を取得:スキルpt 3(はい/いいえ)
はい、と念じる。
【《鎌術》を取得しました】
2週間、念じかけては引き返してきた行が、一覧から消えた。
続けて、スキルの欄に増えた《鎌術》を2回念じる。
【《鎌術》がLv2になりました】
【《鎌術》がLv3になりました】
【《鎌術:三日月斬り》を覚えました】
スキルptは5になった。
14あったうちの9が一晩で刃に変わった。
(三日月だ)
ピエロが窓枠から背を離した。黒い手袋の指で、宙に細い弧を1本描く。
描き終えた指先を、くるりと返して胸に当てる。客席へ向ける礼の形だ。
(よく買った、少年。いい買い物だ)
(銀の弧で、幕を下ろす。……名を思い浮かべただけで、舌が鳴る)
まっすぐ褒められると、払ったものの重さが、かえって手に残る。
「……じゃあ、土曜の配信で、もう使うの」
(いいや)
(取っておく。使うのは、いちばんいい所でだ)
ピエロは手袋の指を1本、唇の前に立てた。
(初めての一振りは、一度しか初めてにならないのさ)
2週間ねだり通しておいて、手に入った途端にしまいこむのか。
視聴者を待たせる段取りだけは、僕の点検より細かい。
(一瞬で決まる一振りほど、客を沸かせるものはない)
ピエロは窓枠にもたれ直した。
(昔、広場で見たことがある。男が1人、瞬きの間に最期を迎えた)
(見物の客は、私のどの芸のときより沸いたよ)
(道化が食いっぱぐれるわけさ)
処刑のほうが道化の芸より客を呼ぶから、道化は稼ぎをなくす。そういう、いつもの物騒な冗談だ。
笑うところなのかも分からないまま、電灯の紐へ右手を伸ばす。
「……寝るよ。おやすみ」
(ああ。よく眠れ、少年)
紐を引くと、部屋が暗くなった。
外の明かりで、窓枠のピエロの白い顔だけがぼんやり残っている。
◇
夢の中で、僕は背が高かった。
床が遠い。右手には細い黒い杖を1本持っている。柄頭で銀の小さな道化の顔が光った。
ピエロがいつも持っている、あの杖だ。
袖口に白い細い縁取りが見える。背中はまっすぐ伸びていて、僕の猫背はどこにもない。
自分の体なのに、立ち方ひとつ、僕の思うとおりにはならない。
長い卓の上に、ろうそくの火が何十も並んでいた。宴の広間らしい。
さっきまで、この体は卓の間を歩きながら、指の上で杖をくるくる回して見せていた。客は誰も笑わず、皿の肉を切り続けていた。
いちばん奥の高い椅子に、誰かが座っている。明かりの陰で、人影にしか見えない。
卓の間から男が1人、前へ出た。
袖から短剣が抜けて、刃先が奥の人影へ向く。
体が勝手に動いた。
杖で、男の手首を打つ。
短剣が床で跳ね、男は両脇から衛兵に押さえつけられる。
僕ではなく、この背の高い体のほうが、拍手が来るのを待っていた。
広間は静まり返っていた。
誰も手を叩かない。
杖の先を床に下ろした音だけが、やけに大きく響く。
次に何が来るのか、この体は知っている気がした。
瞬きをしたら、頭の上に空があった。
市の立つ広場は見物の人で埋まっている。子どもは大人の肩に乗り、屋台の屋根にまで人がのぼっていた。
祭りの日みたいだ。
広場の真ん中に、木で組んだ高い台がある。この体は見物の肩と肩の間に挟まれて、身動きもできない。背だけが人の頭より上に出ていて、台がよく見えた。
役人が紙を広げて、罪状を読み上げる。一行読むごとに、広場のざわめきが低くなっていく。
台へ連れてこられたのは、広間で短剣を落としたあの男だった。
男は震える膝で、それでも自分の足で段を上がった。台の上で、群衆へ何か言っている。
この体はもう、台の真ん中しか見ていない。
まわりの人が息を詰めていく。何百人もいるのに、咳ひとつ聞こえない。
広間の静けさとは違う。こっちの静けさは何かを待っている。
処刑は瞬きひとつの間に終わった。
広場が、沸いた。
何百という腕が、一斉に上がる。
何百という口が、1つの声になる。
この体が覚えている、どの芸のときより大きな声だった。
歓声が胸の中へ流れこんでくる。
満ちて、まだ止まらない。
広間でこの体が待っていたのは、この声だ。
耳をふさごうとしても、腕は僕の言うことを聞かない。台の上にはもう誰も立っていないのに、声はやまない。
足元の石畳に、背の高い細い影が、杖を下げて伸びていた。
◇
目を開けると、自分の部屋の天井があった。
Tシャツが汗で背中に貼りついている。
カーテンの隙間が薄く白い。もう明け方だ。
窓枠にはピエロがもたれている。
寝る前に、ピエロが窓枠から話した広場だ。
あれは冗談じゃなかった。
何を見たと言えばいいのか分からなくて、口を閉じたままでいた。
耳の奥で、何百という声がまだ鳴っている。
ピエロは、僕が何を見たのかも知らずに、明け方の窓の外へ横顔を向けていた。




