第22話 主演
腕のスマートフォンの中に、僕の猫背の背中が映っている。
頭の上では、3台のドローンが羽音を立てて回っている。そのうちの1台が、赤いヘルメットの前に立つ黒い上下を、真後ろから撮っていた。
『主演ヘラルドw』
『背中ほっそ』
処刑人の狙いが僕に移ってから、まだ十も数えていない。
画面の外、僕の後ろでは、片足を引きずる足音が、入口のほうへ遠ざかっていく。
さっきまで処刑人に狙われていた配信者の代わりに、今は僕がここに立っている。
壁際に斜めにもたれたピエロが、赤いヘルメットを上から下まで眺めた。
(3台も飛ばして、自分の顔は1つも映さないのか)
(宮廷にもいたさ。仮面の晩にだけ、召使いを打つ男が。素顔の日は、杯ひとつまともに持てなかった)
今それを品定めする場面じゃない。顔も見えない人の杯の持ち方まで、勝手に決めないでほしい。
それより、腰の警棒のほうがずっと気になる。
腕を下ろした。画面はもう見ない。
手袋をはめた右手に、短剣を下げたまま、一歩だけ前に出る。
柄に指が汗で張りついていた。
今になって膝が震えだしている。
昔から、人の目を見て話すのは苦手だ。
それでも、シールドの奥で目があるはずの高さを見た。
「あの、その……さっきの人、腕から血が出てました。今なら、まだ、やめられます。人を打つのは、やめてください」
最初は喉にひっかかったのに、終わりだけはまっすぐ出た。
あとは処刑人が答える番だ。
赤いヘルメットから、返事は来なかった。
シールドが、僕の頭上を飛ぶドローンのほうへ向きを変える。
「皆さん。主演さんの一言は、横になってからいただきましょう」
処刑人は、打ち倒した相手にカメラの前で一言しゃべらせる。前に一度だけ見た処刑人の配信で、打たれた男の人が「一言どうぞ」と言われた所で、僕は画面を止めた。
僕の「やめてください」は、その一言の前置きにされた。
今度は止める画面がない。
処刑人が右手を腰へやる。
振り出された黒い警棒が、かしゃんと伸びた。
その瞬間、頭の奥でピエロの声が跳ね上がった。
何を言ったのかは聞き取れない。さっきまでの軽口の弾みだけが、きれいに消えていた。
シールドから作業服の肩へ目を下ろす。
警棒を振るより先に、処刑人の右肩が沈んだ。
肩さえ見ていれば、間に合う。
体を折って、振り下ろしの下をくぐる。毎晩伸ばしている背中が、思っていたより低くまで沈んだ。
くぐった勢いのまま、作業服の脇をすり抜ける。
振り向くと、赤いヘルメットの向こうに、さっきの人が逃げていった入口の暗がりがあった。
処刑人がこっちへ向き直り、走らずに歩いてくる。
歩いた分だけ、処刑人は入口から離れていく。それでいい。
横なぎも突きも、先に処刑人の肩が教えてくれた。
警棒の先が前髪をかすめて抜けていく。額には風だけが当たる。
作業服の脇は何度も空いた。それでも短剣はそこへ向けない。
やめてほしい人を、打ちに来たわけじゃない。
「皆さん、主演はよく逃げますね。それに、打ち返してきません」
平らな声に、少しだけ楽しそうな色が混じる。
ドローンの1台が僕の横へ回りこんで、低く降りてきた。
止めたあの配信でも、処刑人は逃げる背中を長く撮らせてから、腕のスマートフォンに目を落としていた。間を詰めるのは、その目のあとだ。
よけながら、左手でポーチの口を開けて、撒き菱をひとつかみ出す。
処刑人の右足が次に踏みこむ床へ、横から放る。
止まって狙う間はない。それでも、とがった粒は狙った床にぱらぱらと散った。
処刑人は撒き菱の手前で足を止め、踏まずに大きく横へ回りこんだ。
その分だけ間が開く。警棒が来ないうちに、息を1つ吸えた。
処刑人は開いた間を詰めてこない。
赤いヘルメットがゆっくりと入口のほうへ向いた。
「主演がお休みなら、出演者さんのほうへ戻りましょうか」
処刑人が一歩、そちらへ踏み出した。
それだけで、背中の汗がすっと冷える。
撒き菱で開けた距離は、自分で捨てるしかなかった。気づいたときには、僕のほうから処刑人の前へ戻っていた。
協会の人が来るまで、ここに立っている。
時計は見られない。どれだけたったかは膝の重さで測るしかない。
それからは、よけるたびに、半歩ずつ奥へ下がった。下がるたびに、空いた床へ撒き菱をひとつまみ落としていく。赤いヘルメットは粒をよけながら、僕について奥へ来た。
奥へ下がれば下がるほど、あの人の足音からは遠くなった。
3台のドローンに囲まれて、警棒を提げた赤いヘルメットの前で、僕は短剣を下げたまま半身になり、作業服の肩だけを見ている。
僕の足元から通路の入口のほうへ、撒き菱が点々と散っている。
処刑人が腕のスマートフォンにちらりと目を落とした。
「皆さん。そろそろ、参りましょうか」
処刑人の歩幅が変わった。
肩が沈む。見えて、体を折る。
折ったところに、もう警棒があった。
どん、と鈍い音が脇腹の内側で鳴った。
息がまるごと外へ押し出される。
膝が勝手に折れかけて、床に手をつく前に、なんとか踏みとどまった。
肩は見えているのに、体が一手遅れる。処刑人はLv41で、僕は12だ。その差の分だけ、処刑人は速くて重い。
「当チャンネルは、出演者さんを殺しません。次の回に、出ていただけなくなりますので」
丁寧な声のまま、左の二の腕を打たれた。
腕の芯まで、じんとしびれる。
よける。半歩だけ、届かない。
背中で、また鈍い音がする。
背骨の横が熱くなって、目の前に白い点がいくつも散った。
「主演の顔は、打ちません」
頭の奥で、ピエロの声がどんどん短く切れていく。
怒っている調子に、急いだ何かが混じりだした。
ピエロがこんな声を出すのを、僕は聞いたことがない。何と言っているのか聞き返そうにも、息がどこにも残っていない。
同じ脇腹をもう一度打たれた。吸いかけた息が、途中で止まる。
口の中に、鉄の味が広がる。かみしめた頬の内側が、切れたらしい。
それでも体は、勝手に処刑人の左へ回りこんでいた。シールドを入口のほうへ向けさせない角度へ。
「顔は、数字になりますので」
警棒の鈍い音と司会の声が、交互に来る。
ピエロの声は一発ごとに近くなる。頭の奥から、耳の後ろまで。
息をつける一瞬は一度も来なかった。
膝が自分のものじゃなくなっていく。
踏んばったはずの足が、床の上でずるりと半歩すべった。
よけたつもりの体が、思ったところの手前で止まる。しびれた左腕はもう肩より上へ上がらない。
僕が気を失えば、そのあいだこの体を動かすのはピエロだ。
二度と倒れないと決めた体を、背中を向けずに前へ出したのは、僕だ。
僕の目は作業服の肩だけを追っている。通路の入口のほうは暗くて、何も見えない。
肩が沈むのは見えた。
足が、動かない。
鈍い音。
床が、横から来た。
右手の手袋の中に、短剣の柄がある。それだけははっきり分かる。
ピエロの声がすぐそばまで来ていた。何かを叫んでいるのに、意味のほうがほどけて、僕まで届かない。
視界が下のほうから暗くなっていく。
6日前も、この6層で気を失った。目を開けたとき、僕の短剣は、前を歩いていた男の首の、指一本手前で止まっていた。
次に目を開けたとき、僕の短剣は、どこにある?
耳のすぐそばで、ピエロの声が鳴っていた。意味の取れない、ただの音のままで。




