第20話 衛兵の忠告
出口のゲートに冒険者証を当てる。
手が震えて、カードは読み取りの面から二度外れた。
たった1枚のカードすら、まっすぐ当てられない。
6層を出てから夕方の入口に着くまで、手の震えは一度も止まらなかった。帰り道のことはほとんど覚えていない。
もう片方の手では、髪の下の包帯を後ろ頭に押しつけたままだ。
黄色い腕章の人が受付の脇を通りかかった。
大きな背嚢に、無精ひげ。初めて手袋をはめた日、6層で倒れた僕を背負って、出口まで運んでくれた巡回の人だ。
名前は久我さん。そう思い出したときには、その人はもう、後ろ頭を押さえた僕の手に目を止めていた。
見つかってほしくないものほど、ちゃんと見つかる。
「坊主。その手、どけてみろ」
返事をする前に、手首をつかまれて頭から引きはがされていた。久我さんは太い指で髪を手早く分けていく。
痛くはないのに、逃げられない手つきだった。
「切れてるな。こぶもある」
久我さんは傷のふちで指を止めた。
「前も、ここを打ったな」
「何でやった」
「6層で、コボルトに……壁へ、飛ばされて」
ここまでなら、本当のことを言えばいい。
「気を失ったか」
次に聞かれるのは倒れていた間のことだ。
聞かれたら、僕に返せる言葉は1つもない。
「……少しだけ、です」
久我さんが髪の中で手を止めた。
そのまま、僕の顔を少し長く見ている。
何を見られているのか、僕には分からなかった。
「名前と、今日の日付」
言われたとおりに答えると、久我さんは指を1本立てて、僕の目の前で左右に振った。
目で追い終えると、久我さんは指を下ろした。どうやら合格らしい。
とうとう、倒れていた間のことは聞かれなかった。
張っていた力が、膝から少しだけ抜けていく。
「吐き気が来たら、すぐ病院だぞ。頭痛がひどくなっても、やたら眠くても、同じだ」
「今日は、もう潜るな」
「……はい」
「だいたいな、新人が前に出るなって、前にも言ったろう。1人で頭を打って帰ってくるな」
「すみません」
叱られているのに、さっきより息がしやすい。
受付の柱に、ピエロが斜めにもたれていた。久我さんの無精ひげから首のあたりへ、ゆっくり目を下ろしていく。
(衛兵か)
ピエロは巡回の人を、そう呼ぶ。でも久我さんの前で、言い返す口は開けない。
久我さんは僕の髪から手を離して、背嚢を背負い直した。
傷の話はそれきりだった。
「それとな、坊主。処刑人ってPKが、また出てきてる。新しい動画が出回ってるらしい」
知っている、とうなずく。人を襲うところを撮って流す男だ。今日も6層で、すれ違った人が見ていた切り抜きから、処刑人の平らな声を聞いたばかりだ。
「協会が、冒険者証を止めた奴だ」
スマートフォンで見るだけの噂だった名前が、急にこの建物の中の話になった。
「どこに出るか分からん。ここに来ないとは、言えないぞ」
「見たら、すぐ協会に電話しろ。上層なら、中からでもつながる」
久我さんは1つ言うたびに、僕の目をのぞきこんだ。新人の頭に、1つずつ置いていくような言い方だ。
「それと、1人で近づくな」
「はい。……見たら、通報します」
「よし」
それで初めて、久我さんは僕の目から視線をそらした。
この人はたぶん毎日、こうやって誰かを、生きたまま出口へ帰している。
今日いちばん危なかったのは僕の中にいるものだと、喉まで出かけて、止まった。
◇
店の前で後ろ頭から手を下ろしてから、戸を開ける。
帳場の奥にいる店長に手袋を見せた。店長は、まだ震えている僕の指と顔の上で、一度だけ目を止めた。
「律くん、手袋で握った短剣は、今日はどうだい?」
何があったのかは聞かれない。
それでほっとした自分が、いちばん嫌だった。
帳面には、短剣が滑らなかったことだけを書いて、気を失ったことも後ろ頭の傷も書かなかった。
家に着いて、結衣ねえにも、帰った、と時刻だけを送る。
返事はすぐに来た。けがしてないよね、で始まって、6層あたりまでだからね、で終わっている。
後ろ頭のことは1文字も打たずに、既読だけを付けた。
夜、灯りをつけたままの部屋で、ベッドの縁に座った。
気づくと、僕はまた後ろ頭に手を当てている。包帯の下で、こぶが脈に合わせてずきずきする。押さえたって、引っこむわけでもないのに。
窓枠には、ピエロが片脚に重心をかけて、斜めにもたれていた。
6層で声にならなかった問いは、喉の奥にしまったままだ。
(少年)
先に口を開いたのはピエロのほうだった。
顔はどこも動かさず、目だけでまっすぐ僕を見下ろしている。
(前を歩いていた、首に何も巻いていない男。次は、いつ6層に来る)
笑ってはいない。それなのに声だけは、配信の前の晩みたいに弾んでいた。
(あれは、画面を見ながら歩く。連れも、後ろを見ない)
今日6層で、僕の前を歩いていた2人組の片方だ。膝の上の右手には、その男の首筋の手前で止めた短剣の重さが、まだ残っている。
「答えない」
自分の声なのに、どこにも引っかからずに、まっすぐ出ていった。
言い終えてから、シーツをつかんだまま震えがくる。
ピエロは顎を少しだけ上げた。
それきり、聞き返してはこない。
答えなくても、あの2人はまた6層を歩く。
そして僕が気を失えば、そのあいだ、この体を動かすのはピエロだ。今日も、そうだった。
カメラのない日には、もう二度と倒れない。
ステータス、と念じて、浮かんだ画面の下のほうの3行だけを見る。
スキル:《挑発》 Lv1/《気配察知》 Lv1/《隠密》 Lv1/《投擲》 Lv1
スキルpt:12
取得可能なスキル:《鎌術》(3)
手持ちのスキルpt 12のうち3を払えば、《鎌術》は今夜にでも取れる。
(少年、それを鎌に入れろ。《三日月斬り》だ)
スキルptを《鎌術》に払って、鎌の大技を覚えろ、ということだ。窓枠からの声は、もういつもの調子に戻っていた。
僕は一度だけ、いちばん上の行へ目を戻して、《挑発》の後ろに並んだ、取ったばかりの3つの名前をなぞった。
「取ったばかりの3つを試し切るまで、次に何を上げるかは決めない」
《気配察知》が、人の危ないところでどれだけ手前に知らせてくれるのか、僕はまだ今日の一度しか見ていない。
(数字など飾りだと言ったろう。だが、《三日月斬り》は、名がいい)
レベルもスキルptも飾りだと笑うくせに、技の名前だけは欲しいらしい。
灯りを消して目を閉じると、ここに来ないとは言えないぞ、という久我さんの声が戻ってきた。
土曜に見た処刑人の動画の、人を打つ鈍い音と、処刑人のLv41というレベルの表示も。
倒れないと決めた僕と同じ上層のどこかに、人を倒して撮る処刑人がいる。
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次回から第2章 第3節「公開処刑」が始まります。




