第14話 律くん預かり
店長は僕を叱らなかった。
結衣ねえに袖を引かれて店の戸をくぐったのは、木曜の放課後だ。店長さんに叱ってもらう、とゆうべ門の前で言い切った結衣ねえは、一晩たっても考えを一字も変えていなかった。
帳場の奥の椅子には、緑の前掛けをかけた丸い体の店長が収まっている。帳場の縁には、まだ傷のない木の杖が立てかけてあった。
入院する前の店になかったのは、その杖だけだ。
「やあ、律くん。結衣ちゃんも、久しぶりだね」
白髪まじりの短い髪の下で、目尻の笑いじわが深くなった。
退院した次の日でも、店長は店長だった。
「三上って人の配信と並べた、二画面の切り抜き。右の窓のあれ、律くんだろう」
隣で、結衣ねえが息を吸ったまま止まる。叱ってください、と言うための息だったはずだ。
「病院で、看護師さんがスマホで見せてくれてね。顔は映ってないのに、走り方が猫背なんだなあ。腰のポーチも短剣も、うちで律くんが買った品だから、すぐ分かったってわけ」
「それより、あの肩の上に浮いてたやつ。ドローンってのは、いくらするんだい?」
「あの、店長さん。今日は、りっちゃんを」
「中古かい? 新品かい?」
店長の2つ目の質問に、結衣ねえの言いかけた続きは埋もれた。
叱られに来たはずの僕が、ドローンの相場を聞かれている。
「ちゅ、中古、です。……あの、その前に、謝らせてください」
詰襟の内ポケットから黒い手袋を出し、帳場には置かずに、指でつまんだまま見せる。
置けば、誰の手でも届く。
「入院中に、棚から、これを持ち出しました。仕入れ帳に、書き置きを挟んだだけで」
「……ごめんなさい。お代は、払います」
よりによって、この店だ。
この店で、僕は一度、やり直させてもらっている。
革をつまむ指に力が入った。帳場の向こうにいる店長の目は、今は見られない。
店長は分厚い仕入れ帳を引き寄せ、挟まっていたメモ用紙を太い指でつまみ上げた。
僕の字だ。目の前で読まれると、言い訳より恥ずかしい。
「書き置きってのは、これかい。……ほう、右手の手袋」
店長は帳面のページを何枚か戻って、首をかしげた。
「律くん。おじさん、そんな手袋、仕入れた覚えはないよ」
この店の品は一つ残らず、店長の帳面を通ってから棚に並ぶ。
「いつ見つけたんだい?」
「て、店長の入院中、です。閉めてた店で品を数えてたら、棚の3段目が、1つ多くて。……鍵は、ちゃんとかかってました」
店長の目尻から、笑いじわが消えた。
店長は何も言わない。
店長も今、僕と同じことを考えている。この店の鍵を持っているのは、店長と僕の2人だけだ。
瞬き1つのあとには、笑いじわはもう目尻に戻っていた。
早すぎる戻り方だった。
「ふうん。……待てよ」
店長は僕の指先の手袋に顔を寄せた。
「これ、配信で見たなあ。律くんが、別人みたいになるときのやつだ。はめると見た目が変わる手袋ってわけか」
「出どころの分からない品なら、なおさら、おじさんの手で確かめないとね。……こいつは面白い」
面白い、が出た。この言葉のあとは、決まって店長の手が出る。
店長が帳場越しに太い腕を伸ばしてきた。
気づいたときには、手袋は僕の指から抜けている。
相手が店長だと、指のほうが先にゆるむ。
店長は手袋を窓の明かりにかざし、親指の腹で縫い目を端からなぞっていく。
「ほう。針目が細かいなあ。どこの職人だろう」
品を確かめるときの、いつもの手つきだ。
だから、次に何をするかも分かる。
店長は左手で手袋の口を広げた。
右手の太い指を、その口へ寄せていく。
「だめです」
店長が、指を止めた。
黒い革の口の、爪1枚ぶん手前。
店長がゆっくり顔を上げた。目を丸くして、前髪に隠れた僕の目を探している。
結衣ねえも僕を見ていた。りっちゃんがそんな声を出すの、と言いたそうな顔だ。
考えるより先に、声が出ていた。
帳場の下で、遅れて僕の手が震えだす。
店長にだけは、はめさせられない。
店長の肩の後ろで、棚にもたれたピエロが、店長を頭のてっぺんから品定めしていた。
(……あれが、少年の小道具係か)
(脚が古い。腹は前掛けを押し出している。あれでは立ち姿ひとつ作れず、踊りなど論外だ)
(手袋をはめた者の体へ私は移るが、あんな体に住むのはまっぴらだ。少年、今のは褒めてやる。もう少しで、私はあの腹の中だった)
店長は広げていた手袋の口を、そっと閉じた。
「律くんがああいう言い方をするのは、いけないことのときだけなんだなあ。おじさん、知ってるよ」
店長は手袋を顔から遠ざけて持ち直した。抜き身の刃物を受け取ったときのように、指先だけでつまんでいる。
「鍵のかかった店に増えてた品で、律くんが、はめるなと言う」
「……こいつは、棚には戻せないね。試してない品は、棚に出さない。お代も、もらえない」
「そんな危ないものを、律くんに持たせておくわけにもいかない。うちで預かるよ」
「預けません」
また、言いよどまずに出た。
店に置けば、いつか誰かがはめる。いちばんはめたがっているのは、目の前のこの人だ。
「どうしてだい?」
「それは……その、手袋は」
その先が喉で止まった。
中に道化が住んでいるなんて、言えるわけがない。
いちばん恩のある人に、僕は逆らっている。
店長はしばらく僕の顔を見てから、長い息を1つ吐いた。
「取り上げたら、律くんは、おじさんの目の届かない所で使うんだろうなあ」
当たっている。返事ができない。
「《鑑定》のスキルを持ってる人に見せるって手も、あるにはあるけど」
言いながら、店長は自分で首を振った。
「そんな人、この辺に何人いるやら。いたって、べらぼうに高い。……それに、おじさんは、自分の手で確かめたい性分ってわけ」
「自分の手で試せないなら、せめて毎回、自分の目で見る。条件は2つだ」
「ダンジョンに潜った日は、帰りに店へ寄って、手袋を見せてごらん。それと、はめて試したことは、うちの帳面に、日ごとに書いていく」
店長は仕入れ帳とは別の薄い帳面を引き出しから出し、胸ポケットの鉛筆を抜いた。
まっさらなページのいちばん上に、角ばった字で『右手の手袋 黒い革 律くん預かり』と書きこまれる。
手袋を預かるのは店ではなく、僕のほうだ。店長の帳面で、品の名前の隣に僕の名前が書かれたのは、これが初めてだ。
店長は手袋を僕の手のひらに戻した。
さっきより、重い。
「……約束、します」
「潜った日は、必ず寄ります。書くのも、毎回」
帳面に書けるのは、試したことの半分だけだ。
手袋をはめると、中の道化が僕の体を動かす。いちばん書かなきゃいけないそのことが、いちばん書けない。
「店長さん」
結衣ねえが帳場の前へ一歩出た。肩のシューズ袋が揺れる。
「話が、ずれてます。あたし、りっちゃんを止めてほしくて来たんです。止めてください」
「止めないよ」
「どうしてですか」
「止めても行く子はね、準備なしで行くんだ。止めるより、準備させて帰ってこさせるのが、道具屋の仕事ってわけ」
「親御さんだって、上層だけって約束で許してるんだろう?」
「……知ってます。でも、何かあってからじゃ」
「おじさんもね」
店長は右の膝を、前掛けの上から軽く叩いた。
「15年前、ダンジョンが出てきたとき、好奇心で潜った口ってわけ」
「……え?」
結衣ねえは、ぽかんとしたまま固まった。
結衣ねえにとって店長は、帳場の向こうで笑っている人でしかなかったはずだ。
「戦い方は、教えないよ。その代わり、スキルの仕組みを話そう。協会の講習じゃやらない所まで」
「結衣ちゃんも、聞いていくといい」
店長が「聞いていくといい」と言って、話が短く済んだことはない。
結衣ねえはまだ、店長から目を離せずにいる。
店長は笑いじわを寄せたまま、杖の握りに目を落としていた。




