第12話 天の声
配信を開けた途端、同時接続数はもう9千あった。
土曜の最大はとっくに抜いている。画面にはまだ、6層の通路の壁しか映していないのに。
水曜の放課後。二画面が広まってから、初めての配信だ。
昼休みには店長から退院の電話があった。今日はそれだけで、いい日になるはずだった。
配信する日にだけ背負う鎌の柄が、歩くたびに背中で肩甲骨を叩く。
「え、えっと……今日は、6層です。いつもの、点検から、します」
『二画面から来た』
『黒手袋の人だ』
『今日はヘラルド見に来た』
『黒手袋まだ?』
『処刑人来たらどうすんの』
撒き菱を数えていた指が、ポーチの上で止まった。
僕を見に来た人への返事なんて、点検の手順のどこにも書いていない。
「あ……ど、どうも?」
お礼を言ったつもりの語尾が、なぜか上がった。
(客席が温まりすぎだな。幕も上げないうちから、これだ)
通路の壁にもたれたピエロは、文句を言う割に、ずいぶん顎が高い。
通路の先は左へ折れていた。
角の手前で、僕は自然と足を止める。この半年、角を曲がる前にはいつもこうしてきた。
暗がりの奥の空気が少しだけ重い。僕は一歩下がった。
物陰から、ゴブリンが跳び出した。
振り下ろされた棍棒が、さっきまで僕の顔があった所の空気を打つ。
下がっていなかったら、顔で受けていた。
耳の奥で天の声が鳴った。スキルのことを本人の頭にだけ知らせる声だ。
【取得可能なスキルに、《気配察知》が加わりました】
空振りで、ゴブリンの体が泳ぐ。その脇腹へ、僕はもう手袋の右手で短剣を入れていた。こういうときだけは、考えるより先に体が動く。
光の粒が散って、魔石が1つ床に跳ねた。
それからやっと、さっきの声の中身が頭に入ってきた。
取得可能なスキル。ステータス画面の、半年0件のまま動かなかった行だ。
僕は通路の真ん中で固まった。
『ヘラルド止まった』
『え、どした?』
頭の中の声だから、配信には乗らない。
(今の声、私にも聞こえたさ。礼を言え、少年。この2週間、危ない角ばかり歩かせてやった)
歩かされた覚えならある。礼を言う覚えはない。
ただ、6層なら前から歩いている。この2週間で増えたものといえば、危ない角くらいしかない。
少し先の部屋をのぞくと、奥の壁ぎわで大人の冒険者が1人、背中を丸めて座りこんでいた。
膝の上に拾った魔石を広げて、指で数えている。ここが6層だということを、すっかり忘れている背中だ。
部屋の反対の隅で、白い毛が跳ねた。
ホーンラビットだ。角を低くして、あの冒険者の背中へ跳んでいく。
うさぎは部屋の向こう半分にいる。《挑発》の届く距離ではない。
駆け寄っても間に合わないと、足を出しかけて分かった。僕はもう、床の石を拾っている。
投げた石がうさぎの脇腹に当たった。
【取得可能なスキルに、《投擲》が加わりました】
白い体が宙でよじれて、角の先がこっちへ向き直る。
考える暇はなかった。うさぎはもう、まっすぐ僕のほうへ床を蹴っている。
届く所まで来るのを待って、《挑発》を念じた。跳んできたうさぎが降りて止まる、その一瞬に短剣を突き入れる。
間に合った。
光の粒の向こうで、冒険者がやっと振り向いた。
「……お、おう。悪い、助かった」
それだけ言って、膝の魔石を慌ててかき集めている。
『石で振り向かせた』
『ナイスコントロール』
『またヘラルドが先に動いた』
『おっさん背中w』
『反応速すぎ』
息が落ち着いてから、さっきの声を思い出した。
人のほうへ行くモンスターに、僕は半年、石を当ててこっちを向かせてきた。その数が、今日の一投でやっと足りたんだ。
1日に2つ。今日の天の声は、まだ黙りそうにない。
(少年。あの先だ)
通路をもう少し行った先の部屋の奥で、コボルトが3匹、背を丸めて何かをかじっていた。
(幕が上がるまで、役者を客に見せるな。入口は幕の袖だ。袖まで、気づかれずに行け)
出番まで見つからずに部屋の入口まで行け、ということだ。
僕は黙って、光る石の少ない壁ぎわへ寄った。
足音の殺し方なら、怖がりの僕は半年かけて覚えている。
『静かになった』
『息止めてる?』
部屋の入口に着いても、3匹はこっちを向かなかった。
【取得可能なスキルに、《隠密》が加わりました】
(見たか、少年。演出がいいと、役者の足まで上手くなる)
歩いたのは僕の足だ。
奥で、かじる音がふっと止んだ。
ドローンの羽音まで、やけに大きく聞こえる。
(代われ)
ピエロの、体を貸せという声は落ち着いていた。急かす調子はどこにもない。
僕は部屋の隅から隅まで目で探った。人の影はない。
「いいよ。モンスターだけ」
許したとたん、手足が言うことを聞かなくなった。動かしているのはピエロだ。
ピエロが僕の左手で、手袋の折り返しを整え直した。
ピエロは猫背を伸ばし、前髪を指で後ろへなでつける。
目の高さが、いつもより頭半分上にある。
ピエロは背から鎌を外して、一度だけ回した。柄が空を切る音さえしなかった。
鎌まで息をひそめている。
そのままピエロは、僕の体で部屋の中へ歩きだした。
爪先から床に下りて、かかとは最後まで鳴らさない。
半年かけて覚えた僕の忍び足より、まだ静かだ。
奥の3匹は背を丸めたまま、またかじりはじめている。
部屋の半ばで、ピエロが足を止めた。
うさぎには届かなかった《挑発》も、ここからなら3匹に届く。
ピエロは石突きで床を突いて、柄へ斜めにもたれた。
何度見ても、自分の体がこの形になるのには慣れない。
それからピエロは、ドローンを見上げた。入れ替わると、僕の顔には薄い白粉と、左目の黒い目張りが出る。
『いつの間に真ん中に』
『え、顔』
『脚なが』
『猫背どこ行った』
『一幕きた』
腕の画面の同時接続数は、1万2千を超えていた。ピエロはその数を見て、口の端だけで笑う。
「客人方、幕を開けよう。相手は、奥で食事中のそこの3匹」
「演目は、『招かれざる客』」
口上の終わりに、《挑発》が体の外へ広がった。
3匹の頭がいっせいにこっちへ向いた。
かじっていた何かが床に落ちる。うなり声より先に、3匹は跳んでいた。
1匹は壁を蹴って高く、残りの2匹は床すれすれに左右から。
僕なら、1匹は体で受けている。
ピエロは石突きを床から離して、くるりと回った。
壁から来た爪が、さっきまで頭があった所をかく。
刃は寝かせたままだ。斬る気はないらしい。
回る足取りのまま、ピエロは柄を持ちかえる。次にどっちの手で振るのか、僕にも分からない。
床すれすれに来た1匹の肩を、ピエロは石突きでとんと押した。
押された1匹が、反対側の1匹の横っ腹へ頭から突っこむ。
「行儀が悪いな。食事の席で、ぶつかり合うものじゃない」
ぶつけた本人が言うことじゃない。
起き上がった3匹が、今度は三方からまとめて跳んだ。
逃げ場はないと思ったときには、ピエロはもう真ん中で回っていた。
柄を杖のように回しながら、3匹の間を出ては入る。
足もとで、牙が3つ続けて空を噛んだ。
3匹とも、追いかけているつもりで、ピエロの周りを走らされている。
『踊ってる』
『足さばきどうなってんの』
『斬らずに遊んでる』
『コボルトまで踊らされてる』
『舞踏会か』
ピエロは僕の脚で、僕の知らない拍子を踏んでいる。
爪先で向きを変えるたびに、左のふくらはぎの、使ったことのない筋が引っぱられる。
3匹が息を切らして跳びのいた。
この体の息は少しも上がっていない。
ピエロはもう一度、石突きで床を突いた。
片脚に重心を残した、踊りの終わりの形で止まる。
3匹が、間をずらして跳びこんでくる。
銀の弧が、拍に合わせて3度、抜けた。
跳んだ順に、3匹が光の粒にほどけていく。
魔石が3つ、ばらばらの方へ転がった。
【取得可能なスキルに、《鎌術》が加わりました】
『は?』
『三拍子』
『1匹ずつ消えた』
ピエロはまた柄にもたれて、ドローンを見上げている。
『待って、演目の名前』
『招かれざる客って黒手袋か』
『真ん中まで誰も気づかなかった』
『人の食事で踊るな』
『入口まで忍んだのヘラルド』
僕に手柄を譲ったコメントを、ピエロは素通りした。拾ったのは、同時接続数の1万4千だけだ。
ピエロは石突きを床から離して、鎌を宙へ放った。
回る刃の下で、背中がすとんと落ちる。前髪が目の上に戻ってきた。
落ちてくる柄を、僕は右手1本で受けた。今日は足が一歩も流れない。
あとから腰がきしんで、左脚は膝から下が笑いだす。
「あ、あの……みんな、ごめん。急に、騒がせて。ほ、ほんとに」
『謝るまでが一幕』
『今日も謝ってる』
『受け方うまくなった』
沸いた分だけ、最後に下げる頭も深くなる。
「つ、次は、土曜です」
腕の画面に触れて、配信を切った。
出口へ戻る通路の途中で、僕は足を止めた。
今日は天の声が4回も鳴っている。確かめないまま帰れるほど、僕は大胆じゃない。
ステータス、と念じる。半透明の画面が開いたら、いちばん下の行をもう一度念じる。
取得可能なスキル:《気配察知》(3)/《投擲》(2)/《隠密》(3)/《鎌術》(3)
スキルpt:18
気づけば、首から下げたメモ帳をめくっていた。ページの端に付ける小さな丸は、うれしいときだけの印だ。
(4つとも、私が舞台に上げてやった芸だ。手柄は、演出家のものさ)
鉛筆の先が丸の手前で止まった。
《気配察知》も《投擲》も《隠密》も、僕の足と手で出したものだと言い返せる。
鎌を振ったのはピエロだから、《鎌術》だけは言い返せない。
壁ぎわのピエロが、横から画面をのぞきこむ。取るのに要るポイントの数字の上を、その目は一度も止まらずに滑っていった。
(数えなくていい。全部、鎌に使え)
《鎌術》にポイントを使った分だけ、ピエロの刃が研がれる。
「……店長に、聞いてから決める。今日は、決めない」
(少年は、いつも点検ばかりだ)
ピエロはつまらなそうに、壁へもたれ直した。
◇
自転車を押して家の前まで来たのは、7時を少し過ぎたころだった。
街灯の下に人が立っている。
頭の高い所で1つに結んだ髪で、顔より先に誰だか分かった。
結衣ねえだ。1つ上の坂井結衣で、小学校の通学班で僕を「りっちゃん」と呼んで面倒を見てくれた。
僕が冒険者だとは、知らないはずだった。
結衣ねえの手の中で、スマートフォンが光っている。
結衣ねえは黙って、その画面をこっちへ向けた。
二画面で広まった僕の配信の、今日の6層が映っていた。何か言いかけた僕が、口を開けたまま止まっている。
よりによって、声を出している所で。
言い訳を探した。猫背も前髪も、この人の前では何ひとつ隠してくれない。
「りっちゃん」




