第11話 二画面
土曜の夜、先に広まったのは、三上さんの言い分だった。
包帯を巻いた左の二の腕を下にしないように、布団の中で横を向く。腰と左脚がまだきしむ。土曜、ピエロが僕の体で戦ったあとの筋肉痛は、半日くらいでは抜けてくれない。
三上さんが僕の配信の場に押しかけた凸の配信は、アーカイブごと非公開になっていた。逃げる三上さんが新人の子を押しのけた場面は、もう誰にも見返せない。
代わりに、1分もない短い動画が上がっている。
「俺、あのあとすぐ協会の巡回員呼びに走ってたから。ヘラルドは最初から隠れて見てただけ」
「新人くん噛まれるまで、出てこなかったじゃん。あのケガ、やらせ配信者のせいっしょ」
動画の中の三上さんは、明るい茶の髪の下で、困ったように眉を下げている。教室では見たことのない顔だ。
『隠れてたのは事実』
『画面まっくらだったもんな』
『コウ、助け呼びに行ってたのか』
『出てこない方が悪い』
『新人かわいそう』
昼の配信で通った言い分が、夜には、知らない人たちにまで通っていく。
悔しい。毛布の端を握った指が白くなる。
それなのに、言い返す言葉が一つも出てこない。
隠れていたのは本当だ。
新人の子の腕に間に合わなかったのも、本当だ。包帯の結び目までしみてきた赤を、指がまだ覚えている。
隠れた理由はどこにも書けない。教室で毎日会う人に顔を見られたくなかった、なんて。
(上手い嘘だ。巡回員を呼びに走った、の所だけが嘘で、残りは本当のことでできている)
窓枠で、ピエロが顎に指を当てていた。人の噂話でも品定めするような目だ。
(宮廷でいちばんよく効くのは、ああいう嘘さ)
僕は返事をしなかった。
画面を伏せると、部屋は真っ暗になる。
日曜の朝、同じ動画の下に、誰かが切り抜きを貼り返していた。
題は、〔二画面〕コウの凸、同じ瞬間の二人。
画面を左右の枠に分けて、コウとヘラルドの、あの日の配信を並べた動画だ。録画していた誰かがいたなんて、知らなかった。
左の枠では、三上さんが、すがる新人を押しのけ、腰の剣の青いさやを揺らして出口のほうへ逃げていく。転んだ新人は、大きすぎるヘルメットを目までずらしたままだ。
あの瞬間を、三上さんのカメラで見るのは初めてだった。
右の枠に映っているのは、僕の配信だった。
ドローンが斜め上から追うので、映っているのは前髪とつむじばかりだ。自分でも、つむじで見分けるしかない。
暗い脇道から猫背の人影が1つ飛び出して、転んだ子と群れのほうへ走っていく。
転んだ子の頭には、左の枠と同じ大きすぎるヘルメットが、ずれたまま載っている。
同じ1秒なのに、2人は反対へ走っている。
終わりだと思った所で、右の枠が消えた。
ここから先は、コメントでしか知らなかった場面だ。
左の枠だけが大きくなる。曲がり角の先で、三上さんが足を止めた。明るい所からは見えない角だ。
三上さんは腕の画面をのぞきこんだまま、動かない。
「うわ、同接やっば。めっちゃ伸びてんじゃん」
その声と同じころ、新人の子の袖は赤くぬれていた。
しばらくして、三上さんは歩いて戻っていった。明るい所の手前で、ドローンへ笑ってみせる。
「全部、企画どおり」
あの日、暗い脇道の入り口で前髪の下に顔を伏せたまま、僕が聞いたのと同じ声だ。
再生数は約30万回。
まだ朝のうちだ。
『呼びに行ってないじゃん』
『角で同接見てる』
『逃げたって笑った本人が逃げた』
『隠れてたけど押された瞬間に出た』
『昨日信じたの恥ずい』
昨日の夜と同じ速さで、反対向きの言葉が流れていく。流れは止まらずに、凸の日より前の配信までさかのぼっていった。
『最初の死神の時も先に出てる』
『3人組の前にも先に出てた』
『一幕のあと、ひとりで戦ってる』
『名前の話で誰も見てなかった』
『え、毎回じゃん』
毎回。
そんな数え方を、僕は一度もしたことがなかった。
気づいたら、布団の上で正座している。腰が痛いのもすっかり忘れていた。
褒められても、どこに置けばいいのか分からない。
店で見たことのない品が届いたときみたいに、僕は画面の上で目をうろうろさせる。
(先触れに、拍手か)
ピエロより先に出て場を温める役。ピエロは僕をそう呼ぶ。
窓枠のピエロは、少しも面白くなさそうな顔をしている。
(拍手は、主が出てからもらうものさ。先触れが浴びては、順番が逆だ)
「……僕は、拍手とか、別にいらないけど」
画面に目を戻すと、流れの中に、新人の子の投稿が上がってきていた。
『土曜、コウさんの凸にいた新人です』
『ヘラルドさん、いちばん先に来てくれて、ありがとうございました』
『腕は縫いました。親と話して、冒険者はやめます』
その下に、コウ許せん、の声が、見るまに積み上がっていく。
やめます、の上で、親指が止まった。
◇
月曜の朝の教室でも、みんなが同じ二画面を見ていた。
窓側のいちばん後ろにある僕の席のすぐ横で、何人かが1つの画面をのぞき込んでいる。
「二画面、100万超えたって」
「ヘラルドのほう、普通にかっこよくない? 黒手袋じゃないほう」
「わかる。転んだ子のほうに、迷わず行ってんの」
「ヘラルド、登録者9万だって」
褒められている配信者は、そのすぐ横の席で、教科書を出し忘れている。
自分の登録者数まで、人の声で知った。
前の戸が開いて、明るい茶に染めた髪の男子が入ってきた。三上さんだ。
腕のスマートフォンに目を落としたまま、教室の前で足を止める。
数字を見ながら歩くのは、二画面に映った曲がり角と同じだ。
「あ、三上来た。コウの登録者、金曜は1.8万あったのに、今1.5万だって。週末で3千減ってる」
「ネタじゃん、ネタ」
口ぐせの真似に、教室の前のほうがどっと沸いた。
あの口ぐせが持ち主に返っていく。
「……ネタだし」
言い返した三上さんの声は、いつもの半分もなかった。
三上さんはまた腕の画面に目を落とす。
「お、また減った」
数字を読み上げた男子が、自分の画面を見て笑った。
僕の席からは、三上さんの腕の数字までは見えない。見えるのは、画面に落ちたままの明るい茶の頭だけだ。
「白瀬も、三上になんか言ってやれよ」
前の席の男子が振り向いていた。冗談の続きを待っている顔だ。
「ずっと弱虫って呼ばれてたじゃん。それに新人の子、冒険者やめたんだぞ。言ってやんのが筋じゃね?」
教室の何人かが僕のほうを見た。
「言いません」
教室が静まり返る。
前の席の男子が、首までじわじわ赤くなっていく。
「……は? なんで三上かばうんだよ」
「白瀬って、そういうとこあるよな」
「わかる。空気読まねーの」
さっきまで、ヘラルドを褒めていた声だった。
僕を見ていたみんなは、冷えた顔のまま、よそを向いていく。前の席の男子は舌打ちして前を向く。
断った分だけ、窓側のいちばん後ろの席が教室から遠くなった。
教室の前のほうで、また小さく、ネタじゃん、と誰かが言った。くすくす笑う声は、もう僕を入れずに続いていく。
三上さんは、腕のスマートフォンを見たまま、何も言わなかった。こっちは一度も見ない。
言い返さない三上さんなんて、初めて見る。
画面の上の同じ所を、親指でなぞり続けている。
机の下で、僕は今ごろになって震えだしていた。
窓枠では、ピエロが機嫌よく顎を上げていた。
「……あ、ねえ、これ見て」
小さな笑い声を割ったのは、自分のスマートフォンを読み上げる、廊下側の女子の声だった。
「『処刑人、次は伸びてる配信者を出演者に選ぶらしい』だって」
処刑人は、冒険者を襲うところを生配信している人だ。その次の獲物を、伸びている配信者から選ぶという噂だった。
「うわさでしょ、それ」
「でも、今いちばん伸びてんのって、ヘラルドじゃね?」
「次の出演者さん、ヘラルドで決まりじゃん」
決まりにされた本人は、同じ教室の窓側のいちばん後ろに座っている。
教室じゅうに、大きな笑い声が戻ってくる。
窓枠のピエロは笑っていなかった。
(あの赤い頭が来るなら、迎えよう)
(少年が許せば、一瞬で済む)
僕は許さない。許さなくても、ピエロは約束を破れる。
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次回から第2章「数字は飾り」が始まります。




