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叶わない願いと  作者: 雨宮雨霧


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3/11

第三話 葉桜と写真

 治療が始まる前にどうしてもと言って聞かない彼女に二日間の一時退院が与えられた。

 最後に挨拶に行かないと、とどこまでも真面目な叶。

 一人で歩けるまで回復していないのに。

「久しぶりの外って言ってもそんな気がしませんね」

「ずっと寝てたからな」

 桜もすっかり散ってしまっていて、どこか寂しそうな叶。

 一緒に見たかった、と小さく愚痴られた。

 来年見ようとも言えない。そこまで生きてくれるだろうか。生きてくれるなら言うけど。

 すっかり葉桜となった桜の木。

 新緑が夏の始まりを知らせている。

 暑さが大の苦手な叶からすれば落胆するのも自然なことだ。

「まあいいじゃん、葉桜と写真を撮ってあげよう」

「なにもよくないですけどね」

 機嫌を損ねた叶の写真を一枚。

 あと何枚記録を残せるのだろう。いや、哀傷に溺れるのはまだ早い。


 学校までの道のりは私も一緒に行って、そこからは外で待つことになった。

 不安になる手つきで車椅子で移動していく彼女を見送り、辺りをうろちょろする。

 今日は平日。いつもなら私も叶も今頃は仕事中。

 なんで休んじゃったんですか、と詰め寄られたのもつい昨日の出来事。

 誰が病人を一人にするんだと言い切ったらなにも言われなくなった。

 一人じゃないと思いたいのは叶だけじゃない。

 五分もすると待つことに飽きてきた。試験監督とかやっているほうがまだマシだ。

 そこら中を散歩しながら叶が出てくるのを待つ。

 いつもは目にも止めない雑草の花に、酷く心を揺さぶれる。

 いくら踏まれようとまた立ち上がる。まるで私の知らない彼女のように。


「お待たせしました。思ったより時間取っちゃってすみません」

「立ったまま寝るところだったよ」

 荷物を格段に増やして戻ってきた叶。

 そうか、私物があるから。なるほどなるほど。

 一人で勝手に納得していると、嬉しそうに声を上げられた。

「大急ぎで手紙を渡しに来てくれたんですよ、修了式のときもらったのに。書くことないでしょって言ったらあるって怒られました」

 何通も生徒から手紙をもらって帰ってきたらしい。すごく嬉しそう、最近の中で一番。

 治療なんかほんとはしたくないと泣いていたのが嘘みたいだ。限界まで同じように過ごしたいと。

 流石、慕われていたんだな。早瀬叶という生徒は立派な先生になっていた。

 昔では考えることもできなかったようなこと。なにもかもを諦めたように過ごしていた姿を知っているから尚更。

 確実に成長していた。彼女自身の力で。

「嬉しそうだね。よかった」

 これからは嬉しいことなんて早々起きないだろう。

 なんて最初から諦めていては昔の叶と同じになってしまう。生きている意味すら分からなくなりそうだ。

「倒れたの想像以上に噂になってたみたいで。大丈夫だって言いつけてきました」

「大丈夫なら仕事やめる必要ないじゃん」

 思わずツッコむと、さっきと同じだ、と笑われる。

 大丈夫なら車椅子乗ってないよね、先生やめるとか言わないよね、と口々に言われたらしい。

 便利な言葉は不便でもある。

「でもこれで一区切りですね。思ってたより早い退職ですけど」

「そうだね。長い間お疲れ様だよ」

 叶が教師になったのは、ありがたいことに私という人間に憧れてくれたからだ。

 先生みたいな先生になりたい。そう云ってくれただけでも嬉しかったのに。

 努力を積み重ねて、大学も自力で入った叶。

 中学生の頃から成績が悪くて有名ですらあった彼女は夢ができてから変わった。

 どうせ死ぬのになんで勉強しないといけないのか。私相手に本気で訊いてきたんだよな、この子。

 人が変わったわけでもなく、ただ考え方のクセが生きる道のりへと軌道を変えてくれた。

 勉強する理由ができて、生きる理由もその手に掴んで。

 教職に就いてからも努力の賜物としか言いようがない頑張りを見せてきてくれた。

 叶が望んだ終わり方ではないだろうけど。私も望んでなんていないけど。

 ひとまずはお疲れ様だ。

「さてと。早く帰ろうか。病院から直で来たんじゃ疲れたでしょ」

「病人扱いしないでください。元気なんですけど」

 どこからどう見ても元気そうには見えない。

 院内の廊下を数歩歩くだけでも転けて、受け身も取れないような人が元気だと言い張ったって。何のお笑いにもならない。

 そしてそれを隠そうとするからたちが悪い。

 怪我をしてからでは遅い。なにかあったらどうする気なのか。

 自分で対処できるとは限らないというのに。

 もう一度注意を入れると、面倒くさそうにあしらわれてしまった。

 久しぶりに叶と家に帰る。

 昨日は必死に家を掃除した。

 なんてたって雪里の家に転がり込んでいた間、荷物を取りに帰っても掃除はしていなかった。

 怠慢が招いた地獄。叶に怒られるより掃除を頑張ってするほうが断然いい。


「家だー!」

「こらこら、危ない。走るな」

 車椅子を畳んで玄関に置いている間に駆け出して行った彼女。

 静止するのが遅かった。また盛大に転けてしまった。

 こうなることを分かっているのにこいつと言ったら。リードで繋いでおかないと危なっかしくて仕方ない。

 大きな怪我はしていなさそうだけど。これでは打ち身ばかり増えていく。

「自分の身体を無視しないの。体力落ちてるんだから」

「最初は行ける、って思うんですけど。力が抜けちゃいます」

 ソファに座らせて、じっとしているように言いつける。

 本当に何年経ってもこういうところは変わらない。いいんだけどな、元気で居てくれるなら。

 荷物も叶に渡しておく。私が触ったところでどうにもならない。

「なんか終わっちゃった感がありますね。まだまだ続くと思ってたのに」

「早く元気になって復帰できたらいいな。他のことをやってみるでもいいと思うけど」

 年内持つかどうかと言われているのに私ときたら。こんなことを言ったって夢物語でしかない。

 そうでも言わないと希望も何もかもがなくなってしまいそうで。

 どうせ死ぬなら治療なんか無駄なことしなくても、とか言い出しそうで怖いし。

 生きてもらうためにはどうしたらいいのか。

「なんか変に部屋綺麗ですけど。昨日掃除しました?」

 バレた。

 慧眼だな。そこは節穴でいいのに。

 私から部屋中を掃除をすることなんて滅多にない。

 大の大人なんだからしっかりやれよと思われるだろうが。自分でも思うけど。やらない。

 洋服を仕舞うのも面倒だし下着ですら床にポイしている。洗濯した意味をなくしてどうするんだとよく叱られるのも日常のうち。

 今日はそれがない。ちゃんとロボット掃除機が走り回れるように片付けた。

「叶が帰って来るから。おかえりってちゃんと言おうと思って」

 あ、と声を漏らして向き直られる。

「ただいま、綾音様」

 真っ直ぐな瞳を向け、微笑みながら言ってくれる。

「おかえり。待たせすぎだよ、どれだけ待ったと思ってるの」

 やっと帰ってきた。

 といってもすぐに終わってしまうであろう一時退院。

 それでもいい。叶が家に居る、それだけで嬉しいんだ。

 おかえりもずっと言えなかったから。あの日の朝、行ってきますと行ってらっしゃいを言い合って。

 おかえりもただいまも言えなくて。

 ひたすら泣いていた。雪里に慰められても叶の居ない家は静寂に包まれていた。

「叶が居なかったらほんと、生きていけないよ。心の支えが居ないって辛くて、なんか。怖くて」

「ごめんね、綾音様。心配かけちゃって。大丈夫です、どこにも行かないから。私は私としてちゃんと居ますよ」

 何度も抱きしめる。

 離れたくない。ずっとこうしていたい。

 抱きしめてもどこか落ち着かない。

 おかえり。

 おかえり、叶。

 叶という存在が居なくなってしまうのが怖い。

 私にはこの子が必要なんだ、この子だけは手放すことができない。

 なによりも大切な人。叶と居られるなら、どんな手を使ってでも。

「元気出してください。病は気から、ですよ」

「……そうだね」

 いっそのこと私も病気にでもなんにでもなって叶と死にたい。

 なんて言えるわけない。激昂されるのがオチだ。

 自分でも分かっている。叶がいくら今まで死を望んできていたとはいえ、死ぬために病気になったわけではない。

 頭では理解していても心が追いついてくれない。分かろうとしてくれない。

 分かりたくなんてない。

 叶と暮らし始めたときから心配というものは絶えなかった。

 隠れて薬を買い込んでいたり、通学カバンからカッターが出てきたり。

 本人は知らないと言い張って逃げようとしていたけど。

 屋上によく行っていた理由を訊いても行きたくて行っていたわけではないから、と濁されて。

 家から飛び出して行った理由はもっと濁される。

 どこまで探しに行ったと思っているのやら。何回も繰り返されるうちに段々遠くまで行くようになるし。

 死なれたくないから探したし、その度に叱ってきた。

 生きていてほしいから。ずっと隣に居てほしいから。

 彼女が大人になってからはまた別の問題があった。

 働き詰めの後の休日には死んだ魚のように転がるようになったこととか。それはそれで心配だった。

 つついてみても揺すってみても起きやしなかった。

「死ぬなら家でがいいなー」

 腕を天井に伸ばしながら突拍子もないことを言い出す叶。

 ちょっと待て、気が早いんじゃないのか。なにも今すぐ死ぬわけじゃあるまいし。

 つい最近もそんなことを思った気がする。

 気持ちは分からんでもないけど。死なない可能性だってゼロではないはずだ。

 老衰するなら家でという話ならまだあれだけど。

 彼女の言うことはできるだけ受け止めてきた自負があっても。最後の最後まで受け入れたくないものがある。

「生きるんだよ、君は。私と一緒に」

「告白ですかそれ。生きますよ、もちろん」

 いつもなら抱きついてでも来そうなものなのに来てくれない。

 体操座りをしてどこか一点を見つめている。

 叶の表情を読み取るのは難しい。

 口以上に目がよく物語ってくれるけど、今はどうもそうじゃない。

 完全に思考がどこかへ飛んでいる。

「ご飯食べようか。作ってくる」

「え、私がやります。怖い」

 怖いってなんだ。なにが怖いって言う?

 上の空だったのに意識が急に戻るくらいに怖いのか。なんか失礼じゃないか。

 爆発させたりはしないはずだし火柱だって立てないはずだ。

 そこは信用してくれていないらしい。

 怖いからやめてくれと懇願までされている。

「雪里に教え込まれてるんだよ、それに叶にも食べてもらいたいし」

 目が物語りはじめた。

 やらせて大丈夫なのか。家吹っ飛ばないか。やっぱり怖いけど食べてはみたい。

 そんなところだろう。そう思われるほど私は今までなにもしてこなかった。猛省。

「隣に居ますから。できないものは一緒に」

 信用ないなやっぱり。

 手近な椅子をキッチンのそばに置いて監視兼観察をされている。

 作ると言ったはいいものの、一人で料理をしたことがあるわけじゃない。

 雪里に指示された通りにやろうとして、秒で失敗して呆れられるくらいはあるけど。

 叶にも私の両親にも教えられてきたけど、ゼロから十までを一人でやったことなんてない。

 カップラーメンくらいなら作れるけど。わざわざ叶に食べさすものではないし。

「なに作ったらいい?」

 仕方がないので彼女に訊いてみると笑われた。

「なんでもいいんですよ、綾音様。そうだなあ、卵焼きとお味噌汁は作ってもらいましょうかね。あとは冷凍庫にあるお魚を焼きましょう」

 椅子から立ち上がり、冷凍庫から魚を掘り当てる叶。

 解凍しないといけないから。まずそこから教えられる。

 霜だらけだと文句を垂らしながら、首筋に冷えた手を押し付けられて悲鳴を上げる。

 悪ガキの顔をしながら冷蔵庫から卵二つを取り出し、混ぜるように催促された。

「私は牛乳を少し入れて、めんつゆも少しだけ入れたりしてるけどお好みで」

 初耳。

 でもないかもしれないが、覚えていない以上初耳ということにしておく。

 言われるがまま牛乳とめんつゆを少し入れる。

 これくらいかと何度も訊いているとまた笑われた。

 雪里は砂糖を入れていたっけ。私の実家は塩だったような気がする。みんなバラバラだ。

 家庭の味というのはまるで宇宙だな。

 といた卵を油を敷いた卵焼き器に何回かに分けて流し込む。

「これくらい?」

「もう少し」

 いちいち分量を気にしすぎているのは自分でも分かっている。でも不安、初めてではなくともそれに等しいのだから。

 雪里になにを教え込まれていたのか分からない。

 とりあえず包丁の扱い方から今やっているようなことを教わったはずだけど。なにも身についていない。

「それじゃあ巻いていってください。菜箸がやりにくかったらフライ返しで」

 巻く。

 巻く?

 思ったよりも難しいのはなんだ。

 焦げ付いてしまう、なんていう焦りから余計に手元がもたつく。

 ムリムリ。無理だってこんなの。

「ちょっとくらい焦げていいですから。頑張って」

 何とか一回目は巻き終えた。

 ここから何回この工程を繰り返さないといけないんだ。そんな絶望に浸る。

 応援を受けながら、巻いてもいいのかどうなのかと聞きながら。

「すごいじゃないですか。できたじゃん。すごいです」

 これでもかというほどに褒め称えられる。いい気分。

 雪里には冷たい目と言葉をかけられるだけだったから。

 やっぱり叶がいい。褒めて伸ばしてくれる。

 味見を兼ねて切った端っこを二人で食べてみる。

「おいしい。なんだ、できるんですね」

「いやできない。そういう思い込みやめて、ハードルが上がる」

 そんなことないと云われても。そんなことがあるから言っているのであって。

 仕方ない、頑張って腕を上げるしか道はないんだ。

 叶に頼りっぱなしでは治るものも治らない。

 支え合え、自分。

「味噌汁先にやったほうがよかったかな」

 いちいち後悔するのもこいつらしい。

 作っている間に絶対冷める、と。

 温め直せばいいだけではないのか。違うのか。分からない。

「ネギと豆腐は切ったので。お湯を沸かして乾燥わかめ放り込んでおいてください」

 いつの間にか切られていた具材。

 私が切ったらもっと時間がかかる。

 しばらくやっていなくてもこんなに手際よくできるものなんだな。

 片手鍋に水をためて、またどれくらい入れるのか質問攻めをする。

 火をつけて、沸かして。具材を入れて、これでいいのかと訊いてまた笑われる。

 叶と一緒に居る時間というのはとても幸せだ。とても嬉しい。

 味噌をといている間にいつの間にか焼かれていた魚がいい焼色をして出てきた。

 これもまたいつの間にか早炊きされていたご飯も炊きあがり。

 こいつはすごいな、毎日こんな目まぐるしく料理をしていたのか。

 そうか。そうだよな。

 分かっているつもりでもなにも分かっていなかった。

「なにを考えているんですか、先生。早く先生の料理食べたいんですけど」

 丁寧に盛り付けられた皿の並ぶテーブル。

 久しぶりにこんな光景を見た。

 私たちの家の、私たちにだけ分かる。私たちにしか共有できないもの。

 椅子に腰をかけて、手を合わせる。

 重なる声の幸せを既に噛み締めながら。

「ん、美味しい。綾音様、流石です」

「とは言っても叶が手伝ってくれたっていうかやってくれたから」

 そういうことじゃないんだよな、と手を煽ぎながら目を合わせられる。

「一人で作るよりあなたと作ったほうが楽しいし美味しくなる。分かるでしょう」

「まあ、そうだけど」

 なんか諭された。

 そうなんだけど。

 だって。

 一人ではできないことも、叶と二人ならできる。叶と作ったほうが楽しいし、美味しくなる。

 二人でならできることはたくさんある。

 生きるところから始め。未来を見据えるのも叶が居ないとできない。

 家事はもちろん、なにもかも。

 つまりこの子が居ないとなにもできないし生きていくことさえ不可能なのだ。

 それじゃあ困るだろ、と雪里にも云われたけれど。この生き方しか知らないし。

「病院食より家がいいですね。味薄いし何なら味ないし」

「それが嫌なら早く元気になることだな。差し入れできるものはできるだけするよ」

 一応病院食を食べては居るようで一安心。

 食べることを拒否するかもしれない、と看護師に伝えてはいたけど。嫌々ながら食べているんだろうな。

 どこに居ても誰と居ても、なにをしていても。結局考えているのは叶のことばかり。

 自覚するとなんだか小っ恥ずかしい。

 久しぶりに同じ食卓を囲めて、一緒に作ったご飯を食べることができて。

 幸せとはこのこと。

 ずっと幸せでありたいのに。

 神は赦してくれそうにない。

 叶ばかりを苦しめてどういうつもりなのだろう。

 葉桜と映る彼女の写真を待ち受けに設定しながら、また泣いた。



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