9 剣刃
あれほど、心待ちにしていた聖地エストレージャスは思っていたより普通の街だった。
それもそうだろうと私は自問自答する。
ここは聖人の遺骸があるだけのただの街なのだから。だが、巡礼者の流入により商業は盛んで、この地方の中心都市として成長しつつあった。
王権、教会の双方において重要視される戦略拠点でもある。
馬車を指定された場所に置いて、歩いて広場に向かう。
街に入る、いや街に入る前からその存在を確認出来た建物を私たち騎士とアランたち巡礼者が見る。
エストレージャス大聖堂。
また完成前ながらも、すでこの国いや、この半島随一の威容を誇る大聖堂だ。
そこには石工や巡礼者の姿があった。
石工らが響かせる槌音と巡礼者らの歌声や祈りが混ざり、重なり合って荘厳な雰囲気を醸し出していた。
アランが先頭になって、私たちの下に向かって来た。
「ガリシア騎士団の皆さん、ここまで連れてきて下さり、本当にありがとうございます」
アランの背後の巡礼者らも私たちに頭を下げ、感謝を述べる。
私以外の騎士たちは感謝を述べられる事に慣れているようで、その感謝を正しく受け取っていた。私は感謝を心から受け取る前に、思い出していた。
この道中で、私は人に侮蔑を言われてもしょうがないほど人を殺してきた。そんな事実という名の業を背負っている咎人である私が……
あなたの正義が、信仰心がどんなものであれ神が何か言うことはありません……ただ自分に嘘を吐いてはいけませんよ。嘘とは自分に吐いても、他者を傷つけるもので、思いから顔を背けるものですから
イネスの言葉が思い出され、私はその考え……いや、私は自分に吐きそうになった嘘を捨てる。
アラン、巡礼者からの感謝を私はちゃんと受け取る。
この感謝こそ、私の信仰であり、正義だ。
どんな行いをしようとも、その行いに心からの感謝が不随する限り、私はどんな事でも行おう。
母よ、私はやっと、やっと自分のしたい事を見つけました。
私を産んでくれて、ありがとうございます。
母が誇れるような娘となります。
気付くと、目元が熱くなっていた。
ダメだ、ダメだ。
私は騎士だ。騎士が、保護対象の前で涙を流すなどあってはならない。
何とか涙をこらえていると、ディエゴが口を開く。
「こちらこそ、ありがとうございます。我々、騎士にとっても良い旅でした。それじゃ、大聖堂に入りましょうか」
広場の名前の付いた門をくぐり、私たちは大聖堂内に踏み入れる。
私たちを出迎えたのは、大聖堂の司祭ではなく立派で荘厳な門だった。
栄光の門と言われる、この門は巡礼者らの一番の目的だ。
三つのアーチからなるこの門は、左から旧約聖書の世界、天国、新約聖書の世界を表現しており、200体以上の聖人や予言者が造られている。
そしてアランたち、巡礼者は真ん中のアーチの中央にそびえる一人の男の像が備え付けられた一本の柱を見ていた。柱の名は、この大聖堂に遺骸が眠る聖人の名前を冠して聖サンティアゴの柱と呼ばれ、像の男が聖サンティアゴだ。
アランたちはその柱の前で祈りを捧げ、柱に手を伸ばし触れていた。
何を祈っているかは分からなかったが、アランは謝っているのだろう。私も柱を見ながら、死んだ母に感謝を告げる。
そんな折に、エディエンスが離れた場所でアランたちを見守る私たちに聞こえる範囲内で呟く。
「聖サンティアゴって、どんな使徒だったんですか? 俺、あんまそこらへん詳しくなくて」
イネスは信心深くないエディエンスの発現に不機嫌な顔をするが、すぐに表情を変えて元シスターらしく解説を始めた。
「聖サンティアゴは神の子が最初期に取った弟子の一人で、最も神の子に愛されていたと言われる弟子のお兄さんでもあります。そして最初に殉教した使徒です。多くいる使徒の中で彼がこの地で信仰されている理由は、彼がこの地で布教したという事とこの場所に遺骸が眠っている事と遺骸が発見されたのが異教徒勢力との戦いの最初期だったのが理由でしょうね」
「俺はそういうのじゃなくて、最も親しみの持てる話を聞きたいんですが?」
「そういう話なら聖サンティアゴはとても気性が激しくて、声も大きかったので雷の子とも呼ばれていたそうですよ。後、漁師の子供ですね」
イネスの詳しい解説やねだったエピソードを聞いても、エディエンスは結局興味を持つ事はなく、欠伸をかきながらアランたちを見守った。
20分ほどそうしていると、祈りを止めてアランは振り返り、多分私にその嬉しそうな表情をしていた。まるで、背負っていた重荷をやっと下ろして解放されたような顔で、他の巡礼者たちもそんな顔をしていた。
アランはその後、司祭から巡礼の証であるホタテ貝の徽章を受け取った。
聖地に着いた。しかし、巡礼も遠足と同様に帰るまでが巡礼だ。
ここまでの通ってきた道をまた戻って通って、帰る。それは、一見すれば退屈に思えるがアランたち巡礼者たちは違うらしく。
「ここに来て、聖サンティアゴに祈った後じゃ、今までの全てが違って見えますよ。なんせ、何も背負っていないんですから」
それもそうか、と私は思った。
行きは後悔や懺悔の気持ちがあったが、今、心にあるのは……旅を楽しむ気持ちなのだから。
その日は、私たちはエストレージャスの街の施療院で、秘術代行者の手で体調を回復すると、市場で食料品やおみあげとして聖遺物の模造品や護符を購入した。
次の日、私たち朝一番に町を出た。
門番の話では、メリダは私たちがあの伏兵らを倒した次の日にはエヴォラ騎士団の手で陥落したらしい。ヴィエガスの作戦が成功したのだろう、ディエゴの案でタリアの街でもしヴィエガスたちを見かけたら、伏兵らを討伐した事を伝える事になった。
聖地エストレージャス周辺は、緩やかな丘陵地帯が広がっていて、農村風景があったが内陸部に向かうほど標高が少しずつ上がり、カシや栗の森が目立つようになっていき、小川や湿地が多く、道はぬかるみやすかった。
メリダ周辺まで来ると丘陵と橋の多さが感じてくる。連続する丘のアップダウンと川を渡るための石橋または木橋を渡り、この辺りの名物のタコ料理を食し、私たちはひとまず休憩した。
そして私たちを待っていたのはタリアまでにあるこの地方最大の川が造り上げた深い谷で、私たちは通れそうな道を進んで、時間を掛けてゆっくり進んでいっていた。
谷と川から離れ、少し平地が広がった場所で、突如としてかなり先を歩いていたディエゴの足が止まり、私たちも警戒して足と馬車を止めた。
「どうしたんですかね、隊長?」
「何か察知したんだろ」
エディエンスとハインリヒの言葉とは裏腹に、私はその行動の理由に気付いていた。
イネスも自然と武器に手を伸ばし、周囲を警戒していた。
私は、隊長に近づく。
「ディエゴ隊長、覚悟は決まりましたか?」
もし、ディエゴ隊長が裏切り者ならこの道中で奇襲出来るタイミングは幾度もあった。
それでも、起こらなかった理由はただ一つ。
ディエゴ隊長は……決心出来なかったのだ。
だが、もう……
「ああ」
その言葉と同時に、茂みや森の奥から武装したラスム教徒たちが姿を現す。見てわかる、ここに集っている者たちはあの伏兵の長よりも強い。
背後でエディエンスやハインリヒの驚く声が聞こえるが、気にせず私は問答を続ける。
「何故ですか? 何故、我らを、騎士を、裏切ったのですか」
ディエゴ隊長は顔を背け、ただ一言呟いだ。
「……疲れたんだ」
その言葉、一つにディエゴ隊長が思いの全てが詰まっているように思えた。
疲れたの意味や理由を問いただす事はしない、騎士と裏切り者が揃ったのなら、そこに言葉などもはや意味をなさない。
私はエストックを抜き、腰の高さに構える。
「それが、ヴァレリア……お前の言葉か。分かった」
ディエゴ隊長も長剣を抜き、頭上高く構える。
「存分に語り合おう」
二つの刃が交差する。




