1-5.
水島と星野のデートはお互いの家に寄ることが多くなった。二人の動線の都合でどちらが訪ねる側になるかは都度変わる。その日は星野が水島の家を訪ねることになっていた。いつ引っ越したのか知らないが、水島の現住所は星野には縁のない場所で、地図アプリを頼りに夜道を歩く。駅から少し離れた住宅街のアパートは以前の彼の家に少し似ていて、星野はわずかな既視感を覚えた。
家に入ると既視感は見逃しようのないものになった。ワンルームの部屋にベッドと大量の撮影や編集にまつわる機材が詰め込まれ、見えている床面が狭いところも。玄関脇に申し訳程度についているキッチンはまともな料理を作ることを想定しているようには見えないのに、キッチンエリアが家具で部屋側に拡張されて充実した調理器具が揃っているところも。カーテンレールにひっかけたハンガーにずらっと上着がかかっているところも。全部、見覚えのある景色だった。
そして、何より強烈に星野の記憶を刺激したのは部屋に漂う生姜焼きの匂いだ。ちょうど調理中で迎えにいけないと言われた時点で夕食を用意してくれているのは分かっていた。そして玄関を開いてみれば、期待していた水島の得意料理が本当にそこにあった。部屋の真ん中に無理やり広げた狭いテーブルいっぱいに二人分の皿が並んでいる。湯気を上げる立派な生姜焼き定食だ。男子学生の空腹を満たすことを目的としたようなボリューム重視の構成が懐かしい。
「とりあえず食おう。これ片付けないと歩けないから」
水島の言う通り、テーブルが部屋の手前と奥を分断している。星野はテーブルをまたがないよう壁に張り付きながら移動して床に腰を下ろした。向かいに水島が座り、揃って「いただきます」とあいさつをして食べ始める。
「……美味しい」
一口してから絞り出された声を聞いて、水島が口に運ぼうとしていた箸を止めた。涙を堪えるように眉間に皺を寄せて、それでも目を赤くしている星野を見て眉尻を下げると、わずかに言葉に詰まった後でぼそぼそと言う。
「そんなに感動を呼ぶほどのもんじゃねえだろ」
「でも……美味しい」
確かめるように、また一口食べる。ゆっくりと噛みしめて食べ進める星野をしばらく眺めてから水島もまた食事に戻った。三十代になって多少は落ち着いたものの、もともとが健啖家の水島は食べる量も多ければ、食べる速さも速い。かなり食べ進んだところで、星野の皿を見ればまだ半分ほど残っていた。
水島の視線に気が付いたのか、星野の箸が止まった。水島の皿を見て呆れた表情になる。
「食べんの早……嚙んでないでしょう?」
「噛んでるよ」
その返事を星野は全く信じなかったが、水島の定義する「噛んでいる」と星野の定義がずれているのは昔からだ。それ以上、深入りはしなかった。
結局先に食べ終わってしまった水島が、ゆっくり食べ続ける星野を眺めながら「あ」と声をあげた。
「そうだ、あれ、どうだった?」
「ほへ?」
口の中に肉が残ったままの星野が不明瞭に問い返すのに水島が答える。
「唯子の舞台、観に行くって行ってたろ。新宿だっけ?」
星野は、目だけぱちぱちと動かして返事の代わりにすると、しっかり噛んで飲み込んでから答えた。
「行きました」
「……で?」
星野は観劇中に考えていた舞台芸術と映像作品との演出の違いについて、いくつかの気づきを話した。水島は興味深そうに聞き、ところどころで映像で再現する場合のアイディアについて議論になった。それが一区切りついたところで水島がもう一度「で?」と問いかける。
「肝心の唯子、どうだったんだよ」
「あ、良かったですよ。四番手で、わりといい役で。気持ちいいレベルのわざとらしさみたいなの、唯子さん上手ですよね。自然な作り物感というか」
「あー、分かる。あれはマジで舞台向きの才能」
頷く水島の表情をうかがいながら星野は続けた。
「あと……何人か映研のOBが来てて。ご飯食べてきました」
「……そっか」
水島の視線がすっと空の皿へ向かう。
「南さんが、心配してました。水島さんのこと」
視線を下げたまま、水島は苦笑いを浮かべた。
「南さん、いたんだ。不義理しちまってるからなあ」
「最近会って、元気そうにしてたって言ったら、少し安心したみたいでしたけど」
「うん」
それきり会話は途絶え、星野は残りの食事に戻った。
やがて星野の箸の進みが目に見えて遅くなって、止まる。
「昔も、よくご飯作ってもらいましたよね」
星野が見つめる先には生姜焼きに添えられたポテトサラダが残っている。これを作るのには手間がかかるというのも、水島が作ってくれるのを見て知った。
「お前、ほっとくとすぐ飯抜くから」
昔から何かというと「飯を食え」と言われ続けた。そして実際に食べられるものをたくさん用意してもらった。
「すごく……甘えてましたよね」
顔を上げない星野をどう思ったのか、水島の声が優しくなる。
「こっちが勝手に作ったんだよ。しかも食費は俺の分までお前持ちで」
「でも」
「ん?」
星野は一瞬、水島を見て、それからまた逸らした。
「何でもないです」
「……お前が甘えてるなんて思ったことねえよ?」
星野が返事をできないでいると、水島が続けた。
「甘えてほしいとは、思ってる」
「え?」
思わず顔を上げた星野を見つめて水島は繰り返した。
「もっと甘えていいよ」
視線を泳がせだす星野に、言い聞かせるように言う。
「甘えて」
「……そんなこと言われても」
「もう先輩だとか、考えなくていいだろ。我慢しないで、言いたいこと、ちゃんと言って。恨み言でもなんでもいいから」
まっすぐに見つめられた星野は言葉に詰まり、あちこちに視線を飛ばしながらしばらく唸り、そして水島に視線を戻した。
「……じゃあ、ずっと言いたかったこと一個いいですか?」
「うん」
「ごはん、こんなに食べられないです」
星野の前の茶碗には白米が半分も残っている。肉は食べきったが副菜も半分かもう少し頑張ったところだ。
「……若い頃は食べてたろ」
「結構、頑張ってました」
うつ向いてしまった星野を見て、水島は手を後ろについてのけ反った。天井に向かって言う。
「言えよ~」
「だって、せっかく作ってくれてるのに。申し訳ないじゃないですか」
両手でテーブルの端を掴んでもぞもぞと落ち着かない星野を眺めて、水島は長い溜息をついた。
「お前は本当に……。分かった。とりあえず次からの必要量を教えろ」
「水島さんの半分くらい」
「却下。それはさすがに少なすぎる」
「じゃあ、三分の二」
「三分の二な」
それから水島は「それもう食えないならもらう」と言って星野の残したご飯まで食べてしまった。
星野は洗い物くらいやると申し出たが、お前が帰ってからゆっくりやるからいいと断られた。人間が二人以上滞在することが想定されていない部屋で、星野はベッドに腰かけ、水島は床に座ってしばらく話した。話している間、いつの間にか絡めたお互いの指先をなんとなく離せないまま、話題は花山らから聞いた映研OB達の近況に至る。
「そっか。もうだいぶ皆いろいろだな」
「映画続けてる方が少ないですね」
「んだな」
「だから余計に、応援してくれてるんだと思います」
あの日、花山たちと話しながら感じたことをそう伝えると水島はふうと息をついた。
「もしさ、今度南さんの来るなんかあったら、俺も誘って」
星野がはっとして水島を見ると、水島は少し微笑んだ。
「いつまでも、今のままじゃよくないのは分かってる」
『浜辺の花』の撮影打ち切り以降、水島は当時のクルーだけでなく映研のコミュニティとの連絡もほぼ断っている。だが、狭い業界で、大事な伝手にもなる昔なじみと距離を取り続けるのは良くない。何よりも友情をねじ切れたままにしておくべきではない。星野は絡めた指をぎゅっと握った。
「じゃあ、声かけますね」
「うん。頼む」
ぺこっと軽く頭を下げた水島のつむじに向かって「一緒に行きましょう」と伝えると、水島はうつ向いたまま「うん」と頷いた。




