1-4.
随分と日没も遅くなってきたある日。星野は夕方早めに仕事を上がらせてもらって新宿へ向かった。少し前に小さな劇場で大学の映画研究会時代の仲間が出演する劇が上演されると連絡があり、どうせなら仲間の都合が良い日にみんなで観劇に行って、そのまま食事でもしようと約束していた。
地下の飾り気のない劇場の入り口には多くの花が飾られ、客席はほぼ満員だった。星野は舞台を楽しみながらも、どうしても映像の世界と舞台の上の演技の違い、独特の演出手法に目が向く。カメラを用いることで、できなくなる演出もあれば、その逆もある。久しぶりの観劇は良い刺激になった。
終演後、上演中に電源を落としていたスマホをONにした途端に留守番電話の通知が届いた。確認すれば発信元はテレビドラマの制作班でかけ直さないわけにはいかない。幸い、大きなトラブルの連絡ではなく、明日以降のスケジュール調整の知らせだった。電話対応とそれに伴うちょっとした連絡をこなしているうちにロビーは閑散としてしまった。急いで楽屋に顔を出して出演していた仲間に挨拶をする。それから改めてスマホを確認すると本日の幹事から先に予約した店に入店していると連絡が来ていた。
リンクを送られた先はスペインバルで、仲間たちは一つの大きなテーブルを囲んでいた。十人ほどの集団は自然と会話の輪が二つに分かれたようで、ちょうど真ん中に席が余っている。星野が空いていた席に着くと、向かいの席にいた花山という先輩が会話の輪を抜けて星野に話しかけてきた。花山は学年で言えば水島の一つ下で、星野の二つ上にあたる。人づきあいがまめなタイプでこうした会の幹事をよく務めてくれる、仲間内での連絡ハブのような存在だ。
「今さ、近況報告タイムしてた」
「僕は変わりないですよ」
「その返事だけで変わってないのわかるわあ。全国公開の作品の制作チーフに抜擢されといてよ」
「前にお仕事させてもらったプロデューサーが声をかけてくださったおかげです」
「はいはい、お前は変わってないよ」
「皆さんもお変わりなく?」
星野が皆を見回すと、パラパラと転職したとか、新しいチャレンジを始めたという報告が返ってくる。中にはその場にいないメンバーについて言及するものもあって、あいつは子どもが生まれたばかりだからしばらく会えそうにないとか、海外で武者修行中だとか、不在者の消息についても情報が補完された。
その流れの中で不意に奥の席にいた一人が質問した。
「最近、水島と連絡取れたやついる?」
映研の大先輩の南だった。南は水島の監督としての師匠でもあり現在はプロデューサーとして活躍している。特に目をかけていた後輩がOB達から距離をとっていることを長いこと心配していた。
一同はお互いを確認するように顔を見合わせる。そして南の向かいにいた林茜が首を横に振ると、全員の視線が一斉に星野に向かってきた。
「……最近、会いました」
南の表情がぱっと明るくなる。
「お、まじで? あいつ元気にしてんの?」
「はい。元気みたいでした」
「そっかあ。え、何。仲直りしたの?」
一瞬、南以外の面々から何とも言えない空気が流れたが、星野は淡々と答えた。
「最初から喧嘩してないですよ」
「え……でも、お前らずっと仲良かったのに全然」
周りの空気を読まずに言い募ろうとする南を花山が遮った。
「まあ、まあ。元気にしてんるなら、良かったじゃないですか、ね」
露骨に割って入られた南は、さすがに言外の圧を感じたようで引き下がった。でも、興味まで失ったわけではない。最近、水島は何してるのかと問いかけてくる。星野は水島から聞いている通りに、ここしばらくCM中心に活動しているらしいと答えた。
「じゃあ、撮るのは撮ってんだ」
南の言葉にほっとしたような空気が流れる中、花山だけがちょっと含み笑いで呟いた。
「……また、無茶してんじゃないすかね」
さほど大きな声ではなかったが、ちょうど静まっていた場にはよく響いた。
「間違いない」
どっと笑いが溢れた。
しばらくするとぱらぱらと席を移動するものが現れて、空になった星野の隣に林茜がやってきた。茜は映画研究会の所属ではなかったが、俳優として何度か作品に参加してくれた縁で映研のメンバーと仲が良かった。今では舞台女優の道を歩いていると聞いている。でも、星野の記憶の中では何よりも水島の恋人だった女だ。星野が最後に参加者を確認したときには名前がなかったので、飛び入り参加なのかもしれなかった。
「お疲れ様です」
星野が声をかけると茜は「ひさしぶり」とワイングラスを星野のグラスに軽くぶつけた。揺れる赤いワインには口をつけずにグラスを下ろすと、わずかに椅子を星野の方へ向けて座る。テーブルに肘を預けて少し身を乗り出しながら尋ねてきた。
「ねえ、あいつ。また星野君のところに戻ったの?」
やや声を低めて内緒話のように聞く。目を眇めて少し呆れたような、咎めるような響きがあった。
「戻ったというか……まともに連絡がつくようにはなりました」
「まとも、ねえ。それって昔みたいにべったりってこと?」
「そういう感じではないです」
「どうだか……昔だって絶対認めなかったじゃない」
「え……そうでしたっけ」
軽いけれど責める口調で断言されて本当に記憶にない星野の顔に戸惑いの表情が浮かぶ。
「あんたじゃなくて、水島。水島にさ、暇さえあれば星野君ばっかりじゃないって、何度言っても認めなかったわよ、あいつ」
眉をしかめ、軽く手振りを付けて。女優の表現力で伝えられるのは怒りではなく呆れだ。
「ナントカレトリバーの子犬みたいなのに懐かれちゃって、嬉しかったんじゃないの? こっちがなんて言おうが、必要だから連絡してるだけだって言い張って、嘘ばっかり。私の家にいるのに、あんたから連絡来ると飛び出していくんだから」
「え」と発したきり黙って目を瞬かせる星野に追い打ちをかけるように茜は続ける。
「なんなら着信の名前だけ見て服を着始めたこともあった気がする」
言いながら茜がちょっと笑いをこぼした。向かいで話を聞いていた花山も飲みかけのワインをふきそうになりながら「それはひどい」と笑うなか、星野は言葉もない。
「ほんと……ありえなくない?」
茜はわざとらしく眉を顰めてまた笑う。花村が「だけど、水島さんに限ったらありえちゃう気がしますね」というと、茜は大きくため息をついた。
「映研の人は、みんな、そう言ったわ。あいつらはお互いに呼ばれたら飛んでいくって。そういう生き物だからしょうがないって」
星野は小さく頭を下げる。
「……なんか、すみません」
「今さら謝られてもねえ。それとも、わざとやってた?」
「いいえ。そんなことは全然。でも、お邪魔してすいませんでした……」
もう一度ぺこりと頭を下げると、はっと軽い笑い声が返ってきた。
「だから、今さらだって」
そう言って茜はワインを口にする。ゆっくりとグラスを下ろして口紅の跡を指でなぞり、それでも残るわずかな痕跡を見つめたまま、小さく「でも」と呟いた。
「……後から思えば、あれ、嘘でもなかったのかもね」
茜の声は騒がしい店内で搔き消されてしまい、隣にいた星野にも届かなかった。星野が聞き返すと、茜はじっと星野を見つめて「ちょっと面白い話教えてあげる」と語りだした。
「水島がね、四年か、三年くらいかな? 前にふらっと会いに来たことがあったのよ。ほら、水島が夢中になってた映画あったじゃない? なんだっけ」
「……浜辺の花」
星野がぽつりと答えると、茜は「あー、そうそう。なんか海のヤツ」と頷いた。
「あれが潰れた後だったと思う。女より映画だみたいなこと言って人のこと放り出してったくせにさ、映画ダメになったから帰ってくるって、ずいぶん都合のいい話だと思わない? 文句の一つもいってやろうと思って会ってやったのよ。そしたらさあ、あいつ、なんて言ったと思う?」
「……わかりません」
星野が早々に降参すると、茜は少し身を乗り出した。
「しげしげ人の顔見て、ごめん、なんか違うって言ったのよ? 信じられる?」
「それは……酷いですね」
同意するしかなかった星野に続けて、花山も耐えきれず口を挟んできた。
「最低だな、水島さん……」
どうにも庇いようのない失言の暴露に二人とも二の句が継げない。
「でしょう? 本当に。何しに来たんだって話よ。ぶん殴ってやろうかと思ったわ」
「殴っていいと思います」
花山が過去の茜に許可を出すと、茜は「本当よね」とうなずく。しかし、茜はすっと穏やかな表情に戻って、思い出すように視線を遠くへ投げた。
「でもね……たぶん水島の方が私よりも途方に暮れた顔してた」
一度瞼を伏せた茜があげなおした視線は星野に向かっていた。星野は一瞬だけそれを受け止めて、自分のグラスへと逸らす。
「それで水島さんとはそれっきりだったんですか?」
再び黙ってしまった星野に代わって会話を引き継いだ花山の質問に茜は「はん」と笑った。
「当たり前でしょ? 私はどっかの大型犬と違って誇り高いシャム猫なの。恋愛なんて追わせてなんぼよ」
茜は残りのワインをぐっと煽り、星野は満たされままのグラスを見つめ続けた。




